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【1 渋い木の実】

 獣道から真下を通る街道を見下ろしていたシヴァルトは舌打ちをした。形の整った薄い唇が細く開き、嘆息が漏れる。

 たった今下ってきた山道を思い返し、視線を逡巡させた。


 久しく切っていない彼の髪は胸まで伸び、結わえなければ視界を邪魔した。

 恰好に無頓着で散髪を怠ったゆえの結果だ。しかし、手入れをせずとも乙女より柔らかい髪は、時にシヴァルトの妖艶な美しさを引きたてる。中性的な顔立ちもあって人々の目は必ずといっていいほど彼に奪われた。

 項垂れるように首を傾けると、絹糸のように滑らかな銀の髪が波打った。髪と同じ色の瞳は不機嫌に細められている。


 年に一度の大市の日程と被ってしまったらしく、街道は人がひっきりなしに往来していた。混雑を避けようと、普段なら誰も通ろうとしない寂れた獣道まで上ってくる者の姿も見受けられる。

 この辺りを通るのは山の稜線に添って都からやってきた連中だろう。


 その群衆にシヴァルトのような髪の色をした者はいない。遠目にもわかる異質な存在は好奇の対象となる。好奇はいつしか敵対心になり、彼の髪は命を狙う者たちにとって格好の目印となる。

 長い旅の中で何度も経験してきた。

 いらぬ争いを避けるため、シヴァルトは人を避けた。それでも諍いの種は彼について回った。


 土を踏む足音が近づくのを感知して、シヴァルトは腿の半ばまで隠れる丈の黒いコートについたフードを被った。顔を隠し、髪のひと筋さえ見えないように丹念に調整すると、道を外れて森の奥へと身を潜ませる。

 接近する足音の主は、シヴァルトの存在に気付いていないようであった。


 背の高い彼の身体をすっぽりと覆い隠せるほど葉を茂らせた木を見つけると、幹に手を掛けた。自らの身長より高い位置まで難なく登ると、太く丈夫そうな枝に腰かける。

 人間という生き物は視線より高い位置にあるものには気付かないものだ。

 シヴァルトは目を閉じると、そのまま動かなくなった。気配をすっかり消し森の景色と一体化する。

 その横をまた、足音が通り去っていった。


 秋口の森は落ち葉の匂いで溢れていた。冬ごもりの支度に取り掛かりはじめた獣たちが、食料を求めてせわしなく行き交っている。

 まどろみの中を漂う間も、シヴァルトの意識は常に外へ向かっていた。木の葉を踏む音が聞こえるたびに細く目を開けて周囲を確認する。

 彼の警戒をあざけるように、平穏に時は流れ去った。


 陽も落ちた頃合になってようやく人の波も引いたようだ。街道をゆく声もまばらになったのを確認して、息をひそめていたシヴァルトがゆっくりと木を降りた。闇に同化するコートから覗く首筋の白色が、わずかに残った夕日に染められる。


 そっと獣道へ出た。シヴァルトが踏むと、乾いた木の葉も音を立てずに崩れ散った。シヴァルトは風に舞う落ち葉の破片など気にも留めず、視線を街道の先へ向ける。

 道の先にあるナーグの町は、そこだけ昼のままのような明るさを保っていた。

 この時期だけは民家も飾り立てて村全体が祭りの雰囲気に酔いしれる。今夜は深い時間まで酒を酌み交わす宴会も行われることだろう。


 深く被ったフードの中で顔をしかめ思案に暮れる。彼の銀色の瞳が鈍い光をたたえた。

 急ぎの用でナーグを訪れたものの、ここまでの賑わいがあるとは思いもしなかった。噂には聞いていたがそれ以上のように感じる。できるだけ人目に触れぬように気を配りながらやってきたというのに、これでは努力も水の泡だ。


 コートの中で組んだ腕をほどくと、指先が剣の柄に触れる。飾りも何もないそれを軽く握り、吸い付くように手になじむ感覚を確認した。

 いつ敵が現れても大丈夫なように。細心の注意は彼を守る檻だった。


 細心の注意を払いながら、慎重に剣を抜く。

 冷たい月の光を照り返す刀身は途中で刃こぼれしていた。度重なる戦いの影響で蓄積したダメージが目に見えてわかる。

 この剣を直すことができる人物は、ナーグにしかない。その人を頼ってやってきたのは良いが、この状況では滞在もままならないだろう。


 剣を鞘に収めると、手近な木へ上がった。眠るのに良さそうな太めの枝に腰かけて、手の届く位置にあった木の実をもぎ取る。

 獣たちも手を付けないような青い実だ。産毛のようなチクチクとした繊維がシヴァルトの手を拒んだ。


 熟しきっていない実は舌が痺れるほどに渋い。それでもシヴァルトは顔色一つ変えずに完食した。固い種は隣の枝に載せる。それを割って核を乾燥させれば、薬の原料になる。

 彼にとって舌の痺れは、飢えることと比べれば些末な現象に過ぎない。さらにもうひとつ、渋くとも大ぶりな実を手に取った。


 大市は長くとも数日のはず。その期間を森の中でやり過ごそうというのだ。

 歯を立てて皮をめくると、渋みを孕んだ果肉が現れる。二つ、三つと食べ終えるごとに痺れは口腔全体に広がった。その痺れすら、生の証。


 月明かりが闇の中に影を落とす。獣も山賊もいないことをあらためた上で目を閉じた。

 黒いコートは人と違う色の髪と瞳を持ったシヴァルトをそっと闇の中へ隠してくれた。

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