第26話 進んだ道の果て
翌日。
「……じゃあ、行ってくるね!」
部屋の扉の前に立った花奈が、若干緊張した様子で二人に小さく手を振った
「ああ、無理しないようにな」
「行ってらっしゃい、花奈」
草太とリフィアは、花奈の緊張をほぐすためににこやかに答えた。それを見て花奈も少し気が楽になった様だ。
「二人ともありがとう! 行ってきます!」
花奈は笑いながらもう一度手を振り、ドアを開けた――!
「おはようハナ! 時間が惜しいわ、早く研究室の方に行きましょう!」
「え、え、え!? エミリアさんなんでここに!?」
「良いから行くわよ!」
「えぇえええええええ~~!!?」
――ところで待ち伏せしていたエミリアに拉致されていった。
「エミリアの行動力は凄まじいですね……」
「ああ……まあ、見習おうとは思わないけどな……」
呆然とそれを見送った二人は、呆気に取られて呟いた。
「……まあ、花奈は大丈夫でしょうし、私も狩りに行ってきますね」
「ああ、気を付けてな」
「ええ、心配いりません」
草太に笑みを返すと、リフィアは軽やかな身のこなしで窓から出ていき、そのまま屋根伝いに街の中へ消えていった。
それを見送った草太は、うーん、と伸びをしてリコシフォスを担いだ。
「それじゃ、俺も行くか」
部屋から出た草太は、広い王城の中を右へ左へと歩き回った。だが、目的の修練場は一向に見えず、どんどん人気のない所に入っていく。
「花奈じゃなくても迷いそうだな……」
そんなことをぼやきながら歩いていると、中庭の様な場所に出た。柱に囲まれ、天井の代わりに青空に覆われた場所だった。床には柔らかそうな砂が敷き詰められ、荒涼とした砂漠を思わせる。
「なんだ……ここ?」
草太は不思議そうに中庭に足を踏み入れた。
「誰だ!」
その瞬間、張りのある声が草太の耳を叩いた。
「うわっ、ご、ごめんなさい!」
咄嗟に後ずさって、草太は声のしたほうに頭を下げた。
顔を上げると、険しい顔をした老騎士が剣を片手に草太を見ていた。
歳はかなりとっているだろう。すっかり白く染まった髪と、顔に刻まれた皺からそれが伺える。だが、その体つきは普通の老人とは違い、鍛え上げられたものだ。タンクトップから伸びる腕は丸太のように太く、胸板も厚い。
熟練の剣士、という言葉がぴったりの男だった。
「……ん? お前は、昨日の……」
老騎士は草太の顔を見ると、何かを思い出したかのように顎に手をやった。
「あ、俺、草太と言います。昨日から、食客としてこの城のお世話になることになってまして」
「ああ、知っているとも。私も昨日その場にいたからな。……ソウタ、と言ったな?」
「あ、はい」
「…………」
「あ、あの、どうかしましたか?」
老人が突然黙り込み、草太は怪訝そうに尋ねた。
「……いや、なんでもない。お前の名前に、少し聞き覚えがある気がしてな」
「……?」
「気にするな。……自己紹介が遅れたな。私の名はヴィルフリート。フェリア王国宮廷騎士団の団長を務めている」
「あっ、じゃあクリストフ達の上司ってことですね」
「そういうことになるな。彼らは迷惑をかけなかったか?」
「いえ、むしろとてもよくしてもらいました」
「そうか、ならいい」
ヴィルフリートはその言葉を最後に、手に持っていた木剣で素振りを始めた。
まっすぐに振り下ろされた剣が空気を裂き、風を切る音が中庭に響く。
(すごい……)
それを見て、草太は心の底から感動した。
彼の剣筋は一切の無駄がなく、まっすぐで、鋭かった。
達人の域、というものを草太は初めて見た気がした。
ぼーっと草太が見ていると、ヴィルフリートが素振りをやめ、苛立ち交じりに草太に声をかけた。
「……おい、いつまでそこにいるつもりだ」
「……え、あ、邪魔でしたか?」
「人に見られると気が散ってかなわん。だからこんな人気のない場所にいるのだしな。……せめてお前も剣を振れ」
「……あ、は、はい!」
草太は慌ててリコシフォスを抜き、ヴィルフリートから少しだけ距離を取って素振りを始めた。
(俺も、こうやって練習を積めば、あの人みたいに剣を振れるようになるのだろうか)
横目にヴィルフリートを捉えながら、草太はそんなことを考えた。
あの老騎士の域に辿り着けば、メアリにも勝てるようになるだろうか。
「……!」
メアリの顔を思い出して、草太の背筋に悪寒が走る。なんど振り切ろうとしても、振り切れない恐怖。
(余計なことを考えるな! 今は強くなることだけを……!)
草太は思考を振り払って、闇雲に剣を振るった。
しばらく経った後。
「――お前は、剣を振り始めてどれぐらいだ?」
不意に、ヴィルフリートが草太に声をかけた。
「……えっと、まだ一か月ぐらいです……」
草太は突然の質問に戸惑いながら答えた。なんのとりとめもない、平凡な質問だと思った。
だが、ヴィルフリートは侮蔑の表情を浮かべ、思いがけない言葉を草太に言い放った。
「……一か月か。ふん、一か月もあってその程度ならば、お前は剣術の才能が全くないな」
「なっ……!」
予想外の暴言に、草太は思わず目をむいた。
「どういう……ことですか」
「そのままの意味だ。お前はいくら剣を振るっても、強くなれはしない。……今がお前の限界だ」
ヴィルフリートが冷たく言い放つ。だが、そんなことを素直に信じられるほど草太は単純ではない。
「そんなことが、ちょっと見ただけのあんたにわかるんですか?」
「わかるとも。お前の何倍も剣を握ってきたからな」
草太の言葉が少し乱暴になる。ヴィルフリートは特に気にせずうなずいた。
「そのような稚拙な剣を振るっていては、お前は何も切れはしない」
「……そんなことない! 現に、俺はワイバーンだって……!」
「フン、幼子のような自慢だな。そんな功績はなんの意味もなさん」
「それは暴論だ!」
思わず、草太が声を荒げた。
「さっきからなんなんだよ! 邪魔なら素直にそう言えよ!」
「言葉を慎め、若輩の剣士。お前は自分の立場を理解するべきだ」
「なっ……!」
「この城にいるお前達は、いわば完全に敵の懐にいる状態だ。下手な行動を起こせば、即座に四方からお前達を罰する手が伸びるだろう」
「そ、そんなことが……」
突拍子のない話に、草太は息をのむ。だが、ヴィルフリートの表情は草太をからかっているものではなかった。
「先ほどのお前の暴言を王に申告すれば、お前たちはどうなるだろうな?」
「……」
「それを考えて発言しろ。この城で……いや、この世界でお前は無力だ」
「……っ」
草太はヴィルフリートの言葉を素直に聞き入れることができなかった。今まで色々な魔物を倒してきたのに、それを全て否定された様な気がしたから。たった一瞬見ただけのこの老人に、そんな権利はないと思ったから。
草太は自分では気づかないうちに、頑なになっていた。
だから、次に彼の口をついて出た言葉は、あまりにも無謀なものであった。
「……だったら、試してみるか?」
「……何?」
「俺が本当に無力か、あんたを相手に試してみようかって言ったんだ」
草太の言葉に、ヴィルフリートは目を細め、何を馬鹿なと鼻で笑う。
「お前ごときを相手にする暇があれば、ゴブリンを狩っていた方がよっぽど有意義だ」
「そんなこと言って、本当は怖いんだろ? あんたは俺の実力を恐れているんだ」
草太は、もう自分が何を言っているのかわからなくなっていた。口をつくのは、汚らしい挑発の言葉だけ。
ヴィルフリートも、草太のその言葉に表億を変え、少しだけ強めた語気で答える。
「…………いいだろう。お前の挑発に乗ってやる。ここまで物知らずで命知らずな馬鹿者の根性は、ここで叩き直すべきだ」
その瞬間ヴィルフリートから威圧的なオーラがあふれ出した。熟練の剣士に相応しい、研ぎ澄まされた敵意だ。
草太は自分がどんな相手に喧嘩を売ったのか、いまだにわかっていない。
あの冒険王を育て上げ、十数年前の大陸大戦の戦場で生き残り、数々の功績とともにその名を世界中に轟かす猛者が、草太には見えていなかった。
お互いに距離を取って、二人は対峙した。手に持つのは練習用の木剣だ。
「一本勝負だ。魔法は使用できるが、上級以上の攻撃魔法は危険なので禁止とする。相手が降伏するか、相手を気絶させるか、または試合を続行することが不可能なまでの傷を相手に負わせた方が勝利となる。また、場外に逃げることも禁ずる。……いいな?」
「ああ。異論はない」
ルールを確認しあい、二人は剣を構えた。
張りつめた空気が、さびれた修練場に満ちる。
数秒、二人はお互いを見つめあい――
「「ッ!!」」
同時に踏み込んだ。
ギィンッ! と木剣が音を鳴らす。
ヴィルフリートの、年齢から予測できないほどの膂力が、草太の剣を押し返す。
「くっ……」
たまらず草太は後退した。だが、ヴィルフリートが即座に空いた間合いを詰めてくる。
「シッ!」
低い姿勢から剣が切り上げられ、草太の首を狙う。
「ふっ!」
首を傾けてその一撃を躱した草太は、そのまま自分の剣をヴィルフリートの肩にめがけて振り下ろした。
ヴィルフリートは難なく草太の一撃を避け、後退して距離を取った。
草太はヴィルフリートの攻撃がそこまで鋭くないことに、ほんの少し安堵の息をついた。
(なんだ、案外大したことないな……これなら……)
「『勝てるかもしれない』……今、お前はそう思ったのではないか?」
「なっ……なんで……」
内心を見透かされて、草太は少し動揺した。
「早計だな、ソウタ。お前は相手の実力を見極めるのが早すぎる。まだほんの少ししか打ち合っていないのに、私のことを弱いと決めつけてしまう。それは愚かで危うい思考だ」
「……随分としゃべるのが好きなんだな」
アドバイスともとれるような発言に、草太は訝しげにしながら皮肉る。
「老いるといろいろ口を出してくなるのだ。お前のような世間知らずの未熟者には特にな」
「……言ってろ!」
返された挑発に、草太は地面を蹴った。
まっすぐにヴィルフリートへと向かい、素早く木剣を逆袈裟に切りあげる
だが、ヴィルフリートは最小限の動きでそれをいなし、素早い突きを放ってきた。
「っ!」
眼球めがけて放たれた容赦のない突きに、草太は大きく後ろに体をそらした。
そこに、隙が生まれる。
木剣を素早く引き戻したヴィルフリートは、草太の腹に鋭い蹴りを叩き込んだ。
「ぐぁっ……!」
重い一撃に、草太は膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。だが、体が前に傾いてしまう。
「まだ終わっていないぞ」
木剣を持っていない方の手で草太の顎にアッパーを食らわせた。ぐわん、と世界が揺らぐ衝撃が草太を襲う。
そして、のけぞってがら空きになった草太の上半身に、ヴィルフリートは冷静に狙いをつけた。
「――はっ!!」
そこに、目にも止まらない連続の突きを放った。
「がっ……は……」
ヴィルフリートの一撃一撃が、正確無比で無慈悲な技であった。特別なことはしていないのに、受けるダメージは重く大きい。
容赦のない連続攻撃に、草太はそのまま後方に体を吹き飛ばされた。地面を転がり、無気力に静止する。
横たわる彼の姿は、たったの数撃でボロボロになっていた。
ヴィルフリートが、静かに草太を見下ろす。
「……戦闘の続行は不可能だな。私の勝ちだ」
そう言い放ち、ヴィルフリートは草太に背を向けた。
「………………まてよ」
だが、彼の背中に掠れた声が届いた。
振り向くと、草太がよろよろになりながら立ち上がろうとしていた。
「……やめておけ。その状態では戦えまい」
「……まだだ……まだ、俺は……」
ヴィルフリートの忠告に、草太は耳を貸そうとしない。完全に自棄になっているのだ。ヴィルフリートは静かにため息をついて、木剣を握りなおした。
「愚か者が……互いの実力も図れないとは」
「……うるせえ……ここからの俺は、さっきまでとは違うぞ」
草太は不敵に笑って、その呪文を唱えた。
「【アクセラレーション】」
瞬間、草太の姿がヴィルフリートの視界から消える。
「――っ、まさか」
目を見開いたヴィルフリートは、その場から飛び退いた。
ギィンっとヴィルフリートがいた場所に草太の木剣が叩きつけられた。
「ちぃっ!」
草太は苛ついて舌打ちをし、ヴィルフリートに向かう。
(【アクセラレーション】での攻撃なら、さすがに止められないだろ!)
勝利を確信し、加速した世界の中で草太は剣を振り上げた。
「……若造が。それを使うのは十年早いわ」
草太を見て、ヴィルフリートは今までより一層表情を厳しくした。呼吸を整え、静かに剣を構える。
二人の距離が縮まっていく。いつの間にか、お互いの剣が届く間合いになっていた。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
「――っ!!」
気迫とともに、二人の剣がぶつかり合った。盛大な剣戟の音が響き渡る。
(完全に見切られただと……!?)
草太は自身の一撃が止められたことに驚きを隠せなかった。相手にとっては初見のこの技を、こうも完璧に受け止められてしまうとは思わなかった。
(なんで……メアリもこの人もチート紛いの性能してるんだよ……!!)
草太の表情が苦渋に満ちる。目の前の騎士に勝てる未来が全く想像できない。
「これがお前の限界だ」
鍔競り合いをしながら、ヴィルフリートが口を開いた。
「お前の戦いは、戦いではない。ただ剣を振り回しているだけだ」
「……」
「それではどんなに策を講じようと、一生勝つことはできない。土台ができていなければ、上積みされるものがすべて抜け落ちてしまうからだ」
「……」
ヴィルフリートの言葉は、今までと違って穏やかで諭すようなものだった。
だからか、草太の荒んでいた心にその言葉がするすると染み渡っていく。
(土台ができていない……)
それはつまり、草太はスタートラインにすら立っていなかったということ。
――異世界に来てから、何も成長していなかったということにほかならない。
「……嘘だ」
呆然と草太はつぶやいた。
認めたくなかった。そんな惨めな事実を受け入れたくなかった。
「嘘だ嘘だ嘘だ――!!」
「っ!」
ギィンッと草太はヴィルフリートの木剣を弾いた。
二人が互いに距離をとる。ヴィルフリートは息を切らす草太に向けて、再び声を荒げた。
「嘘なものか! その欺瞞が最たる証拠だ! できそこないの勝利で満足していては、いつまでたっても強者にはなれはしない! お遊びのような剣で戦い続けていては、お前はどこにも辿りつけはしないのだ!」
「黙れ……」
「お前が変わらなければ、いずれお前はすべて失うだろう! その時お前にできることは、失う瞬間をただ眺めることだけだ!」
「だまれえええええええええええええ!!!」
草太が駆け出す。理性も思考も失った、猪突猛進な行動。
ヴィルフリートは、それを見て深くため息をつき、憂いの瞳で呟いた。
「……馬鹿者が」
そして、ヴィルフリートの姿がその場から消えた。
次の瞬間。
ゴッ。
「――っ!」
草太の体に、いつの間にか肉薄していたヴィルフリートが剣の柄をめり込ませていた。
「あっ……」
草太は小さな声を漏らし、その場に崩れ落ちた。カランカラン……と木剣が地面に転がる。
うずくまりながらも、なんとか立ち上がろうとして、地面に倒れこんだ。土の匂いが鼻をつく。
起き上がろうとしても、もう体が動かない。
ヴィルフリートは側でそれを眺め、静かな声で言い放った。
「……しばらく立ち上がれまい。……私の勝ちだ」
背中を向け、木剣をしまいに向かう。
「ま……て……」
草太はその背中に手を伸ばす。けれど、届かない。何も掴めない。老騎士の背中はどんどん遠ざかっていく。
意識がだんだんと遠のいていく。視界が暗く狭くなる。
「強くなりたければ、己の弱さを認めろ」
遠のいていく意識の中、その言葉が草太の耳に届いた。
間もなく、草太は意識を完全に手放した。




