第19話 寵愛
スペルクフや地球から遥か上空にある、神々の住処『オリュンポス』。
雲と神聖な光に囲まれたその場所に、一人の女神が居た。
「あ、あ~~……今日も下界は平和ね~」
まな板の様な胸を伸ばして欠伸をするのは、オリンポス神十二柱の一柱、女神アテナであった。
アテナは眠たげに目を擦りながら、手元にあったリモコンを手に取った。すると、雲の隙間から薄型テレビがせりあがり、自動でスイッチが入る。
神々の生活にも、システム化の波が押し寄せているのだ。
アテナは適当にチャンネルを変えて、めぼしい番組が一つもないことにため息をついた。
「暇ねぇ……」
人間と違い、神々の責務は少ない。
普段の業務は天使達がやってくれているし、そうでなくとも神々が動く事態などごくまれである。
なので、彼らは常に暇を持て余しているのだ。
「次の『会議』ももう少し先だし…………あ、そうだ」
悩ましげに唸っていたアテナは、不意に何かを思い出したように立ち上がった。
少し歩いた所で、「キーボード、オン」と口を開いた。
すると、雲の隙間から今度はパソコンのキーボードのようなパネルがせり上がってきた。
何度も言うが、神々の生活にもシステム化の波が押し寄せているのである。
アテナが慣れた手つきでキーボードを操作する。すると、彼女の目の前にホログラムウィンドウが出現した。
近未来的なシステムを鎧姿の少女が操作しているのは、なんとも不思議な光景だった。
「観測モード、オン。対象世界、『スペルクフ』」
彼女が呟くと、パネルの真正面が開き、下界――人間の世界を映し出す。
「拡大……座標指定、『フェリア王国:南部』……目標、『黄昏の剣:リコシフォス』」
アテナの言葉に答えるように、下界の景色が変わっていく。
その中に、金色に光る一つの点があった。
「……見つけた」
広大な世界の隅っこに、アテナのお目当てが居た。
彼女の不手際で命を奪ってしまい、この世界に転生させた日本の高校生、草壁草太だ。
草太と花奈を異世界に転生させてから、アテナは時折、彼の行動を観測していた。
「ま、まあ……折角転生させたのにすぐ死なれちゃ困るからね! あいつがヘマをしないように私が見張ってないと!」
聞き苦しい言い訳を独りごちながら、アテナは草太の様子を覗いた。
彼は森の中に居るようだ。大方、魔物でも狩っているのだろう。
「夜遅くまでご苦労な事ね……って、あれ?」
アテナはそこで、草太の様子がおかしいことに気づいた。
「あいつ、死にかけてない?」
アテナの目に映る草太は、地面に突っ伏してピクリとも動いていなかった。彼の体から、赤い血が流れているのが見える。
「ちょっと……止めてよ……あんたが死んだら、私は……」
アテナは戦き、震える声で呟いた。
アテナは恐怖心を抱いていた。どうしてかは分からないが、草太が死ぬことが怖いのだ。
「だめ……なんとかしないと」
慌てて下界の周囲を見渡すと、草太の近くにもう一人いることに気付いた。
黒ずくめの少女だ。少女は手に大きな斧を持って、少しずつ草太に近づいていた。
「あいつが、ソウタを殺そうとしている……!」
その結論に辿り着いてからのアテナの行動は早かった。
迅速にパネルを操作して、とあるシステムを開く。
【神雷装填】
ウィンドウにそう文字が浮かび、下界を除く穴の真上に雷の球が現れた。
神が人々に罰を与える時に使われる【神雷】。アテナはそれを落とそうとしている。
「座標指定、『黄昏の剣:リコシフォス』」
狙いを定める。雷球がバチバチと音を立て、準備が整ったことを伝える。
深く息を吸い込み、目を閉じる。
――アテナに、迷いは無かった。
カッと目を見開き、天に手を掲げる。
「――【神雷発射】!」
アテナが指揮官のように自身の人差し指を下ろすと同時に、凄まじい音と稲光と共に【神雷】が下界に落とされた。
メアリは草太に近付きながらも、少しだけ迷っていた。
ここまで潜在的に優れた力を持つ彼を、ここで殺してしまっていいのだろうか。
ここで生きながらえたなら、将来彼はもっと大きな力を身につけるのではないか。
「………………」
浮かび上がったその期待を、無言で振り払う。
(彼は、違った。あの程度で限界を迎えるようでは、どれほどの時間待つことになるか)
それならば、その間に違う強敵を探せばいい。
そう結論付け、メアリは草太に視線を向けた。
静かに、確実に、草太の元に近づいていく。
そしていよいよ、草太の武器であるリコシフォスの横にまで迫った。
その時。
「――っ!」
どこかから強大な威圧感を感じ、メアリは息を飲んだ。
本能的にリコシフォスから離れ、距離をとる。
その瞬間。
つんざくような轟音と共に、一条の稲妻がリコシフォスに直撃した。雷光が弾け、辺りの木々が燃え上がる。
あまりに突然の展開に、さすがのメアリも呆然とした。
「これは……?」
稲妻は一度落ちてそれで終わりのようだ。追撃は来ない。
空を見上げる。そこには美しい星空が広がっていた。
では、あの雷はどこから来たのか。
この近くに他の人物がいて、魔法を使ったのか?
それは考えにくい。これほどの威力の魔法なら、多少は魔力の流れが伝わるはずだ。けれど、今の雷にはそれがなかった。
ならば。
直感的に、メアリは悟る。
空を見続け、その先――遥かなる天空の果て。人の領域外を見据えた。
「ああ――」
声が、漏れる。
今までの比にならない程に甘く、喜びに満ちた声。
「ああ……ああ、ああ! こんな事があっていいのでしょうか! ソウタ……あなたもそうだったのですね! あなたも、寵愛を受けているのですね!」
喜びを表す具体的な言葉が出てこない。だって、彼女はずっと探していたのだから。
自分と同じ人間を。自分と同じ、『人を超えた人』を。
「なんという僥倖……! 草太、あなたをここで殺すのは止めます。その代わり、必ず強くなりなさい。――そして、また私と戦いなさい」
この言葉は草太に聞こえていないかもしれない。それでも構わない。彼の心に刻まれる筈だ。
近い将来、今とは別人なまでに強くなった草太と自分は再戦するだろう。
それを想像しただけで笑みが零れる。これほど心が高揚したのはいつ以来だろうか。
「うふふ……あーはっはっはっはっは!」
メアリは草太に背を向け、高らかに笑いながら森の奥底へと消えていった。
「…………はぁ~~~~! 良かった……」
その様子を一部始終眺めていたアテナは、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
牽制のために落とした【神雷】だったが、相手の女が撤退するかどうかは怪しかった。
【神雷】を落としてからは、アテナはただ祈るしかなかったのだ。
「でも……」
そこでアテナは、ふと考える。
もし彼女がそれでも構わずに草太に近付いていたら――自分はどうしていただろうか。
神が直接手を下して人を殺すのは禁止されている。もしそれを破ったら、この身は冥界の遥か奥底に封印されてしまうだろう。さながら、かつてのティタン神族のように。
けれど、それでも。アテナは相手の女に直接【神雷】を撃っていたかもしれない。
草太を失いたくないと、神の怒りを惜しげも無く使うかもしれない。
「人間を失うのが怖いだなんて……こんなこと、今まで無かったのに……」
わけがわからないといった様子で、アテナは首を振った。
と、そこで、アテナは自分がやらかした行動についてようやく目を向けた。
「無許可で下界に【神雷】を落としただなんて、バレたら何を言われるかわかったもんじゃないわね……」
ぶるぶるっと体を震わせたアテナは、急いでパネルを操作して【神雷】を消した。。更に、素早く下界を除く穴とパネルを雲の隙間にしまい込んだ。
「よし、これで証拠隠滅は完了ね!」
満足そうに頷いて、アテナは寝転んで再びテレビを眺め始めた。
(あいつをほったらかしにするのは不安だけど、近くにハナも居るみたいだし大丈夫でしょ)
先程までの緊張はどこへやら。アテナはそんな気の抜けたことを思ったのであった。
暗い森の中をしばらく進んだ所で、メアリは何者かに呼び止められた。
「おい……おい! 待て、メアリ! ……そっちは上手くいったようだな」
彼女を呼び止めたのは、カブールであった。
服の内側に仕込んでいた対魔法兵装ごとボロボロになっており、腕も片方無くなっていた。
「随分と男前になられたのですね」
「抜かせ。あのガキ、想像以上にやりやがった。……マギアラに帰ったらいい義手を見つけなきゃならなくなったぜ」
メアリの皮肉に、カブールは面白くなさそうに返した。
「……それで、目的のものは手に入れたのですか?」
「ああ! 『ルージェン』にハナの血を吸わせた! これでもう充分だろう!」
淡々と返すメアリとは反対に、カブールは興奮しながらまくし立てる。
「これで、俺も『聖域』に迎え入れられるんだろうな!? あのお方も、ついに俺を認めてくれるんだろう!?」
「……」
「長かった……こんな辺境に飛ばされ、せこせこと人を狩って来た日々だった……ああ、ようやくだ! ようやく俺も……!」
「哀れですね」
カブールのひとり語りに、メアリの冷たい声が浴びせられた。
「……え?」
予想していなかった言葉に、カブールは笑顔のまま固まった。
「彼が私をあなたの元に送った理由が、まだわからないのですか? 地位を向上させる手助けのためだと、本気で思っているのですか?」
「なん……だと……?」
打って変わって、メアリが言葉を繋ぎ始める。
「彼は、あなたを斬り捨てたのです。盲目で利己的な使えない駒を、亡き者にするために私を送り込んだのですよ」
「うそだ……だって、あのお方は俺のことを認めてくれたはずだ……そんな……そんなはずが……」
カブールは放心してうわ言を呟く。ショックのあまり、逃げ出すことも忘れてしまっているようだ。
「そうだ! レッドワイバーンを送ったのは!? あれはあのお方からの助力ではなかったのか!?」
「ええ。あれは新たなる魔道具の実験でしかありません。あなた達はただの実験場としか見られていませんよ」
「だったら! なぜお前の様な人間を寄越した! それこそ、それこそがあのお方の慈悲ではないのか!?」
「だからあなたは哀れなのです」
矢継ぎ早に尋ねるカブールに、メアリは深いため息をついた。
「今この状況で尚、私があなたの味方であると信じているのは愚の骨頂ですよ」
「そんな……うそだ……そんなばかな……!」
「私はあなたに助力するために派遣されたのではありません。――私は、あなたを殺すためにここに来たのです」
「うそ、だ……」
メアリの残酷な告白に、カブールは完全に放心してしまった。
「あなたも噂を聞いたことがあるでしょう? ――『血塗れ』の逸話を」
「――ま、まさか……」
何かに気づいたのか、カブールが息を呑む。
「組織に反発した者や、功績を残せないものを人知れず殺すという噂の――あの、『血塗れ』だと言うのか!」
「ええ、その通りです。改めてはじめまして、アインズ・カブール・バルシュミーデ。『黒の巨人』への貢献が不足していたため、私――『血塗れのメアリ』が処刑して差し上げます」
メアリの静かな宣告に、カブールは一瞬呆気にとられた。だが、すぐに眦をつり上げて怒鳴った。
「――ふ、ふざけるな! 貢献不足だと!? この俺が……いままでどれほど黒の巨人のために尽くしてきたと思っているっ!?」
だが、メアリは冷徹なままの口調で答えた。
「その傲慢こそが、あなたの罪ですわ」
その言葉と同時に。
ザシュッ。
カブールの肩から、鋭い音が響いた。
「――あ?」
カブールが呆けた声を漏らす。おそるおそる音のした方を見ると……そこにあったはずの彼の腕が無くなっていた。
「あ、あ……ああああああああ!!! 俺のォ! 腕がァああああああああああ!!?!」
血が吹き出る肩口を抑えて、カブールがおぞましい悲鳴をあげた。
「片腕だけでは見栄えが悪かったものですから」
その様子を眺めながら、メアリはなんの悪びれもせず言った。
「おまぇえ! 俺を……俺をおおおお!」
支離滅裂にカブールが叫ぶ。メアリは呆れたように首を振った。
「ソウタと違って、苦しむ姿も醜いですね。……それではさようなら。哀れな愚者さん」
そう言って、メアリは一つの迷いもなく。
カブールの頭に斧を振り下ろした。
「――ふぅ。ソウタとの戦いでの高揚感が薄れてしまいましたわ……」
斧に付着した血を振り払い、メアリはため息をついた。
「ですが、彼も彼の責務を果たしたようですし、そこは及第点と言えるでしょう」
斬り落としたカブールの腕からこぼれ落ちたルージェンを拾い上げる。
そのまま持ち上げて、月の光にかざした。ルージェンの刀身が光を反射して紅く煌めいた。
「ああ――とても美しい色ですわ」
メアリは満足そうに呟き、森を出るために歩き始めた。
「これからヴィーシュ大陸まで戻らなければいけないのですね……はぁ、次からは仕事を選ぶことにしましょう」
これからの予定を思い出して、メアリは再びため息をついた。
彼女の頭からは、先程殺した男のことなど、とうに忘れ去られていた。




