第18話 鮮血王女
「らあっ!」
剣が防がれる。
「せああっ!」
剣が躱される。
「くっ……うぉああああああ!」
気迫の籠った剣は、呆気なく弾かれた。
「……この程度ですか?」
黒装束に身を包んだメアリは、退屈そうに言った。
「はぁっはぁっ……」
対して、黄金の剣を握る草太は荒い息をついてメアリを睨み付ける。
彼の体には、無数の切り傷が付いていた。
「あまりにも私が一方的でしたから、反撃の機会を与えたと言うのに……これでは期待外れですねぇ……」
最初の頃とは打って変わり、メアリは心底落胆した様子で一人ごちる。
「期待外れ……?」
息を整えながら、草太は聞き返した。
「ええ。あなたはもっと強い人だと思っていましたけれど。……それこそ、私を殺せるぐらいに」
メアリは冷徹な瞳で草太を射抜いた。
全身に悪寒が走る。
「……お前を殺す気なんて、さらさら無いぞ。……拘束はさせてもらうけどな」
少し後ずさって、草太は言った。
その瞬間、メアリが目を見開く。
「拘束……ですか?」
静かな呟きが、異様な迫力を持って草太の耳に届く。
「っ……!?」
次いで、濃密な怒気がメアリから発せられた。
「私に攻撃を当てられもしないあなたが、私を捕らえる……ですって……?」
暗く冷たい言葉が放たれる。
「――身の程を知りなさい」
そう呟き、メアリは草太に接近した。
「がはっ……」
一瞬の内に、メアリの大斧が草太の腹に叩き込まれた。
血を吐きだして、そのまま吹っ飛ばされる。数回地面を転がって、草太は青ざめた表情でメアリを見上げた。
その一撃は、レッドワイバーンの攻撃よりも重く鋭かった。
そして何より――
(攻撃が全く見えなかった……!)
「げほっ」とえずいて、草太は再び血を吐き出した。
無様に這いつくばる草太を無感動に眺めながら、メアリは語る。
「見なさい。それがあなたの実力です。今の攻撃も見切れないようでいては、私に攻撃を当てるなど夢のまた夢。自分がどれほど弱いのか自覚しなさい」
メアリは無気力に語る。まるで、路傍の石を見つめるかのように。
メアリの底が見えない。彼女の思考回路がわからない。
無意識に、草太の体が震える。得体の知れない恐怖に、身が竦むのを感じた。
「……あなたも、違ったのですね」
不意に、メアリが言葉を零した・
そこには、落胆と侮蔑……そして、僅かな悲しみが含まれているように感じられた。
「違うって……何がだよ……?」
リコシフォスを支えに立ち上がりながら、草太はメアリに尋ねた。
「いいえ、忘れてください。……それに、これから死ぬ人に教える必要も無いでしょう」
小さく首を振って、メアリが再び大斧を構える。
「……っ、まだ死ぬわけにはいかねえな」
それを見て、草太もまたリコシフォスを構えた。
未だに悪寒は止んでいない。けれど今は、戦わなくては。
「――【アクセラレーション】」
呪文を唱え、意識を加速させる。
間髪入れず、草太は飛び出した。
まっすぐにメアリへと向かい、リコシフォスを振り下ろす。
急所を外した肩への攻撃を、メアリはつまらなそうに斧で防いだ。
「なにっ!」
草太は目を見開く。草太の最強の一手である【アクセラレーション】でさえも、メアリには何の脅威にもなっていないという事実に。
「……まだ、目が覚めていないようですね!」
メアリが斧でリコシフォスを跳ね上げた。あまりの膂力に、草太の体が浮き上がる。
隙だらけの草太の腹に、ズドンッとメアリの蹴りが叩き込まれる。
「ぐっ……!」
重い一撃に、草太はその場に崩れ落ちた。
その頭上に、メアリが斧を掲げる。
「まだ、私を殺さないつもりですか? それで自分も生き残るつもりですか? ――どこまで戦いを愚弄するのですか、あなたは!」
うずくまる草太を睨み付け、メアリは怒鳴った。
「私とあなたは互いに死合っているのです! 闘争の終わりは、どちらかの死しかあり得ない! それなのに……あなたは、どうしようもなく愚かな人ですね」
「知るかよ……戦いのマナーなんて、俺が知ってるわけねぇだろ……」
バキッ。
減らず口をたたく草太の側頭に、メアリの蹴りが入れられた。衝撃で、草太の体が蹴られた方向に吹き飛んだ。
「あっ……がぁっ……」
蹴られた場所を抑え、草太が悲痛なうめきを上げる。
「あれほどの力を持ちながら、どうして使わないのですか。まさか、私を侮っている訳ではありませんよね?」
「んなわけねえだろ……お前はとんでもなく強いよ……でもな、俺はお前を殺さない。そんなことは、したくない」
「……そうですか」
草太の答えに、メアリは静かに頷き。
「ではもうお終いですね」
草太に向かって、斧を振り上げた。
「【スタンフラッシュ】!!」
瞬間、草太の手から眩い閃光が放たれた。
一か八か、詠唱破棄の魔法使用。この土壇場で初めてやるそれを、草太は見事にやってのけた。
迷うことなく、次の呪文を唱える。
「【ライトニングスパーク】!」
相手を麻痺させる呪文。メアリの動きを封じて、その間に体勢を立て直す算段だ。
両方の呪文に手ごたえを感じ、草太はリコシフォスを握り直した。
(これで決める!)
裂帛の気合いで、棒立ち状態のメアリに向けて剣を振りかぶった。
「――無駄です」
だが、黒ずくめ少女は、ほんの僅かな希望さえも抱かせてはくれない。
草太が振り下ろしたリコシフォスは、無慈悲にもメアリの大斧によって受け止められた。
「ぐぅっ……! なんで……!」
「詠唱破棄の【スタンフラッシュ】は有効な手ですわ。けれど、有効であるが故に、対策を取らてしまいやすいのですよ」
鍔競り合いながら尋ねる草太に、メアリは淡々と答えた。おそらく、タイミングを合わせて目を瞑ったのだろう。あの一瞬でその反応をしたメアリに、草太は戦慄した。
「なら、【ライトニングスパーク】は……」
「私に麻痺は効きません。そう言う体になっておりますので」
「なんだよ、それ……チートかよ……」
呆然と、草太は呟いた。
あまりにも、メアリという少女は異質であった。
その強さも、考えも、信条も、草太には到底及ぶことの出来ない物であった。
「お前、何者なんだ……?」
それは、無意識に口をついた言葉であった。
実態の見えない黒い死神への問いかけ。
その問に、死神は微笑みながら答える。
「――私は、ただの狂人ですよ」
その答えと同時に、メアリは力を込めてリコシフォスを弾いた。
「くっ!」
草太は咄嗟に距離を取る。だが、次の手が思い浮かばない。
正攻法も、必殺の手も、一か八かの賭けでさえも完璧に止められた。
そんな相手に、一体どうすれば有効打を与えられると言うのか。
既に草太の体は満身創痍だ。肩で息をしながら、未だに鈍い痛みが残る腹の辺りをさする。
夜の冷たい風が、さらりと頬を撫でた。
(どうしたら……俺は、こいつに勝てるんだ……。……いや、そうやって悩むことも間違っているのか?)
一筋の光さえも見えない戦いに、草太の精神は疲弊しきっていた。
そして、考えてはいけない結論へと辿り着いてしまう。
(俺はこいつに――絶対に勝てないんじゃないのか?)
ごくり、と唾を飲み込む。それは疑念と呼ぶにはあまりにも確信的な考えだった。
どす黒く染まった「恐怖」が、草太の心臓を掴む。
今すぐ逃げ出してしまいたい。出来るわけも無いのに、そんなことも思ってしまう。
「――怖いですか?」
不意に、メアリが草太に尋ねた。
「……」
「怖いのでしょう? あなたは、私の強さを恐れているのでしょう?」
「……違う」
「違いませんわ。見ればわかりますもの。怯える小動物のようで可愛らしいですよ」
「うるせえよ」
メアリの言葉は、切れ味の悪いナイフのように、草太の心をじりじりと削っていく。
「逃げてしまいたいと、そう思っているのでしょう? それがあなたの限界です。強大な力の前では、あなたは蟻も同然です」
「……黙れ」
「私を殺したくない……でしたか? とんだ思い上がりですね。羽虫に一体何が出来るというのですか?」
「黙れって言ってんだろ!!」
草太は声を荒らげ、メアリの嘲笑を遮った。
直後に、メアリが再び草太を蹴りつけた。
「がぁっ!」
数メートル吹っ飛び、木に激突する。肺から強制的に息が吐き出された。
メアリは嘲りの態度を崩さず、笑みを浮かべながら草太を見つめた。
そして、真っ赤な唇を蠱惑的に歪める。
「けれど……今は虫けらのあなたでも、獅子になれる可能性は秘めている。……丁度いい人材も来ましたし、試してみましょうか」
「……なに、を……」
言っているんだ。
そう言う直前に、草太は息を飲んだ。
草太の視線の先、メアリの背後に、彼等の姿を見つけたからだ。
「――ソウタ! 無事か!?」
「助けに来たよ!」
「待ってろよ、ちゃっちゃとこいつを倒しちまうからな!」
そう、馬車で親しくなった冒険者――ダニエル達の姿を。
ダニエル達が到着するのを待っていたかのように、メアリはくるりと草太に背中を向けた。
「待て……」
彼女が何をしようとしているのか悟って、力のない呟きがこぼれ落ちる。
メアリは止まらない。
「駄目だ……ダニエル達、逃げろ……」
「何言ってんだ。お前を放って逃げるわけないだろ」
一縷の望みをかけて、ダニエル達に懇願する。
けれど、彼らは退かない。
「やめ、ろ……」
力を込めて、立ち上がろうとする。
草太は力なく倒れこんだ。
メアリとダニエル達の距離が縮まっていく。
「オディロン、ユリアーネ。準備はできているな!」
「ああ」「任せて!」
三人が武器を構えて、近づくメアリをまっすぐ見据えた。
対するメアリも、歩きながら斧を構える。
「やめろ……」
草太の声は、もう誰にも届かない。
数瞬後、メアリがダニエル達に飛び掛かった。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
草太の悲痛な叫びが、森の中に響いた。
それは、戦いと呼ぶにはあまりにも一方的で、一瞬の蹂躙劇だった。
魔法を唱えようとしていたオディロンの体に斧が斬りこまれた。ユリアーネの首が、彼女の武器ごと斬り飛ばされた。最後に残ったダニエルは勇敢にもメアリにかすり傷を与えたが、それで終わりだった。
ザシュ、という軽い音とともに、ダニエルの両腕が斬りおとされた。
「ああ、畜生――」
悔しそうに呻くダニエルの腹部が、斧で切り裂かれた。
「他愛のない……」
自身の周りに横たわる冒険者達の亡骸を見下ろし、メアリは小さく呟いた。
そして、ダニエルに与えられた腕の打撲傷をちろりと舐める。
「こんな脆さで、私の戦いを邪魔するなんて……愚かな人達ですね」
(けれど)
口ぶりとは裏腹に、メアリは喜びを感じていた。
自分の背後――ボロボロな少年から発せられる、未熟でまっすぐな殺気を感じながら。
(感謝します。あなた方のおかげで、私はもう少し楽しめそうです)
彼が近付いてくる。だから、メアリは振り向く。
愉悦と快楽に満ちた笑顔を、彼に向けた。
「メアリいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!」
草太は涙にぬれた顔を怒りで歪めながら、咆哮と共にメアリに斬りかかった。
先ほどまでとは違う容赦のない重い一撃が、防御した斧を通じてメアリに伝わる。
「ああ……好いですよ……大変好いですよ、ソウタ!」
心を昂らせながら、メアリは笑う。
「お前が……お前が殺した!」
「ええそうです! 私が彼らを殺したのです! さあ、もっとその怒りをぶつけなさい!!」
草太の怨嗟の声も、今のメアリにとっては鳥のさえずりに過ぎない。
大事なのは、彼が自分を本気で殺そうとしている事。
互いが互いを殺しあう死闘。それこそが、メアリの望んでいる物だ。
「【ビルドアップ】!」
草太の力が増した。段々と、メアリが押され始める。
「そうです! なりふり構わず殺しに来なさい! あなたの全てを私にぶつけてください!!」
「ああああああああああああああああああああ!!」
メアリの哄笑に、草太の叫び声が重なった。
リコシフォスが、メアリの大斧を弾く。
「っ!」
「らああああああああ!!!」
一閃。
横薙ぎに振ったリコシフォスが、メアリの腹を切りつけた。
鋭い痛みが襲う。斬りつけられた服の上から、血が滴り落ちた。
咄嗟に距離を取り、草太を見やった。
「はぁ……はぁっ……」
草太は息を切らしながら、それでも尚メアリに憤怒の眼差しを向けていた。
(素晴らしい……)
メアリは感嘆する。
先程まで手も足も出なかった少年が、たったこれだけの時間で自分に傷をつけたのだ。
驚異的な速度で、この少年は成長している。
「あぁ……良いですよ……ソウタ……あなたを信じて良かった……!」
久方ぶりの実力者の出現に、メアリは妖艶に笑った。
「黙れ……絶対に許さねぇ……!」
草太はその笑顔を見ても、憤怒の形相を緩めない。
だが、それでいい。
今の彼に、怒りの表情以外は必要ない。
「ええ、ええ! もっと私にその怒りをぶつけてください!! 無様に死んでいった彼らの為にも、私を殺してみせなさい!!」
彼女は笑う。
草太という炎に、ありったけの薪を焼べる。
「……てめえええええええええええええええ!!!」
叫び声を上げながら、草太がメアリに突っ込む。
その速度は、今までよりも更に早かった。
詠唱破棄した【アクセラレーション】を重ねがけしたのだ。
彼の天井はまだ見えていない。その事実に、メアリは歓喜する。
「ならば、私もご覧にいれましょう。『血塗れ』の名の元に、この力を振るいましょう! ――【鮮血王女】!!」
メアリが高らかに言うと、彼女の斧が禍々しい赤黒い霧を纏い始める。
得体の知れない変化に、草太は一瞬警戒し、止まろうか迷った。
だが、止まれない。止まる訳にはいかない。
(こいつは生かしておいちゃいけない! 迷うな、殺せ!)
鬼気迫る様相で、草太は足を早めた。
二人の距離が、みるみる縮まっていく。
「メアリいいいいいい!!!」
「ソウタああああああ!!!」
二人の咆哮が重なる。
剣と斧が、真っ直ぐにぶつかりあった。
大地が揺れる。空気が震える。
常軌を逸した力と力が渦を巻く。
「ぐぅううううう!!」
巨大な力の本流に、草太は歯を食いしばった。
鍔迫り合いが続いている中でも、【ビルドアップ】を詠唱破棄して唱え続ける。
だが、それでも。
メアリの斧を押し切ることが出来ない。
「なん……で……!」
今の草太に、迷いも手加減も存在しない。
ありったけの異世界補正を込めた一撃を、メアリにぶつけているはずだ。
なのに、なのに!
押し切るどころか、逆に押し返されている!
「くっ……うぉおおおおおおお!!!」
草太は苦し紛れに叫んだ。
その時ふと、彼女の足元から紅色の液体が彼女の斧に登っていってることに気付いた。
その液体は、二人の周りに横たわるダニエル達の亡骸から流れ出ていた。
「お前……まさか……!」
液体の正体に気付き、草太は戦慄する。
「ええ、そのまさかですわ」
対して、メアリは落ち着いていた。
「これが私の【唯一魔法】。『人を殺すたびに強くなる』……その名も、【鮮血王女】です」
「ふざけるな……そんな魔法があってたまるかよ……!」
それは最早チートの一つでは無いか。
草太の動揺した様子に、メアリは口角を上げる。
「けれど、事実ここにあります」
メアリの力が更に増す。
ダニエル達の血が、彼女に力を与えているのだ。
それを考えるだけで、おぞましく忌々しい。
「う、お、お、お、お、お、おおおおおお!!」
【ビルドアップ】で更に肉体を強化しようとする。。
だが、草太の体は既に強化の上限を迎えていた。
少しずつ、けれど確実に、草太の体が後ずさっていく。
「くそっ……! 俺は、まだ……!」
なけなしの力を振り絞る。
足掻いて、足掻いて、足掻き続ける。
けれど、無情にも呆気なく――『終わり』の時が来た。
ぷつり。と、草太の中で何かが千切れた感覚がした。その瞬間、草太の体から力が抜け落ちていく。
【アクセラレーション】と【ビルドアップ】によって酷使された体が、限界を迎えたのだ。
「あっ……」
草太の口から、無気力な声が漏れた。
「――ふっ!!」
そして、メアリがその時を見逃す筈が無く。
無慈悲で鋭利な一撃が、草太の体に叩き込まれた。
「はっ……」
直撃を食らった草太はボールのように地面を跳ね、そのまま一本の木に激突した。
吹き飛ばされた拍子に手から抜け落ちたリコシフォスが、草太とメアリの間にザシュッと突き刺さった。
「がはっ!」
おびただしい量の血を吐き出す。視界が真っ赤に染まる。
斧で斬られた腹の辺りが熱い。更にそこから、もっと熱いものが流れ出ているのを感じた。
痛い、痛い、痛い。苦しくて、怖くて、情けなくて。
目から涙がこぼれる。泣き叫びたいのに、その気力さえ最早湧くことはない。
「あっ……ああ……」
掠れた声が漏れる。なんとか体を動かそうとしても、指一本動かない。
「意外と呆気ない幕引きでしたが……まあいいでしょう」
メアリが不服そうにため息をつきながら言う。
「ソウタ。あなたとの闘いは、とても有意義なものでした。……けれど、やはり――あなたは充分ではなかった」
語りながら、メアリは歩き始める。
最後の一撃を、草太に与えるために。
狭まっていく視界にメアリを捉え、草太は何か無いかと考える。
けれど、【アクセラレーション】によって擦り切れた脳では、まともな思考も出来なかった。
糸の切れた人形の様に、草太は終わりを待つしかなかった。
次第に瞼が重くなり、草太は間もなく意識を手放した。




