第17話 こぼれ落ちる願い
リフィアとミレーラの戦いは、苛烈を極めていた。
リフィアが木の上から矢を放つと、ミレーラはそれを弾く。
すかさずミレーラがリフィアに近接戦をけしかけると、リフィアは精霊魔法を使ってそれを躱す。
技と技の応酬が、長い間続いていた。
(だがこのままでは、魔力に上限がある私の方が不利……! なんとか活路を見出さなければ……)
接戦を繰り広げながら、リフィアは顔を顰める。
魔法主体のリフィアは、どうしても魔力の限界と相談しながら戦わなければならない。
対するミレーラは、体力の底というリミットがあるものの、ダメージを与えられていない現状では意味が無い。
このまま戦闘が続けば、先に限界を迎えるのはリフィアだ。
更に、獣人にはその『限界』さえも超えてしまう力がある。
(彼女程の達人ならば、間違い無くあの力は持っている……使われる前に、倒しきらないと)
リフィアが思考を巡らせていると、不意にミレーラが立ち止まった。
「……? 降参ですか?」
「いえ。思った以上に手こずってしまったので……そろそろ終わらせることにします」
リフィアの問いに、ミレーラは静かに首を振って答えた。
その言葉に、リフィアは嫌な予感がした。
「……奇遇ですね。私も、そろそろこの戦いを終わらせようと思っていた所です」
内心の焦りを悟られないように、リフィアは挑発を吐いた。
ミレーラは「そうですか」とだけ言って、再び構えた。そして、そっと瞳を閉じる。
瞬間、辺りの空気が張り詰める。
今までの物とは別物の緊張感が、リフィアの全身に走る。
目を瞑っているのに、今のミレーラには全く隙が無い。
(間違いない……)
リフィアは先程の懸念が当たってしまったことを少し嘆きつつも、覚悟を決めて矢を構える。
その瞬間、ミレーラはカッと目を見開いて、その【唯一魔法】を唱えた。
「――【限界突破】」
小さな呟きと共に、ミレーラの体から力が溢れ出す。
熱を帯びた彼女の華奢な体が、赤く熱を持つ。
(やはり……)
豹変したミレーラに、リフィアは顔を顰めた。
一時的に強力な力を得る【限界突破】。ミレーラの力は何倍にも膨れ上がっていることだろう。
ここから、今まで以上に厳しい戦いが始まる。
「……行きます」
ミレーラはそう言って、静かに踏み出した。
「――ふっ!」
「っ!」
次の瞬間、リフィアの目の前にミレーラが肉薄していた。
先ほどよりも重く鋭い蹴りが、リフィアの脇腹に叩き込まれる。
「がはっ!!」
肺から空気が吐き出され、そのままリフィアは吹っ飛ばされた。
近くにあった木に激突し、重い衝撃がリフィアを襲う。
「ぐぅう……っ!」
痛みに呻くリフィアだが、悠長に倒れていることはできなかった。
「せあぁっ!」
瞬時に距離を詰めたミレーラが、踵落としを繰り出す。
「くっ!」
とっさに横転して躱し、直撃は免れた。
だが、ミレーラの足が地面にぶつかると同時に、衝撃波が生まれた。
その衝撃波になす術もなくリフィアは再び転がされた。
ミレーラの追撃は止まない。
すでにボロボロになりかけのリフィアに、容赦のない攻撃を食らわせようとする。
「……【精霊凱】!!」
胸に撃ち込まれた拳を、精霊魔法と共に腕を交差させてガードする。
重い衝撃と共に、骨が軋む感覚。
「ぐぅ……! 【風舞脚】!!」
たまらず空中へと避難した。
(【精霊鎧】を使わなかったら、骨が粉々に砕けていた……!)
未だに痺れている両腕を見て、リフィアは冷や汗を流した。
(だが、頭上をとればこちらが有利! 最も早い【紫電弓】で少しずつ削っていく……!)
リフィアは考え、弓を地上に向けた。
だが、そこには既にミレーラの姿が無かった。
「なっ!?」
目を見開くリフィアの背後から、死神の声。
「後ろですよ」
「――っ!」
リフィアが振り向いた刹那、獣人の少女の無慈悲な攻撃がリフィアの頭上から食らわされた。
ゴッッと鈍い音と共に、空中から地面に叩き落とされる。
【風舞脚】の発動も間に合わずに、リフィアは地面に激突した。
「かっ……はっ……!」
衝撃でできた小さなクレーターの中心で、リフィアは声にならない悲鳴を上げた。
吐き出された息と共に、紅い血が流れる。
体は麻痺してしまったように動かない。墜落の衝撃で内臓がやられた。
既に、リフィアは満身創痍であった。
ストッと、ミレーラが近くに降り立った。
(ああ……ここまでか……)
視界が霞む中で、リフィアは諦めかけていた。
こんな人に勝てる筈がない。そもそも自分は近接戦は苦手だというのに。
体が動かなければ、逃げることもできない。リフィアの実力では、ミレーラを倒しきることはできない。
痛みと苦しみが意識を支配する。
早く楽になりたい――頭の片隅で、弱い自分がそう呟いた。
ザッザッザッとミレーラの足音が近付いてくる。
(ごめんなさい……ソウタ、ハナ……)
二人の仲間に懺悔して、リフィアは目を閉じた。
だが、リフィアの戦いは、まだ終わることはなかった。
離れた場所で、凄まじい雷鳴が響いた。
閃光と轟音が、リフィアの意識を覚醒させる。
(今のは……)
見ていないがわかる。あれは草太か花奈が行った物だ。あんなに凄まじい雷は、二人のどちらかにしか落とせない。
二人はまだ戦っている。
(なのに、私は一体何をしているのか……!)
リフィアの胸に、熱が生まれる。
寝ている暇などあるわけがない。そんなことをしている暇があったら、どうすれば勝てるのか考えなければいけない。
考えて考えて考えて――そして、ようやく一つの道を見つけた。
(私はまだ、戦える……!)
鈍く痛む両手で、弓を構える。ミレーラが辿り着くのを待ち、呼吸を整える。
使う精霊魔法は、既に決めてある。その後の戦い方も。
先ほどまで無かった勝利への意志が、リフィアの両目に宿っていた。
やがて、ミレーラの足音が止まる。
ミレーラは獲物の状態を確かめるように、クレーターの中を覗き込んだ。
刹那。
「【閃光弓】」
ミレーラの眼前に、一本の弓矢が放たれた。
だが、ミレーラはそれを難なく掴み、小さくため息をついた。
「往生際が悪いですね……悪あがきはエルフには似合わないのではないですか?」
渾身の矢をあっけなく止められて目を見開くリフィアに、ミレーラは不思議そうに呟いた。
対して、リフィアは笑う。
エルフらしくない、獰猛な笑みを向ける。
「――まだ勝負は終わっていない!!」
瞬間、ミレーラの掴んだ矢が眩い閃光を放った。
「っ!?」
不意の出来事に、ミレーラは完璧に目くらましを食らってしまった。
その隙を、リフィアは見逃さない。
「【爆散弓】!!」
ミレーラの頭上へと矢を放ち、その隙に【風舞脚】を唱える。
天に打ち上げられた矢は幾つもの矢に分裂し、ミレーラの周りに降り注いだ。
地面にぶつかった矢が次々に爆発し、爆音と白煙が上がった。
「くぅぅぅぅぅっ!!」
鬱陶しそうに、ミレーラが声を上げた。
それを見ながらリフィアは宙に浮いてその場を離れ、次の作戦の準備を始める。
(これで視界は塞いだ。けれど、彼女には【感覚強化】がある。……下手に攻撃をしても防がれるだけだ)
あの爆煙の中でも、ミレーラならリフィアの矢を躱すことは容易だろう。
ならば、彼女の隙を誘わなければならない。
では、生物が一番油断するのはいつか。
(――それは、獲物を襲う時!)
リフィアは草太にもらった『道具袋』を開き、そこからある物を取り出した。
それは、スードでリフィアが買った奇妙な人形だった。
「【わが身に代われ】」
店員に教えてもらった呪文を唱え、追加で取り出した矢に使うつもりだった木材に括り付ける。
反撃の準備は、ここに整った。
爆音と煙の中で、ミレーラは苛立ちと少しの焦りを抱いていた。
リフィアというエルフが思ったよりもしぶとく、当初の予定よりも時間がかかってしまった。
それに加え、【限界突破】を使ってもまだ彼女を倒しきれていないのは、完全に自分の失態だ。
目潰しを食らったのが最たる証拠だと言える。
だが、それもここまでだ。リフィアの悪あがきが終わった瞬間に、ミレーラはリフィアにとどめを刺す。
そして、一刻も早くカブールの元に戻らなければ。
先ほどの稲妻は一体なんだったのかはわからないが、本能が警笛を鳴らしている。
主人の安否を確認するのは、奴隷の務めなのだから。
――あのような悪党に、死ぬまで使われて! それがあなたの終わりですか!? あなたほどの武人が、そんな人生を送ると言うのですか!?
先ほどのリフィアの言葉が頭をよぎる。何故だが、少し胸がざわついた。
瞳をきつく閉じて、ミレーラはその言葉を振り払った。
(私には、戦うしかないのだから)
しばらくして、爆発が収まった。辺りが静寂に包まれる。
未だに煙が残っているが、ミレーラには関係のないことだ。
「【感覚強化】」
知覚全般を強化して、リフィアの居場所を探す。
直ぐにリフィアは見つかった。
(東の方角……弓を構えて私を狙っている……)
研ぎ澄まされた殺気と、エルフ特有の匂い。間違いない。
煙が晴れた瞬間を狙う魂胆なのだろうが、それは失策だ。
(その前に、私が殺す)
ミレーラは深く屈伸をする。鍛えられた脚の筋肉が膨らみ、エネルギーを溜め込む。
ヒュッと浅く息を吸って、ミレーラは強く地を蹴った。
一歩、二歩、三歩。
さながら兎の跳躍の様に、グングンと距離を詰めていく。
やがて、煙の中に彼女の影を見た。
「はぁあああああ!!」
迷うことなく、ただまっすぐに。
ミレーラはリフィアの頭に自身の拳を叩き込んだ。
ボゴ。
鈍い音ともに、リフィアの首が取れる。
獲物を仕留めたミレーラは、しかし怪訝そうに首を傾げた。
リフィアの首は想像以上に脆く、呆気なかった。
それに、吹き出すはずの血が一滴も出ていない。
「……?」
思考が滞ったミレーラの周りから、煙が消えていく。
徐々に徐々に、リフィアの首の筈のモノの正体が明らかになっていく。
「……っ!」
それは、奇妙な顔をした人形の頭だった。
下を見ると、頭のない人形が木の棒に括り付けられて倒れていた。
人形には、リフィアが着ていた服が巻かれている。
ミレーラはそれを見たことがあった。
一度だけ相手の認識を阻害して身代わりになる、護身用の道具――
「まさか……!」
悟ったミレーラは咄嗟に後ろを振り向き――。
トスッ。
その心臓に一条の矢が突き刺さった。
「あっ……」
小さく、呆然と。
ミレーラは自身の胸に刺さった矢を見て、声を零した。
本能のままその場を離れようとして。
トスッ。
膝を射抜かれた。
トトトトッ。
両膝、両足、両腿、両腱に、無慈悲なまでに正確な矢が当てられる。
次いで、両肩、両腕、両掌にも、矢が刺さった。
四肢の機能を失ったミレーラは、そのまま後ろに倒れこむ。
仰向けになった彼女の頭上には、満天の星空があった。
動脈から血が流れ出るのを感じる。自分の命が零れていくのが、はっきりとわかる。
(私は、ここで死ぬのか)
その思考は空虚で、恐れや不安は無かった。
「……見事でした」
静かに、ミレーラは呟いた。
彼女の側には、いつの間にかリフィアが立っていた。
「……軽蔑は、しないのですか。あのように卑怯な手を使った私を、愚かだとは思わないのですか」
勝者にはふさわしくない震えた声で、リフィアはミレーラに尋ねる。
彼女は、自分の勝ち方に納得がいっていないようだ。
「……これは試合ではなく、勝負です。勝負に卑怯も正道もありません。あるのは勝者への賞賛のみです」
穏やかに、ミレーラは答える。その落ち着いた様子に、リフィアは悔しそうに顔を歪めた。
「……それに、その後の弓術は間違いなくあなたの実力です。一寸の狂いもなく急所を狙う技量……本当に、見事でしたよ」
「っ……ありがとう、ございます」
これ以上ごねては相手に失礼になると、リフィアは頭を下げた。頭を上げて問いかける。
「……それで、何か私に頼みたい事はありませんか? 貴女の願いなら、私はなんでも……」
「……先ほども言ったでしょう。私には、願い事なんてありません」
リフィアの問いに、ミレーラは静かに返した。
「家族への言伝も、無いのですか……?」
「……私にはもう、家族は居ませんから」
「っ!」
「故郷は数年前に焼かれ、一族は全員、奴隷として売り飛ばされました。……今では、生きているか死んでいるかもわかりません」
「……っ」
「……どうして、そんなに怒った顔をしているのですか?」
歯を食いしばるリフィアを見て、ミレーラは不思議そうに尋ねた。
「だって……許せないじゃないですか……! そんな、そんな理不尽なことが……そんな非道がまかり通っているなんて……!」
リフィアは瞳に涙を浮かべた。先ほどまで戦って、一度は差し伸べられた手を払いのけまでした相手を思って、彼女は泣いているのだ。
彼女の心は理解しがたく、美しい。ミレーラはそう思った。
リフィアをおかしそうに見上げて、ミレーラは瞳を閉じる。
そして消えかかった小さな声で、リフィアに声をかける。
「……『ろまん』。――夢と希望に満ちた未来など、私にはあの日からありませんでしたが、今日あなたに出会えたのは幸運でした。最後にあなたと戦えて、私は幸せです。もしかしたら、こう言うのを……『ろまん』と言うのかもしれませんね」
「……きっと、そうだと思います」
「……ふふっ」
ミレーラはそっと微笑んだ。
ずっと忘れていた、穏やかで温かい笑顔だった。
頭上の星空を見上げる。もう視界がかなり霞んでいて、死期が近いことを悟る。
ふと、空にかつての家族たちの顔が浮かび上がった。
厳しくも優しかった父、温かく慈愛に溢れていた母、笑顔が愛おしかった弟や妹達。
記憶が蘇る。今よりもずっと前の、幸福だったころの思い出。
慎ましくも穏やかな、日常の一幕。
「ああ――」
無意識に、声が零れる。持ち合わせていない筈の『願い事』が溢れ出る。
「叶うのならば、もう一度……兄弟達と一緒に、故郷の草原を駆け回りたかった――」
その言葉を最後に、ミレーラは静かに息を引き取った。
取り残されたリフィアは、しばらくの間一人で闇の中に立っていた。
足元には冷たくなったミレーラの亡骸がある。その顔は、戦っている時の彼女からは想像できない程に穏やかだった。
救いたい訳ではなかった。救えないことなど、リフィアはわかっていた。
――それでも、割り切れた訳ではなかった。
「未熟者め……」
リフィアの静かな呟きは、暗い森の中に吸い込まれていった。
ミレーラの遺体を丁寧に埋葬し、囮に使った人形を拾い上げ、リフィアは森の中を進み始めた。
(強くなりたい)
リフィアは願う。
(否、強くなるのだ)
リフィアは決意する。
(この矢を、罪のない人々に使わない様に……救いたいと思った人を救える様に……)
深い深い森を進みながら。
エルフの少女は己の心に誓った。




