第14話 ミレーラ
短めです。
「……ここまでくれば、もういいですね」
闇が満ち始めた森の奥で、ミレーラが小さな声で呟いた。
それを聞いて、リフィアは眉を顰める。
(おびき出したのは私であるはずなのに、どうして彼女がそんなことを……?)
怪訝の表情を浮かべるリフィアを、ミレーラの感情の見えない瞳が射抜いた。
「……どういうことですか?」
「……私の目的……カブール様の目的は、あなたとハナを引き離すことです。ここなら、すぐには戻れないでしょう」
「――ッ!」
そこまで聞いて、リフィアは自分がどうしようもない悪手をとったことを悟った。
(私がおびき出したのではなく……私がここに来るように仕向けられていた……!?)
「……【爆裂弓】!」
状況を理解したリフィアは、即座に地面に向けて矢を放った。
地面に当たった矢は途端に爆発し、土煙を起こす。
「つッ――目くらまし……」
ミレーラの戸惑いの声が聞こえてきた。
「(よし……)――【疾風脚】!」
精霊の加護を両足に与え、リフィアは強く地を蹴った。
(迂闊だった……ハナから離れるなんて……!!)
数分前の自分の判断を呪いながら、リフィアは土煙の中をひた走る。
(早く、早く――!)
走る、走る、走る。
そうして走った先に、ようやく土煙の終わりが見えた。
(よし――)
リフィアはほっと安堵の息をついた。
だが、次の瞬間。
ヒュッ。
煙の向こうから、鋭い蹴りがリフィアの顔面めがけて繰り出された。
「っ!?」
とっさに腕で防御したが衝撃までは抑えきれず、蹴りを食らったリフィアは後ろへゴロゴロと転がった。
そして、土煙も完全に晴れきった。
再び明瞭になったリフィアの瞳には、静かに佇むミレーラの姿が映った。
「……無駄ですよ。私には――獣人にはそのような手は通用しません」
「……そうでしたね。獣人族のみが持つ、魔力を操って全ての五感を強化する唯一魔法、【感覚強化】。あなたも例外ではありませんでしたか……」
苦虫を噛み潰した様な表情で、リフィアは呟いた。
「……私はあなたを逃がしません。それが、カブール様の命令なので」
「……では、ハナの所に行くには、あなたを倒すしか無い……ということですね」
「その通りです」
「そうですか……」
諦めたようにリフィアは立ち上がり、土ぼこりを払った。
そして、弓と矢を構える。
「……では、私も本気で戦わせて頂きます」
「どうぞ。――勝つのは私ですが」
二人の少女が視線と言葉を交わし。
「【零氷弓】!」
「――ふっ!」
リフィアの放った矢とともに、再び戦いの幕が開けた。
リフィアの放った氷の矢を、ミレーラがその拳で弾き落とす。
さも当たり前のようにエルフの矢を生身で防ぐミレーラに、リフィアは思考を巡らせる。
(相も変わらず恐るべき身体能力……正攻法では敵わない……!)
「【風舞脚】」
両足に風を纏い、空中へと浮かび上がる。
高所から際限なく矢を降らせることが、一番効果的な方法だ。
(矢筒の中に残っている矢もそう多くない……慎重に!)
「【水弓四散】!」
狙いを澄まし、リフィアは矢を放った。
(性懲りもなく……)
リフィアの空中からの攻撃にミレーラは呆れた。普通の矢は自分には通じない。そんなことはこれまでの戦いで分かっているはずなのに、リフィアは戦い方を改めようとはしない。
それはただの無能だ。それでは戦いに勝つことは出来ない。
そう、思っていた。
「――!!」
だが、次の瞬間にミレーラは自分が間違っていたことに気付く。
ミレーラに向かっていた矢が、何本にも分裂したのだ。数多の矢が、ミレーラに向かって降り注ぐ。
――それはまるで、降りしきる雨のように。
自身の間合いのおおよそ全てを襲う絨毯爆撃のような包囲攻撃。
(回避、不能)
「ふっ!」
ミレーラは両拳に力を込めて、降り注ぐ矢に正対した。
そして、短く息を吸う。無数の矢が、ミレーラに肉薄する。
最初の矢がミレーラに当たりそうになったその時。
「はあああああああああああああああああああああ!!!」
ミレーラが一呼吸の間に何度も拳を繰り出した。
矢と拳がぶつかり合う重い音が連鎖的に響き渡る。
殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打。
矢の雨に対する拳の嵐。
風圧で木の葉が舞い上がる。鳥達が一目散に逃げていく。
その光景を、ミレーラの頭上からリフィアは見つめていた。
「……凄い」
それは、彼女の口をついた惜しみない賞賛の言葉だった。
ミレーラの力は、リフィアの想像を上回っていた。
それなのに焦りや落胆ではなく、賛美が先に出てくるのは、彼女の戦い方がまっすぐで美しいからだろう。
流れる所作から突き出される拳は、力任せに振るわれる物とは全く違う。
その掌に長く重い研鑽と、強く硬い覚悟が積み重なっているからだ。
リフィアは確信する。ミレーラが、奴隷ではなく一人の『戦士』であると。
――だからこそ、リフィアには納得がいかないことがある。
やがて、【水弓四散】の攻撃が終わる。
矢に穿たれた大地の中心には、今までと変わない無表情のミレーラが仁王立ちしていた。
体の隅々に傷を負っているが、どれも大した傷ではない。
自身の攻撃が通用しなかったことに苦い思いをしながらも、リフィアは一度【風舞脚】を解いて地面に降り立った。
ミレーラが怪しむようにリフィアを見つめる。
「地の利を捨てるのですか?」
「……声を届けるには、近いほうが良いですから」
「……?」
リフィアの言葉に、ミレーラが首を傾げた。
その顔には依然として感情がなく、人間味を感じさせない無気力な瞳と共に不気味にある。
空っぽな彼女の表情にリフィアは苦悶の表情を浮かべながら、言葉を発した。
「……貴方は、どうして奴隷になったのですか?」
リフィアの問いかけに、ミレーラは眉を少し顰めた。
「……あなたほどの実力があれば、狩人達など相手にならないでしょう。……何か理由があるのではないですか?」
リフィアの問いかけに、ミレーラは無言を貫く。
「……あなたの『奴隷化の首輪』を外す方法があります。私の仲間が、そういう魔法を持っているのです。……解放されたくは、ありませんか……?」
リフィアの脳裏によぎったのは、かつて奴隷であったカイの顔だった。
高潔で、エルフであることに誇りを持っていたカイが、一度はあそこまで墜ちたのだ。
リフィアは奴隷になったことはないが、未来の見えない隷属とは、あまりにも残酷なことなのだろうと思う。
だからこそ、目の前の戦士に――敬意を表するに値する英傑に――このままで居てほしくない。
ミレーラが悪党の下で動かざるを得ないことに、納得がいかない。
「ミレーラ、私と一緒に……」
「……いいえ」
尚も言葉を重ねようとしたリフィアに、ミレーラの言葉が被さる。
「……え?」
「……いいえ、と言ったのです。私は、貴方の提案を否定します。――私は解放など望んでいない」
「そんな――そんな馬鹿な! あなたはこのままでいいのですか!? あのような悪党に、死ぬまで使われて! それがあなたの終わりですか!? あなたほどの武人が、そんな人生を送ると言うのですか!? そんなことがあっていいはずがない!!」
「……私は、武人などという素晴らしいものではありません。……私にあるのは、半人半獣の体と戦う力だけです。だから、私はこのままで良いのです」
一切の感情を含まないミレーラの言葉に、遂にリフィアは激昂する。
「ふざけるな! このままでいいはずがない! 今のあなたは間違っている! ――だって、少しも幸せそうじゃない!」
リフィアの怒声が、夕闇の森に響く。
それでもミレーラは、感情の揺れない声で言う。
「……あなたが決めることではありません。――それに、私からも一つ言わせて下さい」
「……なんでしょうか?」
「あなたが私に手を差し伸べることは間違っている」
「……なっ」
思いもよらない言葉に、リフィアは自分の耳を疑った。
「私とあなたは敵同士です。……敵に情けをかけるのは間違っています」
「それは……」
闇が段々と濃くなり、ミレーラの表情は窺うことができない。
けれど、きっと彼女は今も感情の見えない無表情のまま立っているのだろう。
彼女の言葉からは、一切の迷いも焦燥も感じられないのだから。
「……今すぐに逃げ出したいとは」
「思いません」
「…………カブールを殺したいとは」
「思いません」
「………………奴隷で居たくないと思ったことは」
「ありません」
「………………人殺しを止めたいと思ったことは!」
「考えたこともありません」
「ッ――かつての仲間に会いたいと思ったことは!? 故郷に帰りたいと思ったことは!? そんな願いも全て、あなたには無いと言うのですか!?」
「――はい」
「っ……」
迷いのない答えに、リフィアは言葉を失った。
だが、諦めるわけにはいかない。
かつて草太と花奈が自分を救ってくれてたように、自分も誰かを救いたい。
「……わかりました。あなたにこの事を言うのは、これで最後にします。ですから、最後に一つだけ言わせて下さい」
「……」
ミレーラは無言だが、頷く気配が伝わってきた。
「……私は長い間集落に籠り続けていて、外の世界を知りませんでした。けれどつい最近、二人の人族と共に初めて集落の外に出たのです。その先にあったのは、私が今まで見たことのない景色でした」
ミレーラが、無言のまま先を促す。
「大きな街がありました。煌めく宝石がありました。見たことのない生き物がいました。おいしい食べ物がありました。……外の世界は、光に満ち溢れていて、その全てに心が惹かれました」
「……」
「私は、それまでずっと人族を憎んでいました。彼らはエルフの敵であり、私の親の仇でもありましたから。……けれど、人と共に暮らす内に、彼等の色々な側面を知りました。人々は優しく、暖かかった……。彼らの温もりは、私のそれまでの冷たい憎しみを、みるみる溶かしていきました」
「……」
ミレーラは、無言を貫く。
「……この短い時の中で、私は沢山の物を見ました。中には、悪意に満ちたものや、憎しみに満ちたものもありましたが……ですが、どれもがとても素敵なものであったと思います。……外の世界は、夢と希望に満ちていました」
「……」
「きっと、この広大な世界には、もっともっともーっと多くの素敵なものがあるのだと思います。その光景を見るのが、私は今から楽しみなのです。ろまんに満ち溢れた世界を、私はもっと見てみたい」
「ろまん……?」
聞きなれない言葉に、ミレーラが首を傾げる。
「『夢と希望に満ち溢れた未来』……ソウタはそう言っていました。……ミレーラ。あなたも……そんな未来を見たいとは思いませんか?」
リフィアの長い語りが終わり、静寂が訪れる。
ミレーラはずっと無言のままだ。
言いたいことは全て言い切った。だから、あとは待つしかない。ミレーラの答えを。彼女の思いを。
「……もしも」
と、遂にミレーラが口を開いた。
「……もしも、そのような未来が見れたら……それはきっととても素敵なことなのでしょう」
「っ! はい、きっと!」
リフィアが興奮して身を乗り出す。
だが、現実とは斯くも空しく。
「――けれど、私には必要がありません」
冷ややかな声で、ミレーラはリフィアの言葉を否定した。
「……そう、ですか」
リフィアは諦念の元に、それだけ言った。
「はい。……では、戦いを再開しましょう。……私には、それしかできませんから」
その言葉に、リフィアは自分の無力さを痛感する。
(救えなかった……! 解放できなかった!)
ミレーラという少女は、想像以上の傷を負っていたのだ。自分が救えると思っていたよりも、ずっとずっと重い傷を。
(――後はもう……)
リフィアに残された選択肢は、一つしか無かった。
――全霊を込めて、彼女と戦うことのみ!
「……ええ。私の全てを懸けて、貴方に打ち勝ちます」
まっすぐな瞳で弓を構えるリフィアを見て。
――ミレーラは小さく、本当に小さく微笑んで。
「――行きます」
その一言と共に、強く地面を蹴った。
読んでいただき、ありがとうございます!
感想、誤字脱字報告お待ちしております。
最近忙しい日々が続いていて、投稿ペースがブレていてすみません。




