第1話 草壁草太と森園花奈
青い空が頭上に広がる。揺蕩う雲が、形を変えながらあてもなく流れていく。
草壁草太は、上に向けていた頭を下げ、ふっと息を吐いた。六月の蒸し暑さに、ツゥと一筋の汗が頬を伝う。
放課後の午後四時。道行く人々は、夕飯の買い物に行く主婦や、草太と同じように下校する生徒達がほとんどだ。目の前を歩く、何かを言い合って笑い合っている三人組の中学生を抜かし、草太はもう一度、今度は深く息を吐いた。
自分は一体どうして生きるのだろうか、これから生きていく上で一体何が変わるというのか。
特に意味のない自問自答をする。一人で歩いていればよくあることだ。
前を歩くカップルを見てなんとも言えない気持ちになったりとか、はしゃぐ小学生を見て若いっていいなあとか、先ほどのような中学生を見て、つい懐かしくなったりとか、色々である。
(……まあ、どうでもいいけどな。とりあえず今日は、早くラノベ買って家に帰ろう)
今日は草太の好きなラノベの新刊が発売される日だ。草太はプチオタクなのである。
「く、草壁くんっ!」
とりとめもなく一人でスタスタ歩く草太の背中に、どこか緊張しているような少女の声がかけられた。
「?…………森園さん?」
訝しげに振り向いた草太は、自分の名を呼んだ少女を見て、少し目を見開いた。
森園花奈。草太のクラスメートであり、かなりの美少女だ。ゆるくウェーブのかかった茶色い髪に、大人しめでも見る者を魅了する顔立ち。
胸の膨らみは小さすぎずでかすぎず、膝上までのスカートからは色白のスラっとした足がのぞく。
森園花奈は、その容姿だけでなく頭脳も優秀だ。常に学年の上位をキープし、教師陣からのウケもいい。
一転して運動はそこまで得意ではないのだが、逆に弱点がある方が可愛いと、草太の周りの男子達が言っていた。
しかも、この少女は高校に入ってからもうすでに十人以上に告白されているのに、未だに誰とも付き合ったことがないという噂だ。そのことが人気に拍車をかけ、「森園さんファンクラブ」が密かに結成されているらしい。
そんな校内随一の有名人が、どうして自分に声をかけたのだろうか。
「どうした? もしかして俺、なんか忘れものでもしてた?」
草太は一番ありえそうなことを予測した。が、花奈は首を横に振る。
「ううん、その、草壁くんを帰り道で見るの初めてだったから、珍しいなって思って……」
「ああ、俺、いつもは反対側なんだよ。でも今日は欲しい本があるから、本屋に寄ろうと思って」
「へー、草壁くんってどんな本読むの?」
草太の隣に立った花奈が興味深そうに聞いた。花奈は草太の肩ぐらいの身長なので、必然的に草太を見上げる形になる。
「え、あー……ラノベとか」
若干言い淀んだ草太だが、別に女子に知られるぐらいならいいかむしろウェルカムと、正直に答えた。
「ラノベ……」
花奈がきょとんとした表情で呟く。その手のものには疎いのだろう。
「まあ、読みやすい小説みたいなもんだ」
「ふーん、面白いの?」
「ああ、面白いよ。バトルとかラブコメとかギャグとかミステリーとかジャンルの幅が広いから飽きない」
「へー! そんなにたくさんあるんだ! 草壁くんはどんなジャンル読むの?」
「俺はバトルものかな。次にギャグコメ」
草太は最近読んでいるラノベのあらすじをざっと説明した。すると、花奈がきらきらと目を輝かせて草太の顔を見る。
「面白そう! 草壁くん、それ明日貸してくれない?」
草太は一瞬返事に困った。
「いや……森園さんが興味をもってくれんのは嬉しいんだけど、学校でわたすのはちょっと……ほら、ラノベって結構バカにされがちだから」
そうして出てきたのは、あまり説得力のない言葉だった。当然、花奈はきょとんとした顔で草太を見上げる。
「え? カバーつければいいんじゃない?」
「ですよねー」
別に草太も自分がラノベを読んでいることがばれるのが嫌なわけではない。
問題は、クラスで花奈と話し、しかも本の貸し借りをすることだ。
一部男子生徒にとっては女神のような存在の花奈と仲良くすることは、その男子達を敵に回すことと同義だ。草太には、そんな面倒くさい事態にするつもりは一切ない。
(まあ、どっか人気のないところで渡せばいいかな)
草太は内心ため息をついた。
「わかった。忘れずに持ってくる」
「うん、楽しみにしてるね!」
そう言って花奈はパァと明るい笑顔を向ける。
(こうやって、誰にでも分け隔てなく話しかけられるってのはすごいな。ファンクラブの存在も納得できる気がする)
草太はそう思いながら、ご機嫌に隣を歩く花奈をチラ見した。
(……で、この人はいつまでついてくるんだ?)
歩きながら話していたので、草太の目的地である本屋にはあと五分ほどで着くだろう。しかし、花奈は一向に草太から離れない。
「……森園さんの家ってどこら辺なの?」
「あ、私の家は大分前に通り過ぎちゃったんだけど、その、私も本屋に用があって……。一緒に行っちゃダメかな」
花奈は(おそらく無意識で)上目遣いで草太に尋ねた。ファンクラブ会員ならキュン死、それ以外の男子でも顔が熱くなるような可愛さだった。
草太も若干照れくさくなり、花奈から目をそらした。
「あー、いや、別に俺は構わないけど……。森園さんはいいのか? 俺なんかと一緒に歩いて」
草太の言葉に花奈は小さく吹き出した。
「草壁くん自分のこと卑下しすぎ」
「いや、卑下っていうか……こんな冴えない感じの男といいんすか? 彼氏とかに見られたらやばくない?」
「だって草壁くんモテるでしょ? 女子の間で噂になってるもん。しかも何人かからもう告白されてるんでしょ? ……あ、あと、私はか、彼氏なんていないよ?」
花奈はなぜか後半、ぼそぼそとほとんど聞き取れないぐらい小さな声になっていた。
草太は前半の話を聞いてどこか困ったように頭をかいた。
「あー、まあそれは事実なんだけど……」
「でしょ? だからもっと自信を持って、草壁くん!」
「はあ……」
なぜかいつの間にか草太が花奈に励まされていた。
そんな話をしているうちに、二人は工事中のビルに差し掛かった。
この辺りは近年町興しか何かでビルやマンションが増設されている。このビルもそのような建設の一つだろう。
草太がなんとなく鉄格子のように組まれたビルを眺めた。今日は少し風が強いからか、作業員達の姿は見えない。
(就活がうまくいかなかったら、ああいう土建作業でもやるかな)
草太がそんな高校二年生らしくないことを考えていると、横の花奈が小さく、されど聞き取れるような声を出した。
「……今日はいい日だなー。こんなに草壁くんと話せるなんて」
「……お、おう」
草太はいきなりの花奈の言葉につっかえながら返事をした。
「草壁くんって、あんまり女子としゃべらないから。どこか壁があるっていうか、絶対に女子のことさん付けだし」
「……」
「だから、草壁くんとこんなに話せるなんて思わなかったんだ。……明日みんなに自慢しちゃお」
「俺は珍しい動物かよ」
草太はそうツッコミながら、花奈の言葉に歓喜していた。
草太は男子とは基本的に仲がいい。友達と呼べる人も何人かいるだろう。
しかし、草太は女子とは距離を置いていた。話しかけられれば話す、けれどそれだけ。
呼ぶ時は必ず名字にさん付けし、ラインなどが来ても、早々に打ち切ってしまう。
「女子に関しては来るもの拒み、去る者追わず」
これは草太の信条のようなものだ。
しかし最近告白された女子から、「クールでかっこいいです!」と言われて路線変更しようか迷っていたのだ。
(でも、女子達が壁を感じているんだったらこのまま行ってもいいか)
草太は内心ほくそ笑んだ。
ちなみに草太は同性愛者ということではない。
「珍しい動物か……でもそんな存在でもあるかもね」
「いや、せめて人でいさせてくれ……」
花奈がクスクスと笑い、草太が苦笑いでツッコんだその時。
「危なーーーーーーーーーーーーーーいっ!!!!」
と、絶叫にも似た悲鳴が響いた。次いで、ガラガラガラガラッと頭上で何かが崩れる音。
脊髄反射で上を見ると、まさに草太達の真上から、何本もの鉄柱が降ってきていた。
「っ、森園さんっ!」
草太は咄嗟に花奈を突き飛ばした。スローモーションになる視界の中、花奈の驚きの顔が脳裏に焼きつく。
数瞬後。
草太の体を未曾有の衝撃が襲い、そのまま草太の意識は途切れた。
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