第16話 エルフの戦士
短めです。
「逃げろ、逃げろー! この集落はもう駄目だ! 森へ逃げるんだ!」
荒れ狂うレッドワイバーンの元で、バーテインが仲間に叫ぶ。
その声を聞いて、エルフ達は次々と背を向け走り出す。
(くそ、くそ、くそっ!)
己も走りながら、バーテインは悔しさに歯を食いしばった。
届いたと思ったのに。化け物にも自分たちの力は通じたと思ったのに。エルフの力を証明できたと思ったのに。
結局これまでのように逃げることしかできないなんて。
――人族が今も戦っているのに、自分たちでは何も出来ないなんて。
「きゃっ!」
己の無力さを嘆くバーテインの背後から、小さな悲鳴が聞こえた。
「……っ!」
目を向けると、非戦闘員の少女エルフが倒れていた。
「バ、バーテイン……」
縋るような目で、少女がバーテインを見つめる。
「あっ……」
その少女に、レッドワイバーンが狂気に満ちた眼を向けた。
バーテインの足は竦んでしまって動かない。
(俺はこの集落の長だ。俺が、俺が何とかしないと――)
レッドワイバーンが前足を振りかぶる。
「くっそおおおおおおおおおお!」
震える手を抑え付けて、バーテインは弓を引いた。
「【紫電弓】!!」
彼は叫び、限界まで引き絞った矢を放った。
――だが、バーテインの放った矢はレッドワイバーンの横を掠め、明後日の方向に飛んで行った。
――はずし……た……
ただ唖然と、バーテインは目を見開いて、その場に崩れ落ちた。
そして、レッドワイバーンは無力なエルフを気にもとめず、その凶爪を少女に振り下ろした――
「【零氷弓】!」
しかし、亜竜の爪が少女の命を刈り取る直前で、竜の横顔に氷の矢が突き刺さった。
「GIAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!!!!!」
レッドワイバーンが咆哮を上げ、矢が飛んできた方を見遣った。
そこに立っていたのは、もう一人の男エルフだった。
「カイ……」
呆然とした顔で、バーテインが抜け殻のようにその男の名前を呼ぶ。
その呼びかけにカイは一つ頷いた。
「バーテイン、その娘を頼む。この竜は俺が食い止める」
「馬鹿なっ……カイ、お前も逃げろ! 勝てるはずが――」
「いいから早くっ! そう長くはもたない!」
バーテインの制止を遮り、カイは怒鳴った。
そして、優しく微笑む。
「救われた命だ。誰かを救うために使わせてくれ」
「っ――!」
その笑顔を見て、バーテインは弾かれたように立ち上がった。立ち上がらなければいけないと思った。
倒れているエルフの少女を即座に抱え、レッドワイバーンから距離を取る。
「カイ……死ぬな……」
そう残して、バーテインは森に向かって駆け出した。
走り去るバーテインを見届けて、カイはレッドワイバーンと対峙する。
赤竜は低いうなり声を出しながらカイを睨み付けていた。
強大な敵を前にして、それでも不思議とカイの心に恐怖はなかった。
落ち着いた呼吸で、カイはレッドワイバーンに告げる。
「エルフの集落、リフーリの戦士、カイ・ロロネル。お前を倒し、この集落に平穏をもたらさん。……行くぞ、怪物。どこまでも足掻いてやろう」
「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!」
カイの言葉に答えるように、亜竜は一際大きな方向を上げた。
「――【紫電弓】」
稲妻を纏った矢がレッドワイバーンへと飛来する。
「GAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
レッドワイバーンは炎を吐き出してその矢を焼き払った。
「!」
ブレスがカイへと向かうが、大きく跳躍して回避。空中で身を捻りながら、連続で矢を放つ。
散弾のように降り注ぐ矢を、レッドワイバーンは両腕を交差させて防いだ。
固い鱗に弾かれて、渾身の矢がばらばらと落ちていく。レッドワイバーン自身には傷一つ付いていない。
「化け物め……」
その光景に、カイは苦い笑みを浮かべた。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
「なにっ!」
ノーモーションでブレスが放たれる。カイは咄嗟に身をよじって躱した――はずだった。
回避した方向にいつの間にか回り込んでいた竜が、その爪を振るった。
「くっ! 【精霊鎧】!」
咄嗟に精霊魔法で身体の防御を上げたが、その一撃は重い。
「がっ!」
直撃したカイの体が吹っ飛び、数回地面に跳ねてようやく止まった。
「かっは……」
骨が何本か折れたのを感じた。内臓がやられたのか、激しく吐血する。
「それは、連続でも放てるのか……」
呆れた笑みを浮かべて、カイは小さく呟いた。
長く生きてきて初めて味わう凶暴な痛みに、カイの視界が狭まる。
しかし、必死に意識を保つ。
――せっかく救ってもらった命は、無残に殺されるために在るのか?
ぼやけた思考で自問する。
――違う! この命は、奇跡によって今も長らえている私は、何もしないまま死ぬために救われたのではない!
そして、その自答は力強かった。
霞む視界に、悠々とこちらに近付いてくる魔物を捉える。
歯を食いしばり、殴られてもなお手放すことのなかった弓と矢を構える。
軋む骨、悲鳴を上げる筋肉、それらを抑え付けて弓を引く。
――俺はもうこんな生活は嫌だ。このまま生きるなら、死んだ方がましだ。
――エルフの誇りが汚されてしまっては、もう生きる意味はない。
――ああ、私はどうして、今まで生きてきてしまったのだろう。
二年前、自分と共に奴隷にされた同胞たちの、今際の言葉を思い出す。
人に使われ、人を殺し、人から恨まれる日々を送った。安らぎはなく、心が癒されることなどなく、ただの人形として、死にたくない一心で生きていた。
この世の地獄を見た。地獄に生きる悪魔を見た。地獄の果てで朽ちていく同胞を見た。
そして、その地獄の中でも生き抗う自分がいた。
自分以外の仲間が死んでいくたびに、カイの心は一層壊れていった。
誇りなどどうでもいい、誰かを殺しても自分が生きていればいい。
擦り減った精神は、いつの間にか、かつての仲間達にも牙をむくようになってしまった。
『お前の手で、リフーリからエルフを一人捕えてこい。それができなかったら殺す』
主であるヨセフがそう言った時、彼の中に生まれた逡巡は一瞬であった。
生きるためには、必要なことだったから。
そうして、恥も外聞もなく、森を歩くリフィアを襲った。
リフィアの悲しむ顔に少しだけ心が痛んだが、それもすぐに死への恐怖に押し潰された。
(我ながら、なんと醜い生き物だっただろうか……)
弓を構えながら自嘲する。
あのまま行けば、自分は本当に大切なものを無くすところだっただろう。
だが、そんな自分を彼が救ってくれた。
何のこともないように首輪を外し、心の鎖も粉々に壊してくれた。
救いようのない自分に、生きていいのだと言ってくれた。
奈落に落ちる一歩手前で、カイはかつての誇りを取り戻すことができた。
――ならば、その矜持はその恩人のために。
お人好しで不器用で優しいあの人族の剣士のために。
泥だらけになっても、血まみれになっても、どれだけ醜くても――カイは足掻き続ける。
「くらえ、亜竜……。――私の全てだ」
死にかけのエルフは薄く笑い――
「――【風穿の弩】」
暴風を纏った矢を放った。
速度も威力も今までの物を遥かに上回るその矢は、狙い違わずレッドワイバーンの左目を吹き飛ばした。
「――――――ッッッッ!!!!」
巨大な竜が、瞳を穿たれた痛みに悲痛な叫びを上げる。
精霊の力を深く理解し、精霊魔法の錬磨を重ねた者だけが使える、【上級精霊魔法】。死にかけのエルフが放つ、渾身の一撃。
その矢は確かに、最強の生物へと届いた。
「どうだ……エルフも、やるものだろう……」
目の前で悶えるレッドワイバーンを眺め、カイは静かに笑った。
片目を潰された亜竜が、カイを睨む。その瞳には、荒れ狂う怒りだけが在った。
「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
咆哮し、その巨大な顎に灼熱の炎を集中させる。
数秒後に己を焼き尽くす炎を見て、しかしカイの心に恐怖はなかった。
(私はやるべきことをなした。後はきっと、ソウタ殿が――)
「――死ぬのにはまだ早いだろ」
「……ぇ」
カイの前に、一人の青年が立つ。
「【呼ぶは土・妨げる壁・アースウォール】」
そして、即座に呪文を完成させた。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!!」
レッドワイバーンが、必殺の炎を吐く。
純粋な殺意だけを込められた炎は、一直線にカイと青年へ迫る。
だが、二人に届くその直前に、巨大な土の壁が出来上がり轟音を立てて激突した。
燃え盛る炎の熱がカイの体に纏わりつく。土壁に弾かれて煌めく火花が、夜空を明るく照らした。
強大な力と力のぶつかり合いに、カイは心を震わせた。
――やがて、炎が止む。
全てを受け切った壁は黒く焦げ、ぼろぼろと崩れていく。
「ギリギリだったか……やっぱり森園さんみたいにはいかないな」
「あ……」
そう呟きながら、少年は剣を抜き、静かにレッドワイバーンへと歩き始めた。その姿をみて、カイは小さく声を漏らす。
すると、青年は立ち止まって振り返り、カイを見つめた。
「お前の戦いは見させてもらった。だから……後は任せてくれ、カイ」
そしてそう言って、ニッと笑った。
その笑顔を見て、その雄姿を見て、カイは泣きそうになるのを必死に堪えた。
「お願いします……ソウタ殿……!」
その一言を言うのでやっとだった。
青年は――草太は頷いて、再びレッドワイバーンの元に向かった。
自分の最大攻撃を防がれたレッドワイバーンは、警戒しながら草太を睨んだ。
「……お前もきっと、あいつらに操られてるだけの奴隷なんだろうな……」
レッドワイバーンを睨み返し、草太は憐れむように呟いた。
だが、すぐに表情を引き締める。
「……でも、お前がこのまま暴れるっていうなら――俺も容赦はしない!」
気合を込め、黄金の剣、リコシフォスを構えた。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
草太の闘志を感じ取り、レッドワイバーンが咆哮を上げた。
「――行くぞ」
草太は地を蹴り、その勢いでレッドワイバーンに肉薄する。リコシフォスを上段に構え、勢いのままに振り下ろした。
「AA!!」
亜竜が爪を振りかざし、黄金の剣を迎え撃つ。
キィンッと、甲高い音が響き渡った。
リフーリでの最後の戦いが、今始まった。
◇
「――ああ、とても素敵。力と力がぶつかり合う光景は、いつ見ても心が躍ります……」
燃え盛る集落の上空に、一羽の巨大な鳥がいた。
羽ばたく大鳥の背中には、これまた巨大な戦斧を手にした女が立っている。
女は真っ赤な唇を歪め、眼下で繰り広げられる戦いを見て、恍惚とした表情で呟く。
「魔物の頂点に立つ竜種に、人の子一人が勝てるのでしょうか……それはあまりにも無謀なこと……戦う前から結末などわかっている……」
ぶつぶつと女は独り言を呟く。
「けれど、もし彼がそのような巨大な敵に打ち勝つ事が出来るのなら……私の願望は果たされるかも知れません。――ああ、なんて夢物語。極上の蜜を味あわせてくれる方に出会えるなんて……っ」
女は身を捩じらせ、小さな嬌声を漏らした。
本能を解放されたレッドワイバーンにも劣らない狂った瞳は蕩け、男を惑わせる艶やかな肉体は熱を帯びる。
それは、まさに狂人の姿であった。
「ああ、だから。……どうかどうか」
――壊れないでくださいね。
星を背にして、女はそう笑った。
読んでくださり、ありがとうございます!
感想・誤字脱字報告お待ちしています。




