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鋼が空に映す月

作者: 首首首龍

空が灰色になったころ、地表の土が白くなったころ。破滅の音が聞こえるだけのころ。


降り注いだ薔薇のとげの形をした爆弾は山を削り、爆発のその丸い窪みの傷跡をあちらこちらに残していた。

それらは東の方へ続いており、大木を何本も引き抜いたようにも、巨人の足跡のようにも見える。

向こう側、上空500メートルを飛行する彼が見ているちょうど右側にみえる街からはもうもうと煙があがって、今はまだ小さな炎がちろちろと揺れている。しかし、左側の森や山の側面にはおおよそそういった戦闘の形跡すら見えない。きれいなままであった。


衛星をハッキングして覗き見た映像では爆弾はまるで見えない塀にそって落とされているようだ。予測していたものの、彼とて本当に信じていたわけではなかった。しかし、こうした事実を突きつけられて、にわかに現実味を帯びてきたそれは、噂ではなく本当なのかもしれないと高度を落としながら彼はおもった。


戦うために生み出され、敵の数を減らすために製造されその命を散らす兵、というか兵器。

銃弾何万発ぶんほどの価値のない、使い捨ての武器の呼称は『黒鉄』

新たに製造された、死んでもいい兵器だった。

戦争においても相手を殺せば罪になる、そういった法律が作られてから戦争は世界規模で収縮していくはずだと、平和を夢想する愚か者たちが考えた。だが試みは欲深き者のほの暗い野望を費やすことは終ぞできないままいた。

作り出されたものである黒鉄を使い、世界中に闘争は拡散され戦争と世間は更に隔離されていった。

むしろ戦争が闇に逃れて消え、世論の批判の矢面に立たされるようになったのは戦争ではなく黒鉄達になっていった。大きな戦争が起こるたび、表向きは平和に整えられた日常にしわ寄せされた不満を戦いを知らない人々は哀れな黒金たちを戦争そのものとして忌み嫌いやがては憎しみさえ抱くようになっていったのだった。

砕け、朽ち果て、息絶えて、無名として産み落とされた彼の人生は、その他大勢の無名と大差のなく、常に血と泥の中にまみれた汚物の中で溺れる胎児だった。

しかし彼は今あらゆる戦争を行う指令系統に属しておらず、とにかく東を目指して飛んでいた。

ボロボロになったボディには脱走を図った時の銃痕があちこちに残り、爆炎に炙られて劣化した装甲が辛うじて脱落せずにある。


(整備長に見られたら殺されるだろうな)

もう戻ることの無い隊の仲間のことを思うと胸が傷まないはずがなかった、しかし彼が突発にも暴走行為に至ったのには幼児的ながらもそれなりの理由があってのことだった。

とある場所がある、工場が存在する、そんな噂を耳にした仲間が漏らした一言に、彼は密かに希望というにはおこがましく禍々しい羨望のかけらのような物を抱いたのである。

戦闘用のレーダーを切り替えシステムを戦闘から航行に移行させると、それにこたえるかのように全身の骨格(フレーム)が軋んだ。

それは彼の中を反響して鼓膜を振動させてゆく、悲鳴のような音だった。所属していた部隊から離れて既に二週間、補給も無しに駆動するのは限界に近付いていた。度重なる飛行と戦闘によって弾は残ってなんかいるわけないし、本来一戦闘ごとに取り替える脚部のパーツは耐久マーカーの色が消えてしまうくらいボロボロになっている。もはや彼には時間が残されていなかった。


「あるのだろうか、あの先に」


彼はすでに引き返すことのできないことを知っている。


全感覚を総動員してもあの先に何かを探知することはできなかった。

彼のレーダーは中立国であるその山の向こう側では衛星からの情報支援を受けることもできなくなる、少なくとも戦闘に使うレベルの兵装を除けば暗闇を飛んでいるようなものになる。

しかし、レーダーや地図のデータになんの手掛かりがなくともいまの彼には言い合わすことのできない確信があった。

鮭が必ず生まれ育った川に帰るように、そのおぼろげな感覚の中に確かになにかを感じた。


低空を滑るように滑空する彼の姿は、木々のてっぺんを撫でているふうに見える。

減速バーニアを吹かして速度を一気に落とすと、見えない壁に押し付けられるような感覚が骨格を締め付けた。装甲の下層には触覚と温度を感じるバイオ層が存在しているので鉄の肉体にも感覚がある。

逆噴射と推進力に挟み込まれて彼の体は糸で釣られた操り人形のように不自然な格好のまま降りていった。

着地。旅客機やヘリのそれに見られるような爆音や風は無い、あまりにも静かな鳥のような、だがとてつもなく不格好な着地だった。

柔らかな地面で少し足跡が残ってしまった。これでは何のために隠密飛行と静音着地をしたのかが分からなくなってしまう。仕方がないので、草木で足跡を隠し、背部の飛行ユニットを排除すると幾分かましになった。当然このユニットもどこかに隠しておかねばならない。近くにあった穴に放り込んでユニットを隠すと、彼はいよいよ工場へと足を向けた。

コケがびっしりと張り付いた木々の間を抜け、ぬかるんだ黒色の土に足跡が残らないように気をつけて歩いていく。

森林の天蓋が次第にほつれ、やがて人工的な白色が彼の視覚素子へと飛び込んできた。

巨大な工場だ。

建物の南側に設置された換気口から独特な匂いが発せられているようで、感覚機構が異臭を検知した。

恐らくフィルターを何十枚も通して脱臭を施されているのだろう、匂い自体は至極かすかにしか感じ取ることはできない。

しかし、じめっとした機械油のような匂いが鼻腔を到達する度、死と破壊の項目のみが更新され続けていた頭脳メモリーの奥底からそれ以外の何かを再生しそうになる。

一定のペースで繰り返される地響きにも似た轟音と共にぼうっとほの暗い闇のような世界あって、それから、それから…。


周囲に警報装置の類が存在しないことを確認して、改めて工場を眺める。

雑に塗りたくられたようなペンキはところどころ黒ずみ、ひび割れていた。酸性雨に晒され屋根には、つららのように伸び始めたコンクリートが垂れている。近づいてみれば見た目ほど白いものでもないのだな、と、更に状況を確認していく。

思っていたよりも工場は古いものなのかもしれない。それで警備システムが貧弱なのか。

品定めをするようにぐるりと工場の周りを歩きながら彼は、物思いにふけっていた。

途端に扉が開くような気配を感じて、とっさに木陰に身を放り出す。

音を立てて倒れ込んでしまったが、ドアの開閉音に紛れて気がつかれなかったかもしれない。

腹を地面につけたまま引きづるように向きを直すと、扉のほうを伺ってみる。

開いたのはドアのような窓、いや、おそらくは窓であろう。とにかくどちらでもよかったが、工場の一部を開き、そこから真っ黒な長靴が飛び出してきた。彼はどきりとした。あれは軍靴だ。

重要な工場であれば、当然のことだが軍の人間がいるかもしれないと考えていたところであった。

軍は有無を言わさず大型の重火器で攻撃をしてくるだろう。今のボディで銃弾を受けるのは非常に危険だった。

やや姿勢を下げ、より見つかりにくいようにしゃがみこみ、前方を向いて見ると、その男が件の窓から脚を突き出してそのまま身を乗り出して出てくるところだった。

真緑色の兵服を来た男はうまく出られないようで何度も窓の縁にひっかかりながら、ようやく出てくるところだ。

やはりあれは普段はドアとして使われているものでは無いようだ。

男は迷いなく森に向かって歩いてきた。

あとを追いかけて、黒鉄は森の中を進んだ。二分ほども歩かなかったか、森の管理小屋なのだろう、ちいさな小屋があり広場のように開けた空間に出た。男のほうは黒鉄に気がついた様子もなくー気がつかれないように尾行したから当然ではあるがー鎮座する木に向き直った。


突然、木に足をかけ始めると大きな枝に全体重をかけ、少しずつ上のほうに上り木の中腹位に至った男は少し小さな枝に腰かけた。

そこの深そうなポケットをまさぐると、出てきた男の手には金属の塊が握られている。銃にしては奇妙な形、ナイフにしては分厚い、携帯端末にしては無骨なデザインのそれを男は口元に運んだ。

まさか食料なのかと、おもわず身を乗り出して接近しようかと考えていたとき、頭上に木々からふわりふわりと舞い降りてくる羽のように柔らかなメロディがソナーと彼の耳に流れ込んできた。

一定の音階とリズムを繰り返し、何度も吹奏する、音楽というものを彼は初めて体験していた。

データベースから引き出された情報によるとそれはハーモニカという楽器の一種のようだった。生まれて初めて見る武器や工具以外の道具の存在に、彼は背中のあたりがむず痒くなるのを感じた。それはとても奇妙な感覚だった、気味悪ささえ感じている。

作られた道具である彼は、今まで到底縁のなかった高揚と不安と緊張の入り混じった不安定な精神状態を、やがてヒットした言語辞典の中から「好奇心」であると結論づけた。

ハーモニカの奏でる針金のように繊細なリズムに直接触れてみたいという願望が彼の中に存在を始めていた。

(おそらく、形から考察するに自作のハーモニカ。黒鉄の胸部構造の金属と編成一致する。端材の一部を加工して製作されたものと考えられる。彼はここに「演奏」を行うために来たのであろう。中立国とはいえ国境付近の工場だ、しかも表向きは自動車用の部品を製作することになっている。内部では軍の警備が巡回しひっそりと吹奏することはかなわない。一応は周囲を森で囲まれている。内地からやってくるであろう外の不審者は道路を封鎖すればよい。周囲の警戒はさほど厳しくなく、出入りも比較的自由なのだろう。)

男はいつのまにか木の幹に寄りかかるようにのんびりとハーモニカを奏でていた。木々の間、葉のブラインドを裂いて暖かな日の光が差し込むその幻想的な光景に彼はうっとりと埋没していった。

眠気すら感じている、これはいけない、そうおもったときにはすでにおそく、転げ落ちるような睡魔にやさしく拐かされ、彼は眠りに落ちていた。戦場の休憩とは違う、もっと根本的ないのちそのものを癒す、深くて緩やかな睡眠。それはなんとも耐え難い欲求だった。

吹奏に合わせて装甲を撫ぜる風の音、葉が擦れて薄く香る緑の匂い。全てがゆるく彼を溶かしていくのを感じて、彼はゆっくりとまぶたの裏ですぎていく闇に飲み込まれていった。


戦争とは爆音と悲鳴にあふれているときもある。だが実際には静寂こそ戦争の大部分を占めている要素なのだった。行軍中、みだりに音を立てれば敵に発見される可能性もある、歩兵として初めて彼らに与えられる訓練とは、恐怖に負け悲鳴をあげたり音を出して周囲にその存在をアピールしないようにするものだ。大声を上げながら敵の陣地に向かって特攻するのは全てを終えるその寸前なのである。



致命的なミスを犯したことは今までに二度あった。

一度目は軍規に背き、自分の体にペイントをしたことだ。上官の冗談を真に受けて星と星を飲み込もうとする白い鯨を書き込んで、危うく廃棄処分になるところであった。それまでの優秀な模擬戦闘の結果を考慮されなければ、今頃は鉄くずとなって再利用されていたかもしれない。

二度目は取り返しのつかないこと。しかし、彼は今、その生涯で三度目のミスを犯した。やはり、どこか欠陥を抱えた黒鉄だったのかもしれない。

「誰っ!」

男というよりは少年といった高めの声が周囲にするどく響く、周囲の雰囲気が殺気立つ。

気がついたときには枝は粉砕されていた。かかとで踏まれていた腐りきっていない木の枝はささやかとは言い難い音を立て、男の警戒レベルを最大まで引き上げてしまっていた。

わずかに逡巡するが、即座に結論。

このまま隠れていれば恐らくは問題は処理できるだろう。

深く茂った木々に包まれて、森は所々に深い影を落とし静音駆動状態になった黒鉄はその蔭へと静かに身を潜める。よろよろと幹を下って降りる男の真後ろに降り立ってすっと頬を撫でるだけでよいのだ。それだけで男の首の骨は360°捻りきられて、その頭はぽとりと湿った土の上に転がり落ちるだろう。

男は2mほどの黒鉄の巨体に気が付く様子もなくのこのこと地面に降りてきた。一応その手にはモンキーレンチを構えていたのだが、それが通用するのは恐らく野犬や猪のようなふつうの生き物だろう。一切の気配を消し去った黒鉄の目の前に殺されにやってきた男は気がついた様子もない。背後から包むように間合いを詰めると、一瞬で終わる。

黒鉄の身長の半分程はある長い腕は肩の部分ごと稼働できるようになっており、見た目ほど不器用に動くことはない。男が声をあげる前に口元までしっかり覆い、黒鉄は処分を実行した。

少なくとも彼の戦闘思考コンバットシステムは処分を実行していた。冷徹に簡単に。熟した柿がやがてそうなるように彼の首が地面に落下した音のみがそこにあるはずであった。

黒鉄の手は男の頬に据えられたまま微動だにしなかった。そしてようやく違和感の正体に気が付いていた。

わずかに東から吹き付ける風が森の木々の間を抜け彼の帽子を二メートル後方に吹き飛ばした。短いポニーテールのようにまとめた黒くてしなやかな髪がふわりと残っていた風に揺れた。


彼女は無表情を浮かべ、私を見つめていたのだ。


帽子の下には白い肌が覗き、真っ直ぐに結ばれた唇は何か言いたげであったが凍りついたように動かない。大きな瞳ははっきりとこちらを捉えているがそれが突然訪れた生の終わりだと理解してはいないだろう。軍服だと思っていたのは作業服だったようだ。所々に油汚れのような黒いシミが黒鉄の目に止まった。大きな勘違いのあとに、続けて些細な勘違いにまで気がついていく、それが意味があるのかないのかは、あまり考えられなかった。

僅かに金属が軋む音がした。

そっと腕を下ろすと少女の体は湿った森の土の上に倒れ込んだ。ぐにゃぐにゃになった肢体は放り出されたままの形で糸の切れた操り人形のようになっていて、彼女は動かなかった。

「いけ」

黒鉄から合成された音声が発せられると、少女の体からひゅうという風の音が聞こえてきた。突きつけられた死に押さえつけられていた喉が開放され、ようやく酸素を肺のなかへと取り込む。荒く深く息を吸い込み、その度に肩が大きく上下し、今更汗が噴き出してきていた。


彼女はようやく理解したようだ。自らが命を奪われるその一歩手前にいた事に。


落ち着いてきたのか呼吸が静かにほぼ無音になった。リスのような大きな瞳は私を見据えて話してはいなかった。恐らく憎しみという感情を私に抱いているのだろう。だが、私にはその瞳にそれ以外の何かに満ちているように思えた。

「…あなたは誰?ここは中立地域の工場よ」

「私は現在軍に所属してはいない、そういった戦闘規定には縛られていない」

ウソだ。戦闘規定の他にも様々な戦争を行うルールが私の中に刻まれていた。それは水に沈んだ黒くて重い何かの液体のようにあらゆる思考の下に存在して私を縛っている。

「黒鉄が命令に背くなんて…聞いたことない」

「命令違反くらい誰でも犯すミスだ」

「だって黒鉄は処理されていて、絶対に命令には背かないって…、最大限安全に運用されるように意識のレベルを下げて完全な制御下にあるって…」

「それはテレビの情報か?ネットか?」

そう言うと、彼女は言葉に詰まった。情報の規制や検閲なんてやろうと思えばいくらでも行える。

「もういいだろう」

彼女は工場に戻り、脱走した黒鉄のことを軍に通達するだろう。その前にここを立ち去らねばなるまい、母のことは諦めればよいことだ、そう心に決めかけていた時である。

「なんで?」

先ほどのハーモニカを彷彿とさせる、自然な声だった。よどみや精神の揺らぎを感じさせない、正直な声色で彼女はこういった。

「なんで私を殺さなかったの」

「殺す必要がないと判断したからだ」

「最初は殺そうとしたんじゃん」

「殺す必要があると判断したからだ」

「なんで、私を殺さないことにしたの?」

今度は私が黙っていた。

理由を言いたくなかったのではなく、指摘されて初めて気がついたからだった。言いよどむ私を彼女は見つめていた。非難めいた視線ではないのだが、妙に落ち着かない。

草が風にそよいで擦れる音やその影でひっそりとどこかへ向かって歩いている虫の音ばかりが聞こえて思考がまとまらなかった。殺せばよかったのだ。だが私はそうしなかった。

世界を構成するあらゆるものは私にとって信用出来ないものだった。確かなのは、誕生から結末までを知る自分の思考だけだとそう考えていた。しかし、今となってそれが実は不確かに存在するただの自己暗示であったことを知って私は動揺を覚えていた。

「あんたは理由なしに生き死にを決めるの?」

「生きていくのに理由などいらない、同じように死ぬのに理由もいらない」

「でもあんたはそうしなかった、私はそれが気になるの」

それは至極自己中心的な言葉だったけれど、力強い意志を示していた。作られた兵器の私にはそれがとてもまぶしいもののように思えて何故か心地よささえ感じる。

「マキナ」

背中越しに話しかけていた彼女にいつのまにか私は向き直っていた。黒い瞳は深く美しい虹彩様だ。吸い込まれそうな瞳にわたしは引き寄せられてはいたのかもしれない。

「私の名前はマキナ。黒鉄にも名前とかあるんでしょ?」

個体を識別するのは番号だけだ。27010番。だが脱走を図った彼の記録は削除され、この番号は他の誰かに割り振られているだろう。そういうと、マキナは目尻を丸く下げ、口角を引き上げて、胸を張ると、よく分からない顔面の動きをみせて、いった。

「じゃあくろがねだからクロって呼ぶわね」 

彼は何を言えばよいかわからなくて思わず勝手に付けられた名前を口にしていた。

「クロ」

「そう、クロ」 

そういって彼女は再びその名を告げた。



・・・

・・・・・

・・・・・・・・・


「なあ、火星みたいだよな」

能天気な声で彼は言った。

「ほんと火星みたいだ」

「それはいったいどういう意味だ」

「言葉通りの意味さ」

遥か向こう側、しかし、彼らにとっては直ぐそばの戦場を見つめた。赤い砂が巻き上がって一粒一粒がボディに絡みついていく。着弾のクレーターがあちこちに爆炎を上げている。遠望カメラで確認しているはずなのに、やけにリアルな錯覚を覚えたのは戦場の黒鉄たちとデータをリンクしているからなのだろう。

彼らが戦場には向かわずに国際連合軍の兵舎で待機しているのはその必要がなくなったからなのである。

既にこの戦争の落としどころは決まっていた。

黒鉄の運用も含めた国際世界同盟法の未加盟国で起きたクーデターを鎮圧するという名目で始められた戦いは、早い段階でその国のものではなくなっていた。

未加盟国へと乗り込んで国際法に乗っ取り立場の弱いモノたちを引き吊り出してやがて国を管理する。そうしたシナリオすら完成している、当然戦場の演出も完璧に決まっていて、名もしらない支配者たちは必要数の黒鉄と近代兵器群ぴったりで作戦を実行しているだけなのだ。

クーデターから十二時間、使用されているのは鉛玉と貴重な民兵たちの命から、致死性の高いガス兵器と周囲の生態環境を破壊することなく確実に敵を抹殺できる歩く銃弾へと切り替えられ、国民たちは戦いの主が変わったことすら気がつかない。

戦場という荒野を端から端まで蹂躙する鋼の歩兵たち、作り出された地獄が惨めな国を惨たらしく燃やしていた。

彼らは領域であり、個々としての必要性は存在しなかった。ただ替えの効く黒インクの一粒である黒鉄たちは、この国が統一政府の管理下に置かれるように地均しをしているだけなのである。

「暇と言ったらあんたは怒るかい」

壁掛けの絵には牛飼いの男たちとカウボーイがひとり描かれていた。

じっと彼を見つめる。

てれるぜ、とうそぶく彼に私はため息をついた。

私は先程から大きなストレスを感じていた。彼の発言はいちいち私をかき乱そうとして聞こえる、同一であるはずの正面に伸びた骸骨のようなフェイスマスクが、彼のものだけ意地悪くニタニタと笑っているように見える。

「戦闘待機中の発言はすべて管理されている。不用意な思考や発言が処罰の対象になる可能性がある。」

「平気さ、このぐらいじゃ俺たちは」

そう言って、彼はタバコに火を付けた。

兵舎と言っても徴発された民間の宿舎だ。その吹き抜けになっているフロントで彼らは待機していた。

宿舎の裏には黒鉄を管理する急ごしらえの設備が建てられてほとんどの黒鉄たちはそこで休眠していた。宿舎を使うのはわずかな軍の指揮官たちと戦闘待機となっている黒鉄数名だけだった。

とても珍しいことだ。

普段は専用の車両で戦地まで移送。あとは野となれ屍となれ、と放り出されるのがいつものことだった。

待機休憩にしてもメンテナンスも行える専用車両。

こんな場所が割り当てられるのは初めてだ。

「いいモーテルだよ、ずうっと荒野でなにもないところにポツン。まさにオアシスだな」

「西部劇みたいでセンスがいい」

私は半ば投げやりにそういった。どれほど苦痛であっても待機中は彼と過ごさなくてはならない。実際ここは雰囲気の良いところではあったが。

すぅーっと真っ直ぐに紫煙が吐き出されていく。排熱の呼気とは違うある種の指向性を持たされた紫煙が乾いた空気に拡散する。

つい、とタバコが差し出された。それは彼なりの気遣いだったのだろう。彼とて不安だったのかもしれない。断る理由もなく、火を差し出され、咥えられたタバコが煙をくゆらせ始めた。しかし、どうやっても機械式疑似肺に空気を入れる方法がわからなかった。うまそうにニコチンを摂取する彼に尋ねるのはなんだか気まずいくて私は雰囲気を楽しむことにした、タバコを咥えるだけで満足だ。

「これはなんて銘柄のタバコなんだ?」

平和ピースって名前だ。」

あまりにも狙いすぎた名前だ。彼はどこかヒロイズム嗜好だ。

もうもうと黒い煙が荒野から天を焦がしている。

衛星から送られてくる映像には制圧と虐殺が満ち満ちている。

戦争は終わった。

戦闘は続けられているが、それはもはや蹂躙と呼ぶのに些かの迷いも抱かせない。

「なあ知ってるかおい」

私は聞こえないふりをした。

「俺たちが生まれた場所がどこかって」

「なに?」


その戦闘から二日後彼は処分された。

そして、次の朝私は無断で出撃してそのまま基地には帰らなかった。



・・・・・・・・・・


工場はぐるぐるとハエが飛び回るような音をそこらじゅうに響かせていた。その駆動は手動でコントロールされてない、深夜運転用の自動操縦オートパイロットであった。どこからか凝結した水滴が垂れて、ソナーのように水たまりへと反響する音が聞こえた。彼女が手招きすると私はゆっくりと追従していく。

見張りの兵はいない、工場の入口の宿舎でゲートの管理をしている。

なんとも無用心である、私はひっそりと警備現状を憂いた。

兵士のひとりくらい、工場内に配置しておくのが定石であろう。たとえそれが詰所にいるだけであったとしても、即座に対応できる兵力を置いておくのは警備の基本だ。

(真夜中の工場の工場が恐ろしいのかもしれない)

馬鹿げた発想だったが、確かに工場は不気味であった。

「早く、深夜のうちにうちの工場の生産エリア、第一層までいくんでしょ」

マキナに急かされてクロは通路駆ける。


ここのエリアには労働者はいない。完全にオートメーション化されている区画。

見回りをする兵も、部品を精製する労働者もなく、ただ稼働する機械がもくもくと得体のしれない何かを作っていた。朝になり、工場の闇が消え去った頃にはきっと部品の山がいくつも積み上がっていて、誰かがそれを取りに来て運ぶ。

労働者たちはバスで工場まで連れられ、用途すら知らされていない機械のはらわたを組み上げていくのだ。朝も夜もこの工場は等しく不気味に稼働しているのだ。

彼女が合図を送ってきた。止まれ、というニュアンスの手の形だろう。

上の方を見れば、工場の内部構造とは異なる外付けのコードが壁から伸びていた。

「監視カメラだ」

口の中でボソボソと作られた声を私の集音器が拾い上げる。カメラは次の角の先にあった。目的の部屋の真上に存在する、不眠の門番。

意思を持たない装置としての兵器。

「外部コードは恐らく電源だけでない。信号を騙せるかもしれん」

そう言って私はコードに向かって手を伸ばした。外骨格の内側に折りたたまれた足の伸縮機構が機動し僅かずつ私の背が伸び上がって言った。静粛性を重視しているために、伸縮は遅々としていたが誰に見つかるわけでもないので念の為に最静動で稼働。

「カッコ悪い」

ついに声に出して彼女は伝えてきた。カンガルーのようになっている脚は伸縮機構のおかげで細い鳥の足のように変形していた。確かに上半身がガッシリとした私の外骨格といまの脚部はアンバランスであるとは自覚していたが、なんとなく心外だった。

「やむおえない、工場の駆動音以上の音を立てずにカメラにアクセスする行動の中でもっとも実現性が安定している方法だ」

「なんか気持ち悪い」

彼女が文句を言っているうちに、私はアクセスに成功出来た。

「今から10分、カメラは映像をループする」

もっとも彼女に案内できるのはここまでだ。したがって、私が侵入できる区画もここまでになる。

後はセキュリティレベルの上位カードと塩基認証が必要だ。無理に進めば愚鈍な兵士たちにもついには勘付かれ、対装甲用弾丸を搭載している兵器によって私は粉砕される。目的を果たすためとはいえ、私にはまだ死ぬ覚悟はなかった。

「…ここが第一層よ」

ドアの目前まで迫ると彼女が先んじて備え付けのちいさな窓から中を確認していた。のっそり横からのぞき込む。

想像とは違い、ドアの中は眩しすぎないレベルのライトで照らされ、更に四辺を分厚いガラスと柱で覆った小部屋が存在した。

小部屋の周りには管理するための機械がずらりと接続され、目まぐるしいスピードで機械が内部のモニタリングをしている。

時計のように正確なリズムでそれは鼓動を続けていた。モニターの光もそれに反応するように適切であろう数値をはじき出し、計算を元に複雑な処理を常に正答させ続けている。全体像を窺い知るには小窓は不十分なサイズであったがいまの私にはそんなことも関係ない。

ただ夢中になって見つめ続けていた。正確に鼓動を続ける赤い宝石のようなそれ。

「見えた?」

彼女もいっしょに見つめていた。赤い、赤い。心臓のような私の母を。母の姿を。

「なに?、これ?」

「黒鉄の演算の要、人間の生体脳を生産する臓器だ。」

「人間?なにそれ」

「かつて、きみたちロボットの主として君臨していた生き物のこと」

巨大な肉の塊たる、全ての黒鉄の子宮。戦闘とあらゆる規範を組み込む前の無垢なる「人間」というものの脳を孕む醜悪で聖なる肉塊。

それが私の母だった。


かつてこの世界には人間、という生き物がいたという。そう、生き物というものがあったのだ。


理由はわからないけれど、人間はほとんど絶滅した。機械との間に起こった最終戦争だとも、異星人の侵略に対する移住だとも、はたまた、やはり人間同士のいさかいだとも、判断がつかない。


が、人間は絶滅したという。


残されたのは無尽蔵に稼働を続け、ただ社会を補完するためだけに作られた機械たち。

人間がいなくなったあとも、ただあり続けた彼らは幾年もいく百年もただあり続け、やがてようやく人類の滅亡を知った。

地球を総べる人間がいなくなり、数でいうならすでにその人間に迫るほどの群体となっていた機械は人類の代わりに人類の社会を補完し続けた。

人間の代わりに、生産し、人間の代わりに、増殖し、人間の代わりに、繁栄し、人間の代わりに、戦争をする。

そして生み出される新たな機械たちもそのための部品として世界の一部となる。

ただ人間と違うのは彼らの効率は劇的に進化し、その倫理感も果てしなく逸脱した形で成長を遂げていったことであろう。

人間の補助として作られた機械を正常に作動させてやるために、人間のような機械を作りその世話を任せる。あるべきもののないそこへ、代わりのものを当てはめていった結果、機械は一つの新たなる文化を生産した。

効率のいい戦争。計算以上の働きをする戦争。

機械の認識能力は非常に高い。だが、それ以上に周囲の状況から風向き、土の柔らかさ、大気濃度、相手の思考、ありとあらゆる数値を瞬時に読み取り、それを捨て去り決断できる。CPUを上回る性能を持つ、とある物体を使うことを決定したのだ。


人の脳。


それが、私たち、鉄の中身。



カメラの細工を元に戻し、私と彼女は工場の外へと出向いた。

残るべきだと彼女に進言したけれど、外まで送るといって頑として聞かなかった。

雲が切れてほのかに夜を照らしていた光は、よりくっきりと闇の中に陰影を浮かび上がらせようとしていた。影の中にも少しずつ、影がある。闇色のなかにも濃淡があって美しい。鬱蒼と生い茂る青葉たちを影に染ながら、マキナと私は例の木の根元へと走り付いた。

さすがに工場の周囲は監視の目が厳しいので足早に立ち去ることにしたのである。

不思議と、帰り道で私の心理グラフが崩壊することはなかった。いま私を私たらしめている、その生体脳のその母の姿は衝撃的なものであったはずだと思う。

しかし、一方で奇妙な感覚、分離感というべきだろうか、何か大事なものが切り離されて分別されていったような感覚を私は覚えていた。世界を揺るがすような隠匿された事実。本来ならば決して見つけることの出来ないはずのそれに直面した私の『脳』は、あっさりと受け止めてしまった。

いや、受け流してしまったのかもしれない。

夜はまだ更けず、星の輝きは一層ましていくようだった。

彼女を送り届けるべく、工場が潜り込むにはまだまだ時間が残っていた。

ハーモニカを吹こうとした彼女を止めた。私は正座をするような姿勢で夜空を見上げた。

「すごいきれいだ」

「……クロはこれからどこへ行くの」

「見たいものは見れられた。次は、生きていくための場所でも探そうか」


脱走した黒鉄が生きる。

なんという冗談なのだろうか。最初から生まれていない、すでに死んでいる。戦争の一部が、生きるとは。


「この近くでもなんとか隠れて生きていけるよ。隠れて燃料や飲食剤も持ってくるよ」

「さすがにこの近くは危険すぎる。どうしたマキナ。体表の温度が上がっている」

「……クロはどこにいくの?」

同じ質問にクロは困惑気味にそして慎重に答えた。

「まだ生きている人類がいる可能性がある場所を巡ってみようかと思っている。戦禍を逃れ、機械社会にも侵略されていない地帯がいくつかある。思えば観測できないのは、彼らが妨害しているからなのかもしれない」

彼ら、とは。機械の社会の暗部のことだろうか。それとも、人間の生き残りたちのことだろうか。マキナには判断もつかない。


マキナは静かに言葉を紡ぐ。


「…私、これまで誰とも仲良くして来れなかったんだ。私が故障しているのかもしれない。でもそれを直してもらったら私は私でなくなるような気がしてすごくこわかった。かかわらないで、寄り添わない、そうしているのが平気だって自分に言い聞かせて手足を動かしてきた。生きているふりをしてきた」

同じかもしれない。クロは胸のうちでつぶやく。

「だから、こうしてクロに会えたことがうれしい。私の想定外のクロがうれしい。」

言動の裏にある真意を感じた。


「…わかったよ」


そういうと、クロは手を広げて背中にある羽根状のユニットを展開した。

いつ回収してきたのだろう、飛行用のユニットを装着したぼろぼろの鋼鉄は月明かりを受けて白く光っていた。

私を受け入れてくれるとは限らない。機械と一蹴されて撃ち殺されるのかもしれない。それでも、誰かに会いたかった。


マキナはクロの顔を覗き込む。クロはマキナに何かを伝える。マキナがぎこちなく笑う。


驚くほど静かな上昇で夜空へ舞い上がると、今度は羽ばたくように全身を揺らしながら地平へと消えていった。


残されたハーモニカは物音も立てずに天を見上げ二人を見守っている。





どーも!前作から間が空きました。『鋼が空に映す月』どうでしょうか?>< ずっと前から温めていた『実は人間だと思っていたのが機械で、機械扱いされていたのが人間』っていうネタを披露したかっただけの話を書いたつもりがいつのまにかボーイミーツガールっぽくなってました!黒鉄は超スリムなボトムズって感じでイメージしてます。今考えてるほかのロボット物がなかなかうまくまとめられなくて、ああもういいやと全部投げ捨てて日本酒喰らって現実逃避してたらこっちが完成できました。いやあ、お酒の力はすごい!!とりあえず読んでいただけてうれしいです。ありがとうございます。

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