第八話
人混みで思うように進めない広間の中をグレンは無理矢理掻き分けていく。この国の王が通る度に周囲の視線と口々に声を掛けられるが、いちいち相手にしてはいられない。
目指す先のシュリはするりするりとこの人混みを走り抜けていく。これだけの人数が居なければ追いつけるが、いく手を阻む人の群れがシュリとの距離を広げていく。
「すまない。通してくれ」
無理矢理体を捩じ込んで歩みを進める。その間にもシュリは出口に近づいていく。なかなか縮まらないその距離にもどかしさを感じてグレンは小さな溜め息を落とす。
そもそも予定ではシュリを口説き落としてあわよくば部屋まで…くらいな想像をしていたのだが、実際は下らない言い合いで出口に向かわれる始末である。
「…シュリ!ちょっと待てって」
シュリに聞こえるように声を上げると、ちらりと振り返る。ほっとしたグレンに向かってシュリは思いっきり舌を出す。その王女とは思えない仕種にグレンは溜め息を溢さずにはいられない。貴族王族しかいないであろうこの上流層パーティーで所謂『あっかんべー』をするシュリは周囲の注目を浴びる。その視線を気にもせずシュリは出口の扉を音を立てて開け放った。
真っ赤なベルベットの絨毯が敷かれた階段の踊場に出たシュリは一瞬だけ広間を振り返る。沢山の人々が音に驚いて振り返り、その先にいるシュリを奇異なものを見る目で眺めている。その視線に負けないようにシュリはじろりと周囲を睨む。その中をグレンが掻き分けてくるのが見える。回りを貴婦人達に囲まれてこっちに近づいてくる。
一人の婦人に腕を取られて困ったように笑い、その場を過ぎようとしている。もたもたと進むグレンを溜め息をついて見つめ、シュリは階段の下へと動き出した。
扉を開けて振り返ったシュリはグレンを見つめて一気に走り出す。
煽るように立ち止まったかと思えば急に駆け出していく。
「…くっそ…」
小声で呟いて腕を取る婦人から離れる。バタバタと走り出口に向かう。何故こんな鬼ごっこの様なことをしているのか、グレンにはわからない。多分シュリにもわからないだろうが、とりあえず追いかけないわけにはいかなかった。
広間を飛び出して階段を降りていくシュリにグレンは叫んだ。
「シュリ!止まれ!」
大声は意外と響く。背後でグレンを驚いて見つめるだろう視線がちくちくと刺さるが、気にしてはいられない。シュリは一瞬たじろぐようにもたついてグレンを階下から見上げた。
「…追いかけてこないで!ばかっ!」
「そういう訳にいかないだろ!いいから止まってろ」
「絶っ対いや!」
言うや否やシュリはまた駆け出す。グレンが見繕った膝丈のドレスが軽やかに翻る。真っ赤な絨毯に淡いドレスの裾が鮮やかなコントラストを描く。綺麗な放物線を描いているそれに一瞬気を取られてグレンは一気に階段を駆け降りようとした。
「グレン様!」
どこかで聞いたことのあるような高い女性の声と共にグレンは腕を取られて体勢を崩す。
「…うっ」
かろうじて手摺に捕まってその場に踏ん張るが、思った以上に大きな声がでた。驚いて振り返ればそこには先程まで自分を取り囲んでいた女性達の一人がグレンの腕を掴んでいる。
「…あっ、すみません!その…もう少しお話できないかと…思わず…」
柔らかな栗色の髪の彼女をグレンは知らない。名前も出自も年齢も、わからないしそもそも興味がない。握った手に力が入り、顔を真っ赤にして俯く姿や、だんだんと尻すぼりになる声の様子は可愛らしいが、正直迷惑でもある。グレンはシュリを追いかけたいのだが、無下に断り辛い状況である。
「…すまない、急いでいるんだ。…追いかけないと」
「あっ…す、すみません…」
ふっと掴んでいた手が緩む。
「…いや、戻って他の方に誘ってもらってくれ」
ゆっくりと彼女の手を剥がす為手に触れる。その瞬間に彼女が小さな悲鳴を上げた。
「…きゃっ」
「……は?」
背後を見つめる彼女の視線を辿ったグレンはその先を見ることができなかった。
スッコーンという小気味いい音を立ててグレンの顔に何かが当たる。
命中したそれを確認する前に凡そパーティーに似つかわしくない怒声が轟いた。
「チャラチャラしてんじゃねーよ!」
本当にお前はあのレジャーベルの姫君か、とグレンは心の中で突っ込む。が、思ったよりも顔面にヒットした痛みが強く、声には出せなかった。
「グ、グレン様!大丈夫ですかっ?!」
グレンの側にいた栗色の髪の彼女が自分を気遣う声を聞きながらグレンは見事に自分に的中し、おまけに上手いこと膝元に落ちたそれを見つめた。
グレンがシュリに送ったガラスの靴の片割れだった。