第五話
キラキラと照明に宝石が照らされて輝く。大粒のダイヤが目に眩しく鏡の中でも輝くそれをシュリは直視することができなかった。自然と下がる視線は、けれど、身に付けている懐かしい着心地を思い出させる絹のドレスを捉えてしまう。淡い乳白色のドレスは部屋のシャンデリアに照らされて、てかてかと光を放っている。どこに視線を移しても高級品ばかりが目に入り、シュリは深々と溜め息をついた。
シュリのいるここは、レジャーベルの田舎の3年間慣れ親しんだ家ではなく、間違いなくデルタ国の、それも王宮である。
何故ここにいるのかと言えば、要するにイールに連れてこられたのである。根負けしたと言ってもいい。シュリが首を縦に振るまでイールは毎日シュリの元までやって来た。
小さな田舎では、若い娘が金持ちの爺をたらしこんだと、噂になったくらいだ。結局、田舎にも居づらく、シュリは不承不承頷いたのだった。
それから直ぐにシュリはイールと共にデルタ国に入り、今に至る。
「…よくお似合いですのに…」
シュリの溜め息が耳に届いたのか、デルタ国王宮に来てから身の回りを世話してくれているメイドの彼女、レナは残念そうに呟く。鏡の中からレナを見つめてシュリは困ったように更に溜め息をつく。
「……ありがとう」
「シュリ様、そんな顔で言われても困ります。もう少し笑って下さいませ」
「笑えるほど楽しくもないし、そもそも憂鬱だわ」
三度目の溜め息をついてシュリは鏡の前で頬杖をつく。
綺麗に着飾った姿は以前のレジャーベル王女そのものである。イールに会ったあの時はそこら辺の田舎の娘と同じだったのに。
「…今日が陛下と初めてお会いになるのでしょう?」
「デルタ国王としては初めてだけど…実際は3年ぶりね。わざわざ呼びつけて…本当に昔から変わらない」
少しの呆れと憎々しげな呟きにレナはシュリを驚いて見つめた。レナがシュリと出会って3日、常に気を張っていただろう彼女は、他人に怒りを見せることはなかった。たった3日だが、馴れない環境で感情を押し殺す、というのはなかなか辛いものがある。事実、他国から来る姫達の中には我が儘放題の姫も、メソメソ泣き続ける姫もいる。勿論、シュリより愛想の良い姫もいるが、そういう姫は大概打算的である。シュリは感情的でもないが、裏表の激しい訳でもなく、どちらかと言えば暗い。よく言えば落ち着いている。それが、レナのシュリに対する印象である。
「…シュリ様は陛下をお嫌いですか?」
「別に嫌いでもないけど…どういうつもりで私を呼んだのか…理解できないわ」
ドレッサーの上の香水瓶を眺めてシュリは頭を抱えてしまう。
「…放っておいてくれればいいのに…」
やっと馴れたあの暮らしをグレンは瞬く間に奪ってしまった。普通の一般市民として生きる幸せを漸く掴みかけたシュリをまたも疑惑渦巻く王宮へと引き込んだその行為が憎い。どうせ呼びつけるならもっと早く言えば、シュリだってまだ良かった。それを3年も経ってから急に呼びつけて、あまつさえ正室に迎えるなんて、昔と変わらぬ嫌がらせとしか思えなかった。
「…陛下はシュリ様とお会いするのを楽しみにしている筈です。ぜひとも微笑んであげて下さいませ」
レナはそう言って自身もにこりと微笑む。シュリよりも少し年上だろうレナは親しみやすい笑顔を向けてくれている。つられてシュリも微かに笑った。
「…そうね…3年ぶりだものね」
久しぶりの再会に笑顔もないのでは、確かに少し心寂しいものがある。会ったらまずはにっこり笑って、文句はそのあと言い連ねようとシュリは一人頷いた。
コンコン
タイミングよくドアをノックする音が聞こえてシュリは背後を振り返る。レナがドアを開けるとシュリをここに連れてきた張本人イールが姿を現した。
一瞬でシュリの眉間に皺が寄る。イールは見事な花束をその腕に抱えていた。
「グレン様からの贈り物です」
「……キザ。花束でご機嫌取りなんて古い手じゃない?」
「…いらない、と申されますか?」
にこりとイールは笑みを浮かべる。
「それと…こちらの靴も」
花束を近くの机に置いてイールは綺麗な蓋の空いた箱をシュリに差し出す。中には光に照らされて輝く硝子の靴が入っている。七色に光るそれを見つめてシュリは小さな溜め息を漏らした。
「…まるでシンデレラね」
今、身に付けている何もかもシュリが手に入れたものではない。デルタに来て与えられた全てのものがシュリの自由を奪う気がした。高価な装飾品も美しいドレスも、目の前で輝くピンヒールの靴も、他人から与えられたものだ。シュリが掴みとったものは来るときに着てきた凡そ姫君のものとは思えない、よく言えば平凡な、みすぼらしい服だけだった。
けれど、それこそがシュリが自由である証なのだ。
着飾られてその重い装飾品に自由を奪われるくらいなら、自身で勝ち取ったあのみすぼらしい服の方がよっぽど良かった。あの庶民の服に莫大な金はいらないが、あの服にはそれ以上の価値があったのだ。
「世の女性はシンデレラに憧れるものです。…どうぞ。お受け取り下さい」
念を押すように胸元に突きつけられた硝子の靴を、シュリは深々とした溜め息と共に受け取ったのだった。