第三話
シュリの家は小さな一軒家である。
台所と居間と寝室がある何てことない普通の庶民の家と同じである。一応外には小さな庭があり、ちょっとした野菜と花が植えてある。
部屋の中は小綺麗にしてあって、割とさっぱりした様子である。イールが通された居間は小さな長方形の木のテーブルがあり、その上に幾つかの小瓶が置いてある。それが何なのか、イールには解らないが程よく生活感のあるこざっぱりした家だと認識できた。
「…どうぞ」
差し出されたお茶と簡単なお茶請けにイールは手をつけていいものか、一人悩んでしまう。この家の主人であるシュリを見つめると、彼女は前の椅子に腰掛けお茶に口をつける。
「毒は入ってませんから大丈夫ですよ」
「…そうですか。それはよかった」
別に毒の心配をしていた訳ではなかったのだが、とりあえず頷いてイールもお茶に手を伸ばす。普段の王宮で入れる高級なお茶とは似ても似つかない安っぽい匂いと味のお茶である。
「………なかなか珍しい味ですね」
「正直に不味いと言って構いませんよ。…まぁ、私はもう馴れたので不味いとも思いませんけど」
「……3年は短いようで長いですね」
かつてのシュリならこのお茶は飲まなかっただろう。王宮でもっと高級で美味しいお茶を飲んでいた筈だ。
このお茶が普通に思えるくらい、シュリは民の生活に馴れたのだと理解して、イールは内心でこの姫を可哀想に思った。
「馴れれば美味しいものです。別に不幸でも可哀想でもありませんから」
イールの感情を読み取ったのか、シュリは当たり前のようにお茶を飲む。それから顔をイールに向けた。
「…それで?お話というのは?」
早く要点を話せと言わんばかりにシュリはイールを睨むように見つめた。その目に呆れと嫌悪を宿して彼女はその先を待っている。
「…では、単刀直入に。私達の国デルタの王、グレン=カニングス様をご存知ですか?」
「…………グレン=カニングス…?」
聞き知った名前にシュリは戸惑いも露にその名を繰り返した。
グレン=カニングス。その人物はシュリの記憶の中でも最悪の男である。
最後に会ったのは丁度3年前。あの夜の少し前だっただろうか。
漆黒の髪と目を持つ美男子なのだが、性格が頗る悪い。シュリの弟で現レジャーベル国王テイトと同い年の彼は初めて会った時から態度が悪かった。当時シュリは11才、テイトとグレンは9才だった。弟と同い年のグレンをシュリは笑顔で出迎えた。確か父の在位10年を祝う催しで、隣国諸国から来客が来ていた。その中にグレンの生国ナーガがあったのだと思う。ナーガからは幼いグレンとその両親が訪れていた。今思えば国王が何泊も他国に泊まっていいのか、国政は大丈夫なのか、不安が残る。が、当時からナーガ国王家は子沢山だと言われていたし、その長男で、現ナーガ国王のリドルドが両親の留守の間国政を上手く守っていたのだろうと思う。
ともかく、そうして出会ったグレンとシュリだが、グレンの生意気さと口の達者加減にシュリはもうヘトヘトだった。やれ本を読めだの、菓子を持ってこいだの、なんだのかんだの、何かにつけてシュリに突っかかってきていた。終いには水をつげだのと言い出すグレンに幼いシュリもやってられるかと、キレたのはまだよく覚えている。それまでお姉さん風を吹かせて笑顔でやってあげていたシュリの激怒にグレンが目を丸くしたのも鮮明な記憶である。
『いい加減にしなさいよ!私はグレンのメイドでも何でもないんだから!!調子に乗らないで!』
持っていた本を投げつけたシュリを穴が開く程、見つめるグレンに更にシュリはいい募った。
『そもそも自分でできる事は自分でやるものよ!メイドがグレンによくしてくれるのはそれが仕事だからなの!職務上仕方ないのよ!!』
幼いシュリとグレンがその事実をどれだけよく知っていたかは疑問が残るが、シュリは母から常日頃この事を聞いていたから、うっすらと理解していたのだと思う。
が、グレンにしてみれば日頃よくしてくれているメイド達が仕方なく言うことを聞いてくれているとは微塵も思っていなかっただろう。あの衝撃的な顔はそれを暗に物語っていた。
そんなグレンをその場に残し、シュリは鼻息荒く自室に戻ったのだった。