第4話 - 決意と決意 -
中規模の隊商が襲撃を受けるのは、夜中である事が多い。野盗は手を出して反撃を受けた時の被害を嫌うし、凶暴な野獣や怪物の類は大抵が夜行性だ。稀にはぐれの怪物などに出くわす事もあるが、被害が出るようなことは無い。
そして、今回も多分にもれず夜中の出来事だった。人の血肉を求める凶獣の襲撃は、略奪を気にしなくて良い代わりに、その大部分を殲滅する必要が生じる。
妻子と共に床についていたオーグは、哨戒の鳴らす警笛に素早く反応した。警戒はしていた。次の町に向かう前に、魔獣の群れの噂は届いていた。しかし、隊商の判断は強行だった。実際、噂の街道を避けての旅程では、無視できない損害が出てしまうのだろう。
手早く装備を整えつつ、まだ寝ているエリシアに大声で危急を告げる。気持ちよさそうに寝ているティグを起こしてしまうのは心苦しいが、一秒の遅れが人死にに繋がる。
オーグは自分にやや遅れて事態を把握したエリシアを確認してから、前線へと駆け出していく。手馴れたものだった。
到着した現場では槍を携えた二人の同僚が、4匹の大熊を相手に立ち回っていた。対応している人数が少ない事から、ここが主戦場でない事がわかる。戦力的にはやや劣勢なのに、それでも人手が割かれていないのは、主戦場にも余裕がないからだろう。
腰に下げられた武器の中から手斧を掴み、手近に立っていた大熊に向けて投擲する。2.5m程の獣の膝を手斧が直撃した。切断とまではいかないが、傷を負って四つん這いになった大熊の頭部を、オーグの振るう戦棍が打ち砕いた。これで戦力は五分になる。
「主戦場はどっちだ!」
「オーグか、助かった!東だ、回り込まれそうなんだ、急いでくれ」
「わかった、すぐにエリシアも来るから教えてやってくれ!」
必要な情報は得られた。手斧の回収は時間がかかると判断し、無視してそのまま東へと走る。ここの現場はエリシアの加勢で決着がつくはずだ。
次に突き当たった戦場は6対3、当然こちらが少数だ。その上1名は負傷している。ここも主戦場ではないが、看過するわけにはいかない。全力で疾走しながら剣を抜き、ぶつかるような勢いで大熊の脇腹に突き刺した。皮と筋肉と肋骨を纏めて貫き、内臓まで達した剣を横凪に払う。普通なら成し得ないような荒業だが、オーグの剣は物が違った。
18の頃に手に入れた業物だが、最初はただの見栄と意地の塊であった。当時手持ちの財産をはたいて購入したのはいいが、振り回されるばかりで一向に手になじまない。ようやくその力を発揮したのは、エリシアとパーティを組んだ後の話だった。
強い魔力を帯びた道具は、人の魂に呼応する。そんな話を聞いてはいたが、理解できずにいた若者は、愛する者の窮地に直面してようやくその意味を知る。護剣エリシア、恥ずかしすぎてオーグの心の中だけでそう呼ばれる剣は、誰かを守る時にこそ、その真価を発揮した。
無銘の名剣を縦横に振るう戦士の姿は、劣勢だった護衛隊の士気を沸き上がらせるに十分なものだった。
大熊2匹を切り倒し一匹に手傷を負わせた所で、オーグは仲間の表情から、劣勢が挽回できた事を確認した。時間は取られたが、ここで人が死ぬことはないだろう。
時間が惜しいオーグは、軽い挨拶すら交わさずに次の戦場へとひた走るのだった。
その晩、後に隊商の語りぐさとなる活躍を見せたオーグの心には、彼にそれを成させるだけの理由が宿っていた。
それは、この3年間燻り続けたオーグが、過日のティグの言葉に我が意を得てあげた、万丈の気焔だった。
ティグは言った、何になりたいかは分からない、けれど、この世界のあらゆるものに触れてみたい、と。
オーグはその言葉が曖昧な物ではなく、ティグの確固たる意志から来るものだと感じ取った。三歳児の言葉に何をおおげさな、などとは今更思わない。
無数の獣の屍を踏みつけて、オーグは思う。ここを出ようと。戻ったらエリシアにも伝えよう。十六歳の時家を出た日よりも激しい情熱が、その胸にあった。
自分達の冒険の傍らで、ティグに世界を見せるのだ。
戦いは終わった。怪我人の報告は多数だが、人死はなかったらしい。そして、行く先々で熱っぽく語られるオーグの活躍譚。エリシアは誇らしさと共に、拭いきれない不安を感じながら、テントで待つティグの元へと戻っていく。
エリシアは気づいていた、ティグを産むために隊商に参加した日から、オーグの心底に燻り続ける思いに。気づいていても、それに言及する事はなかった。言っても仕様のない事だから。
いや、正確には、やりようはあった。エリシアとティグが隊商に残り、オーグが一人思いを果たすのだ。エリシアが背中を押せば、きっとオーグは行けただろう。時折見せる、淋しげな表情の原因を、取り払ってあげる事が出来ただろう。
でも、耐えられなかった。オーグが一度冒険に出れば、次に会えるのはずっと遠い日の事になる。ともすれば、今までオーグと過ごした時間よりも長い時を、エリシアは待つことになるかもしれなかったから。
自分は弱い女だ、弱くてずるい女だ、エリシアはそう思った。冒険者としての日々を輝かしく思う心は同じなのに、オーグの心は誰よりも分かっている自分なのに。それに気づかないふりをした。そうすれば、オーグはどこにも行かないと、知っていたから。
ここ数日でエリシアの心は大きく揺れていた。ティグが魔法の才のみならず、戦士としての比類ない天分を見せつけたあの日から。
あの日から、オーグの瞳には抑えきれない思いが宿っていた。気付かないはずがない、あれは、あの頃と同じ瞳だから。オーグとエリシアが出会った頃の、いや、その頃以上に強く激しいそんな瞳。
オーグは間違い無くそれを望んでいる。ならば自分はどうするべきなのだろう。きっと、もう、やり過ごす事はできない、そこまでに至ってしまっている。
受け入れるか、拒否するか。どちらにしても、エリシアが言えばその思いを尊重してくれるだろう、今までのように。だからこそ、自分の望みだけを軽々しく口に出す訳にはいかなかった。
オーグが燻りながらも、冒険のぼの字も言わず耐えてきた時間を、エリシアの答え如何によっては、再び繰り返させる事になってしまうのだから。
オーグは遠からず言い出してくるだろう、二人目を作ろう、と。
この3年間そんな話は一度も出なかった。でも、あの日、唐突に、冗談だと茶化したにしてもだ。
そりゃあエリシアも、いつの日かという思いはある。しかし、今二人目を作ってしまえば、さらに長い時間、オーグは縛られることになる。きっとエリシアは、オーグと離れられないから。その時は、オーグがどれだけ辛い思いをしても、彼を離さないだろう。
あるいは、冒険者に戻りたいという思いを、無理矢理に抑えるための方便として、そう言ってくるのかもしれない。そんな時のオーグからは、本心をと訊ねても、真っ直ぐな答えは帰ってこないだろう。どこまでも、エリシアの事を考えて答えてしまう人だから。
帰ってきたオーグは、戦場の熱も冷めやらぬまま、開口一番エリシアに言い放つ。
「エリシア、話したい事があるんだ」
「ええ!ちょっと早くない!?」
「いや、早いっていうか。なんだ、俺の事、気づいてたのか」
「そりゃ、最近のオーグをみてれば、ねぇ」
見透かされていた、しかし、仕方ない事かもしれない。エリシアはオーグの最大の理解者である。これほどまでの思いなら隠せるはずもないだろう。
「そっか、エリシアには敵わないな。でも、早いって事はないだろう」
「いや、次の町についてからでも、遅くはないんじゃないかなーって」
確かに、少々戦いの熱に当てられ性急になっている感は否めない。そう感じたオーグはひと呼吸おいて、冷静な所を見せようと切り出す。
「それじゃいくらなんでも遅いだろう。隊商の人たちにも報告しとかなきゃだし」
「報告するの!?」
「そりゃ、大事な事だからな。俺達もう3年もいるんだぜ、急に言い出して、はいそうですかって訳にもいかんだろ」
「いや、それは、そうかもしれないけど」
「不安に思う気持ちは解るよ、でも安心してくれ」
「うん、まあ、その辺りはオーグに任せるわ。なんかやだけど」
それは意外な言葉だった。こうも率直に否定されるとは思っていなかったオーグだが、今回ばかりは簡単に引くわけには行かない。せめて、自分の覚悟を、心の内を知ってから断ってもらいたい。
「……ごめん、おれだって無理強いしたい訳じゃ無いんだ、けど」
「あ、あのね、私もそれ自体が嫌な訳じゃないの、むしろ望む所って思いもあるし、誤解させたならごめんなさい」
「そうか、ならよかった」
「でも、心の準備もいる話だし、今すぐ答えをって言う訳には」
当然の事だった、やはり自分は焦りすぎているのだろうかと自省するオーグ。だが、ここまで来たら言ってしまおう、考える時間をとればいいだけだ。
「もちろんだよ、俺達の一生に関わる様な問題だ」
「そうよね、オーグもそこまで考えて、言ってるのよね」
「ああ、だから、俺の覚悟だけは伝えさせてもらいたい。聞いてくれるだろ?」
「うん……しっかり受け止めて、ちゃんと答えを出すわ。私たち家族の為に」
大丈夫、エリシアはきっと分かってくれるから。
「俺の想いにエリシアがうんと言ってくれれば、そりゃ、多少は無茶させると思うけど」
「む、無茶させるの!?」
「茶化すなよ、そりゃ一筋縄ではいかないのは、エリシアも分かってるだろ」
確かにティグの年齢が最大の問題だった。とはいえ、そこまで致命的な事ではない筈だ。ほかならぬティグなればこそ、実戦を手ほどきし、オーグとエリシアが弱いところを補えば、十分に冒険者としてやっていける。そう伝えようとした時、エリシアが先に口を開いた。
「ごめんなさい、続けて、ちゃんと聞くから」
まずこちらの話を聞いてくれる、オーグの言いたい事を理解してくれる。エリシアはかけがえのない人だった。この人に伝えよう、思いの丈を、包み隠さず。
「どんな事があっても、俺が家族を守り通してみせるから。俺の剣の名に誓ってもいい、決して不幸な結末にはさせない、だから、うんと言って欲しい」
「い、いや……え、剣って、アレのこと?名前って、えと、つけてたの?」
「あっ、いや、そこは重要じゃなくてね」
迂闊だった、やはり焦りがあったらしい。いかにそれがオーグにとって重い物であるとはいえ、今まで誰にも秘してきたその名の存在をほのめかしてしまうなどとは。
「なんでそこで誤魔化すの?いや、そりゃアレに名前つけてるなんて、あれだけども」
「いや、名前くらいつけたっていいだろ、割といるぞつけてる奴」
「あ、ああ、そうなんだ。で、な、なんて名前なの?」
しかも、ピンポイントで食いついてきた。最悪だ。本人に伝えでもしたら、オーグは恥ずか死んでしまうかもしれない。
「ああ、うん、そこはまあ、置いといてね」
「……だから、なんでそこで誤魔化すのよ。なに?人に言えないような名前なの?」
逆に、なんでそこを広げたがるのかが分からない。
「いや、そういう訳じゃないんだけど」
「なに、もしかして、初恋の人の名前とかつけてたりとか、そういうの!?」
「ちがう!そんなんじゃない!方向性はあってるけど!」
「そんな事言って、別の女の名前つけては夜な夜な弄ってほくそ笑んでるんでしょ!じゃなきゃ、オーグがこんなに言い渋る筈ないもの!」
ダメなのだろうか、というか、言い方が悪い、弄るなんて言い方しなくてもいいだろう。
「そりゃ、手入れはしてるけど、そんな、やましい事は一つもないよ!」
「じゃあいいなさいよ、名前くらい、適当なこと言ったって解るんだからね!」
「いうよ、言えばいいんだろ!」
「最初からそうすればいいのよ」
手詰まりだった、ここまで来たらもう言うしかなかった。オーグは震える声でその名を伝える。
「……シア」
「聞こえないわよ、ここまできてなに怖気づいてるのよ」
「エリシアだよ!悪いかよ!」
「え、って、ええ!?なに、え、なにそれ!?」
ひどい反応だった、自分で無理やり言わせたくせに。
「だから言いたくなかったんだよ、恥ずかしい」
「恥ずかしいっていうか、いや、ええぇ!?」
「護剣エリシアだ!お前と生き残ったあの日から、この剣の名前はずっとそうなんだよ!」
オーグはかの剣を差し出して言い放つ。最早開き直っていた、笑わば笑えだ。
「何いきなり言い出してるの!そんな話じゃないでしょ、そんなんで誤魔化せると……って、えぇ?」
「誤魔化すも何も、エリシアが言い出したんだろ、俺の話そっちのけで」
これ以上なにを求めるというのか、もはや隠すことなど何もないといった心境のオーグである。
「ちょっと待って、何の話ししてるの?」
「だから、冒険に出るって話だろ、俺達家族で」
「はぇ?冒険って、何の話よ」
なんでそこで、エリシアが分からないといった顔をするのか、それこそ分からないオーグ。
「お前こそ何言ってるんだよ、最初っからその話だったろ」
「は?……え、あの、二人目、は?」
「え?」
この日二人は思っていたよりも、以心伝心ではない事と、ボタンの掛け違いは悲劇を生む事を深く学んだのであった。
作風が安定しないのは、勝手に動くキャラが悪いのです。
大した計画もなく書いてるからって、俺は悪くないのです。