第25話 - 行き遅れガキ大将 -
ほんの些細な出来事がきっかけであったとしても、その結果が思いがけず大きな事態に発展するという事がある。
蝶の羽ばたきが巡り巡って世界の裏側で大風を巻き起こす、そんな話に比べれば、子供の遊びの延長が巡り巡って辺境の未来を左右したという方が、まだしも現実的なものに聞こえるのではないだろうか。
そして、そこまで遠い話に触れずとも、この数日に起きた出来事が平穏に見えていたオルベアの町から、日常という薄布を引き剥がす煽り風となった事は疑いなかった。
それはティグが銘刀・泰山を打ち上げる数日前の出来事である。
既に魔力鉱石の合金化を済ませ、目的の大太刀に必要な分の鉄作りは完了していた。
今回の刀を打ち上げる為に用いる技法は、甲伏せと呼ばれるものである。
これは炭素を含む量が低く粘りのある芯鉄を、炭素が多く硬度の高い皮鉄で包む様にして一振りの刀とするため、2種類の鉄が必要になる。
この2種類の鉄には魔工の業でそれぞれに異なる性質を与えてある。
皮鉄は硬度が増している分脆くもなっているので、その補強として強靭さを持たせ、芯鉄にはコウトの持つ戦棍から学んだ破壊力を増加させる特性を持たせてみた。
二つの異なる属性を持った魔力鉄を鍛着させる事で、どの様な効果が得られ、どの様な不具合が生まれるのかは、今の所未知数である。それは、これから研究と理解を深めていくべき大きな課題の一つだった。
内包される芯鉄の魔力が上手く現れてくれれば良いのだが、悪くすればその効果が皮鉄を破壊するという形で現れてしまうかもしれない。そうなれば完全に失敗だ。
そんな正体の定まらない刀を、実戦で試してみてくれと渡す訳にはいかない。
そこで思い立ったのが荒試しだ。
荒試しとは、簡単に言うと刀の耐久試験である。試し斬りと異なるのは、刀が破損する程の過負荷を与える点だ。
これは刀鍛冶の腕前を知らしめる為の過剰気味な演出という一面もあるが、今回は不具合の有無と強度を計る所に目的がある。
用いる刀は、目指す大太刀と同様の構成で仕上げた打ち刀である。
これが普通の刀であれば、適当な大きさの石を力任せに叩くだけでも十分なのだが、試してみた所、一撃で人頭大の石を割り砕いてしまった。おそらく芯鉄に付与した効果が発揮されての事だろう。
それ自体は喜ばしい事なのだが、これでは強度を量るという目的が果たせない。
急遽、まな板程の大きさで硬度が高い鋼鉄板を用意して石の代用とした。鉄板が割れればそれを重ねて更に叩く。4枚用意した鉄板が全て八分割されるまで繰り返した辺りで、持ち手を傷める懸念が生じ、これを終了する。刀には少なからぬ刃欠けが生じていたが、致命的な歪みやひび割れは見られなかった。
続いて刀を橋渡しに置いて固定し、その中間部に大槌を振るい渾身の打撃を加える。一撃二撃ではびくともしなかった刀身も、二十度目の打撃を数えた辺りで、くの字を晒す結果となった。
度重なる破壊行為によって原型を失った刀を前に、それでもティグは満足げに頷いていた。
質量にして半分にも満たない急ごしらえの打ち刀でこの強度なら、目指す大太刀は不破とも見紛う強靭さを宿す事になるだろう。
依頼されていたように刀の頑丈さだけを求めるのならば、もっと単純な作りを追求する手もあった。しかし、それだけでは芸がないし、何より進展と言える実感は得られなかっただろう。
この成功で拓けた可能性は、今後の作刀で大きな指針となるものだった。
未だ問題は山積しており、獲得すべき未知の技術は膨大で、潜在する壁は計り知れないとはいえ、それらが悲観するに値しないとの確信がティグにはある。
如何なる困難な道であろうと、一歩踏み出せばそれだけの成果があるのだ。遠い昔、異なる世界で、刀鍛冶の手習いを始めた頃の記憶が重なっていた。
荒試しを終える頃には日も傾きかけており、区切りがいいと言うほどではないが、これ以降の作業を続けるのも適当ではない頃合である。
残す所が最後の仕上げという事もあり、万全の条件を整えて挑むのが望ましい。
逸る気持ちを落ち着かせ、鍛冶場の整理や今後の展望についての思索に時間を割く事にする。
大太刀がどの様な出来になるか、次に作る刀の形や材質、そこにどんな魔力を加えれば面白い成果に繋がるだろう。手持ちの限られた技術や材料であってさえ、無数の選択肢が用意されていて、更にその先に思いを馳せるのは心躍る時間であった。
そんな夢中の最中にあって、ちらりと家族や仲間の事が思い浮かぶ。ほんの些細な思考のぶれは、ティグに意外なほどの驚きと困惑を与えていた。
新たな刀造りを前にして、どうしてそんな雑念が浮かんだのか、我が事ながらに訳が解らず、工房の中で一人難しい顔をしている所へ、クリスがひょこりと姿をみせる。
作業が一段落したのを見計らって現れたらしいクリスは、浮かない表情のティグを見て、どうしたのかと不思議そうに訊ねてきた。
自身でもいまいち解っていないような心の機微に関する疑問を、そこまでの経緯も含めて説明できるような器用さなど持ち合わせていない。
返答を濁すように誤魔化して、クリスが何をしに来たか訊ね返す事が出来たのは、口下手なティグにすれば上出来な対応だっただろう。
クリスの方もティグのそれが深刻な悩みではないだろうと判断したのか、促されるまま自分の話を優先させる事にしたらしい。
クリスの用件とは、刀造りに一区切りついたのならば、また自分たちの手伝いをして欲しい、というものだった。
手伝いと言ってもティグが今までやった事といえば、不振に終わった現地調査や子供達を集めた場で簡単な挨拶をした程度の物であったのだが、前者はともかく後者は大変に好評だったらしく、今回もそういった方向での協力を、との事らしい。
刀の完成に対する意気込みはあるものの、先程の雑念の件もあり、何が何でも優先せねばならないという気持ちにはならず、大した迷いも見せずにティグが了承すると、クリスは大げさなほどに喜んでくれた。
翌日、ティグはクリスと共に、町の子供達があちこちで行っている尾行調査の現場を激励してまわる事となった。
現在子供達の活動は、事情を伝えてある少数の者達がそれぞれの現場で指揮を執り、遊びに紛れさせながら目標の尾行を行うといった形をとっている。
そのため、昨日の今日で彼らを一堂に集めて激励するといった形は取り辛く、また効率も悪いため、誰がどこを担当しているか把握しているクリスがティグを案内して回るという形にした、との事だ。
「なんていうか、いまいちピンとこないんだけどな」
「なんの事じゃ?」
「僕なんかが現場で頑張ってる子達に向かって、君達はよくやってくれている、
なんて偉そうに言って回るのがさ」
「む、ティグは嫌なのかのう?」
「嫌というか、反感とか持たれて逆効果にならないかと思って。
実際、この件に関して僕は何もしてない訳だし」
「そんな事なら気にせずともよいのじゃ。
一度やってみれば分かろうよ、ティグが皆にどう思われているか、というのがの」
そんなクリスの言葉に首をかしげていたティグも、程なくしてそれが何を意味していたのか知る事になる。
街角でティグがかけるなんの捻りもない慰労と激励の言葉を受けた少年は、熱でもあるのかと思うほどに上気した顔で感激をあらわにして見せた。
別の少年は興奮気味に背筋を伸ばし、お手伝いが出来て光栄ですなどと、精一杯に気を張った返事をしたりする。
とある少女などは瞳を潤ませ泣きそうになりながらふらふらと近づいてくるので、どうしようかと困惑してしまったけれど、クリスが素早く反応し抱き止めて、少女を落ち着かせてくれたおかげで、無様な対応を晒さずにすんだりもした。
そんな風に、行く先々で身に余る熱い想いを向けられては、なるほどと得心をしない訳にはいかない。
詰まる所この町の子供達は、ティグの事を英雄かなにかだと勘違いしているのだ。
「なんだか、騙して回ってるみたいで気が引けるよ」
「うむ、全くもってその通りじゃのう」
困り顔でぼやいたティグに向かって、クリスまでがそんな事を言うのだから、乾いた苦笑いしか出てこない。
「でも、気にする事はない。
私がそれを知っててやらせたんじゃからの。
首謀者は私、ティグは騙されて加担しただけじゃ」
悪戯っぽく笑うクリスを見て、ティグは自身の至らなさを痛感する。
クリスにしても、それをする必要があるからやっているのである。
気が引けるなどと言い出せば、友人達に対して同じ事をしているクリスの方が、付き合いのないティグなどより重く感じているはずなのだ。
「……この後も続けるんだから、僕だけ被害者面する気は無いよ。
そうだな、まあ仕方ないから首謀者は任せるけど、共犯者って所は譲れないね」
謝罪する代わりに何とか捻り出した軽口は、幸いにも笑顔で受け入れられた。
そういった調子でティグとクリスは町のあちこちを巡り、その場を仕切っている者を一人一人訪ねて回る。
その多くは事前にティグの訪問を知らされていなかったらしく、大抵の者から先ずは驚きをもって迎えられる格好になっていた。
一部の前もって知らされていた者であっても、話が決まったのが昨日の事である。
期待はしていても、なんの準備も出来ていないというのが普通であり、ティグ達としてもそれで一向に構わないと考えていた。
問題が起きたのは、昼時も過ぎて訪問の予定を半分以上もこなした頃の事である。
ティグ達が訪れたのは、事前に話を知らされていたとある少年の持ち場だった。
この持ち場を任されていた少年は、他の子供達とは一味違う意気込みを抱いてこの作戦に参加していた。
かつて彼は、ティグの活躍を目の当たりにした事がある。
今と比べればこの町がまだ随分と小規模だった頃の話だ。
その当時、町の子供達の間には現在ほど広い交友関係が築かれておらず、あちこちで幾つもの集団が形成されており、彼はそんな集団の中でガキ大将という立場にあった。
しかし、ある日を境にそんな子供社会が一変する。
一人の少女が現れて、全てをぶち壊すような勢いで、町の色を塗り替えたのだ。
その強引なやり方は多くの反発も招いたが、少女はそれら全てをねじ伏せていく。
そんな時代の中に在って、彼は少女に対して、最後まで強硬に抵抗していた中の一人であった。
とはいえ少女の力は圧倒的であり、どんどんと劣勢へと追い込まれていく中で、彼は起死回生の策謀を巡らせるのだが、策に用いた手段はその手に余るものであり、事態は想定外の方向へと発展してしまう。
そのままいけば、誰も望まない結末を迎えるといった所で、颯爽と現れ、全ての問題を一掃してのけたのが、ティガウルド・ホグタスクその人であった。
ティグがいなければ、彼の心には一生消えない傷が残っていただろう。
実際の所、少女の方はその事件自体を殆ど忘れてしまっているのだが、彼にとっては少女の軍門に下った後でも、大きな心のわだかまりとなっていた。
それがどのくらい大きいかというと、同年代の友人達が進路を決めて子供社会から卒業しているにも拘らず、未だに彼一人がそこに留まっている位である。
周囲を見渡せば全員が年下であり、親からは嫌味の利いた世間話で尻をつつかれ、進路の決まった友人達からはそこはかとなく気を使われているのが実感できる。
そんな状況になってしまっても彼が現状にしがみ付いているのは、二つの大きな理由があった。
一つは先述した少女への負い目であり、もう一つは丁度良い時機というものを逃してしまった事である。
彼が子供社会からの卒業を決意したのは、むしろ周囲よりも早い年頃の事だった。
その頃は、たとえ負い目があろうとも、それはこれから受ける傷と共に、心の奥底へとしまい込める程度のものだった。
彼は少女への、クリスへの告白を契機として、一足早く子供社会から卒業しようと考えていたのだ。
クリスの心が自身に向いていないのは明白であり、それを分かった上での告白は、彼にとって痛みを伴った丁度良い通過儀礼になるはずだった。
しかし、何の因果か、彼がそれを決めたのと時を同じくするように、クリスは子供社会から姿を消してしまう。
以来、大小様々な理由はあるにせよ、告白はずるずると延期され、自身でも情けなく思えるような現状へと至ってしまったのだ。
そんな折に起きた今回の騒動は、少々長引いてしまった少年時代に区切りをつける、うってつけの舞台といえた。
ここ一年ほどの間で町に生まれた嫌な空気を一掃し、かつてクリスが築いた平穏を取り戻す事が出来れば、彼としても気兼ねなく卒業できるというものである。
ましてや、今回の作戦を指揮するのがクリスとティグなのだ。
今奮い立てないというならば、もう二度とこんな機会は訪れないだろう。
それは、一人の少年の熱い想いが、果敢で無謀な行動となって現れた結果だった。
目的の現場に到着したティグ達二人だが、目当てであるこの場を取り仕切っているはずの少年の姿がみあたらず、代わりに別の少年が不安そうな面持ちで待っていた。
関係者だろうと思い目当ての少年はどこか訊ねてみると、思わぬ答えが返ってきた。
この日は朝からいつにも増して張り切っていた件の少年が、今日は自分が尾行役を務
めると言い出したのだという。
普段は皆から一歩引いて遊び場を仕切っている立場なのだが、だからといって周囲がその申し出に反対する理由も無い。
要望はすんなりと通り、少年は張り切って尾行役に回った。
初めてやる尾行役に慣れていない少年は、ほどなく対象から気付かれてしまう。
通常ならばそこで対象に対する尾行はお終いになる筈なのだが、少年はなんだかんだと理由をつけて尾行を続行したのだという。
それが昼前の話であり、その後も何度か見つかりながらもしつこく尾行を続け、昼を過ぎた頃に問題が起きた。
少年が誘い込まれるように入った人気の無い路地裏で、尾行対象を含む複数人から囲まれてしまったというのである。
それからまだ長時間は経っていないけれど、何か問題が起きた際に対応する役目だった少年が当事者になってしまっているので、他の頼りになりそうな者を呼びに行かせ、その到着を待っていたらしい。
今にも泣き出しそうになりながら語られる内容は、お世辞にもまとまった物とはいえず、その全容を把握出来たのは事が終わってからの話であった。
それでも、会う予定だった少年がなんらかの事態に巻き込まれた、というより、引き起こしてしまったらしいという事は理解できる。
詳しい場所を聞いた二人は、すぐさま現場へと向かうのだった。




