第24話 - 泰山 -
ティグの身長を越える程の刀身が放つ印象は、重厚という言葉を通り越し、過大とでも表すのが相応しいものであった。
その茎に銘じられた泰山の二文字は、過不足なくこの大太刀のあり様を表しているだろう。
第一に求められていた強靭さを実現するためにティグが選択したのは、刀自体を大きく造るという至極単純な方法であった。
一本の同じ樹木であっても、その枝を手折るのと、その幹を叩き折るのでは、必要となる力は桁違いであり、そこにある明確な差異と言えば質量の違いだけである。
子供でも解りそうなその道理を、一人の職人が一つの武器で表現しようとした時に、一体どれ程の技術が必要とされるのか、およそ余人の類推が及ぶ所ではない。
ましてや、その道に相応の矜持を抱く者が事に臨むのであれば、妥協の差し挟まれる余地などはどこにも存在しないだろう。
大きな作品となれば必ずついて回る、各所に生じる歪みの存在は、そのまま実用時に蓄積されていく傷みの温床となる。それを目に見えない範囲まで取り除くには、作刀の至境に達した業をもってしても、幾度もの試行を重ねなければならなかった。
それは、偶然によってすら千に一つ、万に一つも生まれないような、天恵とも言える精度を持った一品を、人の作為によって造り出そうという試みである。
そうして仕上げられた一刀が見せる均整は、決してそれを求めて打ち上げられた訳ではないにも関わらず、見る者を圧倒する美観を誇っていた。
刀特有の反りが大きく現れた刀身は、壮大な円環の一片を思わせて、その刃を追うように走る直刃の刃紋には、ほんの僅かのぶれも見られない。
何も考えずに眺めていれば、見る者の時間を呑み干してしまうのではないか、そう思ったのはティグの贔屓目ではなく、いつの間にか自分の隣で刀に魅入っていた幼い妹に気付いたからだ。
「なんだミリィ、いつの間に入ってきてたんだ?」
彼女が完成した刀の立会いでもするように現れた事に、やや驚きはしたものの、それほど意外に感じる事はなかった。
「うん……さっき」
質問に上の空で答えるミリィが、ここしばらくの間、日中であれば作刀に打ち込んでいるティグの観察を日課としている事を知っていたからだ。
「危ないから触っちゃダメだぞ」
そんなティグのいいつけに、刀から目を離さないまま頷くミリィをそのままに、手早く鍔と柄の設えに取りかかる。
その部分で手を抜こうと言うつもりは無いけれど、打ち上げたこの刀を一刻も早く持ち主となる者へ届けたいという想いに気が逸っていた。
どちらにせよ、一度は本人に握らせた上での微調整が必要である、と言うのは、取ってつけた名目に過ぎず、ディマスにこの刀を見せ付けたいというのがティグの飾る所の無い本心であった。
小一時間程で仕上がった簡素な鍔と柄に加え、刀身に何枚かの乾いた布と紐を巻きつけて鞘の代用とする事で、曲がりなりにも引渡しの体裁は整った。
そこまでの間も、飽きる事無く刀を眺めていたミリィは、刀身が布に隠されると、気の抜けたような顔になってその場に腰を落としてしまう。
「大丈夫かミリィ、部屋に連れて行こうか?」
「ううん、平気、でもそれ、どこかに持っていくの?」
「ああ、ディマスに渡すんだ」
「ディマスって、おっきいおじちゃんでしょ?」
「うん、まあ、そうだな、おっきいおじちゃんだ」
「ミリィもついてく!」
幼馴染の少女を髣髴とさせる唐突なミリィの申し出に、馴れた態度で承諾の意を返したティグではあるが、どうにも兄妹そろってクリスに影響されているのでは無いかという懸念が脳裏に浮かんだ。
まあ浮かんだだけで、考えてみれば別に大した問題でも無いかと思い直しつつ、ミリィを連れて行く旨を伝えるために、ティグは本宅へ向かうのであった。
オルベアに戻ってきてからの約一ヶ月、ミリィと二人で町に出るのはこの日が初めての事になるだろう。
作刀の合間を縫う様にして設けられる様になった家族と過ごす時間の中には、クリスやエリシアと出かける際には、そこにミリィが引っ付いて来る事もあった訳だが、兄妹とはいえ結構な年齢差のある少女である。人付き合いを得意とする訳ではない、というか、どちらかと言えば不得手であるティグとしては、どう接していけばいいのか今ひとつ計りかねているのが実情であった。
「それは、あの光る石からつくったの?」
「うん、そうだよ」
「お父さんのよりでっかいね」
「そうだね、ディマスが父さんよりでっかいからね」
「あ、そっかー、だからなのかー、あはははは」
基本的にはそういった感じでミリィの方からあれこれ質問が飛んでくるので、ティグは適当な相槌を返すだけで済む点は助かっていた。
その質問にしても、なにかと言えば刀を絡めたものである事が多いので、ティグが答えに詰まる様な場面も無い。
幼い妹に話題を牽引して貰っている様で、なんとも情けない思いもある訳だが、資質の違いはどうしようもないだろうと早々に諦めた。
刀以外の事柄では、割と容易く妥協するのがティグという人物なのである。
「わー、おもーい、あはははははー、たすけてー」
それは、軽々と刀を扱うティグを見て、自分にも持たせてくれとせがむミリィに、刀を預けて見た結果である。
小さな身体で刀の重心ではなく柄に近い部分を持ったせいで、その重量を支えきれずに刀の下敷きになってしまっているのだ。
並みの戦士であっても扱いに難儀するであろう大太刀である、ミリィのような少女には、文字通り荷が重いといった所だろう。
放って置いても仕方ないので、ティグが刀を持ち上げると、それでも刀から手を離さないままでいたミリィがぶら下がる様にしてついて来た。
「おー、すごいすごい!」
はしゃいでいるミリィの手が峯に掛かっているのを確認すると、ティグはその体ごと背負うようにして刀を担ぐ事にする。
ただの刀であれば歪みでも生じそうな行為だが、その強度に絶対の自信を持つティグとしては、楽しんで貰えれば幸いだ、といった程度の感想しか抱かない。
そのまま刀越しに背中へとしがみ付くミリィを尻目に、ディマスの滞在している宿の前でティグは途方に暮れていた。
考えてみれば、こんな昼日中から宿に篭っているようなディマスでもないのだ。
気ばかりが逸って、刀を打ち上げた勢いそのままに出てきたのは良いのだが、なんの約束も取り付けていなかった以上、ここで会えなかったのも当然の成り行きだろう。
町の外へ出ているという話も聞いていないので、町のどこかで会うことも出来るだろうと判断し、まずは冒険者ギルドへと向かおうと歩をすすめる。
「どうしたのお兄ちゃん?」
背中から声をかけて来たミリィに、ディマスに会えなかったから探しに行くのだと伝えた所、思わぬ情報が転がり込んできた。
「そういえばね、お爺ちゃんが、このごろよくいっしょにのむのじゃー、って言ってたよ?場所?うん、しってる、お爺ちゃんがときどき連れてってくれる所だよ、ちょっとだけ甘いやきとりがおいしいの」
ティグの知らなかった情報を次から次へと教えてくれるミリィに感謝しつつ、その場所までの案内を頼むと、気前のいい返事と共に、早速背中から方向を指示してくれる。
そこから降りるつもりは無いらしい。
だからどうだと言う気も無いティグは、そのままミリィを背に置いて、彼女の示す方へと向かう事にした。
「ん、なんだティグ、と、背中に引っ付いてるのは……ミリィ、だったな。
二人で昼飯でも食いに来たのか?」
「ディマスを探してたんだよ」
酒盃を片手に挨拶するディマスは、正体を失うほどではないにせよ、一目で素面では無いと解る程度に酒が入っていた。
「ほう、俺に用事か?
ん、その背にあるのは、いや、ミリィの事じゃない、その剣、例の刀か」
「うん、これが……ミリィ、いい加減降りなさい」
「はーい」
軽く窘められたミリィは、ぴょこんと背中から飛び降りる。
邪魔になっていた身体が無くなると、ティグは改めて刀を手に取り差し出した。
「今日仕上がったんだ、すぐにでもディマスに見せたくってね」
「そいつはありがたい、が……流石にここじゃあ場違いか」
確かに、ディマスが受け取った大太刀を、こんな酒場の真ん中で抜き身にしていては、無用な騒ぎを呼び込むのが目に見えている。
「そうだね、場所を変えた方がいいけど、ごめん、邪魔しちゃったかな」
「なぁに、朗報に割り入られるなら文句も無い、酒なんていつでも飲めるんだ」
笑ってそう答えたディマスは卓上に代金を置くと、ティグと共に酒場を出た。
「やきとり食べていかないの?」
そう言いながら一歩遅れてついて来たミリィに、近くの露店で棒菓子を買い与えると、自宅へ向かう事をディマスに伝える。
昔ならあちらこちらに見られた空き地も、今ではすっかり無くなっており、ミリィを連れたまま郊外へ出る訳にもいかなかったからだ。
「しかしまた、なんとも大層な形になったものだな」
大太刀を軽々と掲げながら、ディマスが率直な感想を述べる。
布に包まれた刀身だけでも、普段ディマスが使っている大剣の全長と同程度であり、そこに目を引く大きな反りが加わっているのだから、それは当然の言葉だろう。
「使うのがディマスだからね、結構好きにやらせて貰ったよ」
「珍しく歳相応の顔で笑うじゃないか、随分と手の掛かる仕上がりらしいな」
ティグの言葉と悪戯っぽい笑顔に、その真意を見て取ったディマスは、それが慶事であるかのように力強い笑みで応じて見せた。
実際の所、それを打ち上げたティグの所見では、ディマス程の体格と体力、そして戦闘技術が揃っていてもなお、まともに振るう事すら困難な剛刀である。
ディマス程の者であれば、刀を手にした段階でその位の事は察していただろう。
その上でなお自信を見せる剛毅さは、この男がティガウルド・ホグタスクという一人の刀匠にとって、この上ない上客である事を予感させた。
新たな世界で何の制限も設けない挑戦は、見た事もない境地を見せてくれるだろう。しかし、その結果として生まれた刀が、振るう者の無い長物と成り果てるのは、一人の職人として耐え難い苦痛を伴うのである。
「お兄ちゃん、なんだかうれしそうだね」
「うん、そうだね……僕は随分と恵まれてるな、って思ってさ」
ミリィの頭を掻き回しながら、ティグは思わず礼を述べたくなるような気持ちで、隣を行く偉丈夫を見つめていた。
まあ、突然そんな事を言ったなら、変な顔をされるだけだろうと考えて、代わりにティグは、似合わないとは知りつつも、兄弟分の真似事をしてみる事にする。
「ディマスって最近さ、何か嫌なことでもあったの?」
「なんだ藪から棒に」
怪訝そうな顔で見返してくるディマスに構わず、ティグは話を続ける。
「最近お酒ばっかり飲んでるって聞いたからさ、何かあったのかと思って」
「おいおい、誰から聞いたんだそんな話」
「お爺ちゃんがいってたよ、あやつはよくのむのう、って」
「ああ、そうか、確かに御老とは何度か顔を合わせていたな。
だからってなあ、俺が酒飲みなのはティグだって知ってるだろう?」
そんな言葉に対して、目を逸らさず、しかし何の返事もしないままのティグを見て、根負けした様子で苦笑いを浮かべたディマスが渋々と口を開く。
「……なに、おまえさんの言った通り、少し面白くない話があっただけだ。
その内片付く話だから、そんなに心配する必要はない、気にするな」
仲間とはいってもまだ他の二人ほど付き合いが長い訳でもない自分では、これ以上に踏み込んだ話を聞くのは難しい、ティグはそんな風に思ってしまった。
そうなると途端に、自分の差し出がましさが痛々しく思えてくる。
お節介というのも、存外に難しいものだと痛感したティグではあるが、それでも諦めきれずに最後の悪あがきを試みる。
「僕は、刀を打ち上げた時、それぞれに銘を刻む事にしてるんだ。
それ程凝ったものじゃないけど、その時心にあった銘を、心を込めて。
それでさ、その刀の銘は泰山って言うんだ、高く大きな山、ディマスの為に打ち上げた、他の誰でもないディマスが使うものだから。
……だから、泰山、ちょっとやそっとじゃ小揺るぎもしない、そんな山。
勝手に造っておいてなんだけどさ、その刀が重いなら、僕は幾らでも打ち直すよ?」
試すような視線で、挑むような言葉で、煽るような態度でもってティグが言い放つ。
力及ばぬ故に頼られぬ我が身に憤り、それでも何かをせずにはいられない、そんな稚気と熱情を滾らせて。
ティグの熱弁を黙って聞き終えたディマスは、やや間を取った後で反応を見せる。
「ふ、ふふ、はははは!あーはっはっはっはっは!」
それは、突然に響く哄笑であった。
衆目が集まる事も気に止めず、ただただ楽しげに、ただただ面白げに。
きょとんとするミリィと、赤面するティグに気を使う事も無く、ひとしきり笑い続けたディマスは、その笑いを収めた後で、わざとらしく厳しい顔を作って見せる。
「ティグよ、まだ毛も生え揃わないような子供が、大人に気を使うもんじゃない。
俺達からすれば、お前もミリィも、同じ様なもんでしかないんだからな」
「……それは言い過ぎでしょ」
割と本心から不機嫌そうに言い返すティグに、今度は自然な笑い顔を向けたディマスが、強く強くその背を叩く。
「まあ、そんな気を使わせてしまったのは、間違いなく俺に責がある、悪かったな。
タイザン、いい響きじゃないか、正しく俺の手にあるべき刀の銘に相応しい!」
その言葉でディマスが何かを吹っ切ったように見えたのは、演技か本心か、はたまた願望から来る錯覚なのか、結局ティグには解らなかった。
ただ、この日以来、ボルドの飲み仲間がなかなか酒場に姿を見せなくなった事は、間違いの無い事実である。




