第23話 - 近頃町に流行るもの -
オルベアの町に住む子供達の間では、近頃風変わりな遊びが流行していた。
指定された子の後を尾行して、一日見つからずにいる事ができたり、あるいは、自分を尾行している者を見つける事が出来れば、首謀者である年長の子からお菓子が振舞われたり、場合によっては小額ながら小遣いが渡されるというものである。
もちろん、分別のある大人が知れば良い顔はしないし、それを指して遊びだなどと呼びはしないだろう。
そして、子供達もまた、そんな事が解らないほど馬鹿ではない。
例えばその遊びが、見知らぬ青年を発起人として催されたものであるならば、そんな事に付き合う者など殆ど居はしないだろう。
しかし、その誘いが見知った友人からのものであったなら、それは少々後ろ暗くも、その分刺激的にすら感じられる、いけない遊びへと性質を変えるのだ。
町中ではここ一週間ほどで、子供達が自分は後をつけられていないか警戒する姿や、相手に見つからない様にコソコソと身を隠す姿が見られる様になっていた。
当然ながら、この突然降って湧いたようななんとも不自然な流行の裏には、明確な意図を持ってそれを主導する者達がいた。
それは、かつてこの町の子供社会に君臨していた少女であり、人知れずこの町に舞い戻った無名の冒険者であり、その冒険者が連れてきた貴族崩れの魔法使いであった。
そしてこの三名は、必ずしも同一の目的を掲げた上で今回の出来事に関わっているという訳ではなかった。
まず一人目、クリスティナ・ヴィノワズの目的は、自らが子供心に描いた夢の、言うなれば最後のけじめとでも言うべき行為である。
数年間の修行を経て果たされたティグとの再会は、少女にこの町からの旅立ちというものを意識させる明確な契機となっていた。
そんな時に耳にした、町に住む多くの子供達が内心に抱いている不安と、クリス自身も感じ取った町に漂う不穏な空気は、彼女が行動を起こすのに十分なものだった。
修行にかまけて疎遠となっていた感のある友人達も、クリスがその旧交を手繰ってみれば、誰もが二つ返事で呼びかけに応じてくれた。
そんな中から行動力のある者や顔の広い者を中心に足場を固めていく。
それは現状に対する認識のすり合わせと、意図的な力の結集であった。
町に住む子供達の誰もが抱いていた言い知れぬ不安を指摘して、その意識を共有する事で顕在化させていき、その問題に対する抵抗組織を立ち上げる。
とはいえ、いくらその勇名を轟かせたクリスであっても、久方ぶりに表舞台に姿を見せて、町が大変だから一大作戦を決行するなどと宣言してみても、話を聞いた者達にはちょっとした遊びの延長としてしか受け止められない恐れがあった。
末端の子供達が抱く印象としてはそれで一向に構わないのだが、作戦の中核となるべき者達には、十分な危機感と責任感を持って事に当たって貰わなければならない。
町に未曾有の危機が迫っているが、大人達はそれに気付いていない。皆が感じている不安の正体を突き止める事こそが、隠された危機を暴き周知させる為の第一歩だ。それが出来るのは自分達だけである。
クリスの語る煽り文句は、なんの裏づけも無い、ただのはったりでしかない。
いくら子供とは言え、十代も半ばに差しかかろうといった年齢である。それがクリスの言葉だけであれば、聞く耳を持たないとまでは言わずとも、話の半分以上を疑ってかかる程度の知識や経験をもっているだろう。
そこを押してでも彼らから本気の協力を引き出す為とクリスが用意した人物は、思惑以上の効果と感動を持って迎えられた。
「この町を救う為に、皆さんの力を貸して貰いたいんです」
大人と見まごう様な体格の少年だが、子供達は確かにその顔と名を知っていた。
話した事がある者は殆どいないけれど、昔からこの町に住んでいる子供であれば、その存在を知らないなどと言う事はあり得ないのだ。
冒険者ティガウルド・ホグタスクは、正しく子供達の伝説である。
自分達と変わらぬ年頃の少年が、冒険者としてどんな大人にも負けない活躍をする。
そんな誰もが思い描く夢想を体現した、紛う方なき本物の英雄だ。
その姿に憧れて、密かに冒険者を志す者も少なくない。
そんな伝説の英雄が、町の危機を語り、助力を求めているのである。
疑念など介在する余地も無く、瞳を輝かせて奮起する友人達を見ながら、クリスの心には幾ばくかの後ろめたい思いが影を落としていた。
作戦の具体的な内容とは違い、友人達のティグに対する憧れを利用して、はったりを信じさせようと考案したのはクリス自身である。
本来であれば自分一人で、そうでなくともティグやコウトといった身内の力を借りるだけで問題を解決したいと考えるのがクリスの性分だ。
それはクリスの中に在るひとりよがりな部分であり、歳を得ると共に少しずつそういう所に気付けるようになってきてはいるのだが、それでもこれまで自分が通してきたやり方を曲げる事には大きな抵抗感がついて回っていた。
まして、友人達に協力を求めるにしても、一人一人としっかり話し合って、事態を正確に理解してもらった上での話ならば、まだましな心持ちだっただろう。
しかし、この町を取り巻く状況は、知らず知らずのうちに、そんな悠長な事を言っていられない所にまで進行していたのだった。
事の主導者というならば、コウトこそがその立場に最も相応しいだろう。
クリスが信条を曲げてでも、町の子供達に働きかけているのは、コウトからそれが必要であるとの強い要請を受けたからに他ならない。
エイダムからの依頼を始めとして、この町の多岐にわたる情報を集めていく中でも、コウトの念頭に置かれていたのは町へと迫っているかもしれない危機の事であった。
そういう視点で情報を集めてみれば、新たな発見や陰謀に関する何らかの手がかりが掴めるかもしれないという思惑もあったのだが、特にこれといって注目しなければならない不穏な点は見つからない。
何事も起きてはいないというのであれば、コウトとしても喜ばしい限りの調査結果であり、エイダムに頼んだ町の防衛力強化が進むのを待てば良いだけなのだ。
しかし、コウトの胸中には彼方から響く警鐘のようなわだかまりが残っていた。
様々な方面から収集した膨大な情報を思い返してみても、直接的なものはもちろん、危機に繋がりそうな間接的な不安要素すらも見当たらなかったはずである。
あるいは、この町が置かれている不安定な現状を目の当たりにして、過敏な心境に陥っているだけかもしれないとも考えたが、他の事であるならまだしも、今回の件に限ってはそんな結論で納得した気になろうとは思わなかった。
この町が、この町で生きる家族が、コウトにとって何ものにも変え難い存在であり、ほんの一抹の不安であっても、それを放置したままにできなかった。
不安の正体を突き止めるため、何度目になるかも分からない情報整理をしていたコウトは、ようやくにして自分が引っ掛かりを感じていた点を見出すことに成功する。
特に問題は見当たらない。調査の結果そんな結論を出したにも関わらず、更なる検証の必要ありと記憶に付箋をつけてある情報に行き当たったのだ。
町の子供達が感じているという不穏な空気の原因、その正体が何であるのかを突き止めたい。クリスから頼まれていた事案である。
結局、何度か調査を繰り返しても、その原因が何か、本当に問題が存在しているのかさえも分からなかったその一件なのだが、確かに問題が存在すると断言するクリスの言葉と明らかに矛盾していた。
とはいえ、それがそこまで逼迫した事態であるとも思えず、町に何らかの脅威が迫っているかもしれないという現状と比較検討した上で、殊更優先すべき事案では無いと棚上げにしていたのである。
しかし、どれだけ他の所を調べても何の問題も浮上してこない中で、明確な結論が出ていないその一件こそ、コウトが心配する必要は無しと断言できない原因だった。
考えてみれば、コウト自身がその子供達と同じ位の年齢の頃には、野盗の下っ端として悪事に加担していたのである。
その当時に所属していた野盗団の質や規模は下の下といえるものでしかなかったが、ディマスの話や町で集めた情報から、現在町の周辺に出没している野盗がその時より遥かに性質の悪い集団であることは間違いない。
もしかすると、その野盗達が当時のコウトのような手下を多く抱えていて、そんな者達を選んで町へ送り込み、良からぬ何かを画策していたとすればどうだろうか。
それがただの思い過ごしであるならばそれに越したことは無い。事実として、今のところ町に明らかな異変は起きていないのだ。
そんな経緯で改めてクリスからの依頼に本腰を入れようと動き出したコウトだが、それが想像以上に厄介な仕事である事に気付かされてしまう。
コウトには、クリスの語る違和感を放つ子供達というのが判別できなかったのだ。
聞いた話を元に何とか目星をつけて尾行をしてみたのだが、その大抵が尾行の途中で何事も無く他の子供と遊び始めたり、そうでなくとも一日程度の尾行で何かが掴める気配は感じられなかった。
それでも十分な時間をかけて調べることが出来たなら、何らかの成果を上げる事は出来るのかもしれないが、万が一にもその裏側に何かがあるとすれば、かけた時間はそのまま事態の悪化に直結してしまう。
迅速な果断の有効性は、コウトがオーグ達から学んだ最初の教訓でもあった。
以前にふとコウトの頭をよぎった手段が、今度は現実味と必要性を備えて脳裏に再浮上して来るのが分かる。
対象となる子供の数は多く、コウトにはその判別は困難である。更に直接的な接触で情報を得るのは難しい事を考えれば、取るべき手段は尾行による不自然な行動の洗い出しといった形になるだろう。
コウト一人でそれを実行していたのでは、余りにも時間がかかり過ぎてしまう。
コウトには難しい違和感の判別が可能な人材を大量に用意し協力を得る事が出来るなら、調査の飛躍的な進展が期待できるのだ。
条件に合った人材の当てはある。クリスを始めとした町の子供達だ。
協力を取り付けるにしても、コウトが知る限りのクリスが持つ影響力を考えれば、それ自体は難しいことでも無いように思えた。
そこまでは既に考えていたのだが、無視することの出来ない問題点も存在し、結局は行動に移す前に立ち消えてしまった案である。
この案における急所の一つが、用意できる人材の能力に対する不安だった。
なんと言っても相手は子供である。その協力が得られたとしても、やったことも無い尾行を上手くこなせるとは限らないし、下手をすれば対象に悟られて警戒されたり対策を講じられてしまう可能性があった。
そしてもう一点の大きな不安は、指揮統括を担う者の不在である。
例えばクリスなどであれば、その人望や行動力は高くとも、全体の細かい指示や調整に向いているとは言い難い。
経験豊富なボルド辺りに引き受けてもらえるならば苦労はないのだが、後進から一定の距離を保ちつつその成長を見守っていく、そんな立場を堅持してきたあの老人が、今更先頭に立って子供達を率いてくれるとは思えない。頼った所で笑いながら自分でやれと断られてしまうだけだろう。
かく言うコウトとしても、自分が他人をあごで使うような立場に向いているとは思えないし、実際に人を使って何かをした経験など一度も無いのである。
ただ、コウトには適任の人物に心当たりがあった。
他人を使う事が身上といった性格であり、策の立案から細かい指揮に至るまで、コウトの知る限りで一番この役割に向いていると思える人物だ。
考えてみれば、助力は惜しまない、持ちつ持たれつが仲間というものだ、そう語ったのはその当人なのである。
町の状況改善に助力を求めたばかりで気が引けはするのだが、コウトだって多忙で目が回りそうな時であっても、次から次へと仕事を回された事は一度や二度ではない。
別に意趣返しという訳でもないが、子供達との間にコウトが入って調整すれば、そこまでの負担をかける事も無いのではないだろうか。
考えを進めていく内に、私情や焦りが入り混じって、少々強引な正当化の自覚を持ちながらも、コウトの足は自然とエイダムの滞在している宿へと向かっていた。
この所のエイダムは多忙を極めていた。
これだけ忙しかったのは彼の記憶にある限り、中央大陸を抜け出す為に諸事万端を整えていた頃以来の事である。
貴族として正式な役職を帯びていなかったとは言え、無計画に姿を消したのであればエイダムが中央大陸を出るなどという事は不可能だっただろう。
それは別に、エイダムに特別厳しい監視がつけられていたという訳ではなく、貴族の安全や権利を保障する為の社会的な仕組みが十全に整えられているからである。
一日二日の事なら問題もないのだが、貴族の誰かが一週間も音信を絶つような事になれば、中央大陸の主要な街々で警戒態勢が敷かれる位の騒ぎに発展してしまうのだ。
そうなれば、恐らくは同行しているディマスが誘拐犯として挙げられて、公的なありとあらゆる妨害を受ける事になってしまうだろう。
二人の実力があれば、力尽くの捕縛は退ける事も出来るかもしれないが、長旅の間にまともな補給を期待できないとなれば、北部大陸に到達する事など不可能だった。
そのため、様々な伝手を頼って信頼できる協力者を探し当て、ギリギリまで疑念を抱かれる事の無い用件を偽装し、いざエイダムの出奔が発覚しても、それは親兄弟が合意の上であると取り繕わざるを得ないように仕向けたりもして、ようやく現在の立場を確保する事が出来たのである。
その時に比べれば、辺境の各地で築いてきた数年分の積み立てがあるだけマシなのかもしれないが、当時は頼りに出来る秘書的な人物がいた事もあり、差し引きでは対して変わらない様にも感じられた。
何はともあれ、エイダムの現状が多忙の極みにある事に変わりは無い。
普段から行く先々の町で行っている、将来に向けた下地作りの諸事に加えて、この町の抱える危機的状況を改善する為の方策を巡らせなければならないのだ。
辺境の各地に作っておいた人脈を辿り、この町に必要な人材を回すように手配する。
そういった人材は公職に就く事を望む商人や、定住を求める傭兵団といった形で近くこの町を訪れる事になるだろう。
そんな彼らの受け入れが滞りなく進むように、町の有力者への根回しは欠かせない。
これには、他所の町でもそうであったように、コウトから得た情報が大いに役に立っていた。有力者の知見を得るにしても、後の交渉を有利に進めるにしても、相手の情報を正確に把握できるのは大きな強みである。
他にも、改めてオーグとの会談を求めて、現状の再確認を促し改善に向けた提言を受け入れさせて、協力を取り付けなければいけない。
この場合はコウトやティグの仲間として、ではなく、エイダム・アンティートという個人が、オルベアの町の守備隊長オーグルド・ホグタスクに認めらる必要がある。
その為に手段を選ぶ気は無く、清濁、情理の両面はもとより、持ちうる限りの正攻法や搦め手を用いて挑む所存のエイダムであった。
それは、今回の事がこの豊かな町の利権に遠慮なく食い込めるまたとない機会だから、ということもあるのだが、それ以上に、コウトが強く望んだ事だというのが要点だ。
自身が全能でも万能でもないと理解するエイダムではあるが、それに通じる所があると勝手に勘違いしているコウトからの信認は、なかなかに心地の良いものである。
いつか看破されるにしても、それが出来る限り遠い日の事であるに越した事はない。
そんなこんなで、今回の案件を事も無げに処理したように見せられれば、コウトの勘違いがもう数年程続く事は請け合いである。
激務をこなす合間の慰みにそんな事を考えているエイダムの所へ、のこのこと言った様子で姿を見せたのが当のコウトである。
そのコウトがやや遠慮がちに切り出したのが、エイダムへの更なる助力要請だった。
要約すると、在り得るかもしれない憂慮すべき事態の調査を円滑に進めるに当たり、町に住む子供達の力を利用したいので、その為の具体案と実行指揮を受け持ってもらいたい、と言うことである。
この忙しいのにどういう了見なのか、そう怒鳴りつけたい衝動に駆られたエイダムだが、考えてみれば助力は惜しまないと言った覚えはあるし、コウトが調整役に立って汗をかくと言うなら、無下に断るほど無茶な話ではないかもしれない。
無茶な話ではないかもしれないが、言いたい、というか、言うべき事があった。
「私が案を出すのはいいとして、現場の指揮くらいあなたが取ればいいでしょう」
「そりゃ、あんたには簡単かもしれないけど、俺にはまとめ役なんて無理だよ」
「情報収集にだって普段から人を使ってるでしょうに。
やれば解ると思いますが、多少規模が大きくなった所で支障なんてありませんよ」
「いやいやいや、普段からって、人を使った事なんて一回も無いから言ってるんだよ。
……なんだよその顔、俺なんてまだ20かそこらだぞ?
あんたは若い頃から人を使い慣れてるかもしれないけど、普通は」
「ちょっと待ってください、あなた変な事を言ってませんか?」
「だから、そんなもんだって、俺くらいの歳だったら使われる立場なのが普通だよ」
「そうじゃなくて、人を使ったことが無いとかなんとか、どういう意味です?」
「そのまんまの意味だけど、何かあるのか?」
「コウト、あなたにはこれまで情報収集をお願いして来ましたし、文句の無い仕事ぶりでしたから一々口出ししてきませんでしたけど……まさか、それらを全部一人でやってたとでも言うつもりなんですか?」
「そうだよ」
「そんな多額じゃないとは言え、調査用の諸経費は渡してましたよね?」
「そりゃ、あんたがもっと請求してもいいって言うから、宿代とか食事代とか、服代とか装備品の代金とか、色々と考えて捻りだしたけど、今更返せとか言うなよ?」
「それは……いえ、それは構いませんけど、しかし、まあ、なんというか……」
交際費はまだしも、服や装備品など、そういったものは経費のごまかしに相当する類の話ではあるのだが、この際そんな話はどうでもいい。
コウトが仲間になるまでは、情報収集もエイダムが担当していた、というか、裏方仕事は全て一人で行っており、その一環として当時は新しい町に着く度に、仕事にあぶれた者やごろつき等を雇ったり、必要とあらば冒険者に依頼を出したりしていた訳だ。
それが、コウトの協力を得られるようになってからは、そちらの方面はまかせっきりになっており、手に入る情報の量こそ減ったものの、その質は格段に良くなっている。
それについてエイダムは、手に入れた情報をコウトが厳選した上で報告しているのだろうと判断していた。
実際に情報の取捨選択自体はコウトもしているだろう。
しかし、今聞いたコウトの言を信じるならば、それはエイダムがしていた様な、人手をかけて集めた無数の報告をまとめ、仕分け、判断し、選別するといったものではなく、一人で集めた情報に適当な判断を下すだけという、非常に単純な、力技とでも言えそうな手法であった。
そんなやり方で、エイダムが納得出来るほどの成果を上げていたという事実は、掛け値なしに驚嘆すべき話ではあるのだが、それを素直に賞賛する気にはなれなかった。
その能力でもって、四の五の言わずに人手を駆使した情報収集をしていれば、一体どれほどの成果が期待できていただろうか。人を使うのが壊滅的に苦手という事情でもない限り、十中八九はこれまでに倍する以上の情報が得られていたはずだ。
それは、エイダムの野望成就までの道のりを年単位で短縮し得る数字だろう。
とはいえ、コウトがどんな方法で情報を集めていたか確認しなかったのはエイダムの手落ちだ。上がってくる情報量から順当に推察した事とはいえ、コウトの能力を甘く見積もっていた事実は揺るがない。それなのに一方的に文句を言うのは筋違いだった。
「だったらなんだよ、まあ、忙しそうにしてる所に悪いとは思うけどさ」
なんとなくばつの悪そうにするコウトを見て、エイダムは内心の理不尽な怒りを見透かされている事を察する。
好都合だった。
コウトの誇る洞察力は他に類を見ない程に優秀ではあっても、当然の事ながら万能ではなく、他人が考えている具体的な内容まで読み取れるような神通力の類ではない。
心の機微を敏感に察知し、感情の在る位置やその方向を見抜くのが本質だろう。
これをコウトは、対話時の大きな武器として利用していて、当人としてはそれを活かしての交渉事にも一定の自負を持っている様なのだが、現状でそういった役割を任せる事は無い。
確かにコウトの眼力は交渉で大きな力を発揮するだろう。人の意向を汲み取りつつ、その方向を無理なく誘導し、それと気付かせないまま優位に話を進められる。上手く運べば、不利な状況を引っくり返すような事も可能かもしれない。
しかし、コウトには決定的な弱点があった。
コウトは人の感情を読み取るのに長けている一方で、それと同等かあるいはそれ以上に、自分の感情をさらけ出してしまうのだ。
今にしても、エイダムが醸す正体の解らない怒気を察した事で、引け目からくる弱気を抱いているのが手に取るように解ってしまう。
エイダムはそこにつけ込んでいくだけで、思うように話が進められるだろう。
大体、交渉などというものは、コウトの様な力が無くとも十分に可能なのである。
事前に情報を得て、相手が必要とするものを知り、可能ならばそれを用意し、それが出来なくとも、互いが妥協できる地点を見定めておけばいい。
不利な状況で交渉に臨んだり、その最中で必要以上の小手先を用いたりする必要は全く無いのである。
コウトの弱点は、それを自覚して経験を積んでいけば、その内に解消していくものだと解っているエイダムなのだが、それを教えようとは考えていない。
その方が扱いやすいから、と言う側面も確かにある。
あるいは、コウトが自分自身でそこに気付き、自ら望んでそのように成長すると言うのなら、エイダムがそれを邪魔する事は無いだろう。
そうなれば、現在の立場が逆転して、エイダムが手玉に取られたり、顎で使われるようになる未来が訪れてもおかしくは無いのだ。
だからと言って別に、そんな未来が嫌だから弱点を教えない訳ではない。
エイダムにしてみれば野望が成就するのであれば、自分の上に誰が立っているかに拘るつもりもなかった。
ただ、人には向き不向きがあり、理と利を以って相手を動かすような交渉ならば、エイダムが受け持てばいいだけの話である。
コウトが受け持つべきは、利益や理屈を越えた所で人を動かすような、交渉と言うよりも説得や人の信義を得なければいけない場面であり、そういった場ではエイダムのように感情を隠そうとする理屈屋が好まれない事もあるのだ。
今後どう転ぶかはコウト次第ではあるけれど、もうしばらくはエイダムの都合で動いてもらう事にしようなどと考えていると、けん制するような言葉が聞こえてきた。
「またなにか良からぬ事を考えてないか?」
警戒しながらも、そういう事を心に止めず口に出してしまうお人好しだからこそ、理や利が通じないような者を動かす事があるかもしれない。
「私の考えているのは、大抵がそういう事ですよ、ご存知ありませんでしたか?」
取り澄ました様子のエイダムの返しに、コウトはあからさまに嫌そうな顔をする。
そんな反応を無視したエイダムは、予想以上だったコウトの異能を賞賛するでも、これまで時間を無駄にしていた怒りをぶつけるでもなく、淡々とお説教を開始した。
まず、エイダムが着手している仕事の重要性と繁忙さを語り、人を使う事の意義と有用性を説き、それを人任せにして自ら挑もうとする姿勢を持たない事を嗜める。
痛い所を突かれ、もっともな事を言われ、その甘えを指摘されたコウトは、見る間に劣勢へと追い込まれていく。防御力が低いと言う弱点を突くのなら、とにかくこちらから攻めるのが肝要なのである。
「まあ、策は考えましたから、これも修行と思って、あなたが指揮を執って下さい」
説教の後で、その最中に考えていた策の大まかな概要を伝えると、コウトは逃げ道を見つけたとばかりに頷いて、早速クリスの協力を求めに部屋を出て行った。
エイダムの策とは、まず賞品や賞金を設ける事で、より多くの子供達をこの遊びに参加させ、対象にそれが流行の遊びであると誤認させる。
そうすれば、未熟な尾行で見つかったとしても、対象が孤立していて他の子供と接触を持たない以上、遊びなら勝手にやっていろといった態度に出るだろう。
その上で、大量に上がってくるであろう雑多な報告は、コウトが他者から受け取る情報を処理する訓練の第一歩となるはずだし、そこから省みてどういう風に人を動かせば効率がいいのかを学んでくれれば御の字である。
これより細かい点は、実際に動員できる人数によっても変わってくるし、事情を伝えて他より一歩踏み込んだ形で助力を頼む人材の選択などは、コウトが現場で見定めるべき事柄であった。
エイダムとしては、これを良い契機として、コウトのより一層の成長と飛躍を促す事ができるなら、講じた策の成否自体はさほど重要視もしていない。
それと言うのも、これまでコウトから受けた報告を元に考えて、早急に対処しなければ手遅れになりそうな陰謀の存在は見受けられなかったからである。
いずれ何か事が起きるにしても、それはエイダムが幾らか町の状況を改善した後の事になるだろうし、そうなれば如何様にでも対処は可能だと見越していた。
石橋を叩くような心配はコウトが進んで引き受けているのだから、これ以上エイダムが首を突っ込む必要はない。
コウトからの用件をそう結んだエイダムは、中断していた仕事を再開する事にした。
この町の置かれている現状と、子供達の抱える問題が何らかの危機に関わっているかもしれないという懸念を聞かされたクリスは、その話を持ち込んだコウトに同調する形で危機感を共有する。
半ば達観しているようなエイダムとは違い、クリスにとってこの問題は限りなく身近で実際的な危機と言えるのだ。
問題への対策が行き詰まっていたという実情も合わさって、クリスはこれまで動けなかった分を取り戻そうといった勢いで動き出す。
手当たり次第に旧知を頼り、簡単に事情を説明して協力を求めていく。
外部の協力者という立場でその場に同席したコウトが、個々の資質を見定めた上で、どこまでの事を任せられるか判断し、作戦の中核となる組織を形成していった。
そんなコウトに対しては、当初胡散臭いと言った視線を向ける者もいたのだが、後日に改めてティグのパーティの仲間であると紹介された事で、そういった印象も綺麗に払拭され、晴れて大人の協力者として現場の指揮を担う立場を確立することができた。
選ばれた者達の士気は高く、指示を受けた全員が精力的に周りの友人達を遊びに巻き込んで、瞬く間にその輪を拡大していく。
報酬にかかる費用は全てコウトが引き受けて、経費としてエイダムへと請求する。
エイダムはそれが経費の正しい使い道であると、簡単に説教をした上で、特に精査するでもなく請求分の金額を支払った。それは、いくら規模が大きいとは言え、所詮は子供の菓子代や小遣い程度の額なのである。
こうしてオルベアの町の水面下で進む子供達を主力とした計画は、大多数の大人が与り知らぬ所で、着々とその形を成していく。
計画の大きな外殻を成す彼らもまたこの町の一員であり、大人達に劣らぬほど町の行く末を案じているのだ。




