第20話 - 町の空気が教えるもの -
さして広くもない屋内に高く硬質な響きがこだまする。途切れ途切れに鳴り続けるそれは、ティグが持ち帰った魔力鉱石を細かく粉砕する音だった。
ティグは町に出かけた翌日から、自宅庭の工房に篭もっている。
現在ティグが行っているのは、魔力鉱石の合金化であった。
世に存在する金属の大半は、そのもの単体だけでは武具としての実用性に乏しい性質しか有しておらず、ティグが持ち帰った青白い光を帯びる鉱石もまた例外ではない。
それを全く別の性質を持った鉱物と混ぜ合わせる事で、刀の素材として理想的な性質を持つ合金を作り上げる必要があるのだ。
例えば、単体では柔らかすぎて武具としてはいささか頼りない鉄であっても、そこに少量の炭素を混ぜ合わせる事で固く強い鋼ができあがる。その鋼にしても、ほんの僅かな混合率の違いだけで、その性質には大きな差異が生じることになる。
そういったものであるだけに、市場で購入した鉱石類との合金化だけで、気の遠くなるような組み合わせがあり、前世のように詳細に数値化された情報も存在しない以上、それらの組み合わせを手当たり次第に模索していくしかない。
本来なら膨大な時間を要するであろうこの工程だが、ティグは自分でも驚くほどの短時間で理想的な配合を導き出す事となった。
先進的な機械類や正確な資料がない中で、ティグが頼りにできるのは自前で培った知識と経験、そしてその身に備わっている五感のみであり、それらを総動員した上で、机上の理論を超えた所にある最良の解答を掴み取らねばならない訳だ。
それを重々に承知しているティグとしては、当初この工程に費やす期間を少なく見積もってもひと月は必要であると想定していた。
その認識が覆ったのは、砕いた魔力鉱石の精製に当たっている時の事である。
合金の試作用として用意した鉱石の分量は10キロ程度。それらを工房にある大型の炉にかけるのに先立って、少量を取り分け魔法の炎で溶かし始める。
それは鉱石に混じる不純物や、正確な融点を探るための下調べだった。
一般的なものがそうであるように、魔力鉱石を高温で熱していくと融点の低い金属が先に熔け出し不純物と分離していく。その熔けた金属を型に入れ、冷まして固形化させれば精製は完了だ。
ちなみに、魔力素材の加工に関する工程の全てにおいて、程度の差こそあれ、魔工の業が用いられる事になる。魔工の業を持たない者が加工しようとすれば、素材に含まれている魔力はたちまちのうちに霧散してしまうだろう。
加工の際、鉱石が帯びた魔力が散っていこうとする所に干渉し、精製する金属の方へと誘導した後、それを馴染ませるようにして定着させる。これは長い年月をかけてその鉱石に蓄積された魔力でだけ行える事であり、長年において中央大陸などで試みられている人工的に魔力素材を作り出そうといった類の研究は、未だ成功例がないらしい。
師の下で基礎として学んで以来、数年ぶりに扱う魔工の業は、それでも錆びついてしまったというような事もなく、ティグの望む所を果たしてくれた。
気付きの瞬間は突然だった。鉱石から魔力を通じて感じられる奇妙な手応え、それが鉱石の発する言葉とも言うべきものだと認識するのに、ティグは長い時間を必要としなかった。
鉱石が纏い、発するその魔力は、ティグの知るべき事、知りたいと望む事を、余す所無く雄弁に語りかけてくるかの様だった。
かつて修行中に素材として扱った剣の欠片からそういった感覚を受けなかったのは、既に他の魔工が手を加えていたからなのだろう。その点今回のような未加工の素材であれば、素材の本来持っている性質が強調される事になるらしい。
だからといって、知識や経験を持たない者がそれに触れた所で、それが何を意味しているかを正確に読み解けはしなかった筈だ。
それはティグの中に宿るものが表出した結果であり、未知の素材が溢れるこの世界において、比類の無いほどに大きな武器となるものだった。
満帆に風を受けたような出来事は、ティグが当初に目星をつけていた地点をあっさりと通過させ、十分に納得のいく試作品を作り上げる所にまで到達する。
それまでに必要とした時間は三日足らずといったものであった。
想像以上に順調な滑り出しとなった刀作りの第一歩で、普段のティグならば勢いそのままに次の段階へと進む所である。
しかし、今回は一息入れるような形で、クリスが懸念している町の調査に付き合うことになっていた。
先日町に出かけた折に、クリスが主張した意見に沿った行動である。
曰く、刀作りに打ち込むティグは余りにも危なっかし過ぎるらしい。強い思い入れがあることは分かるけれど、それにしても限度があるだろう、とのことであった。
当人としては無理しているつもりも無いのだが、それでも涙を浮かべて訴えるクリスを前にすれば、心配をかけていた事実は揺ぎない所なのだろうとの反省も浮かぶのだ。
他人の言葉を容れずに進む道は、とうの昔に終わりを迎えていた。例え足踏みのように思えても、それが周りの者に求められた道であれば否は無い。
先は長く、世界は広いのだ。
唯一人、我を貫いて行き着ける場所は、ティグの望むところではなかった。
どちらにせよ、今回使う合金の材料となる鉱石も買い足さなければならなかったのだから丁度いい、などと気分転換とは言い難い事を考えながらも、明日に備えることにするティグなのであった。
一方その頃、クリスは困っていた。
ティグと出かけた翌日には、さっそく修行の時間を削ってクリスなりにあれこれと調べ回ってみたのだが、成果といえば思っていたより状況が難しそうな事が分かったくらいのものであった。
ちょっとした問題の解決を手伝ってもらうのを口実として、根詰め過ぎる嫌いがあるティグに、こまめな息抜きの習慣をつけさせるのも、町の子供たちから不安を払拭するのに並ぶ目的の一つなのである。
思いの外早くに区切りがついたというティグの申し出も嬉しくはあるものの、このままでは無為な一日を過ごさせてしまいそうだった。
ティグの息抜きとしてはそれでもいいかもしれないが、いくらか強引に引っ張り出したという思いもあるクリスとしては、見栄の一つも張りたいと心情なのだ。
「どうしたものかのう」
明日に控えた調査の先行きに頭を抱えずにはいられないクリスは、改めてこの三日間に起きた事、分かった事を振り返ってみる。
初日は昔馴染みを訪ねて、最近の町の近況やそれぞれが気になること、思うところなどがないかを聞いて回った。
中には久しぶりに顔を合わせた者も多く、どこへ出向いても歓迎されるのは良いのだが、本題の話となると誰もが何かしらの漠然とした不安を感じているのに驚かされてしまう事になる。
実害があったという話は一つも無いのに、それでも皆が同じような言いようのない不気味さや居心地の悪さを抱えているらしいのだ。
ただそれだけの話ならば、急速に発展していく町や生活への戸惑いから来るものであると言えるかもしれない。そんな時期にガキ大将であったクリスが姿を見せなくなってしまった事が重なって、必要以上に不安を煽る事になったのだと結論付ける事もできるだろう。
ただ、その結論を以って問題の決着とするには、一つだけ引っかかる点があった。
多くの子供たちに詳しく話を聞いていくと、漠然とした受け答えの中にあってもただ一つ全員が口を揃えた様にして語るのが、そういった不安を感じ始めたのは、ここ一年から半年くらいでの事らしいのだ。
クリスが修行に専念する様になったのは三年前からであり、町の変化に至ってはさらに以前からの事である。それらに起因する問題が、今更になって一斉に表面化したというのは、いくら何でも無理があるのではないだろうか。
二日目は前日集めた話に出てきた地域を中心に、大まかな見当をつけて下見をした。
具体的な場所としては、問題の少年たちが近年流入してきたという仮定に基づいて、壁外の地域が問題の中心地として挙がる。ただ、彼らの行動範囲が壁外に限定されている訳ではなく、町の中心部でも姿を見かけることはあるらしい。
彼らも町の住人なのだから、壁の出入りに制限が掛かることはない。だから、どこにいてもおかしくはないのだが、べつに壁内に友人がいてそれを訪ねてきているという訳でもない。
彼らは特徴的な集団を形成している風ではなく、また何らかの悪さや悪戯をしているのでもない。時折大人の手伝いをしているような場合を除けば、常に一人で町をぶらついているのだという。
だからといって、そんな所に声をかけてみても、まともに相手をされる事はない。
誰であっても、虫の居所が悪いとか、手伝いの最中であるといった理由で、そんな応対をする事はあるだろうが、そういう単純な話ならばここまで問題にはならない筈だ。
対象となる者の特徴としては、12~15歳ほどの年齢で何をするでもなく一人で町をうろついている者といった所である。なんとも漠然とした話ではあるが、多くの子供たちがその存在を意識してしまう位の人数はいるのだろう。
この日、実際にクリスが見て回った地域にも、多くの子供達がそれぞれの集団を作って遊んでいる中で、その輪から外れて、というより最初から関心など無いかのように、一人でぶらついている様な少年少女が何人か見受けられた。
「ちょっと、そこ行くお前さん、少しいいかの?」
そんな中の一人に、物は試しといわんばかりにクリスは話しかけてみる。
「……何?」
辺りを見回して自分が話かけられていることを確認した少年は、とくに警戒するでも不快感を示すでもなく、もちろん友好的にと言う訳でもなく、平淡な返事を返した。
「うむ、ちょっと聞きたいのじゃが……」
「あ、すみません、この娘が聞きたいことがあるみたいなんです。
俺は行かなきゃダメなんで、お願いします」
少年は通りすがった女性に声をかけ、強引に後を任せてこの場を離れていく。
予想外の対応をされたクリスは、どうかした?と側に来てくれた女性に適当な質問した後で、必要のない世間話をするハメになってしまった。
この女性も少年の知り合いという訳ではないらしく、そんな見ず知らずの人にわざわざ取り次いでくれたのも、親切といえばその通りなのだが、何かあるのではないかといった元々の先入観も加わってどうにも素直に受け取れない。
その後は先ほどの少年はもちろん、他の対象にも出会うことはなく、空振りとはいかないまでも、しこりの残る結果に終わってしまった。
三日目になると、とりあえず下見した現地を中心とした地域に赴き、難しく考えることもせず体当たりで交流を図ってみることにした。
クリスとしてはこちらの方が性に合っているし、下手に小細工を弄するよりも好い結果が出るかもしれないと思ったのだが、結局は対した成果も上がらなかった。
最大の原因は、対象となる少年少女の手応えの無さだろう。
引っ込み思案だとか、警戒しているといった風でもなく、敵対的な対応をされるわけでもない。
ただ、彼らの前には明確な一線が引いてあり、それ以上はどうあっても踏み込めないといった印象を受けるのだ。
ガキ大将的な者がいて、そこからの厳命を受けている。そんな話なら分かりやすいし、いくらでも対処の方法は思いつくのだが、そういった背景も見えてこない。
何というのだろうか、端から相手にされていないと言うのが、クリスの率直な感想であった。相手は大して年も違わない者達だというのに、どこか子供扱いでもされているようなもどかしさだけが印象に残っている。
一方で、手当たり次第声をかけたおかげで、たまたま一人でいただけの対象外である子供たちと交友が持てたのは、主題を外れているとはいえ喜ばしい出来事だった。
話しかければ会話が始まり、好意を向ければ同じものが返ってくる。
ただただ単純で、他に何を求める事もない関係が出来上がるのだ。
それは、ごくごくありふれたもので、町角に目を向ければいつでも見られるような、この町の子供達を包む空気と呼べるものだろう。
初めてこの町を訪れた頃に幼いクリスが心から望み、勝ち取ったそれを、友人達が今に繋いでくれた、かけがえのないものなのだ。
その中に混じる、未だ輪郭さえもつかめない、しかし、確かに感じることの出来る何かを、クリスは決して見過ごすまいと決意した。
その日の夜、夕食を終えたクリスに、思ったより早めに区切りがついたというティグが、約束通り調査の手伝いをすると言ってきたのである。
正直に言って、気持ちばかりが先行しているのが現状であり、具体的な方針や方策は全く存在していない。
なにか状況を打破するきっかけがあれば、そんな思いの中でコウトに情報収集を頼んだ事を思い出すが、向こうから話が来ないと言う事はまだ進展もないのだろう。
しかし、あるいはということもあるし、何といっても情報収集を頼んだ日以来、今日までの三日間、クリスはコウトと一度も顔を合わせていないのである。たまたま報告する機会がなかっただけという可能性もなくはない。
「エリシアー、最近コウトを見ないんじゃが、ちゃんと帰ってきておるのかの?」
「そうね、なんだか忙しそうだけど、それでも毎日遅くには帰ってきてるわよ。
それでいつも朝食の前には出ていくから、なかなかクリスとは会わないのね」
確かにクリスは夜更かしせずに眠るし、朝早くから起きてはいるけれど朝食までの時間はボルドの指導を受けている。これでは話す機会だってあるはずがない。
このまま何の手立てもないまま明日を迎える事をしたくないクリスは、夕食後の団らんを終えると明日へ向けての計画を練り始めた。
とは言うものの、手元にある情報に具体的なものは無いし、分かっている事といえば何かがおかしいといった程度の、言ってしまえば直感の域を出るものではない。
そんなものを元にして、どれだけ捻くり回した所で、都合良く妙案が産まれてくる筈もないのである。
浮かんでは消えていく凡策愚策が20を越えた辺りから、慣れない夜更かしも手伝って、クリスの思考は風に吹かれる蝶のようにまともな指向性を失っていった。
町の大半が眠りについた宵闇の中で、遠慮がちに開かれた玄関扉が小さな軋みをたてる。日常の生活音に紛れれば誰の耳にも届かない程のその音は、ここ数日のコウトには耳なれたものとなっていた。
朝には朝の、昼には昼の、そして夜には夜の、それぞれの時間帯でしか聞けない話というものがある。
朝方の市場で役場の内情を聞いて回っても仕方がないし、夜の酒場で市井のちょっとした出来事を話題にしても大した広がりは望めない。
知りたい情報が一つ二つに絞られているのなら、効率の良い時と場所に狙いを定めればいいのだが、あれも知りたいしこれも知りたいといった現状では、一日かけて町中を巡り歩いても調べ足らない事ばかりになってしまう。
早めに核となる情報を絞り込んで、少しでも効率を上げない事には始まらない。
とはいえ、帰宅してからは聞いた話をまとめる位しかやる事もない。
コウトが食堂へ行くと、食卓に簡単な夜食が用意してあった。エリシアの気遣いに感謝しながら、茶を淹れようと湯を沸かしていると、階段から誰かが降りてくる足音が聞こえてきた。
「ようかえったのー、おつかれさまじゃ」
「ああ、クリスか、ただいま……めずらしい、というか、眠そうだな」
食堂に姿を見せたクリスは、よれよれの寝間着に上着を羽織った姿で、瞼が半分程閉じている、なんともだらしない有り様であった。
少々無防備とも言えるその姿は、元が良いだけあって同年代の少年などからすると落ち着かない気分を味わえるかもしれないが、どちらかといえば年上好みなコウトとしては、年下の少女の無様さに呆れを多分に含んだ苦笑いしか出てこなかった。
「むぅー、コウトを待っておったのじゃ。いつもこんなに遅いのかのう」
「今は特にな、早く適当な所まで調べないと、後が続かなくなっちまうから」
そう言いながら、ちゃっかりと夜食を摘んでいるクリスの前にお茶を置き、コウトも夜食に手を伸ばす。チーズや砂糖で味付けされた固めのパンは、元々一人分しか用意されてなかった事もあり、あっという間になくなってしまう。
「ふむぅ、エイダムの淹れた茶の方がおいしかったのう」
「あの人はあれが道楽なんだ、比べてくれるなよ」
「あっちの方がモテそうじゃの」
「ほっとけよ、それよりなにか俺に用事があるんじゃないのか?」
「ああ……そうじゃったの」
なんとも集中力を欠いた様子のクリスは、目を擦りながらコウトに頼んだ情報収集の進展状況を訊ねてくる。要件としては予想通りであったが、だからといってクリスの望み通りの成果が上がっている訳ではない。
クリスからの依頼は、町の子供達の間で何やら不穏な空気が漂っている、自分でも調べてみるつもりだが、コウトの力も借して貰いたい、というようなものであった。
元々がはっきりとした内容の話ではなかったし、町で聞いて回ってみた中でも、子供達の間で目立った問題が起きているようにも思えなかった。
その旨をクリスに伝えると、唸り声をあげて机に突っ伏してしまう。
「不安だって言ってた女の子の思い違いって線はないのか?」
「いや、それはない。私も町を見て回ったが、確かになにかが起こっておるのじゃ」
即答したクリスに、コウトは少し驚いてしまった。その表情には意地や気負いや引っ込みがつかないといった感情は微塵もなく、代わりにはっきりとした確信の色が見て取れたからだ。
そうなると話は違ってくる。完全に町中を調べあげたという訳ではないものの、既にコウトの中でこの問題は、件の少女の考え過ぎからくるものではないかという結論になりかけていた。
しかし、クリスの反応をみれば、その考えを改めざるを得ないだろう。彼女がこうまではっきりとした確信を持つからには、それ相応の根拠があるはずなのだから。
クリスが気付き、それをコウトが見逃したというのなら、情報の集め方が間違っていたということになる。
「どうしてそう思うか、聞かせて貰っていいか?
俺が調べるにしても、少しでも話の方向が分かれば色々とはかどるだろうからな」
「んー、そういうものなのかのう」
理解しているのかしていないのか微妙な反応を見せながらも、クリスは自分の見たところ、感じたところの一つ一つを語り始める。
クリスの話す内容は、お世辞にも上手く纏められたと言えるものではなく、主観に満ちて客観性の極めて乏しいものだった。それは、普段コウトが成果を報告する時とは真逆ともいえるたものであり、それ故に、自身の見落としがどこにあったのかを気付かされる事に繋がった。
コウトの情報収集は、昔から自分の拠り所であった洞察力に頼ったものであり、言わば最大限に主観を活用しての行為である。コウトもそれは十分に理解しているため、一旦見聞きした情報に対し、できる限り客観的に向かい合うように心がけていた。
そんな所へのクリスの主観に満ちた状況説明で、今回コウトに足りなかったのが洞察力や分析力の類ではなく、他人の主観から見た考えであると理解できた。
自身の主観に重きを置くあまり、客観性を重視することはあっても、個々の他人がその情報に対してどういう向き合い方をしているかと言う点までは、殆ど考えが及んでいなかったわけだ。
それは今後の課題となるものではあるけれど、同時にコウトにとっての限界といえるかもしれない。どれだけ意識していたところで、クリスや町の子供達の感じた空気に気付くのは難しかっただろう。
実際、これからコウトが問題の少年少女を見分けようとしても、他の子供との違いを正確に見分けられるか不安が残るところであった。
問題がある以上は調べない訳にはいかないが、そうなるとまた随分と時間を取られてしまう事になるだろう。何とも頭の痛い話である。
「難しそうな顔をしておるが、だいじょうぶかの?」
今にも眠りに落ちそうな半眼でコウトを見やるクリスに、お前の方が大丈夫か、と言い返そうかとしたところで、ふと思いつく。
「そういえばクリスって、町の子供連中に顔が利いたよな?」
「うむ?まあ、それなりには、の」
「今度、頼みごとするかもしれないから、その時はよろしくな。
今日の所はもう眠っとけ、見るからに限界だろ」
「そうかのぉ……うむ、そうかもしれんのぅ」
特に抗弁するでもなく素直に頷いたクリスは、よたよたとした足取りで食堂を後にしていく。
それを見送りながら、コウトは先ほど思いついた可能性について検討を始めていた。
そんな翌日、普段より少し遅れて目を覚ましたクリスは、結局無策のままだった事に思い至るのだが、時既に遅く、そのままティグとの共同調査に挑む他なく、結果は見事な空振りに終わってしまうのだった。
「そんなに気を落とさないでさ、元気だしなよ」
「うぅ、せっかくティグが手伝ってくれたのに、すまんのぅ」
「別にクリスのせいって訳じゃないし、力が足りなかったのは僕も同じだからね。
それに、調査なんて一日二日で結果が出るもんじゃないんだからさ」
慰労するはずの相手から励まされてしまっているのだが、それはそれで嫌な気分であるわけもなく、自然とクリスの頬は緩んでしまう。
しかし、これではいけないのだ。これでは、どうせ結果は同じなのだから、次からは手伝わなくても問題ないだろう、と判断されてしまってもおかしくなかった。
そうなればティグの事である、また工房に篭もって出てこなくなってしまうかもしれない。泣き落としにしても、同じ事を繰り返していれば効果も薄れてくるだろうし、無理やり引っ張りだしている感は拭えないのである。
出来れば自発的に息抜きを入れてくれるように、そうでなくても、もっと気軽に外へ連れ出せるような習慣をつけさせたいと言うのがクリスの本望であった。
「あのな、ティグよ、今回はだめじゃったがの、今度はもっとしっかり計画を立てておくでの……じゃから、その、次も、な?」
「ん、そうだね、また区切りがついたら、手伝わせて貰おうかな。
僕じゃどれだけ力になれるか分からないけど、やれる事があるなら任せなよ」
「そ、そうかの、うん、そう言って貰えると、うん、嬉しいのじゃ!」
ティグの返事を聞いて、クリスのらしくもない歯切れの悪さはどこへやら、替わりにいつも通りの晴れやかな笑みがその表情を彩る。いちいち単純な反応ではあるのだが、裏表のないその感情表現は、自然とティグから笑顔を引き出していた。
クリスの標榜する年上のお姉さん像とは随分と離れた形ではあるのだが、二人して笑顔でいられるのならば、理想と現実の些細な違いなど取るに足らない事であった。
ティグの心境にどんな変化があったのか、クリスには推し量りようもないのだが、万事は良い方向に向かっているように思えていた。
そしてこの時点では、自分達の暮らすオルベアの町に災禍の陰が差しかかっているなどと、考えもしていないクリス達なのであった。




