第19話 - オルベアのとある冒険者 -
「なんだコウト、朝から元気がないな、もっと胸を張って歩いた方がいいぞ」
「ああ、ディマスかおはよう」
コウトが町へ繰り出そうと家の門を出たところで、待ち受けていたらしいディマスと挨拶を交わす。
ディマスに開口一番で指摘された通り、自分の足取りが重いように感じていたコウトは、少し意識して背筋を伸ばした。
心労の原因には心当たりがある。クリスの頼みを断りきれず、その分まで増えてしまった仕事の量に気が滅入っているのだろう。だからといって、やると決めた事を程よく手抜きできるほど器用でもない。
結局はやる事をやるしかないのだから、前向きに取り組むのが正解なのだろう。
「ちょっとやる事が多くってさ、正直なところ手一杯って感じだよ」
コウトは無駄だろう、とは思いながらも逼迫した現状を訴えてみる。
「そうなのか、苦労しているようで何よりだ。
苦境に身を置けばその分だけ力をつける、お前はそんな男だからな」
「それってあんたらの育成方針であって、俺の資質じゃないと思うんだけど」
「俺もコウトの成長に一役買わせてもらうとしよう」
「聞いちゃいねぇな」
せっかく伸ばしていた背筋から力が抜け、コウトの肩ががくりと落ちた。
元々身内の頼みを断るのが不得手なコウトではあるのだが、それでもエイダムやクリス辺りに無茶振りをされれば抵抗を試みることはある。
しかし、ディマスを相手にしては最初から断ろうというから気が起こらなかった。
断ろうと思えば一番断り易いのはディマスだろう。本気で無理だと主張すれば、食い下がるような事もせず、簡単に引き下がるのは解っていた。エイダムのように理屈と搦め手を駆使して有無を言わせず引き受けさせるでもなく、昨日のクリスのように情に訴えかけるような事もしない筈だ。
それでも、コウトが断れない、断ろうと思わないのには色々と理由がある。
例えば、頻繁に協力を求めてくるエイダムとは違い、ディマスから何らかの要請があるのは珍しい事なのだ。これは、エイダムが計画の首謀者であり、実務を取り仕切る立場であるから仕方のない話ではある。
そして、そんな理屈とは別の、コウトが断り難いと思う最大の理由が別にあった。言葉にするならば、惚れた弱み、というのが最も近い表現になるかもしれない。
冒険者として独り立ちし、それなりの経験を積み重ねた今になっても、コウトの中にある理想は変わらない。子供に向けて語られる、物語の中の英雄像こそがコウトをこの道に駆り立てていた。そして、自分ではそうなる事が叶わない事も理解できるのだ。
ディマスは違った。コウトが抱く理想像とぶれる事無く重なる英雄の立ち姿は、ただひたすらに目映いものであり、辺境に新たな国を創るという馬鹿げた夢の、ある筈もない標と成り得るものであった。
そんな男からの頼まれ事を、どうして断ることが出来るだろうか。
ギルドで見かけた冒険者について調べて貰いたいというディマスの言葉に、降参するような心持ちでコウトが了承の返事をする。
せめてディマスの評価が間違いでない事を、切に切に願いながら。
今オルベアの町には、ウォードという名でギルドに登録されている冒険者がいる。彼やコウトと同じように、辺境の地には姓を持たない者が少なからず存在していた。様々な理由で身寄りのないまま育ち、成人しても名乗るべき家柄のない者達である。
コウトのように通りすがりの冒険者に保護されるという事例がそうそうある訳ではなく、多くの場合は奴隷として成長し逃亡に成功したか、野盗や盗人のような生き方をして来た者達だった。
そんな中で、このウォードという冒険者の生い立ちは、コウト程ではないけれど、他とは幾分変わったものであった。
辺境の村とも呼べない集落に生まれたウォードだが、彼が物心つく前に一家の稼ぎ手であった父親が死んでしまう。何かあった時の為にと、父親がなけなしの稼ぎから上納金を納めて所属していた互助組織からの援助も得られなかった。
互助組織というものをよく理解できていなかった母親は、父親の死を組織に伝える事も出来ず、父親が騙されていただけなのだと見切りをつけて、幼子一人を残し蒸発してしまう。
辺境の小さな集落では一人残された子供を引き取る余裕などある筈もなく、そのままいけば飢えて死ぬか、あるいは野盗にでも捕まり奴隷として生き長らえられるかといった状況に陥っていた。
ただ死を待つだけの幼子を救ったのは、遅れ馳せながらも父親の死を知って駆けつけた互助組織の人間であった。
それは僥倖と言える出来事だっただろう。
辺境の互助組織などというものは、悪くすれば母親が判断したように、金だけを集めていざという時には何もしないなどと言う事も珍しい話ではないのである。
更に言えば、ある程度機能している組織であっても、今回のように父親の死を察知するのが遅れたりすれば、担当地域の責任者の判断で手遅れと見なされて、そのまま見捨てられてしまう事もあるのだ。
そして、それを咎めるような責任や権限を持つ管理者などが公に存在しない以上、その活動範囲の大部分は現場の人間の良識に委ねられる事になってしまう。
では、なぜ辺境の民がそんな頼りない組織に縋るのか。それは、他によって立つべき瀬が無いからという単純な理由である。
辺境領主の領民として生きるにしても、全ての者が町や村で安定した仕事を得られる訳ではない。その土地に仕事がなければ他所へと移るしかないが、何処へ行っても仕事を得られないとなると、今度は原始的な狩猟や採集に頼る他無くなってしまう。それらにしても、豊かな土地は限られており、そこには縄張りといったものが存在する。そんな場所を避けて領主の庇護下から離れれば、それだけ魔獣などに襲われるような事も多くなる。そんな環境から野盗に身を落とす者も出てくるのである。
そういった環境でも自力で冒険者になれるような者は、ほんの一握りの力を持つ者でしかなく、大半の者はただ生きるだけの事すらままならないのだ。
領主の庇護も期待できず、安定した食い扶持もない力なき者達が、それでも何とか生き残る為に、自然と生み出されたのが互助組織のような生活共同体であった。
主導する者が資金を募り、不慮の事故などで稼ぎ手を失った家族の生活を保障する。騙されて食い物にされる者は後を絶たないが、それでもなお辺境に根付いてあり続けている、そんな非公式の制度である。
領主と商人達が主導して利益や安全を生み出す為に立ち上げたのが冒険者ギルドであり、職人達が権利や技術や伝統を守る為に結成したのが職人ギルドである。
ならば、そういった辺境の互助組織とは、そこに生きる力無き者が創り上げた、民のギルドと言えるものかもしれない。
そんな互助組織に保護され育てられた幼子は、成長するに従って自身に力があることを知る。それは冒険者としての資質であった。
その力さえあれば、その身一つを武器として生き抜くことも、成り上がることも出来たのだろうけれど、彼は互助組織の一員として生きる事を選択した。
冒険者としての稼ぎの殆どを上納し、自らには常に慎ましやかな生活を課し続ける事で、若くして組織の中で地位を得る。地位を得た後も私欲に走ることは無く、組織の緩みを引き締め、後進の育成に精を出す日々を送っていた。
今のウォードにとっては、顔も知らない者達が、組織を頼る力無き辺境の民こそが、生涯を賭して愛し守るべき家族となっていた。
そんな生き方に至るまでは、決して平坦な人生ではなかったが、30を過ぎた今となってみれば、それは十分に満足できるものであった。
満足ではあるが、不安もある。広く辺境に根を張る組織は大きなものであり、ウォードがどれだけ冒険者として稼いでも、十人の家族を養える程度でしかない。
組織の資金を運用しても、ウォードの手の届く範囲は限られているし、その中でも常に人の悪意や腐敗がついて回る。そして、それらを事細かに処罰して回っては、組織自体が立ち行かなくなってしまうのだ。
後進の育成にしても、それなりに力のある者は大抵がそれを己の利益を求めて使うため、組織から離れていってしまう。それを咎めるのも酷な話だ。誰しもが豊かに生きたいし、守りたい家族と呼べるのは、せいぜいが己の手の届く範囲に止まるものだろう。
ウォードはオルベアの町並を眺めて想いを馳せる。
豊かな町である。昔の英雄が竜を狩り、このジルムベイグという土地に根を張ったのだという。そこから長い時をかけて辺境を拓き、その末にこのような町を築くに至ったことを想えば、なんと壮大な偉業であることだろうか。
その英雄の威光も、ウォードの家族には届かない。自らが英雄になり弱き者の生き場所を、などと意気込んだ時期もあった。そして、それが若い冒険者にありがちな馬鹿げた夢想であると気付く為に、少なからぬ代償を払いもした。
既に大志は萎えていた。後は大きな仕事の一つもこなし、後進の育成と、手の届く範囲の者達を守る事に専念しようかと考えるようになったこの頃である。
そんなウォードがオルベアに滞在してから一年になろうかというある日の事だった。
大した仕事も無い様なこの町の冒険者ギルドに、場違いな雰囲気を持った一人の戦士が姿を見せる。一際目を引く大柄な体には、その歴戦を物語る戦傷が刻まれていた。自信に満ちたその表情からは不思議と嫌味を感じる事は無い。
こんな男がなぜこの町を訪れたのか、そんな興味を抱かずにはいられなかったウォードは、自然と彼に声をかけていた。
ディマスと名乗った男は仲間の里帰りに付き合ってこの町を訪れたらしい。この町を故郷とし、この男の仲間として生きられる、そんな境遇に対してウォードは軽い妬心すら抱いてしまう。
そのまましばらく話し込んでいると、若い仲間が用事を済ませて戻ってきたらしく、ディマスとの会話はそこで打ち切りとなった。
しばらくは町に滞在するというのだから、機会があれば近隣の野盗討伐にでも誘って見てもいいかもしれない。
そんな事を考えていた矢先である翌日、再びディマスが冒険者ギルドに顔を出した。どうやら今度は受けられる依頼を物色しているらしい。
「よおディマス、昨日の今日でもう依頼を受けにきたのか?
とはいえ、あんたからすれば物足りない仕事しか無いようにも思うが」
「なに、滞在中の暇つぶしだ。
連れの連中は色々と忙しいようだが、俺には特にやる事がないんでな」
「なんだ、その口ぶりだと一人で依頼をこなすのか?
……腕に自信はあるんだろうが、万が一と言うこともある、
なんだったらうちのパーティと同行してみないか、どうせ暇つぶしなんだろう?」
渡りに船とばかりに同道を申し出たウォードに対し、一考する素振りを見せたディマスだが、その答えは芳しくないものだった。
「気を使ってくれるのは嬉しいが、今回は止めておこう。
この位の仕事に俺がついて行っても、そちらの若い奴らの邪魔になるだけだろう。
もう少し大きな仕事があれば、こちらから誘わせて貰いたい位なんだがな」
確かに若手の育成も視野に入れているウォードのパーティを思えば、ディマスの言は最もである。残念には思うものの、これ以上拘泥するのもおかしな話だ。
「そうか、それじゃあまたの機会に……とは言っても、ここら辺じゃあそういう仕事もなかなかお目にかかれない訳だが、まあ、縁があったらという所かな」
二人が軽く笑顔を交した所で、ウォードの所の若手がギルドの入り口に姿を見せた。 名残を感じつつもディマスと別れ、ウォードは仲間の元へと歩いていく。
若手の男は再びギルドの窓口に向かったディマスを見てウォードに訊ねてきた。
「あまり見かけない野郎ですけど、ウォードさんの知り合いか何かですか?」
「いいや、昨日会ったばかりの行きずりさ。
パーティに誘ってみたが断られちまったよ、ここら位の仕事なら一人で十分らしい」
「一人でって……野盗に魔法使いでも混じってたらどうすんでしょうね。
下手したら死んじゃいませんか?」
「まあ、ここらの野盗じゃ、そこまで警戒する必要もないと踏んだのかもな。
迂闊と思わなくも無いが、大事もないだろう」
確かにウォードの持つ情報から照らしてみても、この一帯に集まる野盗の中にそれほど危険度が高い集団がいるとは考えられない。
しかし、若手の男が言ったように、万が一にも魔法使いを含んだ集団に出くわせば、一人で相手取るのは無謀としか言いようのない事だろう。
そんな事に気が回らないほど経験が浅いとは思わないのだが、自信が過信に繋がってはいないだろうかと不安になる。
「どうかしたんですか、ウォードさん?」
「ああ、別になんでもない、報告を聞こうか」
若手に声をかけられて、ウォードは我にかえった。一度は気を使ったのだから、これ以上のおせっかいは無用だろうと考え、その後で、こうも老婆心が先行するようでは、いよいよ引退も近いかと自嘲する。
なんにせよ、この町にいる内はこれ以上の関わりを持つ事もないだろうと、若手の報告に耳を傾けながら考えるウォードであった。




