第17話 - ささやかな食卓 -
日も落ちきって夕食の時間としては程よい頃合に本宅へと戻ってきたティグ達だったのだが、それでももうしばらくの間は空き腹をごまかさねばならなかった。
それというのも、ここ最近はオーグの帰りが遅くなりがちで、それに合わせるようにして夕食の開始もずれているのだという。おかげで、エイダムが手土産に持参してきたお菓子が思った以上に好評を博していた。
「なかなか気の利いた土産物じゃのう」
修行に一区切りをつけて二階から降りて来たクリスが、ミリィと並んで油で揚げた一口大の菓子を摘んでいる。小麦と砂糖が原材料のその菓子は、自然な甘味が特徴のどこの町にもよくある類の品である。確かに格式張った高級な菓子折りをもって来られるよりも、気軽に摘みやすいというものだ。
卓に人数分並んでいるお茶は、こちらもエイダムが持参し、手ずから淹れたもので、菓子を食べた口元を湿らすのには丁度よい塩梅であった。
別にこの手土産の功績という訳でもないだろうが、ティグの仲間と家族は子細なく打ち解ける事ができていた。
「あんまり食べ過ぎると、晩飯が入らなくなるからほどほどにな」
コウトが釘を刺すように言うと、もう一口といった感じで菓子に伸びかけていたクリスとミリィの手が、ギクリといった様子で止まり、そのまま引っ込んでいく。
台所からひと仕事終わらせて戻ってきたエリシアがそれを見て、微笑みながら言葉を告げる。
「オーグも、もう少ししたら帰ってくると思いますからね。
お二人もすみません、お待たせしてしまって」
「いえ、これだけの町の守備隊長ともなれば、その責も軽いものではないでしょうし、
町の情勢を考えれば当然の事だと承知しています、気になさらないで下さい」
エリシアにお茶を用意しながらのエイダムの言にディマスも頷く。二人共現役の冒険者なのだから、定時の食事でなければ、などといった繊細さとは無縁である。
「そう言って貰えるとありがたいわ。
あら、おいしいお茶、飲み慣れない物だけど、どこか他所の町で買われたの?」
「いえ、今日市場で見かけた物ですよ。
良い物だったので纏めて買いましたから、お気に召したようでしたらいくらか置いていきましょう。
これだけ賑やかな町なら、探せばいくらでもいい物が見つかります」
「私、お茶おかわり!」
「私ももう一杯もらおうかの」
「はいはい、今入れますね」
町中で起こる事件や日常の細かい揉め事から、頻発する野盗の被害への対応に加え、数が減ったとはいえ無くなる事はない魔獣への備え、それらを滞りなくこなす為には明らかに不足している駐在兵力の増強など、オーグが町の守備隊長として任されている仕事は多岐にわたっている。
町の拡大に伴って領主から派遣されて来た代官は無能という訳ではないのだが、内政面の事務的な処理を取り仕切るのを主要な役割と定めているのか、その領分からはみ出した事案への対応が遅れがちなのも事実であった。
その代官にとって部下ではあるけれど、古株で住人達の間でも人望のある守備隊長といったオーグの存在は何かと扱い辛いらしく、確執と言うほどの隔たりは無いにせよ、有機的な協力関係を築けているとは言いがたいのが現状だ。
町の有力者などが本来なら役所に持ち込むべき内政に関わってくる問題を、顔馴染みであるオーグに相談し、現場の判断で解決してしまうという様な事が何度かあった辺りオーグの方にも責任が無いとは言い切れないだろう。
現場に関しては堪と経験と人脈でなんとか上手く立ち回れても、事務方の仕事では後手に回ってしまう。今の所は大過無く治安を維持できてはいるものの、もう少しなんとかならないものかと考えながら、この日も遅くなってしまった帰宅の途についていた。
自宅の前まで来て、そこにある見慣れない荷馬車と聞こえてくる平生よりも賑やかな歓談の声で、来客がある事を察したオーグの足が幾分か早くなる。町の住人や行商人がこんな時間まで滞在してはいないだろう。となれば、家に訪れているのが何者であるかを予想するのはそれほど難しい事では無かった。
帰宅を告げる言葉とともに玄関の扉を開きながら、オーグは居間へと視線を向ける。その先から帰って来る出迎えの声に、普段とは異なる懐かしい響きが混じっているのが解った。
「ティグ、帰ったのか!」
仕事の疲れも忘れ、逸る気持ちを隠す事も無く足早に家族の待つ食卓へ向かい、居間から出迎えに出てきたティグとぶつかりそうになってしまう。
3年前に家を出た時より更に成長した息子は、既にオーグと変わらないほどの身長に達していたけれど、そんな事で見間違えるはずも無い。オーグは満面に喜色を浮かべて腕ごと抱きすくめた息子の背中を叩く。
「よく帰った、でかくなったな」
「うん、たただいま、父さん」
旅立ったティグの実力に不足があったとは思わないが、それでも冒険者というのは死と隣り合わせの職業である。二度と会えないという事態も想定しない訳にはいかなかったのだから、無事の帰郷が嬉しくない筈がない。
そんな父親の想いをティグは面映く感じてでもいるのか、拒絶こそしないもののどこか困った様子で受け止めていた。
「そこにいるのはお前の仲間か……ん、なんだ、コウトまでいるじゃないか」
「お久しぶりですオーグさん」
オーグが食堂に並ぶ顔ぶれを見回しコウトと視線が合う。驚いた後に真剣な表情でその顔を見つめ、やや置いてから再び破顔する。
「お前もよく帰ってきたな、一端の冒険者って顔になったじゃないか」
「ありがとうございます、でもまだまだって所ですよ」
澄ました調子でそう答えたコウトだが、嬉しそうな内心を隠しきれてはいない。
その後、ティグが紹介する形でディマスとエイダムが簡単な自己紹介をした。
初対面の戦士と魔法使いを、オーグは心から歓迎する。ティグとコウトが連れて来た人物に対してどんな懸念を抱く必要があるというのか。町の守備隊長という立場からすれば今少し考える事があるのかもしれないが、普段の仕事ぶりがそんな調子なのだからこの場に限ってどうこうしようなどとは思わなかった。
冒険者としての生活の中でも、賑やかな晩餐というのは珍しいものではない。大仕事を終えた後などは、冷めやらぬ興奮や互いが無事であった事への安堵などが入り混じり、力の限りに生を噛み締めるかのような騒ぎになる。
独り立ちして以来今日の日まで、幾度と無くそんな経験をしてきたコウトだが、賑やかという同じ言葉で表せるのに、まったく質の違うこの夜の食卓がひどく心地よい物であると、改めて感じ入ってしまう。
この家の皆が自分を家族と呼んでくれるその事に、コウトは朗らかな誇りと幾ばくかの寂しさを感じていた。ここはコウトにとっての出発点ではあっても、決して到達点では無い。今日の様にふらりと立ち寄る事はあっても、この地に根差して生涯を送ろうとは思わなかった。
そして、そんな想いと同時に、この陽だまりのような場所がいつまでも変わらずにあって欲しいと、心から願わずにはいられない。
故に、食卓の話題がこの町の近況へと及んだ折に、オーグがちらりと見せた浅からぬ心労を滲ませる表情と、それを心配そうに見つめるエリシアの視線は、コウトにとってさらりと看過できる類のものではなかった。
「まあ、町がこれだけ大きくなれば、それだけ騒動の種も増えるという事だな」
快活に笑って見せたオーグは、それ以上の事情を語ろうとはしない。
実際にコウト達に頼るような必要は無いのかもしれないし、のっぴきならない状況にも関わらず見栄を張って黙っているような事もしないだろう。それをわざわざ詮索するのは差出口と言うものだ。
だからコウトはこの町で調べる情報の幅を広げる事にした。エイダムから任されている仕事を疎かにする訳にもいかないので、それだけ負担は増えるだろうけれど、それだけの事である。そこで知り得た情報が、オーグの役に立ちそうな物ならば、それとなく伝えればいい。さしあたっては治安に関する事柄だろうかと当たりをつける。
コウトにできる孝行はその程度のものだ。どうせ高価な金品の類などを渡しても笑って突っ返されるだろうから、こういう地味な形で心付けに代えるほか無いのである。
そんな事を考えていると、話題は別の事柄へと移っていた。
この町での予定を聞かれたので、今日の内にも工房の炉に火を入れて、明日から作刀に励むつもりであると、そう答えたティグだったが、その結果大小の差こそあれ、この場にいるほぼ全員からダメだしを浴びる結果となっていた。
ティグが刀造りに没頭する姿を知る家族達は、帰って来て間も置かずに工房に篭ってしまってはあまりにも愛想が無いと言うし、刀造りを依頼された仲間からも、そこまで急かずとも別に何かとやる事もあるだろうと嗜められた。何故かクリス辺りがその言葉に熱心に頷いていたのだが、いまいち心当たりが無いので困ってしまう。
唯一の例外としてミリィだけは工房が稼動する事に興味を示していたけれど、それも熱心に後押しする程の物ではなかった。
「俺は古い馴染みの所に顔を出してみようとおもってるんだ、
そのついでに色々町を見て回るつもりだよ。
ティグも誰かに案内でもしてもらいながら、町を見て回るのもいいんじゃないか?」
ティグが困り顔をしている所にコウトが助け舟をだした。
なるほど、皆が言っていたのはそういう事かと、ティグは黙って頷く。
外観から見るだけでも町の様子は随分と変わっていたし、内側から見てもそれは同じだろう。確かに町の変化くらい確認しておいてもいいだろうし、これだけ賑わっているのなら市場で掘り出し物が見つかったりするかもしれない。
目的地を前に足踏みしているような感覚は一先ず置いておく事にする。一心不乱に刀だけを追いかける事は既にやり終えた筈だ。今ティグの周りにいる者達が口を揃えてそれを言うのなら、それは今やる価値のある事なのだろう。
「それならば私に任せるのじゃ、あちこち案内してやるでの!」
ティグが自戒と反省をしている隣では、クリスが勢い込んで案内役を買って出てくれていた。わざわざ手間をとらせなくても良かったのだが、せっかくの厚意を無下にするのもまた愛想が無いと言われるだろう。直近の失敗を省みて、ティグは感謝の意を伝え案内役を頼むことにする。
それに応じたクリスの晴れやかな笑顔で、今の選択に間違いがなかった事を確認して一人胸を撫で下ろした。自分が心の機微といったものに疎い事にはいくらか自覚があるのだが、いかんせん生まれ持った資質の問題なのだろうか、余裕のある時にこうやって手探りで事へあたるのが精一杯であった。
質量ともに十二分といった料理が並んでいた食卓も、空の食器がその大方を占める様になった頃合で、ちょっとした事態が生じる事となってしまった。
発端はクリスが積極的にティグへと話しかける中で、何気なく語った今後の展望についての発言だった。
「今度ティグが町を出る時は、ちゃんと私もついて行くからの!」
クリスとしては今日まで並々ならぬ努力を続けてきたし、ボルドからも十分な評価を受けていたのだから、当然の事柄を確認しただけの話である。
しかし、クリスの事情や努力、その成果の程を知らないティグ達からすると、その提案は寝耳に水としか言い様のないものだった。確かにティグだけは、3年前町を出る別れ際にそんなやり取りがあったと思い当たりはしたのだが、それでもクリスの希望は二つ返事で了承できるものではない。
「ん、どうかしたのかの?」
ティグを始めとしたパーティの全員が言葉を選ぶように口を閉ざす中で、なにやら微妙な場の雰囲気を察したクリスが首をかしげて尋ねる。その様は歳相応に愛らしくはあるのだが、今回の場合はその辺りが問題だった。
確かに十台前半という年齢であっても、見習いとして冒険者のパーティに参加する者がいない訳ではない。しかし、それは若手の育成を視野に入れた比較的安全な依頼をこなすというのが前提であり、辺境の最前線を主戦場とする様なパーティに参加するとなると話は全く違ってくる。
例えば同じ魔法使いであるエイダムは、貴族という最上級と言える環境の下で、若くしてその抜きん出た才能を開花させている。そんなエイダムであっても十四歳という年頃の自分を思い起こし、その頃の自分がこのパーティに参加したと仮定して、活躍とまではいかずとも何らかの経験を積むだけの働きが可能であったかを考えると、難しいと言わざるを得なかった。
コウトの時の様に体だけでも出来ているのならば、多少無茶をさせてもフォローは出来る。しかし、クリスの年齢を考えると、たった一度の失敗が取り返しのつかない結果に繋がりかねない。将来的にどれだけ伸び代があるにせよ、現時点では時期尚早と言う外ない。
エイダムが視線を走らせ仲間達の表情を探る。概ねの所はエイダムと同意見なのだろう、それぞれが困ったような顔をしていた。
身内の二人では面と向かって断りづらいだろうし、ディマスに上手くまとめて貰うなどという事は期待できない、というより、熱意を認めれば細かい事を考えずに了承してしまうかもしれない。ここは自分がやるしかなさそうだと割り切って、エイダムは気乗りのしない役回りを引き受ける事にした。
「なるほど、クリスさんは我々のパーティに参加希望ですか」
エイダムが落ち着きを感じさせる笑顔と共に改めて問いかける。それを見た他の三人はこれで一安心といった風に気持ちを切り替え、成り行きを見守る態勢になった。
「そういう事になるかの、よろしくお願いするのじゃ」
エイダム等の内心を知らないクリスは気後れする事もなく肯定の言葉を返す。自分がどういう状況にあるか気付いていないようである。
エイダムとしてはこの将来有望そうな魔法使いの少女に対して、出来る限り悪い印象を与えない様にしながら参加を断念させたいと考えていた。今後を考えれば有能な人材との縁を繋いでおくのは重要な課題の一つなのである。
「そうですね、それでは事前に幾つか簡単な確認をさせて下さい。
クリスさんはまだお若いですけど、実践の経験はどの程度積まれているのですか?」
「うむ、何度かお爺ちゃんと一緒に町での依頼に参加したことがあるのう。
自慢ではないが、なかなかの活躍が出来たと思うのじゃ」
「そうですか、その歳で大したものです。
私が貴女ほどの歳の頃は、実戦経験などまったくありませんでしたからね」
クリスの答えは見栄を張っているといった風にも見受けられない。おそらく言葉通りの経験を経ているのだろう。
つまる所、クリスの経験はその程度の物でしか無いと言う事である。
この町で受けられる依頼の質と数を考えればたかが知れたものであり、そこにボルドという熟練の冒険者が保護者としてついて行ったとなれば、それらの依頼で身の危険を感じるといった事態は起こらなかった筈だ。
今日初めて顔を会わせて幾らかの会話を交わしただけではあるが、ボルドの腕と経験が本物である事に疑いは無い。この人物がもうひと歳若ければ、請うてでもパーティへの参加を求めていた事だろう。
そして、その実力と経験が本物である以上、エイダム達の戦場がどのような物で、その場にクリスを放り込む事がどのような危険を伴うか理解している筈だ。
この気丈で恐れを知らないような少女に対し、正面から諭してみても素直に聞き入れて貰えるとは思えない。そんな物分りの良い性格であるなら、コウトやティグが先程の様な表情を浮かべる事も無かっただろう。
そこで鍵となるのがボルドである。クリスの祖父であり師であるこの老魔法使いが、少女の信頼を一身に受けているのは疑いない。そのボルドから押し止められれば、如何に不満があろうとも聞かない訳にはいかないだろうし、不満の矛先がこちらに向かう事も無いといった次第であった。
「我々は今後辺境の奥に活動の場を求めようと考えているのですが、クリスさんとしてはその事についてご不満はありませんか?」
「ふむ、なにも問題はない、任せておくが良いぞ」
その返事と度胸に関しては心強いと思わなくもないけれど、現実はそうそう甘くは無い。仮に取り返しのつかない事態が起これば、身内の二人との間に浅からぬわだかまりが生じるであろう事は想像に難くなかった。
「そうですか……では、その辺りの事をボルドさんはどうお考えでしょうか。
祖父として師として、どちらでもでも構いませんが、ご意見を聞かせて頂きたい」
エイダムに水を向けられたボルドの方へ一同の視線が集中する。周りと一緒になって事の成り行きを見守っていたボルドだが、意見を求められ気楽そうな雰囲気をやや改めると、短い思索の後にゆっくりと口を開いた。
「そうじゃな、師として言わせて貰えば、如何に研鑽を積んだとはいえ、お前さん達のパーティに参加するとなれば、クリスの力では一枚も二枚も劣るじゃろうな。
大人の中に子供が混じる、そんな結果になるのは目に見えておるのぅ」
「む……まあ、そ、それは当然じゃの」
ボルドの率直な意見で、いままで堂々としていたクリスに動揺が見られた。自分の方が優秀だと思っていた訳ではないだろうが、ボルドの口から改めて言われるとまた違った印象があるのだろう。
「さらに祖父として言わせて貰えば、少々甘やかし過ぎた所為もあるじゃろうが、
若さと相まってか、ちょっとばかり怖いもの知らずな所が目立っておるかのう」
「そ、そんなに言うほどの事ではないと思うのじゃ……」
合いの手を入れるように口を挟むクリスだが、その語尾は明らかに弱々しい。
当然の見解ではあるのだが、それがクリスにとって好ましくない結論へと続かざるを得ない以上は気落ちするのも仕方のない話である。
当たり前の判断とはいえ、そうなるように仕向けたエイダムとしては少なからず胸を刺すような思いも無いではない。
「その二つの点を踏まえた上で、先達の冒険者として結論を出すならば」
「うむぅ……」
俯くクリスから漏れる消え入りそうな声からは不安の色ばかりが読み取れた。
クリスが自信の根拠としているのがボルドからの言葉なのだから、その当人の口から否定的な言葉を並べられてしまえば、反論の余地など何処にも無くなってしまうのだ。
「常に指揮を執る者の指示を仰ぎ、その判断に従い行動する事を肝に銘じよ。
その上で、行動の意味を考え、理解し、自らの経験とするように勤めるんじゃ。
それこそが冒険者としての修行となるじゃろう、決して怠るでないぞ」
「あ、わ、解ったのじゃ!絶対そうするのじゃ!」
しっかりと釘を刺してからの激励は、クリスの胸に深く刻まれた事だろう。皺だらけの祖父の手で頭を撫でられているその金色の瞳には、強い意志の光が宿っていた。
その一方で、目論見が完全に外れた形のエイダムは、唖然としてその光景を眺める事となった。
何処で何を見誤ったのだろうか、見当もつかないエイダムだが、このまま黙っていては流れのままにクリスの参加を承諾するという事になりかねない。最悪そこに至っては当初よりも俄然やる気を出している今のクリスに、真正面から否を突きつけなければならなくなってしまう。
「なるほど、ボルドさんとしては、クリスさんが我々のパーティに参加する事に、
一切不安はないと解釈してよさそうですね」
内心の冷や汗を隠しながら、一切という言葉を心持ち強く発言している辺りが、エイダムとしては最後の足掻きといった所である。
このボルドという人物が、危険を承知でみすみす孫を送り出すような判断をするだろうか。むしろ、唯一の肉親と言うのならば、逆の立場、頑として参加を押し止めようとするのが普通なのではないか。
「ふむ、そうじゃのぅ、お前さん達が並みのパーティであるならば、
わしとしても現状でのクリスの参加は見送らせたと思うんじゃがな。
聞いた所によるとそちらのディマス殿は、ティグを上回る程の実力者であり、
お前さんはそれに見劣りせん程の魔法使いというらしいからのぅ。
龍の討伐に向かうというのでもなければ、無理に止めようとは思わんよ」
確かに凡百の冒険者達と比べれば、エイダム達の実力は一線を画するものであると断言できる。だからといって、見習いの魔法使いを抱えた上で、一つの失敗も起こさずに戦い続けられるかと言われれば、やはり容易な話ではないのである。
こうなってしまっては印象云々は言っていられないだろう。或いはこの老人にそういう心根を見透かされた故に、こういう流れが作られたのかもしれない。それならば、それはエイダムの失敗であり、自身が負うべき責任であろう。
覚悟を決めてエイダムが自身の懸念を口に出そうとする寸前に、ディマスの大きな声が食卓に響いていた。
「まあ、その辺りの話は一度そちらのお嬢さんの腕前を見てからという事になるな!
御老の評価は十分に分かったが、それだけで決める訳にもいかん。
お嬢さんも異存はないだろう?」
「当然じゃ、この力しかと検分して貰おうではないか」
「おう、なかなかいい度胸だ、だが採点は甘くならんからそのつもりでな」
「望むところじゃ、吠え面の練習でもしておくが良い」
強引なディマスの介入で話の流れと共に、憎まれ役まで持っていかれてしまったエイダムは、なんとも示しのつかない格好になってしまった。
更に言えばこの場で直接断るよりも、ディマスの提案通り一度その力を見た上でという手順を経たほうが、まだ与える印象もましになるというものだろう。
目論見が狂った事で視野が狭くなってしまっていたらしい。いち早くそれに気付いたディマスが咄嗟に助け舟を出してくれたという訳だ。
「エイダムもそれで構わんだろう?」
「む、なんじゃ、エイダム殿も私の力を疑っておったのかの」
「ああ、いえね……」
やや好戦的になっているクリスが、噛み付くような視線をエイダムに向ける。
せっかくディマスが泥を被ってくれたのだから、エイダムまで睨まれるのではせっかくの気遣いがふいになってしまう。
咄嗟に言い訳を考え、ちらりとコウトの方を見て心中で軽く謝ってから、エイダムはさらりとそれを舌に乗せる。その辺りの所作は見事なもので、さも当初からその事を考えていたと思わせるに足る語り口であった。
「実を言うと、以前我々のパーティに腕の立つ戦士が一人在籍していたのですよ。
ティグが仲間になる前の話しになりますね」
「ふむ?」
突然始まった話に気勢を削がれたのか、クリスも攻勢を緩め、周りと一緒に耳を傾ける態勢になっていた。ただ、コウト一人が話の取っ掛かりと寸前の視線の意味を考え、なにやら怪訝そうな顔をしている。
意図する所を気取られて騒がれる前に、エイダムは話を進めることにした。
「その彼女、ああ、その方は女性の戦士でして、本当に腕は確かだったんです。
けれどまあ、私生活で少々奔放な所があって、まあそれだけならよくある話ですが、
ある時、とある純情な青年が彼女の行動を真に受けてしまいましてね、
その結果心に浅からぬ傷を負ってしまった、なんて事があったんです」
「あー、あったなぁ、そういう事も」
思い出したように相槌を入れたディマスがコウトの方を見ると、周りの視線もそれを追う。その先には、表情を消そうと努力しながら顔面をヒクつかせる青年がいた。
完全な嘘というのは中々難しいもので、信用に足る演技をするには事実に基づいた材料が必要である。そういう意味でディマスやコウトの反応は、実に理想的と言えるものであった。
その助演を担ってくれた青年が早足でエイダムに近づいてきて、ひったくるようにしてその首に腕を回し、感情の篭った小声で噛み付いてくる。
「取り繕う為の言い訳にしても、だ!
なんでその話なんだよ、なんか他にあるだろ!
なんで俺を巻き込むんだよ、失敗したのあんたでしょうが!」
「いや、悪いとは思ったんですけどね、咄嗟に思いついた話があれだけでしたから、
やむを得なかったんですよ。
申し訳ないと思った証拠に、ほら、ちゃんと配慮はしてますし」
「なんだよ、配慮って。こっちは面子丸つぶれだよ!」
「あれですよ、今思うと件の彼女って、エリシアさんに似てましたねとか、
そういう個人的感想を述べるのはちゃんと控えてたでしょう?」
エイダムが言い終わるのを待つことなく、コウトは肺の中の空気を盛大に吐き出していた。その上でさらに嘔吐くような激しい咳が続くものだから、何事かといった雰囲気が漂ってしまう。
「コウト、あなた大丈夫?」
「ああ、いえ、平気です、ちょっとエイダムがおかしな事を言うもので、
ちょっと驚いただけです、いえ、ほんとに平気ですから」
心配そうに気遣いを見せるエリシア相手に、必死で体裁を取り繕っているコウトの事は放っておいて、エイダムは話をまとめる事にする。
「どうも私が気を回しすぎていたようで、今ほどお叱りを受けてしまいました。
もとより身内であるクリスさん相手に、する必要もない遠慮をしていたみたいです。
クリスさんとコウトにはいらぬ気を回させてしまったようで、申し訳ありません」
「ああ、うむ、それはもういいんじゃが、コウトとその女性と言うのは……」
「そこは掘り下げなくていいから!この話はこれで終わりだから!」
コウトの妨害で話を切り上げられてしまいクリスは何とも不満そうだった。年頃の少女としては気になる話題なのかもしれないが、ともあれ、話としてはそれなりの場所に落ち着いたといった所だろう。
今回の話を改めて振り返れば、反省すべき点はいくつも見えてくる。ディマスの介入が無ければもっと悪い結果になっていただろうし、そこに至るまでにも何かと見立ての甘い所が多かった。
何事も思い通りには運ばないものだと考え、エイダムは大きなため息をする。
「なんだよ、人をダシにして上手く誤魔化したくせに、まだなんか不満なのかよ」
場の話題が別の事柄に変わっている中で、なにやら普段より荒んだ感じのコウトが絡んでくる。
実際エイダムの失敗を繕う為に巻き込んでしまった訳である。もともとコウトをからかう為に使おうと思っていた話であるとはいえ、申し訳ない気持ちは確かにあった。
なので、今回くらいは真摯に対応しようと、少し本音を漏らしてみる。
「いえね、黒幕を気取るには何かと力不足であると、打ちひしがれているんですよ」
「はっ、諸悪の根源みたいな人が何を言ってんだか」
如何に心が荒んでいるとはいえ、弱みを見せた仲間に追い討ちをかけるなどという蛮行は、年長者として見過ごす訳にはいかない。
エイダムとしては心痛この上ない所だが、先だっての方針を180度転換する。
「ああ、なんだかお酒でも入った拍子に個人的感想がこぼれてしまうかもしれません」
わざとらしいエイダムの演技に、コウトの顔色が変化する。
「っ!……そういう事ばっかり言ってると、そのうち痛い目見るんだからな!」
「コウトが私を手玉に取れるくらいまで成長してくれるのなら本望ですよ。
その時は喜んで黒幕の座をお譲りしますから、是非とも頑張って下さい」
「そんなもん最初っから願い下げだよ!」
「それと、私はいいんですけどね、ちゃんとディマスの方にも言い含めて置かないと、
ほら、クリスさんが何か聞き出そうとしてるんじゃないですかね?」
「えっ!?あ、ちょっ、ディマス、ディマース!」
慌てて駆け出すコウトをにこやかに見送りながら、エイダムは自省を再開する。
今回にしても大きな問題には直結しなかったとはいえ、こんな簡単に失敗を重ねるようでは問題だ。いずれ来る大敵との対峙を見据えれば、こんな調子では話にならない。
「まあ、買い被ってくれてるコウトには、もうしばらく位大きい顔していたいですね」
成長著しい仲間を思い、負けてはいられない、そんな決意をこの日の総括と定めるエイダムであった。




