表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/63

第16話 - お年頃 -

 それは不意打ちであった。まさしく青天の霹靂で、間違い無く夜討ち朝駆けの類に属するものだろう。少くともクリスには、そうとしか感じられない様な事態であり、そんな状況に直面した少女は完全に浮き足立っていた。

 今日の日が来ることを待ち望んでいたし、その為に脇目もふらず力を磨いてきた。その甲斐あって、今度こそは力不足とは言わせないだけの自信もついている。

 だから、階下からミリィの声が聞こえた時は、祖父との修行中である事も忘れて、部屋を飛び出しそうになった程だ。

 祖父から静止される事もなく、そのまま玄関へと直行しようと扉の前まで走った所で、その足がピタリと止まる。

 この時クリスは、会いたかった幼馴染との再会を前にしてふと考えた、そういえば自分は、今どんな格好をしていただろうかと。

 ティグが旅立ってから今日までのクリスは、日々の大半を自宅に篭もって修行に費やし、他人からの視線など家族から受けるもの以外に存在しなかった。たまに外出する事があっても、適当な服の上に全身を包むローブを羽織るだけである。

 そのため、クリスの身だしなみに対する意識は日々薄れていく一方であり、共に暮らす家族達はその強い想いに水を差すような事もしない。その結果、実用性という名の下に、近頃では飾り気のないというより、だらしないと表現したほうが相応しい、およそ年頃の少女とは思えない様な姿で毎日を過ごすようになっていた。

 何も晴れ着を着て出迎えようとは言わないが、それにしても今の格好はひどいのではなかろうか。そんな、ここ数年は頭をよぎる事もなかった思いに囚われる。そういえば、今日も寝起きのままで祖父の部屋に来て、そのまま修行を始めたのだから、顔も洗ってないし、髪だって梳いていないのだ。

「どうしたんじゃクリス、出迎えに行かんのか?」

 ボルドが扉の前で固まっている孫娘を訝しむ様に声を掛けてきた。

 疑問に思うのは最もな話である。日頃からティグはまだ帰らないのか、いつになったら戻ってくるのだ、そんな事ばかり話していたクリスの事だ、誰よりも先に飛び出していくのが当然だろう。

 だがしかし、数年を経て再会するティグを、このまま出迎えていいのだろうか。具体的に言うと、ボサボサの頭に、目やにでも付いているかもしれない顔、しわくちゃで丈もろくにあっていないヨレヨレの寝巻き姿である。

 あり得なかった。クリスは危ういところで幼馴染の心の中にあるであろう、年上の素敵なお姉さんという印象をぶち壊しにしてしまう所だったのだ。ティグの歳を考えれば、旅先で寂しい思いをした時に、ふとクリスの事を思い出して、心の拠り所にしていたかもしれない。きっとそうに違いない。

 むしろ、いくらか美化されていても何らおかしくないティグの期待を前に、当の本人がこんな姿で登場するのは裏切りであるとさえ言えるだろう。

「お、お爺ちゃん、ちょっと先に行ってて欲しいのじゃ。

 私は色々やらなきゃだめな事を思いだしたからの」

 そう言い残すと、クリスは自分の部屋へと駆けていく。それを見送ったボルドは、軽く顎を掻きながらゆっくりと立ち上がって玄関へ向かう。

「そのままでも十分可愛らしいと思うんじゃがのぅ。

 まあ、爺が口出しする事でもなかろうな」


 そんな次第で自分の部屋に戻ってきたクリスだが、なにせここ二年程はそういう方面の事に一切気を使ってこなかった手前、櫛の一つを探すにも記憶を辿らなければならない様な有様だ。

 元々やや雑然とした感のあった室内は、焦燥に駆られたクリスの手によって、乱雑としか言い様のない惨状となっている。

 久しぶりに箪笥の奥から引っ張り出したお気に入りの普段着は、年齢に従って健全な成長を果たしたクリスの身体に合う事はなく、窮屈で格好の悪い物に思えた。これではダメだと着ては替えてを繰り返し、なんとか丈の合う服を探し出してはみたが、やはり間に合わせだけあって満足いくような着こなしは望めない。

 まさか魔法の修行一辺倒だった事が、こんな形で裏目に出るなどとは考えてもいなかったクリスである。こんな事なら、などと思っても後の祭りと言う他ない。

「あらあら、これはまた随分と散らかしたみたいね」

 部屋の入口から聞こえた声に顔を向けると、呆れ顔のエリシアが立っていた。クリスにしてみれば、万策尽きた所に現れた救世主である。

「エリシアー、着ていく服がないのじゃ」

 クリスは泣きそうになりながらエリシアにすがりついた。

 クリスにとってのエリシアは、親子ほども歳が離れているとはいっても、母親というより頼りになる姉のような存在だ。

 冒険者として生き、その中で愛する者を得て、その子を宿し育んだという、クリスが一人の女として目標とするに足る人物である。エリシアに対する羨望と敬愛は、クリスの中で確かな憧れへと昇華していた。

 一方のエリシアも、クリスに対して母親の様に振舞うことは一切しなかった。いかにクリスの両親が不在とは言え、祖父であるボルドが十二分に愛情を注いでいる以上、それは無用の気遣いというものである。さらに、魔法の手ほどきも全面的にボルドが担っているのだから、エリシアの出る幕は無いようにも思えるかもしれない。

 だからと言って、二人の関わりが希薄なものであるかといえば、決してそんな事は無い。日常の場で最も交わす言葉の多いのがこの二人であり、そこに幼いミリィなどが加われば、男性陣には立ち入る隙間も無くなってしまう。

 エリシアにしてみれば、向けられる視線こそこそばゆいものではあるが、その好意が不快であろう筈もなく、それに応えるように家族として、年上の女性としてクリスに接するようにしていた。甘やかすでもなく遠慮する訳でもないエリシアの態度は、クリスの抱く信頼をより強いものにしていった。

「そんな事だろうと思った。はい、これ着て行きなさい」

 エリシアが手に持っていた服を差し出し、それを受け取ったクリスが目を大きく見開いてエリシアの方を見直した。その服はエリシアのお古などではなく、まだ袖も通されていないような真新しいワンピースだった。大きさや意匠をみても、エリシアが自分で着るために用意してあったとは考えにくい物である。

「集中してるクリスの邪魔しちゃ悪いと思って、今まで渡さなかったの。

 ティグ達が帰ってこなかったら、今年も渡しそびれる所だったわね」

「た、助かったのじゃ、エリシア、ありがと!」

「いいからほら、早く着替えなさい、皆待ってるんだから。

 あなた、顔も洗ってないんじゃない?

 仕方ないわね、年頃なんだからちゃんとしなきゃダメよ」

 急いで着替えているクリスを横目に、エリシアは魔法で手ぬぐいを湿らせる。顔を洗うにしても、玄関を横切らずに洗面所まで行くことはできないのだ。

 着替え終わったクリスに手ぬぐいを渡したエリシアが、顔を拭っているクリスの髪を手に持った櫛で梳かしていく。

「変じゃないかの、このまま出て行っても大丈夫かの?

 ……ティグに、笑われたりせんかの?」

 不安を乗せたクリスの言葉は、どれだけ服装や身だしなみを言い訳にしたところで隠しようのない、幼馴染との再会を目前にした少女の本心である。

 エリシアが背後からクリスの身体を包むようにそっと抱きしめた。

「ティグは大きくなったけど、それでもまだまだ子供なんだから、

 クリスがしっかり支えてあげなさい、その為に頑張ってきたんでしょ。

 そんなあなたを、誰が笑ったりなんてするもんですか。

 大丈夫、クリスはとっても素敵よ、三年前よりずっとずっと魅力的だわ」

 エリシアから貰った言葉は、全てがクリスの言って欲しかったものだった。改めてエリシアの凄さを感じ、自分の目指すべき女性像だと思い知る。自分がティグの隣にいるのなら、こうありたいし、こうあらねばならない。エリシアがティグの隣に在り続ける事は出来ないのだから。

「ありがと、エリシア、もう平気なのじゃ」

 エリシアの抱擁から抜け出したクリスは、振り返りしっかりとした笑顔を向ける。こんな所で怖気づいてはいられない。

 今度こそクリスは階下へと向かう。待ち望んでいたものがそこにあるのだから。


 階段の上に気配を感じたティグが、そちらに視線を向ける。そこにある懐かしい少女の元気そうな姿を確認し、具合でも悪いのかという懸念が杞憂であった事に安心した。

「随分久しぶりとはいえ、えらい変わったもんだな……」

 放心したように言葉を漏らしたのはコウトである。

 確かに約三年ぶりに見るティグでさえ、クリスの成長は一目瞭然なのである。十に満たない頃の姿しか知らないコウトからすれば、別人の様に思えるのかもしれない。

 背中まで真っ直ぐ伸びた紅い髪が以前より鮮烈なものに思えるのは、白磁を思わせるような素肌のせいだろう。昔ならいつでも日に焼けていた印象のあるその肌は、見違えるような白皙となってそこにある。

 それは活発だった少女の印象に大きな変化をもたらしており、微かに青みがかった白いワンピースと相まって、遠目に見るか、あるいは道ですれ違うだけならば、儚げな深窓の令嬢と思わせるかもしれない。しかし、一度でもクリスと向き合えば、そんな単純な評価は容易に一変するだろう。

 クリスを知る者ならばまっ先に思い浮かべる金色の瞳には、身の内に収まりきらない生命が満ち溢れ、燦然と世界を照らす真昼の太陽を思わせた。

 それはティグが知るままのクリスの姿であり、何がどれだけ変わっても、それだけは変わらないだろうと思える点だった。

「ティグ、ひ、久しぶりじゃの」

「うん、ただいまクリス、元気そうでよかった」

「うむ……うむ!おかえりなさい、よう帰ってきたの!」

 階段を足早に降りて来たクリスが、そのまま手の届く距離まで近づくと、以前より広がった身長差によって、ティグを見上げる形で向き合う事になる。

 そこで何故か不満そうな顔をするクリス。

「むう、少しかがむのじゃ、いいから、ほれ、はようせい」

 クリスが何をしたいのかをなんとなく察して、ティグは抵抗を試みたのだが結局押し切られてその場に片膝をつかされた。すると、案の定クリスは、自分の目線より低くなったティグの頭をかき混ぜるように撫で回した。

「あのさクリス、もう子供じゃないんだから……」

「そういう事を言ってる内は子供じゃと聞いておる、安心して撫でられるのじゃ」

 その満足気な様子に、ティグはうなだれながらも、まあいいかと諦める。別に何かが減ったりする訳でもない、と思ったのだがニヤニヤしながら見ているコウトに気づき、形のない何かが減った気がした。

「さすがのティグも、ここじゃ形無しだな。

 いや、いいと思うぞ、うん、歳相応って感じで実にいい事だ」

 明らかにからかう様なコウトの言葉だが、自身の現状を鑑みるに反論の余地など無いように思われた。この場に他の二人がいなかった事だけが幸いだっただろう。

「ん?なんじゃ、コウトもおったのか、久しいの」

「おう、久しぶり……なんていうか、クリスは色々解りやすいな、別にいいけどさ。

 ティグとの再会で気が抜けたって事にしとこう」

「なんの事じゃ?」

 キョトンしているクリスにコウトは苦笑いしていた。やがて二階から降りて来たエリシアも輪に加わって、家族がこの場に揃う。仕事中であるティグの父オーグがいないのは仕方ないだろう。

「母さん、後から仲間が二人訪ねてくるんだけど、大丈夫だよね?」

「あら、そうなの、それならそのつもりで準備しなくちゃいけないわね」

「む……ほ、他に仲間がおったのか」

 話を聞いたクリスがやや表情を固くすると、それに気づいたティグが、人見知りする性格でも無かった筈だがと首をかしげた。

「うん、元々はコウトとパーティを組んでた人達なんだけど、

 偶然が重なって僕も仲間にしてもらったんだ。

 大丈夫、二人共強くて頼れるいい人達だよ」

「た、頼りにしておるのか、むう、そうか……、

 それじゃぁのう、その二人は、なんじゃ、その……」

 クリスはより難しい顔をして、何か言いにくそうに言葉を濁す。相変わらずのらしくない様子に少し心配になってくる。

 やはりどこか具合でも悪いのかもしれない、そう思ったティグが声を掛ける前にコウトが二人について補足をする。

「ああ、クリス、心配しなくても二人共男だよ。

 ディマスとエイダムっていう戦士と魔法使いでさ、

 ティグも言ってたけど、物凄い使い手だよ」

「む、そうか、それは良い事じゃ、うむ、実に良かった」

 よく分からないが、コウトの話を聞いたクリスは平静を取り戻したらしい。とりあえず何かの心配事が片付いたのならば、ティグとしてもひと安心だった。


 来客があると聞いたエリシアが早速出迎えの準備を始める。ティグが世話になっている者達なのだからと随分と張り切っているようだ。

 そうなればティグ達も手をこまねいている訳にもいかない。積もる話も後にして、エリシアの指示の下で諸事の手伝いをする事になる。

 クリスとボルドは中断していた魔法の修行を再開しに二階に戻っていった。名残惜しそうな顔をしながらも、半端な事をする訳にはいかないと、自分に言い聞かせる様に呟くクリスを見送って、改めて晩餐や宿泊用の客室の支度に奔走する。

 忙しく動いているうちに時間は瞬く間に過ぎていく。町並みが赤く染まり始める頃になってからディマスが、更に少し間を開けてからエイダムが家を訪れた。

 二人は手土産として料理の他に、ディマスは酒を、エイダムは甘い菓子類をそれぞれ持参して来たらしい。二人共どこかの店で包んで貰ったのだろう。

 エリシアは二人に簡単な挨拶をしてから家事に戻っていく。主婦として手を抜く事は出来ないらしい。ある程度の仕事を片付けていたティグとコウトが接待を任される。

「部屋も用意したんだから、家に泊まっていけばいいのに」

「もう宿は手配してありますからね、気にしないで下さい、こちらの都合です」

 接待とはいうものの、どうせ同じパーティの仲間である、結局二人が町を回って収集してきた情報の交換と、今後の方針についての打ち合わせになってしまう。

「思っていた以上に野盗の被害が多いようですね。

 そのせいか、市場で一部の物資や燃料などが高騰気味になってました。

 まあ、お金を出せば手に入る訳ですから、深刻と言う程ではないですが、

 この町を拠点にして遠征するとなると、ちょっと出費が嵩みそうですね」

「俺は依頼の方を見てきたが、野盗は小粒な集団がひしめいている感じだったぞ。

 いっそ大集団でもいてくれれば一網打尽に出来るというものなんだが。

 冒険者の数もそれなりではあったが、どうも手が足りていないようだな」

「野盗被害の多発か……オーグさんが苦労してるんだろうな」

 三人がそんな話をしている傍らで、ティグは話し合いに参加もせずに、これから造る刀についての構想に一人胸をふくらませていた。

 ティグ達がいる場所は、家の客間ではなく庭の離れにある工房だった。久しぶりに足を踏み入れる工房に、ティグは昂る想いを抑えきれずにいるのだ。

 エイダムから受けた最初の依頼は、ディマスが使う為のひと振りである。

 細かい指定を受けている訳ではないが、並みの強度ではすぐに使い潰してしまうというのだから、強度を優先させるなければならないだろう。しかし、それだけという事になってしまうのは余りに芸がない。強度は刀の構造に工夫をして補い、先日コウトの武器から学んだ技術を絡ませるのはどうだろうか。

 ディマスが使うのだから打刀程度の大きさでは違和感が出るだろう。野太刀か、いっそ斬馬刀程の物を造ってみても、ディマスならば使いこなしてしまうかもしれない。それに、武器というものは、質量が大きいというだけでも頑健なものになるのだ。身体強化を駆使すれば多少の無理は通りそうな気もする。

 次から次へと浮かんでくる試してみたい技法に、ティグは我を忘れて思索に没頭してしまう。

「お兄ちゃんはなんでニコニコしてるの?」

 工房にはミリィもついて来ていた。家にいても構ってくれる者がいないので退屈なのだろう。人見知りもあまりしないようで、エイダムが持ってきたお菓子を片手に、普段は近寄る事のない工房を探索しているというわけだ。

「ミリィはお菓子が好きだろ?」

「うん、好き!」

「お菓子の事考えてるとニコニコするだろ?」

「するかもしれない」

「ティグもそんな気持ちなんだよ」

「ふーん、そっかー」

 コウトの説明でミリィは、分かったような分からないような顔をする。割とどうでもよかったのかもしれない。

「聞いていた通り、普通の鍛冶屋の工房とは違った感じの造りだな。

 剣の金型も無いようだが、どうやって造っているんだ?」

「確かに一度見てみたいですね。

 奇抜なだけの武器ならいくらでも見た事はありますけど、あそこまで実用的な物が体系化される訳でもなく造られていると言うのは、正直信じがたい」

 そんな周りの話を聞いているのかいないのか、しばらくの間ティグが現実に戻ってくる事はなく、ティグ達が工房から引き上げたのは、日が落ちて明かり無しでは不便な時間帯になってからの事だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ