第12話 - 望む場所 -
エイダムはティグに対し魔力触媒の貸与金やそれに伴う利子を免除する代わりに、刀を作った際に発生する魔工としての技術料を支払わない。
ティグが一定量の依頼をこなした後は、現物の返還を以て契約の終了とする事ができる。この場合、魔力触媒の損耗等は考えないものとする。
何らかの原因で魔力触媒が損失されたとしても、元来の価値以上の額を請求しない。
ティグが望むなら、元来の価値で魔力触媒を買い取る事ができる。
契約者間の関係を、それ以外の場に持ち出さない。
これ以外に何らかの問題や齟齬が生じた場合、話し合いの場を設けた上で、その都度契約を更新する。
「まあ、こんなものですかね」
エイダムが書き連ねた契約書の内容に目を通したティグが、同席したコウトの方をチラリと確認する。
「問題ないだろ、後は細かい金額のすり合わせくらいでいいと思うぞ」
契約書に目を通したコウトの肯定を受けて、ティグは安心して話を進める。
ティグには、契約だの交渉だのといった事柄に関した知識や経験、そして利益を確保する為の資質や情熱といったものが全く備わっていない。それは前世の頃から一貫して変わらない姿勢であり、今生における大きな弱点でもあった。
前世で刀を造るにあたって、安定した収入を得られるようになってからは、そこまで躍起になって金策をしなければいけない場面には行き当る事も無く、自身が得られる利益などに拘る必要がなかったからである。
しかし、この世界で最高の刀を造ろうと言うのならば、高額な魔力触媒や魔力素材の購入が必要不可欠であり、その為の利益追求は必須なものと言えた。
いずれは自分でそう言った交渉事をこなさなければいけないのだが、現状ですぐにどうにかなる訳でもなく、今回はコウトに介添えを頼んでいる。
コウトが近くにいるうちは頼らせて貰おう、自然にそんな事を考えている自分に気づいたティグは、少なからぬ戸惑いを覚えていた。
当たり前のように誰かを頼る自分に違和感を覚えたからだ。
しかし、ティグはすぐに思い直す。仲間を頼るというそれ自体が、自身の確かな成長の証なのだと。
ちなみに、今回の契約書の内容がエイダムとコウトの間で事前に話し合われた末に出来上がった物であり、その他にも約束が交わされている事をティグは知らない。
約束とは、ティグが十八歳になるまで、これ以外の契約を結ばないといった物だ。
これはティグの持つ危うい部分が、成長とともに落ち着いていく事を期待したコウトからの提案だった。こうでもしなければ、エイダムがちらつかせる諸々の誘惑に、ティグが乗せられていく姿が目に見えていたからである。
巻き込まないと約束はしていても、それ以外の所でずぶずぶの関係を築かれてしまっては、なんの意味も無い事になってしまう。
いずれティグがエイダムから協力を持ちかけられたとしても、その判断を縛るような要素を残しておきたくはなかった。
そのためにコウトは、この約束を早い段階で取り付けておく必要があったのだ。
エイダムが思い違いに気づく前に。
エイダムは二人分の署名がされた契約書をしまいながら満足そうに微笑んだ。
幾らかの譲歩はしたものの、その代わりに得られた成果に比べれば、気にする必要もない程度である。
最大の焦点であったコウトの協力は得られたし、ティグに関してもすぐには巻き込まないという約束をしただけであり、将来的には協力を求める事が出来る条件である。
エイダムの計画が十年二十年単位のものである事を思えば、ティグが成長するまでの数年間など大した問題にもならなかった。
その間に仲間としての信頼を築いていけば、それだけでその後の十分な互恵関係を期待する事が出来るはずだ。
そして、その点に関しても、十一歳というティグの年齢を考えれば、急いで手を回す必要はどこにもない、そう考えていた。
それは、見る目がないと言ってしまうには酷な、仕方のない勘違いだっただろう。
そもそも、ディマスの他者に対する評価基準は甘めであり、ディマスが主導して仲間に引き入れた者を、エイダムが戦力外と判断するのはよくある事だった。また、大雑把なディマスが、ティグとの戦いの詳細を語らなかったという事情もある。
故に、ティグに対してディマスの言った、中々見所のある戦士と言う評価はあてにしていなかったし、以前からコウトが言っていた凄い戦士だという話も、コウトの実力から見ればそうなのだろうといった程度にしか受け取っていなかった。
エイダムが直接確認していたティグの実力は、卓越した火の魔法とひと振りの刀だけであり、それだけの業を有する者が、将来的にと言うならまだしも、まさか十一歳の現時点で、ディマスが勝利を得る為に奥の手を必要としたり、魔力武器を手にしたコウトよりも秀でた戦士であるなどとは、欠片も考えていなかったのだ。
この北部大陸に国を創るという野望を抱くエイダムが、現在第一に必要としていたのは、その基盤を整える為に有用であるコウトのような人材だった。
しかし、それだけで事が成せる訳ではない。
基盤を整えると同時に、どうしても必要な次の一手を進める為には、絶対に欠かす事の出来ないものがある。実戦面での絶対的な戦力だ。
ディマスの力は求めうる最上のものではあるが、それだけでは足りなかった。コウトが力をつけたとはいえ、必要と考えている最低限の実力には達していない。
この世界で最強の生物である竜を相手にして、少人数でも被害を出す事なく勝利できるだけの力、それが、エイダムの想定している必要最低限であった。
竜の討伐で辺境の暫定的な統治権を手に入れ、そこを基点にして更なる奥地へと手を広げる。中央の貴族が辺境領土の領主に抱いている印象は、領土の末端から税金を納入してくるだけの未開人といった程度のものでしかなく、そこに新たな国が創られるなど想像もしない事なのだ。
その意識を利用し、情報操作と根回しを行い、気取られないよう粛々と領地を広げていくと言うのが、エイダムの描く大まかな国創りの手順であった。
しかし、数百人規模の部隊を運用して竜を狩り続ければ、いかに中央貴族の関心がない地域の事とは言え、その注目を集めずにはいられないだろう。
中央からの圧力に抗しえる地力が育つまでの間は、目立たず、しかし確実に竜を狩ることの出来る少数精鋭の部隊で事を進める必要があった。
その中核を成すのはディマスとエイダムになる予定であり、自分達がそう簡単に命を落とすとは思っていない。それでも、竜を狩る度に集めた精鋭の中から毎回人死が出ていたのでは、とてもではないが野望に届く事はないだろう。
ディマスのような力ある冒険者を探し出すのは、有用な鉱脈を探り当てるより困難である、エイダムが数年間辺境を渡り歩いて実感した事だ。
そして、そんな厳しい要件を満たしうる人材がひょっこり目の前に現れていながら、手出しをしないという言質を取られている事に気付いたのは、ジルムベイグに向かう途中で大型魔獣討伐の依頼を受けた際の事だった。
四人パーティとしての初仕事は、小さな町一つくらい簡単に潰してもおかしくない規模の群れを相手にした戦いである。
その中で、魔力武器を携えた訳でもないティグが、ディマスの横に並んでさえ、なんの遜色もない勢いで大型魔獣を切り伏せ続けていた。
その様を見たエイダムの口から、思わず確認するまでもない問いがこぼれる。
「……確かティグは、十一歳なんですよね?」
「そうだよ、いやいや、俺の知ってた頃より随分強くなってるなあ」
弓を射ながら答えるコウトの言葉には、白々しい響きが込められていた。
コウトは、エイダムが以前から強い戦士を求めている事を知っていた。それなのに、エイダムがティグと交わしたやり取りや契約では、魔工の業に関する事柄にしか触れられていない事に気がついた。
ティグの口から闘技大会での顛末を聞いていたコウトとすれば、その実力がディマスに迫るものであるのは把握できていたのだが、エイダムの中ではそれが少なからず過小評価されているという事である。
それはコウトにとって都合のいい勘違いだった。
ティグの魔工としての有用性に、卓越した戦士と言う価値が加われば、エイダムはそれこそ手段を選ばず仲間に引き込もうとするだろう。
別にコウトは、エイダムの野望にティグが加わる事を忌避している訳ではなかった。むしろ、エイダムが語った馬鹿げていると思うほどに壮大な野望の道を、ティグと共に歩めるというのなら、それは胸の踊るような気持ちですらあるのだ。
しかし、その為にティグが陥れられる様な事になるのは嫌だった。エイダムがティグの力を必要としているのなら、策謀や手管を弄するのではなく、信頼できる冒険者として、志を共有できる仲間として、真正面から誘って欲しかった。
その事を直接エイダムに伝えなかったのは、普段からなにかとやり込められている事へのちょっとした意趣返しではあったが、こうするだけでコウトの意図する所を十分に汲んでもらえるという信頼があっての事でもあった。
弓を射つ合間にコウトがチラリとエイダムの方を見ると、案の定というか、一本取られたといった風に苦笑いを返してくる。
何かと言えば裏から手を回したがる性分の人物ではあるが、決して悪人では無いのである。コウトの意図を推し量った上で、あえて策謀を巡らす様な事はしないだろう。
あずかり知らない所で交わされていた、自身を巡る言葉無きやり取りに気付く事も無く、ティグは刀を振るっていた。
後方に構えたエイダムの力量は、ディマスに引けを取る物ではなく、早く無駄なく正確に、魔獣の急所を捉えては次々とその数を減らしていく。
さらに、久々に見たコウトの戦い方は、単純な腕前以上の何かを感じさせるものであり、以前とは見違えるような進歩の跡が伺える。
自分の力が突出している訳でない環境で戦うのは、ティグにとって随分と久しぶりの事に感じられた。
戦いの場で誰かに頼りたいと思う事はなかったが、心のどこかで言い表す事の出来ない疎外感を拭いきれないでいたのもまた事実である。
そこには、仲間達との単純な力の差以外の何かがあったのかもしれない。
それならば、今はどうなのだろうかと考えてみる。
突出するどころか、ディマスを筆頭にして、それに見劣りしない実力を持つエイダムや、戦いの中でもその異才を発揮しているコウトの、単純な戦士として以上の力を思えば、ティグのそれが、このパーティの下限にあると言っても過言ではないだろう。
もちろん、ティグが弱くなったわけではない。
求めていた仲間を得て、一段先にある場所へと歩を進める事ができたのだ。ティグがこの場所で戦い続けることで、更なる高みを望めるという確信がある。
ここが自分の在るべき場所である、そう胸を張って言う為にも、今はただ力の限りに刀を振るうティグなのであった。




