第7話 - よくばりコウトの受難 -
小さな町を占拠している中型魔獣の群れがこちらに気づく。豚顔をした人間大の猿は、一般に豚鬼と呼ばれる害獣だ。
群れは左右に広がって囲みを作るようにして近づいてくるが、すぐに半包囲される程では無い。先手を打てる内に動くべきだろう、そう判断して、コウトは弓を構えた。
豚鬼が最も密集している場所を狙って矢を放つ。ひと呼吸の間に放たれた三本の矢は、それぞれが三、四匹の魔獣を貫いたが、仕留められたのは三匹だけらしい。
コウトが更に三本の矢を射ち込んで数匹を仕留めると、豚鬼達も包囲などしている場合ではないと気づいたのだろう、一斉にこちらに向かって突っ込んでくる。
もう一度矢で射とうか一瞬迷ったが、弓をしまって武器を持ち変える事にした。
コウトが手にとったのは、仰々しい装飾の施された槍である。
押し寄せてくる群れの先頭の数匹が、槍の間合いに入った瞬間に、大きく弧を描いた刃先で首元を切り裂かれて、前のめりに倒れ込む。
倒れた豚鬼の屍が障害物となり、突進の速度が緩まった。正面を向いたコウトがそのまま後退し、槍の間合いを保つのに程よい速度である。
槍を振るうごとに屍は量産されて行くのだが、間合いは少しずつ詰められていく。
限界だと判断すると槍を突き出し、三匹の豚鬼を串刺しにしてから武器を替える。
今度は盾と戦棍を持って、一匹ずつその頭を砕いていくが、流石に効率が悪い。
「いつまでサボってないで、ちゃんと働く!」
その要請は、コウトの後方に控えていた魔法使いエイダム・アンティートに対してのものだった。
「いやー、コウトの練習の邪魔しちゃ悪いかと思いまして」
「こんなの相手じゃ練習にもならないし、無駄に時間かかるだけだって!」
そんな事を話しながらも、コウトは次々と豚鬼の数を減らしている。
「こんなの相手にも泣きべそかいてた人が、言うようになりましたね」
「ええ、ええ、そりゃもう、おかげさまでね!」
「そう言われると、感動もひとしおですよ」
「わかってると思うけど、皮肉だから!」
常に二、三匹の豚鬼を相手にしながらも、危なげなく戦い続けるコウトだが、流石に全ては捌ききれず、何匹かが魔法使いの方へ向かって行った。
エイダムが革袋を手にしてその栓を外すと、中に入っていた水が流れ出る。水は地面へと落ちる前に宙で止まって、注ぎ口から伸びる一本の紐を思わせる状態になった。
突進して来た豚鬼に向けて、エイダムが革袋を少しだけ動かす。その動きに水の紐は過剰に反応し、あたかも達人の振るう鞭のように動き出した。
水の鞭は、しかし、豚鬼を打ち据えるのではなく、その身体を切り裂いていく。
喉や腹部や手足など、骨を切断する程ではないけれど、突進を止めてその生命を奪うには十分な力を有していた。
エイダムの参戦で、豚鬼の群れは見る間にその数を減らしていった。
「いやいや、会った頃と比べれば、随分と成長したもんですね」
豚鬼を殲滅し終えてから、エイダムがしみじみといった風に感想を述べた。
「まだまだ武器に使われてるって感じだよ。
エイダムやディマスには全然及ばない、というか、追いつける気がしない」
「それでも、ディマスの不在を補える位にはなってるじゃないですか。
一端の戦士でも、中々ああは戦えません、自信を持っていいですよ」
「それも、こいつらがあればこそ、って感じなんだよなぁ」
そう言いながら、先ほど豚鬼を貫いた槍を回収する。
それは魔工の手で造られた槍だった。槍だけではない、今回使っていた弓や戦棍も魔力を帯びて強化された武器なのである。
半ば強制的に引き入れられたパーティで、努力だけではいかんともし難い実力差を少しでも是正しようと講じた手段が、それらの購入だった。
コウトが自覚するように、それらを使いこなすには至っていないが、それまでまったく足りていなかった地力の補強にはなっている。
思い返せば一年前、コウトは冒険者としての実力に伸び悩みを感じていた。実際は着実に力をつけていたのだが、直近の比較対象である仲間二人の力が大きすぎて、ちょっとした成長の一つ一つを実感する事が出来ていなかったのだ。
そんな時期に立ち寄った市場に、それらはあった。
中央大陸のとある貴族が失脚した際に、その貴族が抱えていた収集品が流出して出回ったのだという。品評会で高い評価を受けた訳でもないそれらは、失脚した貴族の所蔵品という縁起の悪さも手伝って、他の貴族に買い上げられる事もなく辺境まで巡ってきたらしい。
魔力武器の威力は十分に知っている。コウトの師であるオーグが、ここぞという場面ではいつでもそれを使っていた。
いつかは自分も、日頃から抱いていたそんな想いが力を求める現状と重なり、コウトの心情はそれらの購入に待ったをかけられるものでは無くなっていた。
ここ数年で二人の仲間に連れられて参加した危険な依頼の数々は、それに見合った報酬をコウトにもたらしてる。おかげで現在の有り金をはたけば弓、槍、戦棍のどれか一つ位ならば即金で購入できる程の蓄えがあった。
購入の為の資金と意欲は揃っていたが、問題が発生する。
どの武器を選択するかという点であった。
どんな武器でもある程度は扱えるコウトだが、強いて言うなら弓の腕が他より頭一つ抜けているといった感じである。
だからと言って弓を選択すれば良いかといえば、そうでもなく、ある程度の間合いを確保できて使い勝手の良い槍も魅力的だし、近接距離で自身の身を守りつつも局所への破壊力にも優れる戦棍だって捨てがたい。なのに、買えるのは一つだけ。
値段が値段だけあって、すぐに売れてしまう物でもないので、一旦宿に戻り考えを纏めようとしたコウトだが、なかなか結論は出てこない。
「何を難しい顔してるんですか」
「ああ、エイダムか、うん、ちょっとね……」
コウトが事情を話すと、エイダムは驚くような解決策を提示した。
「全部買えばいいじゃないですか、お金?ああ、私が貸してあげますよ」
屈託のない笑顔での申し出は、悪魔の囁きであった。
普段のコウトがエイダムを見れば自重出来たはずなのだが、畏敬にも似た感情を抱く仲間からの善意と、何より即物的な欲望がその目を曇らせていた。
「ええ、いいの!?ありがとう!」
こうしてコウトは、素晴らしい三つの武器と引き換えに、巨額の借金を背負う事になった。割と質の悪い者を相手に。
それはコウトが武器を購入し、商人が町を去った後の事だった。
「そういえばコウト、利子の事なんですけどね」
「はい?」
「まあ、順当に計算するとこれっ位なんですが、まあコウトは大事な仲間ですからね、
大きく割り引いて、まあ、この程度が妥当かなと思うんですよ」
「え?この額って……え?」
エイダムがにこやかに提示した利息の額は、確かに良心的な物だった。元金が非常に大きいという事を除けば、である。
コウトがオルベアの町を離れてから、その当時で三年が過ぎており、それまでの蓄えを全てつぎ込んで購入できる武器まるまる二つ分の借金だ。元金の返済だけでも六年、そこに利子が加わればどのような物になるか、今まで巨額の借金というものを経験した事のなかったコウトは、具体的な額を提示されるまで気付いていなかった。
相場と比しても非常に良心的な利子である事を確認し、その上で何度計算してみても、エイダムに提示された額は間違っていない。
「あれ……なにこの金額……あれ、おかしくない?」
「まあ、コウトは若いんだし、これっくらいならすぐに返せますよ」
自身の身に降りかかった事態を把握して、今更ながらに青ざめたコウトだが、だからと言って成すすべがある訳でもない。
「とはいえ、若くして十年近く返済に追われると言うのも大変かもしれませんね。
そういえば、私も色々やってもらいたい事があったんでした。
仲間とは言え頼みづらい事もあったのですが、借金と利子を棒引きするという事で、
コウトの力を借りさせて貰えれば万事解決ですね」
「な、なんの話しですかね?」
用意してあったものを読み上げたようなエイダムの台詞に、嫌な予感がするコウト。
「まああれですよ、体で返せって事です」
こうして形成されたエイダムへの協力関係は、後のコウトの人生に大きく関わってくる事になるのだが、そんな事とはつゆ知らず、手痛い教訓だけが残された。
「……借金怖い」
「終わりましたか、流石コウト、仕事が早くて助かりますよ」
酒場の片隅でエイダムがコウトの用意した書類を受け取った。
「こんなのバレたら、冒険者なんてやってられないんだけど」
「ははは、バレないようにやって下さい。
……うん、結構です、コウトはこういう方面の方が大成出来そうなんですけどね」
「本気でいってんでしょ、勘弁してくれ」
コウトはため息を吐いて、手がけた仕事を振り返る。
それは冒険者ギルドを中心とした、不正や横領、犯罪組織との癒着など、一介の冒険者が求めるには相応しくないような情報の収集である。
公にすれば権力者が黙っていないような情報や証拠の数々を集める為には、コウトの方も遵法精神を発揮していてはおっつかない様な手段が必要だった。
そんな事を行く先々の町で行うのが、コウトがエイダムから任された仕事である。
「エイダム、あんた、こんなもの何に使う気だよ」
「知りたいですか?」
ふと口にした疑問に笑顔で問い返されて、それ以上追求する気は無くなった。
どうせ録でもない事だろうし、聞いてしまったら引き返せない気がしたからだ。
エイダムが領主や貴族の密偵かとも疑ったけれど、それにしては不正が摘発される様子もなく、コウトはその真意を計り知れずにいる。
まあ、危険な仕事という事もあり、棒引きされる額は相当なもので、借金の方は順調に減っていた。もうあと二年も掛からずに返済することが出来るだろう。
しかし、まだそんなに掛かるのかと思うと気が重くなった。
「なんです暗い顔して、若さが足りませんよ」
「半分位はあんたのおかげなんだけど」
「私のおかげで良い武器が手に入りましたからね」
「……あれ、絶対狙ってやってたよね?」
「なんの事かさっぱり分かりませんか、たぶん限りない善意の賜物ですよ。
お互い素晴らしい仲間に出会えて幸せですね」
白々しい対応を受けてコウトは脱力する。基本的に敵わない相手なのだ。
「しかし、仲間といえば、最近めぼしい人が居ないですね」
「エイダムがすぐにクビにするからだろ。
前の人だって相当な腕だっただろうに」
「そうでしたか?あまり印象に残っていませんけど。
そういえば、コウトの話してくれた子は今頃なにしてるんでしょう。
魔工の修行期間が四、五年でしたか、そろそろ終わってる頃合じゃないですかね」
突然出てきた話題に、コウトは懐かしい思いにとらわれる。あの頃は幸せだった、苦労なんてクリス関連ぐらいしか無かったし。
「ティグの事か、あいつなら二年くらい短縮してても驚かないけどなぁ。
ああ、でも、ディマスはいいけど、エイダムはあんまり紹介したくないな」
「何言ってるんですか、七歳にして数々の武功を上げ、魔法と剣を使いこなし、
魔工に弟子入りまでするような人材を、放っては置けませんよ。
どれだけ利用価値……もとい、頼もしい仲間になってくれるか楽しみです」
「あんたがそんなだから嫌なんだよ。
まあティグの事は置いといても、ディマスが誰か連れてくるんだろ」
「そうですね、だけどまあ、闘技大会の参加者なんて高が知れてますよ。
去年も一昨年もその前も、結局ろくな人は居ませんでしたからね」
「まったく、ろくな奴がいないな!」
大観衆の集う闘技場の真ん中で、大剣の一撃で吹き飛んでいった相手を眺めながら声を上げた戦士、名をディマス・カスケウスと言う。
常人より頭一つ分は高い背丈と、岩のような筋肉を誇る偉丈夫は、見た目に違わぬ豪快な戦い方で、毎年この町で行われている辺境貴族主催の闘技大会において、四年連続の優勝を果たしている豪傑だ。
ディマスは他の試合を見る事なく、前年優勝者専用の控え室に帰っていく。
ディマスに敗れるならまだしも、途中で負けるような者に用はない。彼が求めるのは自分と対等以上に戦える様な戦士である。
最も、旅を始めて以来十余年、そんな者に出会った事はなかったのだが。
それでも面白い奴というのはいるもので、類まれな魔法の力を持ち、馬鹿みたいな野望を語るエイダム・アンティートや、なかなか腕は上達しないくせに、戦いでは妙な才覚を見せるコウトなど、単純な力以外の所で感心させられる。
ここでの戦いも潮時だ、ディマスはそんな事を考えた。このような場所で出会える者では、彼の心は震えないのだろう。英雄と呼ばれるような強者と出会うには、更なる辺境を目指す以外にないように思われた。
辺境の奥地に踏み込むには、コウトの力に多少の不安が残るけれど、先日手に入れた武器の助けもあって、最近は見られる戦いをするようになってきた。
ここ数年は足踏みしていた感もあったディマスだが、コウトの成長や色々暗躍していたエイダムの事を思えば、全てが無駄であったとは限らない。
そんな思索をしている内に、いつの間にか時間は過ぎており、呼び出しを受けたディマスは大剣を手に取って闘技場へと向かう。
ディマスが姿を見せると、空気を震わせるような歓声が起こる。
次の相手は槍使いの男だった。
開始の合図と同時に突き出される槍を、足を止めたまま僅かな動きで躱してみせる。
二度、三度、繰り返される突き、それに続いて横に払い、上から叩きつける。
大剣の間合いの外から繰り出される攻撃は、全てを避けるのにその場を動く必要すらないものだった。
こんなものだろう、その実力に見切りをつけたディマスが間合いを詰めようと近づくと、男はそれに応じて後ろへ下がり槍の間合いを堅持する。
正しい戦い方ではあるのだが、時間をかければどうにかなるような実力差でない事が分かっていないらしい。差があるにしても、あえて一歩踏み込んでその差をどうにかする程度の決断力があるなら、まだましだっただろうに。
やむを得ず、突き出された槍がディマスの身体に迫った所を見計らい、片手を伸ばしてその柄を掴み、もう片方の手に持った大剣でその槍を叩き折った。
「腕を磨いて出直してこい!」
決着の声に先んじて、ディマスは相手に背を向ける。ここで突っ込んでくる位の気概があれば、もう少しは盛り上がったかもしれない。
その後も記憶に残るような相手はおらず、ディマスは順当に決勝戦へと進む。
決勝戦の前口上が読み上げられ、続いて対戦相手の名が告げられた。
「西より、大会初参加ティガウルド・ホグタスク、入場!」
湧き上がる歓声を他所に、聞こえてきた名前に何か引っかかるものがあった。
何処かで聞いた事があっただろうか。
共に仕事をした事でもあるのなら、ディマスが忘れるような事もないのだが。
「東より、前大会優勝者ディマス・カスケウス、入場!」
自分の名を呼ばれた事で、その思考を中断し決勝の場へと姿を晒す。
一際大きな歓声は、観客の期待を表しているのだろう。
その期待に応えるように大剣を掲げると、場の雰囲気は最高潮に達した。
ディマスに対峙するのは剣を携えた、幼い顔つきの男である。
やはり、見覚えはない。
先程の聞き覚えは気のせいだったのだろうと結論づける。
最早、どうでもいい事だ。
この場所で最後となるであろう戦いの相手が、せめて記憶に残る程度の者である事だけが、今、ディマスの望むところであった。
お金に関するしがらみは、時に人生の方向までも決めてしまいます。
ご利用は計画的に!




