第1話 - 新たな旅立ち -
ここはとある辺境にある中型魔獣の巣穴、依頼を請けて討伐に訪れた冒険者達の中で、際立った活躍を見せる戦士の姿がある。常に最前線にその身を置いて、反りを持つ片刃の剣を両手で振るうといった、特徴的な戦い方をする少年だった。
今年で十歳になるティグの身長は、既に成人男性と変わらない程に成長していた。父親と同じ黒髪は、それを切ってくれる者もおらず、ただ伸びるに任せられている。肩まで届きそうなその髪は、総髪にされて頭頂部のやや後ろに纏められていた。
並の戦士にも劣らぬ体格ではあるが、その顔にだけはいくらか歳相応の幼さが残っており、その風貌に独特の印象を持たせていた。
眼前に迫った身の丈を越える双頭の大蛇に刀を振るい、二つの頭を並べるようにして切り落とす。ティグの技と刀にかかれば、その堅固な鱗や骨身でさえも、竹に巻いた藁束と、さほどの違いは存在しない。
数えるのも億劫になる程の屍を踏みつけて、ティグは更に歩を進める。背後からの苦戦を知らせる声に振り向くと、仲間の戦士が大蛇の双頭を抑えて食いつかれそうになるのをなんとか凌いでいた。
密着しすぎて魔法使いの援護が難しいのだろうと判断し、ティグが片手を大蛇に向けた。間を置かず、大蛇の胴体から爆炎が上がる。炎を放つのではなく、直接その場に発現させる手法は、老練の魔法使いから伝授された、攻撃魔法の奥義であった。
援護はそれだけで十分だったようで、態勢を立て直した戦士が大蛇の頭を一つ突き貫いて見せていた。
そんな事をしている間にも、襲いかかってくる大蛇の胴下を、ティグがするりと潜り抜けて、片手に握った刀でその腹を斬り開く。止めは仲間に任せる事にして、自身は次の標的に向かっていった。
既に大半の魔獣を切り伏せて、残敵の掃討に移る頃合である。
パーティの最前線で刀を振るうティグの胸に去来するのは、未だ数年しか隔ててはいないのに、随分と懐かしく感じる幼い頃の思い出だった。
あの頃の自分がどれだけ恵まれた環境にあったのか、改めてそんな事を痛感する。
ティグがオルベアの町を離れてから、既に一年以上が過ぎていた。
コウトがそうであったように、冒険者として生きようと思うなら、オルベアの町ではどうしても限界を感じずにはいられなかった。
冒険者としての仕事自体が少なく、大きな仕事は皆無である。他の冒険者達と仕事をして、いくらかの親交を通じる事もあったが、彼らは彼らで仕事口を求めてすぐに別の土地へと移動していくのだ。
ティグは空いた時間を、剣術や魔法の訓練に当てるようにしていたが、力を付ける程にそれを持て余してしまうという、悪循環にも似た状況に陥っていた。
家族にそんな思いを打ち明けたのは、ティグが九歳になった頃の事だった。
「あ、あと、三ね、いや、二年じゃ、二年あれば私も一緒に行けるのじゃ!
じゃから、それまで待つがよい!」
半泣きで止めにかかるクリスは、ボルドがどうにか宥めてくれた。
話を聞いた大人達は皆、ティグの背中を押してくれていた。
実力の程は折り紙つき、その思いの強さも全員が知るところである。ティグがそれを言い出したという事は、大人達にとって来るべき時が来たのと同義であった。
「行ってこい、俺が冒険者として出来なかった事を、残らず全部やっちまえ」
「あなたの帰る場所はここよ、いつでも戻って来ていいんですからね」
「そうじゃな、お主がちゃんと迎えにこんと、その内クリスが追いかけていってしまいそうじゃからのぅ。適当な時期に、一度は帰ってくるのじゃぞ」
皆からクリスのように引き止められれば、それを振り切る事は出来なかっただろう。家族と離れがたく思っているのは、ティグもまた同じだったのだから。
「約束じゃぞ!絶対迎えに来るんじゃぞ!違えたら許さんからの!」
出立の日、クリスがミリィを抱え、涙を堪えて睨むようにティグを見ながらそんな約束を求めてきた。それに異存があるはずもなく、ティグは笑って了承の意を伝える。
こうして家族に一時の別れを告げ、ティグはオルベアの町を後にしたのである。
目立った損害を出す事もなく依頼を完遂したティグのパーティは、町へと戻り報酬を受け取った。中型魔獣の巣穴を、一パーティだけで潰したのだから、受け取った報酬額も相当のものだった。
生活の基本が旅暮らしの冒険者達が、受け取った報酬をそのまま懐に入れて持ち歩くという事はない。適当な額を手元に残して、他は預けて置くのが一般的だ。
だからと言って、中央大陸界隈ならばいざ知らず、辺境の町に商館や金融機関などというものが存在するはずもない。
冒険者達にそういった役務を提供しているのが、辺境冒険者互助組合、通称「冒険者ギルド」だった。
ギルドといっても、他の商工業者達の組織とは違い、地方貴族と商人達が協力して創り上げた、営利目的の半公共団体というのが正確な所である。
そこに所属しないからといって、あからさまな妨害を受けたり、依頼が受けられなくなるといった事もない。というよりも、登録しようと思えば、経歴を問わず誰でもその場で簡単に加入できるのだから、あえてそれを拒む者は存在しないのだ。
もちろん、金銭や物品の預け入れの利用や、大討伐のような公的な事業の紹介を受ける為には、相応の手数料を求められる事となる。
ちなみに今回の巣穴の掃討は、領主から地権を買い取った商人が、個人的に依頼を出した案件である。その土地を拓いて大規模な農場でも経営するつもりなのだろう。そういう類の依頼は、冒険者ギルドに所属していなくても、依頼主との交渉次第で請け負うことが出来るのだ。
その冒険者ギルドに、ティグは受け取った報酬の大部分を預け入れてある。これまでに貯まった額は、十歳という年齢からすれば驚く程の物ではあったが、目標としている魔力触媒の購入の事を考えれば、その頭金にもならない程度であった。
現在のオルベアの町にあって、一年でこれだけの額を稼ぐのは難しいが、満足のいく稼ぎかと問われれば、否と言わざるを得なかった。
更に辺境の奥へと踏み込めば、もっと高額な依頼にもありつけようという物だが、その分だけ伴う危険も大きくなっていく。今いるパーティの実力を見た上で、更に危険な場所へと進出しようなどとは、とてもではないが言い出せなかった。
それに、最近少し気になっている事もある。それは、この一年の内で何度かあった事だった。
その日の晩、ティグはパーティの代表に呼び出される。その要件は他のパーティへの移籍を勧める内容だった。
やはりそうか、それがその話を受けたティグの所感である。
近頃この代表が、別のパーティの冒険者と話をしているのを見かけていたのだ。
代表の言によれば、ティグの力ならもっと格上の冒険者達と組んで仕事をする方が、将来の事を考えてもティグの為になるだろう、との事だった。
それは言葉通り、純粋にティグの事を考えての申し出であるかもしれなかった。しかし、ちらりと聞こえてきた代表と他の冒険者との会話の中には、確かに金銭に関する交渉が混じっていた事が思い出されていた。
ともすれば、暗く沈みそうになる自分の心に鼓舞をして、ティグは顔を上げる。
「そこまで考えて貰っているなんて光栄です、ありがとうございます」
それはティグの実力に対する高い評価から来るものだ。自身の特異さは十分に理解しているし、それに起因する事を一々後ろ向きに捉えるなんて馬鹿らしい限りである。
「そ、そうか、うん、そう言って貰えると私としても、胸のすく思いだよ」
その言葉とは裏腹に、代表の顔には僅かな後ろめたさがあるようにも思えた。
オーグ達程の冒険者が、世間にありふれているなんて思ってはいけない。幼いティグを支えてくれた者達は、間違い無く特別な存在だったのだから。
そんな特別なものを求める事が、簡単な道であるはずもない。しかし、それは確かに存在するものなのだ。オーグとエリシアの様に、ボルドとエドバーズそしてあの老人の様に。
ティグはその途上に立っている、ならばそれを楽しむべきなのだ。
代表に連れられて、ティグは件のパーティの冒険者と引き合わせられる。
「よう、お前がティガウルドか、俺はスケイズ・ベルクード、これからよろしくな」
「はじめまして、ティガウルド・ホグタスクです、よろしくお願いします」
新たな出会いは確かな前進である。スケイズと握手を交わしてから、代表に別れを告げた。後ろを振り返る必要はない。今は前だけを見る時なのだ。
ティグの想いは、次の冒険へと向けられていた。




