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第26話 - 進む道 -

 朝早く、ティグが大事そうに剣を抱えてエオイーヴの下を尋ねると、彼は笑顔で出迎えた。嬉しそうでもなく楽しそうでもない、只の笑顔だ。

「よく来ましたね、君なら必ず来ると思っていました。

 これで準備が無駄にならずに済みます」

「準備ですか?」

「ええ、この町に即席ですが工房を開くんですよ。

 君に魔工の業を伝え終わるまで、私はこの町を離れませんので。

 弟子達が今、急ぎで最低限の場所を設けてくれています。

 君を紹介しましょう、ついて来て下さい」

 その笑顔を絶やすことなく、先導して歩くエオイーヴに従い、町外れの大きめの一軒家に到着する。

 そこでは、四人の男達が忙しなく動いて、魔工の作業に使うのであろう器具や装置を荷馬車から下ろして運び入れていた。

「皆さん、手を止めてこちらに来てください」

 エオイーヴが一声かけると、全員が直ちに作業を止めて駆け寄ってきた。

「師匠、その子が仰っていた新しい弟子ですか?」

「おお、本当に小さいな、十歳くらいか?」

「七歳だそうです」

「ええ、なんで!?魔法使えるの!?」

「もちろんです、私よりも才能がありますよ」

「冗談言わないで下さいよ、師匠より上なんて中央大陸でも数える程しかいませんよ」

「いやいや、その齢でお師匠様の眼鏡に適うってだけで、相当なもんだろ」

「そりゃ間違いないだろうけどさ」

「まあいいよ、とにかく、これからよろしくな、弟弟子君」

「ああ、それなんですけどね」

 そこでエオイーヴが、雑談を制してから改める。

「彼は私の弟子ですが、君達の弟弟子ではありません、その辺を間違えないで下さい」

 師匠の言葉にティグも含めて全員が首をかしげる。

「ややこしいかもしれませんが、今から説明します。

 あなた達は私の弟子であり、言わば私の流派の門下生です。

 私の元を離れる頃には、私の識る全ての技術や知識を伝え終わっている筈です。

 対してこのティガウルドには、魔工としての基礎と真髄だけを集中して伝授します。

 そこに私の色は一切含めません、彼なら自分で試行錯誤した方が、私が下手に知識を与えるよりも、結果的には遥かに大きく成長するはずです。

 故に私は彼に唯々厳しく接し、迅速に魔工の業を習得してもらうつもりです」

「師匠が厳しくですか?想像つきませんね」

「そこ、茶化さない、課題増やしますよ?」

「うお、ホントに厳しい!俺には優しくしてください!」

「ティガウルド、君も分かりましたね、彼等は君の兄弟子などではありません。

 彼らと関わるなとは言いませんが、もし魔工に関する何かを聞くような事があれば、

 その時点で君を破門とします、肝に銘じておいてください」

「えー、やっと俺にも弟分が出来ると思ったのに……」

「その内連れて来ますから、我慢して下さい。

 それに、これはティガウルドの為だけでなく、あなた達の為でもあります。

 この子は特別です、下手に並べたら、あなた達の志が根元から折れかねません。

 私だって本当は、近づきたくも無いんですよ」

「なんか師匠、今日は色々と酷いですね、お疲れですか?」

「少々意気込んでいるだけですよ、それに安心してください。

 あなた達にも間違い無く才能はあります、私程では無いですけどね。

 だから気を落とさないように、通り雨にでもあったと思って忘れるよう努めなさい」

「落ち込む前から慰められるって、おかしくね?」

「よくわからんけど色々あるんだろう、師匠の考えだしな、何をいわんや、だ」

「伝える事は以上です、作業に戻って下さい」

 弟子達が口々に返事をしてから、それぞれの作業へと戻っていく。

「さあティガウルド、我々はこちらです、それと、そこの大金槌を持ってくるように」

 エオイーヴが指差した先には、柄の長さがティグの身長に届きそうな程もある大金槌が立てかけられていた。ティグは指示通りそれを抱えて、屋内へと入っていった。


 家の中は区切りの無い大きな一室になっており、雑然と置かれた多様な物品は、正に急造された工房という言葉に相応しいものだった。

 その奥の一画に用意された、殆ど何も置かれていない空間にティグ達がいた。

「それでは早速始めましょうか、その剣を貸してください」

 ティグは素直に剣を手渡すと、エオイーヴはそれをじっくりと吟味する。

「やはりいい物ですね、造りは元より、実戦で使い込まれた物にしかない力がある。

 きっとこの剣は、最高の使い手に巡り合えたのでしょうね……羨ましい」

 エオイーヴの表情には、心からの称賛と限りない羨望が入り混じっていた。

 エオイーヴは手にした剣を、床に設置されている金床に乗せて固定する。

「さあ、ティガウルド、その金鎚で、思い切りこの剣を叩きなさい」

「え、でも……」

 戸惑いを見せるティグに、笑みを作ったままのエオイーヴが歩み寄る。

 ティグの顔に拳が打ち込まれた。

 不意打ちを受けて、未だ小さなティグの身体は、雑然と置かれていた道具の中に、音を立てて吹き飛ばされた。

 そこに再びエオイーヴが近づいて、ティグの頭髪を掴んで引き起こす。

 口を切って血を流すティグに、笑顔を向けるエオイーヴ。

「ティガウルド、最初の一回だけは許します、今後私の言葉に逆らう事があれば、

 業の伝授はおしまいです、別の師を探して、どこへなりとでも出て行ってください」

 その言葉と意志と表情に、ティグは顔を強ばらせる。痛みと恐怖が、全身を駆け巡る中で、エオイーヴの言葉が滔々と耳に流れ込んでくる。

「私は君に、無駄な事はやらせません。

 そんな事をすれば、それだけ君が私から離れるのが遅れるからです。

 私を信じられないのなら、よろしい、今すぐでもここから出て行って構いません。

 その方が後腐れもないでしょうし、あるいは君の為になるかもしれない。

 ああ、それと、君は中々に名の知れた冒険者らしいですね、大したものです。

 避けようと思えば私の折檻など簡単によけられるでしょうから、それを禁止します。

 失敗をしたなら、黙って殴られるなり、蹴られるなりしなさい。

 それと、そんな事はないと思いますが、君が短気を起こして私に危害を及ぼすような事があれば、君は家族も含めて、この土地の領主を敵に回すことになりますから、気をつけてくださいね、お互いの為に」

 ただ厳しいだけなら、こんな想いは抱かない。乱暴なだけでも同じ事だ。ティグが恐怖を感じたのは、余りに直接的に向けられた悪意に依るものだった。

 エオイーヴの悪意が、ただ純粋に、怖かった。

「分かったら、その金鎚を振るうか、その剣を持って出て行くか決めなさい」

 掴まれている髪を離されたティグは、震える膝をなんとか伸ばし、金鎚を掴む手に力を込めた。

 大きく振り上げた大金鎚を、息を吸い込み、満身の力を込めて、振り下ろした。

 金鎚と金床に挟まれた剣が、大きな金属音を響かせた。

 激しい衝撃が手に残っているティグの目の前で、金床から弾き飛ばされた剣は、なんの変形もしないまま床に転がっていた。

 普通の剣ならば、折れるか、曲がるか、砕けるかする程の衝撃があったはずなのに。

「何を驚いているんですか、当然の結果ですよ。

 確かに、この剣に使われている材料をそのままこの形にしてあったのであれば、

 今の一打で簡単に折れ砕けていたでしょう。

 しかし、この剣は魔工の手で、それも、上々の腕前の者に造り上げられている。

 何をほうけているのですか、大事な事を言っているのですよ」

 エオイーヴの言葉の通り、呆然としていたティグが、我に返る。

「まあいい、分からない事があったら後で残さず質問なさい、全て答えます。

 魔工の業とは、物に宿る魔力を操作して、その本質を変化させる技術です。

 例えば、極端な話、石の本質を変化させ、流体のような性質を持たせる事だって出来るのです。もちろん、常温で、です。どんな使い道があるかは知りませんがね。

 当然の事ながら、普通の石でそんな事は出来ません。しかし、世の中には内包する魔力が桁違いな物質があります、それが魔力素材と言われるものです。

 その豊富で余剰な魔力に干渉し、自分の望む性質を造り出し、本来の性質に上乗せする事で、その本質を変化させる。

 先ほど言った石の話は、殆ど真逆の性質を上乗せする訳ですから、余程の技術と高品質な魔力素材を用意しなければ、実現は難しいでしょう。

 ここまでで、何か質問はありませんか?」

 少しだけ考えて、ティグが質問をする。

「この剣には、どんな性質が上乗せされているんですか?」

「この剣の場合は少々特殊ですが、元々は単純に使い勝手のいい武器として造られたのでしょう。性質は丈夫でよく切れる、そんな単純な物です。簡単ではありませんがね。

 その上で、この剣の持ち主、君の父上ですね、彼が強い想いを込めて使い続けたおかげで、簡単に折れず砕けない、そんな性質を持つようになった」

「想いを込めて使い続ければ、そうなる物なのですか?」

「魔力素材とは多かれ少なかれ、そういう物なんです。

 本来は数年、数十年、一心に使い続けてようやく獲得できるそういった性質ですが、魔工なら自らの望む性質を、その物の製作過程で付与できる、わかりましたか?」

「はい、よくわかりました」

 エオイーヴが微笑み、腕を振るった。

 またも唐突に殴打されたティグが、床に転がる。

「私は、ここまでで、と言ったんです、話の及んでいない事を質問しないように」

「っ、すみません、でした」

「まあ、やる気があるのは良い事です、これからもどんどん質問してください。

 それでは次に、どうやって、短期間で性質を付与するかに移りましょう」

 何事も無かったかのように、授業を続けるエオイーヴに、怒りとしか言い様のない感情が湧き上がる。しかし、ティグには何も成す術はなく、歯を食いしばり震える身体を強ばらせて、黙々とその言葉を聞いていた。

 それを一瞥したエオイーヴが、僅かに感情を示す。満足そうな微笑みであった。


 短期間で性質を付与する、その為には魔法を使うという。実際にあるものを操る初級の魔法ではなく、中級以上の魔力によって生み出される事象を利用するのだ。

 しかし、上級の魔法を使っていては、あっという間に魔力切れを起こしてしまう。故に、魔力触媒と呼ばれる特殊な道具を用いて、長時間の連続した事象の発現を行うのだという。

「これがその、魔力触媒というものです」

 エオイーヴは懐から4つの装飾品を取り出した。

「これ一つで、その剣の10倍の値段はします。

 殆どの魔工が貴族の後ろ盾を必要とする所以ですね。

 君の得意な魔法は火でしたね、ここで学ぶ間はこれを使いなさい」

 そう言って、紅い宝石のついた細身の腕輪を手渡して来た。

「君はまだ、体が小さいですから、魔力も多くはありませんが、

 それがあれば5,6時間は連続して必要なだけの炎を維持できるでしょう。

 言うまでもないですが、それを紛失したりすれば私に危害を加えたと判断します。

 心して取り扱ってください」

 そうなれば家族にも累が及ぶ、ティグは慎重に腕輪に手を通した。

「これから、この剣に付与されている性質を変化させます。

 既に付与されている物を変化させるのは、通常の魔力素材を扱うより困難です。

 他人の手が加えられているものですからね、まあ君になら出来るでしょう」

 エオイーヴは剣を取り、それが収まる大きさの桶に横たえた。その指には青い光を湛える指輪が嵌められている。

 その指輪が輝きを増したかと思うと、生み出された水が桶を満たし剣を飲み込んだ。水は留まる事なく、剣に沿うようにして桶の中を循環していた。

「こうやって、自分の生み出した事象で、対象となる物質を覆うのです。

 これにより、自分の思い描く性質と対象物の魔力を同調させ、変化させる。

 本来は干渉させる物ではありませんが、これは教導の為です、水に手をいれなさい」

 ティグは流動し続ける水に手を差し込んだ。

 そこにはただの魔力の流れとは異なった、意思のような物が感じられる。

「全体を加工するなら、これを4時間程度は続けなければいけませんが、

 今回はそこまでする必要がありません。

 これは、君が練習に使う教材ですからね、必要最低限の加工に止めます。

 その間に少しでも、私が何をやっているか理解できるよう努めなさい。

 これは感覚的な物ですから、口頭で伝えるには限界があります、励みなさい」

「はい!」

 ティグは耳を澄ませるように、魔力の流れを、その中にある意志を、それが何を成そうとしているのかを、探るようにして水に手先を泳がせる。

 静かに時間が過ぎる中で、少しずつ、水の中で剣にどんな変化が起きつつあるのかが、分かり始めてきた。

 刀身を等分に区切る様にして、魔力の道が走っている。そこに通う意志、性質には、脆く、砕けるような感覚を覚えた。

「これ、は」

「ほう、気づきましたか、やはり筋がいい。

 もうすぐ終わります、そうしたら次に進みましょう」

 また、あの笑顔が、エオイーヴの顔に張り付いていた。

 ティグの身体に寒気が走る。だが、何も言えはしない。手から伝わる剣の変化は、ティグが既に引き返せない所に立っている事を教えていた。

「さあ、終わりましたよ、金鎚を持って下さい」

 にこやかに、残酷に、容赦も猶予も与えずに、エオイーヴが指示を出す。

 剣はエオイーヴの手によって、金床の上に据えられた。

「今度は力もいりません、重さに任せて振り下ろすだけでいいですよ」

「……はい」

 音を立てそうになる奥歯を噛み締めて、金鎚を、ゆっくりと振り下ろした。

 エオイーヴが示した剣の先端に金鎚が接すると、高い音が響き、その先が割れ飛んでいった。

「さあ、続いて行きましょうか、さっさと終わらせてしまいましょう」

 最早答える気力も無く、ただ鎚を振るい、剣だったそれを割り砕いていった。

「なるほど、竜骨に南部の魔鉄鋼を混ぜ込んで、それにこれは精霊銀か、他人の作品をこんな形で見られる機会なんてそうそうないですからね、勉強になります」

 十に分かれた破片の一つを手にとって、エオイーヴがそんな事を言っている。

 ティグはただ黙って、自ら砕いた破片を拾い集めていた。

 最後の破片をティグに手渡しながら、エオイーヴが告げた。

「その破片が君の教材です、それが尽きた時に別の素材を用意できていなければ、

 私はこの町を離れます、その後はまあ、素材を用意して私を探してください。

 また顔を合わせる事があれば、授業の続きをやりましょう。

 なに、それだけあれば君ならやり遂げられますよ」

「っくぅ、は、い……よろしく、お願いします」

 エオイーヴは、変わらない笑顔を見せていた。


「その火力、それが最低限必要な魔力の出力です、感覚で覚えなさい」


「またひと欠片、鉄くずに変えましたね、これでは半年持つか怪しい所だ」


「何か言いたい事があればどうぞ?

 私としてはいつ出て行って貰っても構わないんですからね」


 エオイーヴの悪意と、それを乗せた有形無形の暴力は、止む事なく続いていた。

 他の弟子達の中にあった、特別扱いに対する僅かな妬みなどは、最初の三日で消えてなくなっていた。

 師のティグに対する態度は、あまりに異常なものに映っていたが、それを直訴してもなんの効果もなく、ティグに関わろうとすれば、その分だけ師からティグへの暴力が増えるだけだった。いつしか、誰もティグに構うことはなくなっていた。


 ティグは文字通り、生傷が絶えない生活が続いている。心配をかけるだけだと考えて、家には戻らず、自分の工房で寝泊りするようになっていた。

 家族が様子を見に来ても、忙しいと断って、顔を合わせる事はしなかった。顔から青あざが消えている日などなかったからだ。


 三ヶ月が過ぎ、ティグは壁にぶつかっていた。

 技術的な面である魔力に対する干渉やその配分に関しては、既に先達の弟子達を凌ぐ程の力量を見せていたティグだが、この数日で素材の欠片を立て続けに3つも失っていたのだ。残る欠片はあと4つしかない。

 それは、素材の性質の変化と、その付与に関する業の基礎的部分であった。

「君がこんな所で躓くとは思いませんでしたね、迷いや後悔などとは縁のない人間だと思っていたのですが……このままいけば、予定より早く別れる事になりそうですね」

 エオイーヴの言ったそれは、ティグの直面しているものが、精神的な物であると示唆する言葉だった。

 どれだけ悪意がこもっていようとも、的外れな事だけは言わない師の発言は、ティグの苦悩を更に深めるものだった。

 ここ三ヶ月の寝床になっている工房に戻り、一人で頭を抱えてうずくまる。

 何がいけないと言うのだろうか。迷いは断ち切った筈だった、コウトの言葉を振り切った時に。後悔などしない筈だった、父が剣と想いを託してくれたのだから。

 ティグは頭を掻き毟る。

 何故こんなに人の悪意が怖いのだろうか。あの刀を打ち上げるまでに、どれほどの悪意を経験したかなど、数えるのも馬鹿らしくなる程なのに。

 理不尽な言葉や暴力など、気にもせずに邁進していた筈なのに。

 刀の為ならば、永遠の孤独ですら受け入れられる、そう信じていたのに。

 ならば何故、ティグはコウトの言葉に耳を傾けていたのか。どうして、オーグに頼む事をあれほどまでに戸惑っていたのか。

 これが、迷いの正体なのか。ティグが大切に思っている者が、その足かせになっているというのか。

 どうしたらいいのか分からない。進む事は辛く、引き返す事は叶わない、ならば進む以外にないではないか、迷う事などないではないか。

 刀を求めてこの世界に生まれたティグが、その為に行う事全てに、後悔などあるはずもないのに。

 なんの答えも出ない中で、窓から差す月明かりの先、工房の片隅にある道具机に置かれた封筒が目に入った。

 コウトが出て行く時に、手渡された封筒だった。

 ティグの手が刀を握る。

 なぜ自分はこんな物を残してあったのだろうか。

 こんな物に頼る弱い心が、自分を縛っているのではないか。

 これを切り捨て、焼き尽くして見せれば、迷いも共に消え去るのではないか。

 朦朧とする意識の中で、ティグは頭上に刀を構えた。

 進まねばならない、何を斬り捨てても。

 曖昧な意識の中でも、その太刀筋は淀みないものだった。

 縦一閃に振り下ろされた刀は、月明かりを帯びた剣閃を残す。

 ひと振りで半ばまで机を両断した刀の切っ先は、目標であった封筒に届いてはいなかった。

 この封筒はコウトの想いだ。これを斬り捨て、それでも前に進めなかったら、次にティグが斬り捨てるものはなんなのか。その次は、そのまた次は。

 最早、その手に刀を振り上げる力はなかった。

 ただ縋る様に封筒の口を開き、コウトの言葉に目を落とした。


 ティグ、お前がこの手紙を読んでいる時、お前の周りには誰もいないだろう。

 俺はティグがそう言う奴だって知っているし、俺以外の皆も知っている筈だ。

 お前はすごい奴で、なんだって一人でやっちまうんだ。

 だから皆がティグに期待して、皆がティグを誤解してるんだ。

 俺は知ってるよ、俺の目に映るティグは、物凄い才能があって、落ち着きがあって、間違いなんてする筈もないと思ってる、ただの子供だ。

 どうだ、知らなかっただろう、お前はただの七歳の子供だ。

 ただの子供が、なんでそんな酷い目にあって、一人でこんな手紙読んでるんだよ。

 俺は勝手に出て行っちまうけど、お前の周りにはまだまだ、俺なんかより頼れる人達がいるだろう。

 ティグみたいな凄い奴が、何かにつまづいてるんなら、それは、ちょっとした出っ張りなんかじゃなくて、どんな奴にだって、一人じゃ絶対に越えられない壁なんだ。

 子供はいつでも誰かを頼るもんだ。おんぶに抱っこで何が悪い。

 俺なんか、つい今の今まで、パーティの皆に頼りきってたんだぜ。

 誰もティグに声をかけないのはな、大丈夫だと思ってるんじゃない。

 お前に呼ばれるのを、今か今かと待ってるんだ。

 怖い事があったら誰かに泣きつけ。迷う事があったら誰かに聞け。

 それは、ティグの道を曲げる事じゃない、真っ直ぐ進む為の大切な道しるべだ。

 この手紙はただの案内板だ、どこに行けばいいかは分かってるはずだ。

 最後になるが、これだけは言っておく、応援してるぞ、がんばれ。


 自分は何を斬り捨てようとしていたのか、情けなくなって涙が出た。

 ここにいない筈のコウトが、どれだけティグの事を見ていてくれたのか。

 今までティグは、どれだけのものを見ようとせずに過ごしていたのか。

 手紙を読んだあとすぐに、ティグは工房を出て、自宅へと向かっていた。

 家までの短い距離を歩いていると、夜中だというのに、消えていた玄関の明かりに火が灯った。そして、ティグがそこにたどり着く前に、扉が開いてエリシアが早足で駆け寄って来る。

 顔を合わせていない間に、エリシアのお腹は随分と大きくなっていた。

「ああ、ティグ、なんて顔してるの、いらっしゃい、すぐ冷やして、それからお茶も入れるわ、その後で、話を聞かせて、なんでもいいから、お願い」

 ティグはエリシアにしがみついて、少しの間だけ、泣いた。

 エリシアと一緒に家に入ると、オーグとボルドが待っていた。

 ティグの傷と顔色を見て、オーグは眉をひそめ、ボルドは目を見開いていた。

 顔を洗って、温かいお茶を飲んで、柔らかな毛布をかけられたティグは、ゆっくりと魔工の修行で起こった事を話し始めた。

 学んだことを思い出すように、出来るようになった事を伝えるために、恐ろしかった事を慰めて貰うために、どうしたらいいのか教えて貰うために。

 話を聞いていた3人は、取り乱す事もなく、オーグとボルドは真っ直ぐティグを見つめ、エリシアはその手をしっかりと握っていた。

 ティグはただそれだけで、救われた気がしていた。

 そして、答えは得られた、あまりにあっさりと。

「ちょうどいいじゃないか、残りの材料を全部使い切っちまえばいいんだ」

「そうじゃのぉ、別に二度と来るなと言われとる訳でもないしのぅ」

「私心配よ、もう行かなくてもいいんじゃないの?」

「え、でも……僕は」

「悩んでても結果が出なかったんだろ、なら今回はそこまでって事だ」

「先はながいしのぉ、それを経験しとるわしが言うんじゃから間違いない」

「無理に行かなくてもいいのよ?」

 ティグは言葉もなかった。オーグの大切な剣を使い潰して、そんな結果などと。

「馬鹿にするなよ、あの剣がなくても父さんは十分に強い。

 あれで魔工につてが出来たなら、それだけで十分な成果だろ。

 まあ、人柄はろくなもんじゃなさそうだがな」

「そうそう、魔工はそやつ一人でもないしのぅ。

 まあ、そうそう出会えるもんでもないんじゃが。

 それでも、そやつ一人に絞れば、それなりの目星はつくもんじゃよ。

 ロクでもない奴みたいじゃがのぉ」

「ああ、もう、お腹がこんなじゃなかったら、私がぶっ飛ばしに行くのに」

 それはそうである、オーグ達は冒険者で、魔工の業の事など知りもしないのだ。だけど、それだけで、ティグの肩の荷は随分と軽くなった。

 それなら彼らが刀の事を知らなくても、頼る事が出来るという事ではないか。

 自分だけが知っている、そんな事になんのこだわりを持つ必要もない。一緒に歩んでくれるというだけで、ティグの足はこんなにも軽くなるのだから。

 ティグの心の中で、声を上げていたモノが、小さくなっていた。

 自分は刀の道を逸れてしまったのだろうかと、そう自問して、違うと答えた。

 ティグはあの刀工と違う道で刀を求めるだけなのだ。

 この世界にある壁は、一人では到底越えられそうもないものだから。


 エオイーヴの工房で、ティグは壁を突破していた。

「迷いがなくなりましたか、何をしたか知りませんが、結構な事です」

 無表情で、淡々と次の課題を与えるエオイーヴだが、相変わらず、その悪意は陰りを見せる事はない。殴られる回数が減る訳でもなかった。

 しかし、ティグはもう以前ほどの恐怖は感じなかった。自分は一人ではない、そう思うだけで、不思議と力が湧いてきた。

 そして、ティグは変わる事ができた。萎縮して、必要以上の事を尋ねなかった師に、積極的に頼るようになったのだ。

 しばしば殴られる事もあったが、それが必要と認めれば、面白くなさそうな顔をしながら、的確な助力をしてくれる。どうせ、何もしなくても殴られるのだ。

 恐れがなければ、殴られる事も気にはならなくなった。魔獣相手なら、命だって取られるような戦いをしてきたのだ。今更あざの一つや二つで怯む事はないのである。

 ティグの修行は一足飛びで進んでいく。殴る蹴るされる事は減りようもなかったが、エオイーヴがあの笑顔を見せる機会はなくなっていった。

 そして代わりに、面白くなさそうな無表情を向けるられる事が多くなる。


 更に二ヶ月の時が過ぎる。ティグは自分の工房にいた。

 全ての業を修め、最後の課題として、残った素材で、ティグの望む物を造り上げて見せろという物だった。

 あれ以降、四つあった欠片がそれ以上失われる事はなかった。

 ティグの造るのは、当然の事ながら刀である。

 四つの欠片の性質を混ぜ合わせられる様に変化させる。欠片を重ね合わせて、大小二つの延べ棒に、時間をかけてゆっくりと形を変えていく。

 形が整えば、今度は刀として必要な性質へ。求めるのは切れ味でも、硬さでもない。残った欠片は、刀の芯となり、他の素材をつなぎ合わせる性質を付与される。

 それぞれの鍛鉄が一糸の乱れもなく繋がっていく。

 結果としてそれは、刀自体の強靭さへと繋がるだろう。

 全ての行程を終えて打ち上がったのは、大小二本の刀だった。


「合格です、これ以上教える事はありません、後は精々名を挙げてください」

 刀を確認したエオイーヴは、無表情でそう言って腕輪を回収すると、それ以上は何も言わずティグに背を向けた。

「我が師エオイーヴ・ボーティラス、僕はあなたの事が大嫌いです」

 その背に向けてティグが言葉を放つが、エオイーヴは歩みを止めない。

「ですが、業を教えていただいた事とその業に深い感謝と尊敬を抱いています。

 僕は生涯、魔工を名乗る時は、必ず初めにあなたの名を掲げます」

 最後の最後までエオイーヴは、ティグの邪魔をする事はなかった。あの偏執的な悪意を持ちながら、その信念を曲げる事はしなかった。

 この世のどの魔工を師に持ったとしても、エオイーヴに師事する以上の早さで業を修めることは叶わなかっただろう。

 どうやっても好きにはなれない師であるが、その業と信念は本物だった。

 ティグが求めるのは名声ではなく、それをこの師に譲る事になんの迷いもなかった。


 エオイーヴが町を離れるのに、守備隊長としてオーグが見送りに立っていた。

「息子が随分とお世話になったようで」

「ええ、素晴らしい才能の持ち主ですね」

「あんたに危害を加えると、領主が敵に回るそうで」

「はは、子供は素直で助かりますね」

 次の瞬間、オーグがエオイーヴを殴り飛ばしていた。

 衛兵が色めきだって、オーグを取り押さえにかかる。

「ああ、皆さん落ち着いてください、ただの挨拶みたいなものです」

 エオイーヴがそう言って衛兵達を制する。

「やろうと思えば、厳罰にくらいは出来るんじゃないか?」

「いいえ、別に貴方に悪感情はありませんからね、むしろ敬意すら持っている」

「気持ち悪い奴だな」

「魔工と言うのは変わり者ばかりなんですよ、貴方の息子さんも含めてね」

「あんたと一緒にしないで貰いたいね、反吐が出る」

 エオイーヴは苦笑いを残して、オルベアの町を去っていった。


 ティグは両親を前にして、二本の刀を並べていた。

 オーグの前には片手で扱い易いように重心が調整された打刀を、エリシアの前には懐に収まる程度の大きさの護刀が置いてあった。

「僕が、魔工として初めて造った刀です、受け取ってください」

 オーグは差し出された刀を見て、一つ息をついた。

「ティグよ、俺はもう冒険者としてあちこち回る事はない。

 だからこんな大層な武器はもう必要ないんだ、お前が使った方がいい」

「そうね、私も魔法使いですから、無理に刃物を持つ必要はないわ。

 護刀と言うなら、あなたにこそ持っていて欲しいわ」

 両親の言葉に首を振って、ティグは自身の想いで答える。

「これは、僕がこれから自分の為だけに生きる訳じゃ無いという意志の表明です。

 僕はこれからも誰かに刀を譲る事があると思います、最初の刀は他の誰でもなく、

 父さんと母さんに受け取ってもらいたいんです」

 そう言って両親の手に刀を握らせる。

「この二振りの刀は元々一本の剣から作られた言わば夫婦の刀です。

 父さんの手にある刀の銘を慈母、母さんの方の銘を尊父といいます。

 どうか、この刀達にその本懐を遂げさせてください」

 こうして、ティグが魔工として打ち上げた最初の刀は、オーグとエリシアの手に納められた。

Q&Aを設けました、興味のある方はご覧下さい。


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