第25話 - 条件 -
魔工エオイーヴ・ボーティラスの滞在する宿の一室で、その部屋の借主であるエオイーヴと弟子入り志願のティグが、卓を挟み向かい合って座っている。
最初に年齢と両親への断りは入れてあるのかを確認される。七歳との答えに驚いた様子ではあったが、両親の理解があるなら問題はないとのことだった。
「まず最初に、大切な事を言っておきます」
改まった調子でエオイーヴが口を開いた。そんな前置きがなくとも、これから弟子になろうというティグにとっては、一言も聞き漏らす訳にはいかない。
ティグは黙ってエオイーヴの言葉に耳を傾けていた。
「君には、ものすごい才能がある。
それはもう、幾人も弟子を取って来た私が、過去に見た事がない程のものです。
いえ、ともすれば、この世界にいる魔工の誰よりも、優れた資質かもしれない。
例え私が君に魔工の業を伝えなくとも、君にその気があるなら別の師について、
十二分な結果を残す事になるのは疑いようもないでしょう」
突然の息もつかせぬ賛辞の嵐に、ティグは面はゆさを感じずにはいられなかった。確かに自信を持って志願したとは言え、これ程の評価を受けるとは思わなかったからだ。
「私はね、ティガウルド、そう言う卓越した才能を持っている者が、大嫌いなんです」
「え?」
「そんな輩が嫌でも目に付くから、わざわざ中央大陸を離れて、こんな辺境くんだりでやってるというのに、まさか君のような者に出くわすとは、思ってもいませんでした。
まあ、出会ってしまったものは仕方がない、むしろ、僥倖とすら言えますね。
他所の誰かに弟子入りされて、君の師匠というこの世界で唯一の立場を奪われる事になっていたらと思うと、想像するだけで虫唾が走る思いです。
その立場があれば、君が名を上げる度に、私の名声も引き上げられる事でしょう」
俗物、そんな言葉がティグの脳裏によぎる。コウトの言っていたのはこういう事だったのだろうか。しかし、ここまで開けっ広げに語られ、清々しさすら感じてしまったのは、気の迷いかもしれない。
「という訳で、弟子入りの条件第一は、今後君が業を修めた後で魔工を名乗る際には、
必ずこの私、エオイーヴ・ボーティラスの名を初めに上げる事を約束して下さい。
約束できますか?」
「あ、はい、必ず、そうします」
淡々と語るエオイーヴに気圧されてしまい、言葉につまりながらもそう答える。
「ふむ、まあその辺りは大した期待もしていません、口約束ですしね。
他の誰かの名が上がるという事態が防げるだけでも、とりあえず良しとしましょう。
さて、次にですが、君の育成方針についてです。
私は本来5、6年かけて、一から十まで教え込む手法を取っているのですが、
君には1年、出来るならもっと早く、魔工の業を習得してもらいたいと思います。
正直な所私は、君のような人に、一秒だって長く接していたくはないのです。
とっとと業を修めて独り立ちして貰いたい、了解して貰えますか?」
「は、はい、よろしくお願いします!」
この条件はまさに願ったり叶ったりといった物だった。嫌われてはいるようだが、この人物はティグにとって、予想以上に理想的な師となってくれるかもしれない。
「まあ、その歳で誰かに弟子入りしようというのだから、何の理由か知りませんが、
随分と生き急いでいるようですね、こちらとしては好都合です。
で、それに際して、他の弟子達からは受け取っている授業料の類を免除します。
その代わり、弟子達に行っているような数々の補助を、君には与えません。
例えば習作に使う魔力素材の提供や、基礎的な配合あれこれの一切です」
「魔力素材、ですか……」
今のティグには高級品である素材を買い集めるだけの資金がない。
「宛がありませんか、ならばこの話はここまでです。
私は君のために何かを援助するようなつもりは、全くありませんからね」
突如として突き放すような事を言い出したエオイーヴは、なんの表情も浮かべていない。ただ、淡々とそう告げただけだった。
「っ!なんとか、何とかします!」
「よろしい、まあ大丈夫ですよ、君の姓はたしかホグタスクでしたね。
先日挨拶したこの町の守備隊長と、同じ姓だ、君のお父上でしょう?
あの方にお金を出して貰ってもいいし、ああ、そういえば」
そこで、エオイーヴの口の端がゆっくりと吊り上がった。
「あの方は立派な剣を所有していましたね、質的にも量的にも十分な逸品です。
今晩にでも掛け合ってみるといいでしょう。
別途で用意できるならそれでも構いませんが、多少なりとも思い入れのある品の方が、気が入るというものです、きっと上達も早まりますよ」
エオイーヴは笑っていた。そこにある悪意を、隠そうともしていない。
「……父に、相談してみます」
「それがいい、では期限は明日です、明日までに用意できなければ、それまでです。
用意する事が出来れば、直ぐにでも業の伝授を始めましょう」
極端な期限まで切られて、選択の余地もなく困惑しているのを認め、エオイーヴは満足そうな笑顔を見せながら、ティグを部屋から送り出した。
まさか、こんな形でオーグを巻き込もうとは、思いもしなかった。
ティグにはあの剣が、どのような物であるか、身に染みて分かっている。あの剣は、オーグにとって只の高価な武器などではなく、ティグの生まれる前から共にあり、無数の冒険を繰り広げてきた、無二の相棒ともいえる存在だ。
ティグはそんな物を踏み台にして、進まなければいけないのだ。
そして、会話の中で公然と示されたエオイーヴの悪意にも、薄ら寒いものを感じずにはいられない。
自宅へ向かうティグの足取りは、深いぬかるみをゆく様に鈍重なものとなっていた。
ティグが家に戻って来ても、オーグはまだ仕事から戻っていなかった。
実戦の実力を買われて守備隊長になったのは良かったが、日毎に人が増えていくこの町で、慣れない実務に追われて帰宅が遅くなる事もしばしばだった。
気が重い、自室で刀の手入れをしながらも、ティグの心は沈んでいた。
安くない安定収入があるとはいえ、家計に余裕がある訳ではない。これから産まれてくる子の事を考えれば、少しでも蓄えを増やさねばならないのだ。
そんな中で、ちょっとした土地くらい買えるような魔力素材の購入費用を捻出出来る筈もなく、必然的にオーグの剣を提供してもらう以外の道は閉ざされている。
オーグの帰宅を告げる声が聞こえた。
行こう、どれだけ気が進まなくても、止まる事はできない。
出迎えて挨拶もそこそこに済ませると、ティグは意を決して要件を告げる。
「父さん、お願いしたいことがあります」
「ん、なんだティグ、手合わせなら今度にしてくれ、今日はちょっと疲れた」
「いえ、そうじゃなくて……」
「うん?」
言い淀むティグを見て、オーグは何かを察したようで、目線を合わせてきた。
「どうした、なにか言いにくい事なのか?」
「いえ……はい、実は」
エオイーヴとの会話をかいつまんで伝える。ティグに対して向けられた、あの悪意については伏せておく。
「という訳で、僕に、いえ……僕は、父さんの剣を、貰いたいんです」
ティグは話し終えると、合わせていた目を足下に向けていた。オーグの顔には、少しの驚きと明らかな当惑が浮かんでいたからだ。
それでも言わなければならなかった。偽る事も、諦める事も出来ない。
「あの剣を魔力素材として使えば、もう二度と、元には戻らないと思います。
父さんにとって、あの剣が、どれだけ大切な物かも分かってるつもりです。
だけど、今の僕には、魔力素材としてのあの剣が必要なんです」
大切な物が失われると分かった上で、それを渡せというのだ。それも、長年大事にしてきた剣を、剣として受け継ぐのではなく、只の練習用の材料として。ただティグが真っ直ぐ進む為だけに、未練や思い入れを全て捨てろと言っているのだ。
ティグは下を向き今にも涙を流しそうになりながら、声と身体を震わせていた。
大きく息を吸って、吐く音が聞こえた後、ティグの両肩に手が添えられる。
「ティグ、顔を上げろ」
言われるままに顔を上げると、そこには困ったようなオーグの顔があった。
「父さん、僕は、どうしようもないくらい、身勝手です」
「ははは……そうだな、その通りだ」
「だけど、僕はここで、足踏みしたくないんです、今すぐ前に進みたいんです」
「わかってる、目を逸らすな、本気なんだろう?」
再び視線を下に向けようとしたティグをオーグが諌めた。
目に涙がたまる。こんな勝手を言いながら、オーグから目を背けている自分が、どうしようもなく情けなかった。
「はい、絶対に、諦めたくないです、だから、父さん、お願いします」
分かっていた。分かっているからこそ、それを言うのに覚悟が必要だった。
ティグが頼めば、どれだけ悩んでもオーグはそれを叶えてくれるだろう。
その想いも価値も顧みず、呆れながらも全部胸に納めて、応えてくれるのだ。
「この剣はな、すごいぞ、買った時は高すぎるんじゃないかと思ったくらいだけど、
今思えば、信じられない程、いい買い物だったんだ」
「はい」
「俺の道を切り拓いて、エリシアを救って、仲間と家族を守ってくれた」
「はい」
「それで今度は、俺の息子の未来まで切り拓いてくれるんだ。
どうだ、すごいじゃないか、こんな剣、他では絶対手に入らない」
「……父さん」
オーグは腰から剣を外して、ティグの胸にぶつけるように押し当てた。
「持っていけ、俺の冒険はここで終わりだ、この先はお前に任せる、迷わず進め」
「父さん、ごめん……ごめんなさい」
「いいかティグ、こういう時は、ありがとうって言うんだ」
オーグは笑っていた、晴れ晴れとしたその表情は、作り物などでは決してなく、だから、ティグは涙を押さえられなかった。
「……ありがとう、父さん」
流れ出る涙を隠すように、懐に抱いた剣ごと、オーグの胸に顔をうずめた。
オーグは黙って、抱きしめてくれた。
「あら、何してるの、わたしも混ぜてよ」
奥の部屋からエリシアが現れて、そんな事を言う。
「駄目だ、これは男の儀式だ、だから今、ティグは俺の物だ!」
「あ、ずるい!ちょと、待ちなさい!」
オーグがティグの身体を抱き上げて走り出すと、エリシアがそれを追いかける。
「おいおい、あんまり走るとお腹の子に障るぞ」
「そう思うなら止まりなさい!
あ、クリスちゃん、いい所に!そこの二人組を捕まえて!」
通りすがりのクリスが、目を輝かせてこの茶番劇に参加する。
「ああ、ずるい、ずるいぞ!」
「あはははは、まてー!あ、お爺ちゃん、お爺ちゃんも捕まえてー」
「んむ?おお、よし、まかせとけぃ」
「爺様むりすんな!」
そんな中で、いつの間にかティグの涙は止まって、笑顔を浮かべられていた。それを見てオーグは、走る速度を緩める。
「捕まえたー、エリシアー捕まえたよー」
「おおぅ、急に止まるんじゃないわい、あぶなっかしいのぅ」
「クリスちゃんでかした!今夜のオーグのおかず一品持ってっていいわよ!」
「やたー!」
「ええ、酷い!」
最後にエリシアが追いついて、5人で押し合うようにひっついた。
胸に剣を抱きながら、ティグはもう一度オーグにだけ聞こえるように小さく呟いた。
「父さん、ありがとう」
オーグはニヤリと笑って、その頭に手を置いた。




