第24話 - 刀 -
意外な提言の理由を、コウトは複雑な想いを押し込めるようにして話し始めた。
魔工が街に来ると聞いて以来、コウトはその情報を集中的に集めるようになったらしい。わざわざ口に出す事は無かったが、それはティグの為だったのだろう。
コウトの耳に聞こえてくる話は、エオイーヴの名声を裏付ける物ばかりであった。
その実力は高く評価され、人柄は温厚で弟子からの信頼も厚い。彼の輩出した弟子達は、中央大陸で貴族に雇われて確かな結果を出しており、その育成能力も疑いようのないものだった。
弟子の選出にこそ厳しい基準を設けているが、その基準を満たす者になら、惜しみなく魔工の業を授け、皆伝を許した弟子が望めば中央貴族の後ろ盾まで紹介するのだという。
そこまで聞いて、ティグがたまらず口を挟んだ。
「いい話ばっかりじゃないか、何の問題があるんだよ。
その話が出来過ぎだって言われれば、そうかもとは思うけど、それくらいじゃ……」
「そういう事じゃないんだ、俺もあまりに話が旨すぎると思って調べはしたけど、
誇張くらいはあるかもしれないが、たぶん決定的な嘘は混じってないと思う。
ティグが弟子入りするなら、これ以上ない人物だと思ってたよ、今日までは」
「訳が分からないよ、何がそんな、絶対駄目だなんていう話になるんだよ」
「今日の昼間の広場でさ、オーグさんはいなかったけど、他の皆で見物にいってたんだ」
「うん、知ってる」
「そこでさ、ティグは何も感じなかったか?あの魔工がティグを変な目で見てたの」
「そりゃ、ちょっとは注目されてるとは思ったけど、そんな風に見られるのはよくある事だし、あの人が特別変だとは思わなかったよ」
「そうか、うん、確かにエリシアさんやボルドさんも、同じこと言ってたよ。
それでも、俺はさ、ティグを止めない訳にはいかないんだ」
「だから何でだよ、いい加減理由くらい話してくれよ!」
煮え切らない事ばかり言うコウトに、ティグは苛立ちを感じ始めていた。それを察したコウトが、少し辛そうな表情を見せながら言葉を返した。
「悪い、そうだよな、理由も言わずこんな事ばっかり言って。
ちゃんと話すから、落ち着いて聞いてくれ、ティグを騙そうとか邪魔してやろうとか、
そんなつもりは一切ないんだ、頼む」
「……分かったよ、僕もちょっと焦ってた、話して、ちゃんと聞くから」
ありがとう、そう言ってから、コウトは表情を引き締め、自身の思う所を語りだした。
それは、コウトが野盗として生きていた時の話だった。いくつも渡り歩いた野盗団の中で体験した、とある頭目の人柄とその顛末である。
その頭目は、裏表の激しい人物だった。気に入った者は優遇し、そうでない者にはあからさまな冷遇を以て接していた。無法な野盗だけあって、時には無理やりな難癖をつけた上で、命を奪うような事までするほどだった。
やがてその頭目は、冷遇していた手下の一人に背中から刺されて、死んだ。
その頭目に優遇されていた者達でさえ、その死に様を意外には思わなかったと言う。
「俺は上手くやってた口だけどな、そんな人間が世の中にはいるんだ。
そして、多分あのエオイーヴって魔工は、その頭目と同じ類の人間だ。
それだけならなんとかなるかも知れないけど、あの魔工がお前を見るあの目は……」
「言いたい事は分かったよ、コウトが何でそんな事言いだしたのかも」
ティグは確かに薄ら寒い物を感じた。今日までの付き合いで、コウトの人を見る目が非凡な物である事を重々に承知していたからだ。
「それじゃあ」
「それでも、やっぱり、僕はあの魔工に弟子入りする。
いくら酷い扱いを受けたって、野盗じゃないんだ、殺されるような事はないよ。
それに、元々簡単な道だなんて、これっぽっちも思ってなかったんだからさ」
「違う、そうじゃないんだ、あの魔工の異常さは、そんなものじゃあ無い!
今まで聞いた噂の中には、そんな話は欠片も聞こえて来なかったんだよ。
弟子に対する態度だって、大らかで噂通りの好人物にしか見えなかった。
それなのに、昨日、他の誰でもなく、ティグにだけ、あんな目をむけてたんだ!
表があれだけの人物なら、その裏側は一体どんなものか、師匠という立場からそれがティグだけに向けられるとしたら、何が起こるか分かったもんじゃ無いんだよ!」
最後には震えた声で哀願するように、必死で訴えるコウトの姿に、そこに他意は無いのだろうと思えた。ただ一つ、ティグの事を案じての言葉なのだろうと。
「多分、コウトに見えてるのは、僕が考えてるより、ずっと大変な物なんだね。
今の僕には想像もつかないくらい、酷い事があるって、そういう事なんだろ?」
コウトは黙って頷く。
「ありがとう、コウトの気持ちは凄くよく分かった、どれだけ心配してくれてるのか。
だけど、僕は前に行くよ、これから先、どんな困難があるかなんて分からないし、
たとえ分かってたとしても、それが最短距離なら、やっぱりそこは譲れない。
それは、僕の生きる道が、そう言う物で、どうやっても曲げようがない物なんだ」
はっきりとした意志を込めて、ティグはそう言った。その言葉通り、譲る事も曲がる事もない、そんな意志だった。
コウトならばそれが分かる筈だ。これ以上の言葉は必要ないだろう。
しばらくして、コウトが諦めたように顔を伏せた。
「ごめんな、ティグがこれからって時に、変な事言っちまった」
「僕こそごめん、だけど、コウトの言った事は絶対忘れない。
僕には、多分、覚悟が足りてなかったと思う。
コウトのおかげで、それが出来たんだ、だから、ありがとう」
その言葉を聞きながら、コウトは工房を出て行った。自分が今、どんな顔をしているのか、ティグには見せないようにして。
翌日から、ティグの刀造りが始まった。
造るとなれば迷いはないし、そんな暇もありはしなかった。
炉の中に炭を詰めて火を入れる。必要に応じた火力を得る為には、木炭にこだわる事などしない。扱う鉄も、種類を選んだりはしなかったし、焼入れ、熱した鉄からどのように熱を奪うかでも、水に拘る事はせず多様な油や、泥水すらも用意した。
ティグが造るのは、あの刀工が造り続けたのは、厳格な規格品である日本刀などではなく、純粋に斬るべき物を斬る為の道具であり、ただ刀とだけ呼ばれる物だった。
用意した素材をどう組み合わせれば、現状で最高の物を造る事が出来るのか。刀工の積み重ねてきた経験が、ティグの手によって惜しげもなく発揮されていく。
ただ剣を造るだけならば、それだけで十分に事足りる鋼鉄を、混ぜて、重ねて、叩いて、伸ばす。不要な部位を削ぎ落とし、足りない物を付け加える。
そうやっていくつも作り上げられていく鉄塊は、それぞれが異なる配合で生み出された、この刀の為だけ生まれた鍛鉄であった。
砕けぬ事に重きを置いた芯が生まれる。そこに重ねられるのは、その背を支える峯であり、その本懐を成す刃金であり、折れて曲がらぬ為の皮鉄であった。
一つの行程が終わる度に、思い出したかのように寝食を取り、昼夜の区別もなく、ティグはただひたすらに、一つの刀を造り上げていった。
合鉄の延べ棒は火床にくべられ、打ち合わされて、徐々に刀としての姿を成し始める。鋒となる原型が形成され、独特の反りが生まれる。
それが終われば、今度は鑢と砥石によって更に微細な形を削り出していく。
整えられた刀身に灰と泥が塗せられ、適度な火力に調整された炎の中へと投じられた。刀はただの実用品でない、そう言われる所以の一つである刃紋は、この段階で生じていく。
赤熱した刀身が、ティグの目に焼き付いて、その頃合を知らせていた。
あの刀工だけが知るはずの、秘伝とも言える熱量に保たれた混合液に、その力を煌々と示し続ける刀身が沈められる。
泡立ちながら急激な対流を起こす液体は、産声の如き響きを上げて、ティグの心と鼓膜を震わせた。
この世界に刀が生まれ落ちた瞬間だった。
液体から引き上げられた刀身は、荒く、未完ながらも、見まごう事のない物である。
ティグは柄の芯となる茎に鑢目を入れながら、この刀に想いを馳せる。
やはり、あの刀に及ぶべくもないこれは、きっと、あの世界で何事を成すでもなく果てていった、あの刀と刀工の墓石なのだと。それは、こんな物を造り上げてしまった自分への、せめてもの言い訳であった。
墓石であるならば、本物を凌ぐ必要もない。そんな、幼稚で姑息な言い訳だった。
この刀に銘を与えよう。これがあの刀の墓石ならば、その名を刻むのが筋である。
ティグの手がゆっくりと動いて、その茎に銘を刻んでいく。
刻まれた文字は、あの世界の言葉であり、あの刀と同じ銘である。
銘刀「徒花」
それが、この墓石に刻まれた、この世界で最初の刀の名であった。
「お前が何者なのか、時々分かんなくなる事があるよ」
皆に打ち上がった刀を披露して、誰もが驚嘆の声を上げる中で、コウトがティグに掛けた言葉がそれだった。
そして、刀を見たコウトは、その場を借りて、町を離れる事を皆に伝えた。
降って湧いたコウトの話にオーグ達は驚くが、整然と語られるその想いは揺るぎなく、それを押し留めようとする者はいなかった。
「なんだ、ちょっとの間に一丁前の事言うようになりやがったな」
「口の方は元々ですよ、それ以外はオーグさんのおかげです」
「そういえばそうだったな」
「コウト、あなた、そんなに強くないんだから、無理しちゃダメよ」
「そんな、身も蓋もない事を」
「あら、ごめんなさい、でも本当に心配なのよ。
もうちょっとくらい、鍛えて行った方がいいんじゃないかしらね」
「無理はしませんよ、これでもそれなりに鍛えたんですから」
「子供の巣立ちというのは、なんとも言えんもんじゃのぅ」
「未だに子供扱いですか、年寄りには敵いませんね」
「おーおー、そうじゃろうとも、わしから見たらいつまで立ってもひよっこじゃて。
いいかコウト、ひよっこならひよっこらしく、身の程わきまえておくことじゃ。
わしより先に死ぬような事は、絶対に許さんからな」
「そりゃ当分無理はできませんね……本当にお世話になりました、ボルドさん」
「コウト、どこかに行っちゃうの?」
「ああ、急にこんな事言っちゃって、ごめんな」
「また、会えるよね?」
「当たり前だろ、クリスは俺がいない間、あんまり無茶な事するなよ。
……あんまり喧嘩とかしてると、ティグが呆れちまうぞ」
「……気をつける」
皆と別れの挨拶を交わした後で、コウトがティグの方へ歩み寄る。
「ティグ、こないだは、本当に済まなかったな、俺はこんな物を造れる奴に向かって、
なんてつまらない事言ってたんだろうな、自分で恥ずかしくなってくるよ」
「コウト……」
「いいんだ、これ見せれば、弟子入りは間違いないだろう。
十分な覚悟もあるだろうし、ティグならもう、何の心配もないさ」
「ありがとうコウト、コウトも気をつけて」
「ああ、それでな、これなんだけど」
そう言ってコウトが封筒を一つ差し出した。
「最後のおせっかいだと思って、受け取ってくれ。
弟子入りした後で、あの時俺の言った事を思い出す事があったら、読んで欲しい。
それ以外の時には絶対読んじゃダメだ、絶対だぞ。
それを開ける必要がなくて、どうしても中身が気になったら、そうだな、
魔工の修行が終わった後にでも読んで、馬鹿なこと言う奴だったって笑ってくれ。
多分そうなるのが一番いい事だと思う」
「何が書いてあるの?」
「……馬鹿な事だよ、それ以外で読むなよ、約束だぞ」
「うん、分かったよ」
その翌日には、コウトはオルベアの町を出て行った。既に旅の支度は整えてあったらしく、短い挨拶をしただけで、随分とあっさりとしたものだった。
魔工エオイーヴが町に再来する一週間前の事であった。
エオイーヴの前に再び集った志願者達は、全員が思い思いの物品を持ち寄っていた。
それは、木工品や縫製品、装飾品などであり、武器を持ち込んだのはティグの他にも三人いた。
やはり、その中で人の目を引いたのは、ティグの持ち込んだ刀だった。
反りを持つ刀身には波打つような独特の紋様が走り、一見しただけでその鋭さを確信させながらも、確りとした重量を感じさせる、誰も見た事のない片刃の剣である。
更に、ティグが持ち込んだ、大人の腕程の太さと背丈程の長さのある木材が、地面に突き立てられている。
「この剣は、君が造ったと、そう言う訳だね」
「はい」
エオイーヴの問いに、ティグは淀みなくはっきりと答えた。エオイーヴの顔には、僅かに目を細めるあの表情があった。コウトの言葉を思い出して、ギクリとする。
「それで、その木材はなんです?」
「この刀が、実用品である事を見せる為に用意しました」
「ほう、刀というのが、その剣の名前ですか、よろしい、見せて貰いましょう」
その言葉を受けたティグが、抜き身だった刀を鞘に収める。刀の鞘と柄は、丁寧に作るには時間が足りず未だ粗雑な物であった。
ティグは真っ直ぐに立つ木材に向き合い、刀の柄に右手を鞘に左手を添える。
息を整え、目標を見定め、一息に刀を抜き放つ。
刃が一瞬、鞘の口に擦れて短い音を響かせた。
瞬き程の間もなく振り上げられた刀身は、勢いを減ずる事なく振り下ろされる。
ほんの一音、刀身と木材の触れる音を残しただけで、その刃はすり抜けるように木材を通過した。
刃に一瞬遅れるようにして、両断された木材の上部が倒れ落ちてくる。
止まる事なく振り上げられていた刀が、地に落ちていく木材を再び通過し、それを空中で両断した。
二つに裂かれて叩きつけられる木材に構わず、もう一度、今度は下方から振り上げるように振るわれた刀が、地面に残っていた木材を、もう半分に切り分けた。
切り飛ばされた部位が空を舞う中、ティグはもうひと振りだけ空を斬った後、音も立てず刀を鞘に納めて見せた。
集まっていた観衆が、目の前で演じられた信じられない剣舞を、事実と認識するのには、数秒の間を必要とした。
徐々にどよめきが広がる中で、大きく息を吐いたエオイーヴが、切り分けられた木材を拾い上げ、その滑らかな断面を確認する。
「君の名前は、なんというのかな?」
「ティガウルド・ホグタスクです」
「そうですか……さて、この場に集まった志願者諸君の中で、
このティガウルドより優れた資質があると自負する者は、名乗りを上げて下さい」
そう言ってエオイーヴは、他の志願者達を見回す。
しばらく待っても、名乗り出ようとする者はいなかった。
「分かりました、ではこれで、弟子の募集を終了とします。
ティガウルド、これから行う面談で弟子入りの詳細な条件を伝えます。
その内容に異存がないようなら、君を正式に弟子として迎え入れましょう」
「はい、よろしくお願いします!」




