第23話 - 魔工 -
オルベアの町は、大討伐を終えてからの半年で随分と様変わりした。
開拓に伴う依頼を求めて集まる冒険者の数は減り、かわりに鉱山開発に関係する者を中心として、その周囲を固める種々の職人達が集まるようになっていた。
ジルムベルグの心臓、早くもそんな通称が聞こえてくる程に町は賑わっている。
そんなオルベアの一画に、新造された邸宅があった。ティグ達の新しい住居である。
そこに住むのはティグ達一家に、ボルドとクリスの五人だ。コウトも同居を勧められたが、その話を固辞して以前からの兵舎の一室で暮らしている。本人曰く、その方が色々と都合がいいらしい。
町の変化に合わせるように、それぞれの立場も変わっていた。
まず、一番大きな変化は、オーグのオルベア守備隊長への就任であった。衛兵隊が名を変えて再編成された事で、新たな隊長が必要になったのだ。以前の隊長であったグレオは、大討伐の功績を認められて、領主の直属部隊へと栄転し、そこで一部隊を任されていた。後釜への話があったのは、そのグレオの推薦によるものらしい。
オーグが冒険の第一線から身を引く事になった大きな理由の一つが、エリシアの妊娠である。
大討伐という大仕事を成し遂げたとはいえ、未だオーグの心に冒険者としての野心が尽きた訳ではなかった。しかし同時に、口にはしないが、自らの限界という物も感じざるを得ない心境だった。日を追うごとに力を付けていくティグを、一番身近に見ているのだから、その思いも無理からぬ事だろう。
そこに思いがけず訪れた仕官の誘いと、エリシアの懐妊報告は、冒険者への未練に区切りをつけるいい機会だと思えた。
やり残したことがあっても後はティグに任せるさ、冗談めかしたその言葉の半ば以上は本心から出たものだった。
エリシアも妊娠に伴い、当然の事ながら第一線から退いた。こちらは来る二人目の子育てに向けて、冒険者への未練が云々と言っていられる心境ではなかった。
子育てが冒険者より気楽だなどとは、欠片も思っていないエリシアである。最近は家事の合間の内職代わりに、以前ボルドから聞いた魔導書というものを執筆している。オーグの安定収入が期待できるようになったとは言え、それに頼りきろうとも思わないのは、冒険者の名残か、個人の気質か微妙な所である。
仕官の話はボルドにも及んでいた。こちらはボルドの年齢を考慮した上で、技術顧問として後進の育成に携わらないかという誘いである。
ボルドはこれを断った。生活の基盤ができた今、あえて責任ある立場に立つ気にならなかったのだ。魔法の才能を見せ始めたクリスに手解きをする傍らで、手頃な依頼をこなして小銭を稼ぐ悠悠自適な生活であった。
その孫であるクリスはというと、着実に魔法の才能を伸ばしてボルドを喜ばせていた。私生活では、新たに町に入ってくる子供達を、次々と傘下に収めて勢力を拡大しており、自身の力を磨きながら、年上の悪童達の牙城を如何にして切り崩すかを、虎視眈々と伺っている所である。
最近そんなクリスに、悪童達の動向を報告するよう求められて、やりたいわけでもない諜報員の気分を味わっているのがコウトである。とはいえ、放っておいたら何をしでかすか分かったものではない妹分の、手綱を握るつもりで利用されてやっていた。逆らえないとか、そういう訳ではない。
冒険者としての活動は、町にある依頼の減少に伴って縮小を余儀なくされていたが、それでもティグとボルドと共に仕事をして、地道に経験を積んでいる。ちなみに、オーグとエリシアが抜けた事で、前衛をティグが務めるようになり、コウトは後衛付きの援護役として弓を中心に技術を伸ばしている。
新居の敷地内で井戸を挟んだ場所に一棟の離れがある。ティグが大討伐の報酬をつぎ込んで、手ずから指揮をとりながら建設に携わった、専用の工房である。あの世界の設備とは比べるべくもない物ではあるが、そこは間違い無くティグの城であった。
その城の主は、今、正に煩悶の只中にあった。
工房が完成して二ヶ月、必要な道具を揃えあげ、手の届く範囲の資材は買い集めた。万端の準備を整えたというのに、肝心の刀が作れないのだ。
それというのも、ティグ、というか、あの世界の刀工は、実用品としての刀というものを作った事がなかったのだ。
おかしな話ではあるが、事実である。
刀工は唯ひたすらに理想の刀を追い求め、彼の作る刀は出来不出来に関わらず、最後のひと振りを除いた全てが習作だったのだ。
刀を作る時は常に何か新しい試みを行い、失敗も成功も、その全てが前進の為にあるものだった。
あの世界では使う場所も機会もなかったのだから、使い勝手のいい物を手元に一つ、などという考えなど浮かびもしなかった。
ならば、最後のひと振りを再現すればいいのではないか。
不可能である。
あの世界の、あの場所、あの環境、そして何よりあの刀工であっての物である。出来上がるものは、似ても似つかぬ粗悪品にしかならない。他の誰でもなく、ティグ自身がそう思ってしまう事だろう。
それは、あの刀工に対する冒涜に思えた。
死者は何も語らず、ましてやあの刀工ならば、そんな事歯牙にもかけないかもしれないが、ティグにとっては軽々に踏み込める領域ではなかった。
という事で、新たな試みとして、炎の魔法を精錬等に使ってみようと思い立つ。
駄目だった。
魔法だけで金属の加工を行うには、魔力が圧倒的に不足していたのだ。魔法の扱いが未熟なことも手伝って、現状ではどう考えても素直に炭を使う方が効果的だった。
刀が欲しい、打ち上げる腕も準備もある、しかし、前世から引きずっている、偏執的とも言える作刀への思いや信念が、ティグの足を引っ張るのだ。
自分はあの刀工ではなく、ティガウルド・ホグタスクだ、と叫んでみても、元々が理屈で割り切れる問題でもない為に、その心は動いてくれなかった。
魔力素材の一つでも手に入れられれば、魔工の業がなくとも試しにと食指も動こうというものだが、素材自体が高価すぎた。その上、ティグの今まで稼いだ依頼の報酬は、家族と住む邸宅とこの工房を作り上げるのに使い切ってしまっており、手元にはほとんど残っていないのだ。稼ぎ直すにしても相当な時間がかかる。
あるいは魔工の業の、ほんの一端にでも触れられたならば、それを軸に自ら試行錯誤を繰り返し、その過程で何らかの物を打ち上げられるかもしれないが、そんな当てもない。
そんな出口のない葛藤の中で、ティグは悶々とした日々を過ごしていた。
「ティグ、喜べ、良い知らせだ!」
コウトが朗報を携えて工房へと駆け込んで来たのは、そんな時の事だった。
「なんだよコウト、割のいい依頼にでもありつけたの?」
「違うって、聞いて驚け、ジルムベルグに魔工が来てるんだってよ」
気のない様子だったティグの態度が一変する。
ティグの足に漲った魔力は、工房の入口までの距離を限界まで短縮させた。
その手がコウトの襟元を締め上げんばかりに引っ掴んで、壁に押し付ける。
「本当に!?詳しく教えて!」
「わ、かった、から……お、落ち着いて、くれ」
口をパクパクとさせながら、やっとの事でコウトが声を搾り出す。
「ああ、ごめん、ちょっと気が急いちゃって」
慌てて手を離すと、コウトは咳き込みながら非難がましい視線を送る。
しかし、焦らすような事はせず、手元にある情報を順序だって話してくれた。
まず、現れた魔工の名はエオイーヴ・ボーティラス。その名は、今までティグ達が集めた話の中でも聞いた事がある、辺境を巡る魔工のものだった。辺境の領主を訪ね歩き、高額な報酬と引き換えに、要望に応じた様々な作品を仕上げるのだという。
特筆すべきは、その魔工は北部大陸の各地で弟子を取り、何人もの新たな魔工を世に送り出しているのだという点である。今のティグにとっては、正に渡りに舟と言った人物なのである。
その魔工が、ジルムベルグを訪れたのには訳があるという。それが最近見つかった、良質な魔力素材の鉱床に興味を持っての事であるらしい。
今回の依頼の報酬として、魔工自身が検分した魔力素材を受け取るのだと言う。
「って事は、その人がこの町に来るってことなんじゃないの!?」
「まあ、ほぼ間違いないだろうな。
それどころか、町の賑わいを見れば、ここで弟子を探したとしてもおかしくないよ」
「そっか、そうだよね、沢山弟子を取ってるって話だもんね!」
ここまで来れば、最早運命としか思えない出来事だった。この巡り合わせがどこかの神の手引きなら、礼の一つも言わなければならないだろう。
「それで!その人はいつこの町に?」
「いや、まだそこまでは、でも情報は確かみたいだし、そんな遠い話じゃない筈だ」
「そっか……うん、そっか!」
これだけ喜ばれるなら、多少の無礼も許せるか、そんな事を思うコウトだったが、一つ言いそびれてしまった事があった。
しかし、今のティグに水を差すような事もしたくなかったコウトは、その件は折を見てという事にしておいた。大事な話ではあるが、そこまで急ぎのものでもなかった。
二週間程が過ぎ、ついにティグの待ち望んだ人物が、オルベアの町にやって来た。
領主の直属部隊が護衛を引き受けたらしく、その扱いの重さがはっきりと伝わってくる。それはつまり、その人物が、紛う事なき本物の魔工である証明だった。
「どれどれ、どの人?」
「わかんないけど、あ、いま降りた人かも!」
「ああ、それっぽいな、なんか、こう、偉そうだし」
ちょっとしたお祭り騒ぎの町中で、ティグ、クリス、コウトの三人が、野次馬に混じってその姿を確認しようとしていた。
町でも最高級の宿に入っていく人物に続いて、数人の弟子と思しき者達が同じ宿に入っていった。
「あれが弟子の人達かな、同じ宿に泊まるとか、結構優遇されてるんだな」
「確かに弟子の育成にも定評があるって聞いてたけど。
ああ、ホントにここで弟子を集めないかな!絶対行くのに!」
「えー、ティグあの人についてっちゃうの!?」
「いくらなんでも、そういう大事なことはオーグさん達に話してからにしろよ」
「ああ、なんか立札が!」
「聞いちゃいないな」
ティグ達を含めた野次馬がざわつく中で、護衛の兵士が宿の前に立札を掲げる。
その内容は、まさしくティグの望む所であった。
告知
北部大陸の魔工、エオイーヴ・ボーティラスはこの町にて弟子を募る。
明日、町の広場にてエオイーヴ・ボーティラス本人が、その者の資質を検分する。
エオイーヴ・ボーティラスがこの町に滞在する限り、その門戸は開かれている。
志ある者は、振るって参加するよう期待する次第である。
なお、必要最低条件は、志願者が何らかの上級魔法を扱えるものとする。
その立札は町のあちこちに立てられた。
それを読んだティグは、文字通り飛び上がって喜んだ。
その夜、ティグは弟子として志願する旨を全員に伝える。
その勢いは、説得がどうとか言える段階を超越しており、有無を言わさぬ決定事項として語られ、皆が諦め気味にそれを了承するほかなかった。
翌日、広場に集まったのはティグを含めて八人だった。
最低条件を満たした上で志願したという事を考えれば、結構な人数と言えるだろう。
そんな中で、ティグだけが一際目立っていた。他の者達が若くても二十を半ばも越えていると言うのに、一人だけどう高く見積もっても一二歳に届かない少年が混じっているのだから仕方がない。
参加者が全員集まった所に姿を現した四十手前程の男が、ティグに目を止めた。
「君は、弟子の志望者なのかな?」
「はい!」
「……気持ちは分からなくもないが、最低限の条件というのがあってね、残念だが」
「魔法なら、扱えます!」
そう言って、魔法で炎を発現させる。
普段より張り切った為に、手の上で激しく燃え盛る炎を見て、男は目を見開いた後、小さく眉をひそめるように動かした。
魔法に集中していたティグは、その微かな感情に気付かなかった。
「なるほど、失礼な事を言ってしまったようだ、謝ろう。
私がエオイーヴ・ボーティラス、今日ここに集まってくれた皆さんを歓迎します」
淡々と喋り出したエオイーヴの表情には、既に特別な感情は残っていなかった。
その後、一人一人に魔法を使用させて、全員が条件を満たしている事を確認する。
その中にティグほどの深い印象を残す者はいなかった。
「よろしい、皆さんが最低限の条件を満たしている事は分かりました。
しかし、魔工というものは、魔法が使えれば誰でもいいという訳ではありません。
私としても、才のない者に手ほどきする程の暇はない」
エオイーヴが、チラリとティグに視線を向けたような気がした。
「魔工とはその名の通り一種の職人です、その力がなければ何も生み出せない。
私はこれから、この町の先にある魔力素材の鉱床に向かいます。
戻ってくるのに一月はかかるでしょう。
その間に職人として自らの腕前を証明できる物を用意してもらいたい。
それを見た上で、あなた達を弟子にするかどうかを決めたいと思います」
話はそれで終わった。
面接の終了を受けて、全員が解散していく中で、エオイーヴがティグの方を見つめていた。その視線に気づいたティグがそちらを見て、少しの間視線が交差する。
ティグには、やや目を細めたエオイーヴの表情から、何かを読み取ることは出来なかった。
ややあってエオイーヴの方から視線が外され、そのまま何も言わず去っていった。
その日の夜、ティグは工房に立っていた。
そこには、自らの進む道を切り開く為の全てがあった。
過去の想いに未練がない訳ではないが、それが必要ならば、それを踏みしだいて進む覚悟がティグにはあった。
出来上がる物が、どれだけ無様に思えたとしても、ティグにはそれが必要だった。
「ティグ、ちょっといいか?」
工房に姿を見せたのはコウトだった。
「こんな時間に、どうかした?」
「ああ、ちょっと話したい事があってな」
逸る気持ちに水を差された形だが、だからと言ってそれに文句をつけようとは思わなかった。コウトが只の世間話をしに来たとは思えなかったからだ。
「大事な話し?」
「ああ、割とな……ティグはさ、あのエオイーヴって魔工の、弟子になるつもりか?」
「合格すればね、絶対にそうするつもりだけど」
「そっか、うん、俺はさ、近々この町を離れようと思うんだ」
「え?」
「この町さ、冒険者の仕事が減ってきてるだろ?
それで、これからも増える事はないと思うんだ」
「本気?」
「まあね、それにほら、俺ってここで仕事しててもさ、やっぱりティグとボルドさんに頼りきってる訳じゃん、いくら仲間とはいってもさ、力に差がありすぎるんだよ。
そりゃ、ここに居るのは楽しいし、昔からしたら、夢みたいな暮らしだけどさ、
冒険者としては、今以上の何かになれるとは、思えないんだ」
「そっか……」
「でも、出て行く前にさ、どうしても言わなきゃならないことが出来てな」
「何の話?」
「ティグ、あの魔工の弟子になるのは、やめとけ」
「はぇ?何を言いだすんだよ、いきなり、そんな事」
「多少時間はかかるかもだけど、出てく前に俺が別の魔工の居場所探してみせるからさ、
とにかく、あのエオイーヴってのだけは、絶対止めとくんだ。
大して自慢できる物もない俺だけど、これでも人を見る目だけははあると思ってる。
その目に誓ってもいい、あいつだけは、絶対に、駄目だ」
コウトの突然の言葉に、ティグは何の返事も出来ず、ただそちらを見返すだけだった。




