第20話 - 依頼 -
それは起死回生の一手であり、最後の大勝負だった。この作戦が失敗すれば、最早彼の手には一片の権威すらも残らないだろう。そしてそれは、何もせずに手をこまねいていても、遠からず訪れるであろう未来像だった。
相手は紅い髪と黄色い瞳を持った、年下の少女である。あの日あの少女が現れるまでは、この一帯は彼の楽園だったのだ。気に食わない奴は蹴り飛ばし、使いたい遊び場はいつでも彼のものだった。
それが今はどうだ、見る影もない。そこらの青瓢箪をちょっと小突いただけで、周りの雑魚どもが騒ぎ立て、すぐにあの少女がやってくる。
気に食わなかった。何が気に食わないって、こっちがわざわざ人数を揃えて叩きのめそうとしているのに、あの少女はいつでも一人で彼を返り討ちにするのだ。そして、彼が負ける度に、取り巻きの数は減っていった。
軟弱な奴らだ、相手がちょっと可愛いからって簡単にたぶらかされやがる。
だが、今回は違う。戦力が圧倒的なのだ。負ける可能性が存在しない。
この勝利で、あの少女に恐怖というものを植え付けてやるのだ。二度と彼に逆らおうと思わない位の恐怖を。そうなれば後はまあ、悪いようにはしない。
実力もあるのだし、ちょっと位優遇してやってもいい。あの少女だって、黙っていれば結構可愛いのだ。その時はまず名前を聞いてやろう。
そんな事を企む彼の前に、件の少女が姿を現す。いつも通り一人である。今の少女が一声かければ、何人でも取り巻きは集まるだろうに、愚かなことだ。
「あなた達も、いい加減懲りればいいのに」
「ふん!そんな事言ってられブシぃ!」
少女の拳が口上を述べていた彼の顔面を捉える。
相変わらず卑怯な奴だ、人が喋っている所に襲いかかってきやがる。口に入った土を噛み締めながらそんな事を考える。
そんな間にも、手下の数はあっという間に打ち減らされていった。
全く卑怯な奴だが、今日の彼には奥の手があった。今まで何度も頭を下げたが、煮え切らない返事で動こうとしなかった、4つも年上の悪童三人組。そんな悪童達に変化があったのが、つい先日のことである。いつものように少女の横暴を相談しに足を運んだ時の事、悪童の一人が聞いた事もない奴の名前を出したのがきっかけだった。
「そういやその小娘よぉ、あのコウトの身内って話だぜ」
「んだと?あの腰巾着野郎のツレだってのか?」
「おうよ、上からの手ぇだすなって話も、あの野郎が媚売って手ぇ回したとかよぉ」
「ああぁ!んだそりゃ!あのクソ野郎、一々ムカつく事しやがんなぁ」
「いっぺん思い知らさなきゃわかんねぇんだよ、あのクソはよぉ!」
「丁度いいじゃねぇか、その小娘からボコっちまえば、あのクソ、ビビリあがんぜ」
「おぉ、そうだな、いっぺんやっちまえば、後はどうにでもなんだろ」
ちょっと怖かったけど、その後はトントン拍子に話が進んだ。これでようやく、あの少女に思い知らせることができるのだ。
そして今、彼の手下が全員やられた頃に、三人の悪童が姿を現した。
どうだ、怖いだろう。味方の自分でもちょっと怖いくらいなんだから、少女はもう泣き叫んでもおかしくない。そうなったら、自分が出てここまでで許してやってくれと言ってやろう。それで正しい上下関係が出来上がるのだ。
「おい、そこのクソガキよぉ、テメェコウトって野郎知ってるよなぁ?」
「知ってるよ、オーグおじさんの弟子で家のパーティの一人」
「おぉ、やっぱそうか、実はそのクソがよぉ」
「コウトはクソじゃないよ、いいやつだよ」
「あぁん?何寝ぼけたこと言ってやがんだこのクソガキがよぉ」
「人の事クソなんて言う方がクソなんだよ、だからあなた達の方がクソなの、
わかったらどっか行って、このクソ野郎」
訳がわからなかった。あんな怖い悪童達を前にして、あの少女は怯えるどころか、反論した上に挑発までしてしまったのだ。これでは自分が出て行っても収まりがつかないではないか。もうどうしようもない、少女は容赦ない暴力ににさらされるだろう。
凶悪な顔つきを更に歪めた悪童の一人が、少女に歩み寄り、手を振りかぶった。
それでも少女は怯えも逃げ出しもしなかった。
迎え撃つ気なのだ。
そのまま手を振り下ろした悪童の、身体が、くの字に曲がって、吹き飛んだ。
少女の前に、立ちはだかる様に現れた少年は、汗だくで、髪を振り乱し、今にも倒れそうな程に息を切らしていた。
「あ……ティグ」
「ハッ、ハァ……ハッ、ハァ、ク、クリス、何、危ないこと、やってるんだよ!」
「……うん、ごめん」
そう言った少女は、糸が切れたようにその場に座り込んでいた。
「あ、あぁん?なんだ、このガキ!」
「お、おい、そいつは、確か……」
悪童の一人が何かを言い終える前に、その顔に少年の拳がめり込んだ。殴られた場所に引っ張られるように身体を半回転させて地面に転がる悪童。
残りは一人だが、そんな事はもうどうでもよかった。
目の前にいるのは、伝説だった。
この町で、その少年のことを知らない子供はいなかった。
大人の冒険者達に混じり魔物を狩る少年剣士、まさに夢物語の具現者である。
今まさに悪童達を一蹴してのけた、本物のティガウルド・ホグタスクその人だった。
残った悪童が、転がった仲間を引っ張って、ありきたりな捨て台詞を残して逃げていったが、そんな物は覚えていられない程の衝撃だった。
コウトは焦っていた。明らかな失態である。
「ティグ、クリスが三人組の悪ガキに目をつけられてるんだ。
俺が行ってもいいんだけど、お前が行った方が早くて確実だし、クリスも喜ぶ。
後始末はちゃんとするから、急いで行ってやってくれ。
三人くらい楽勝だし、俺が行ってもいいんだけどな」
そうティグに頼んで送り出したので、大事には至らないだろう。もちろん、コウトが行っても何の問題もないけれど、人それぞれ役割と言うものがあるのだ。
自分達が依頼で不在の際を考えて、クリスに手を出させないよう口利きしてもらったのはいいのだが、悪童連中の中にどうにも聞き分けの悪そうな三人組がいたのだ。
放っておく訳にもいかず、コウトに恨みが集まるよう仕向けたつもりだった。
コウトを襲ってくれれば、三人くらい、楽勝だし、何の問題もなかった。
「なんで、釘を刺されてるクリスの方を狙うかなー」
結局の所、悪童達の出方を見誤ったコウトの不手際なのである。今後はもっと気をつけなければいけない。
怖い思いをさせたクリスには、後で黙って美味しいものでも進呈しておこう。
万が一ティグが遅れて、クリスが殴られたりでもしていたら、ちょっと無理してでもいい服とかを買ってやらなければいけないかもしれない。
「ティグ、間に合ってくれよ!」
自身は別の場所へ向かいながら、心からの願いを口走るコウトだった。
この町はクリスにとって、初めての自分の町であった。それは他の子供達にとっても同じではあるけれど、クリスには少しだけ意味が違った。
クリスは物心ついた頃から一所に留まらず、色々な町を巡り歩いてきた。どの町にも一月以上留まることは殆どなく、長く滞在するのはクリスが体調を崩した時くらいだった。
時たま弱い者いじめや、仲間はずれの子を見れば、自分が友達に、そう言いたいと思っていた。けれど、クリスにはそんな力も勇気もなく、どうせ自分はこの町からすぐにいなくなってしまうのだ、そう言い訳して何もせずにやり過ごしてきた。
今のクリスは違う、仲間がいる嬉しさを知っているのだ。
ならば、自分の住むこの町で、何をすべきかは言うまでもなかった。
戦うのは常にクリス一人だった。
恨まれるのは自分だけがいい。自分ならばどれだけ孤立しても、絶対に離れていかない仲間がいるのだから。
自分に向けられた恨みなら、どうにでも迎え打てる。
けれど、仲間を集めて相手を倒せば、仲間の中から相手を追い出せと言う者が出るだろう。以前に虐げられた者ならば、きっと、そうしようと言い出すだろう。そんな時、クリスがどうすればいいかなんて分からないのだ。
だから、クリスが無理やりでも仲間にいれるのだ。不満があるなら自分に言えばいい。クリスは、それで大丈夫だと思っている。だって、仲間がいるのは嬉しいことなのだ。
クリスが倒れた相手に手を差し伸べると、ティグが心配そうに言う。
「クリス、それでいいの?」
「うん!」
「でも、こいつらはクリスを……」
「大丈夫!」
クリスに打ち倒された子供達が泣き止んで、次々とクリスの手を取っていく。
「コウトだって最初は悪者だったんだよ、それでも、今は仲間でしょ」
そう言うと、ティグも納得がいったようだった。
最後に残った年上の男の子に、クリスはためらう事なく手を差し出した。
それまで泣いていなかったその男の子が、泣きそうになりながら、逃げだしていった。
クリスは無邪気に笑った。逃がすものか、と。
クリスの町で、一人ぼっちでいようだなんて、そんなこと絶対に許さない。
ところ変わって、ここは路地裏にある悪童達のたまり場である。
「お前らよ、上が駄目だって言った事、破ったらどうなるか知っててやったんだよな?
なに?俺を巻き込んで、どうにかしたかったワケ?」
クリス達の前からほうほうの体で逃げ出した悪童三人組は、待ち受けていた同じ年頃の少年達に囲まれていた。
その場にコウトの姿はない。もうそこにいる必要もなかったからだ。
複数人の証言から、三人組がクリスに手を出そうとした事は、既に知れ渡っていた。
少年達が知っているという事は、上の者にもすぐに知れるという事である。
そうなれば、誰が勝手にやったなどと一々調べたりはせず、上から指示を受けた者、少年達の実力者が制裁を受ける事になるだろう。
それが嫌なら、先んじて実行犯を吊るし上げる他ない。
悪童には悪童なりの規律があり、それは今回も粛々と守られたのだった。
パーティの年少組が健やかな成長を見せている頃、オーグは衛兵隊長であるグレオに呼び出されていた。
「今回来てもらったのは、君らに頼みたい事があったからだ」
オーグにはおおよその話の内容は分かっていた。先頃に発見されたという、大型魔獣の巣穴、その掃討作戦に関する事だろう。
通常の依頼なら、依頼主から名指しされるという事はない。冒険者間での公平性が保たれなくなるからだ。それは依頼する側の都合よりも、冒険者達の間にある暗黙の了解が優先された結果である。
だが、当然の事ながら例外はある。速やかに準備を行い、確実に成功を収めなければいけないという、今回のような場合である。
そして、この作戦が成功すれば、この町の開拓事業にとって大きな前進となるのだ。恐らく、オーグ達の他にも、この町で名の知れた冒険者達に声がかかることになる。
「ということで、今回の作戦には君らのパーティから、君とエリシア、ボルド、そしてティグの四名に参加してもらいたい」
依頼の内容は予想通りだったが、指名された中にティグの名があった事に驚いた。
「ティグも、ですか」
「なんだ、心配なのか、意外だな」
「そうですか?ティグはまだ六歳ですよ」
「もうすぐ七つになるな、だが、それがどうした?
この町であれに敵う冒険者が何人いると思っているんだ?
確実な戦力が必要な今回の作戦の責任者としては、その名は外せない所だよ」
大型魔獣の巣穴ともなれば、伴う危険は格段に大きくなってくる。生半可な実力では作戦全体の足を引っ張りかねず、場合によっては事の成否にすら関わってくる。
そんな作戦の責任者が、ティグにはそれに足る実力があると評価しているのだ。
「身内で相談して、返事をしたいと思います」
「そうか、そうだな、君の子なのだから当然か。
色よい返事を期待している、話は以上だ」
そう言われオーグは複雑な心境を胸に、グレオの前から立ち去った。




