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第12話 - 旅の空へ -

「魔導書、ですか」

「うむ、ここ十年ほどの間に中央大陸の方で出回るようになっての。

 わしも隠居後の小遣い稼ぎによく書いておった。

 そう難しい物でもないからのぅ、内職がわりに書き溜めてみてはどうじゃ?」

「そんなの、私でも書けるものなんですか?」

「なに、上級魔法に必要な理解を、言葉にして書き出すだけじゃよ。

 まあ、知識と見る目がある商人にでないと、なかなか売れんがのぉ」

「事象への理解を文字に書き起こす、ですか。

 でも、そんなの読んで本当に効果があるんですか?」

「事象への理解というのは千差万別、人それぞれじゃからのぉ。

 読む者に一定の力があれば、あとは他人の理解を見聞きする事で、

 より事象への理解が深まる、というのが売り文句じゃのぅ。

 で、その建前に従って、何十もの話を纏めたのがいわゆる魔導書というわけじゃ」

 ボルドの話にエリシアがしきりに感心していた。

 現在ティグは魔法の勉強中だった。水桶に入った水を魔力で掻き混ぜるのが、専らの課題である。その傍らではクリスが、ペトペトとティグの体を触って魔力の流れを感じようとしている、という建前でちょっかいをかけていた。

 ティグの魔法に関する才能は、火への理解に特化しており、それ以外の水、土、風を始めとした各分野には、そこまでの突出した才能は見られなかった。

 戦士として生きる以上は、特化した部分を伸ばすより、基礎を固めるべきというのがエリシアの方針だった。

「まあ、建前だけでなくそれなりの成果も上がっているらしいしのぅ。

 中央では近年、魔法使いの事象への平均的な理解が、軒並み向上していると聞く」

「そうなんですか、私も一度読んでみたいわ」

「個人で持つには少々値が張るじゃろうなぁ。

 流行りに乗じた紛い物も多くてのぅ、一度安物の偽物を見たがありゃ酷かったの。

 小難しい言葉が並んどるだけで、内容はお粗末極まりなかったわい」

「そっか……手に入れようと思っても、難しいんですね」

 エリシア達が雑談しながらティグの練習を眺める、それが現段階での日常的な魔法の実践練習だった。


 この町に滞在してひと月が過ぎた。

 ティグ達はもちろんだが、ボルド達もまだ町に残っていた。

「ボルドさん達と一緒に行こうと思う」

 それは、大人達が話し合って決めた事だった。オーグ達は子供を連れての旅路が困難な物だと予想していたから、ボルドの経験は得難く有用なものだった。

 ボルドにしてみれば、幼子との二人旅は常に不安が付きまとっていた。だからといって、信用できる護衛を雇おうと思えば、資金がどれだけ必要か分からない。似たような境遇のオーグ達と出会えたのは、正に僥倖だった。

 双方の利害が一致を見た上での話ではあったが、それ以上に、この旅路で信頼に値する人物との出会いは、利害の額面以上の価値を持つ。お互いにそれが分かっての決定だった。

 この話にクリスは単純に喜んだ。クリスの心の中には、ティグ達とも直ぐに別れなかればいけないという思いが常に鬱屈としてあったのだ。それが払拭されたとなれば、喜ばずには居られなかった。クリスがその話を聞いた当日は、ティグの訓練がまともにできなかったほどだ。

 当然だがティグも喜んだ。ボルドとクリスにはひと方ならない感謝と好意を抱いている。故にこの話は、願ったり叶ったりと言ったものだった。

 こうして、冒険者というより、一見すると行楽に来ている仲良し家族、といった風の一団が結成されたのである。


 この頃、ティグは頻繁にお腹を壊すようになった。もちろんこれは、件の特訓が原因である。ようやく任意で魔力の偏りを生み出せるようになったティグが、早速内臓にある魔力を減少させた結果であった。

 しかしこれは、ボルドの厳重な監視下で行われた事であり、重大な事態を引き起こすことはなかった。

「この年頃ではよくある事じゃよ。

 どっしりと構えとらんと、子供も不安がるし身がもたんぞ。

 まあしばらくは柔らかい物でも食べさせるが吉じゃろう」

 そう言ったボルドの援護もあって、両親もやや不安げながら、ティグの秘密特訓に気付く事はなかった。

 ただ、頻発する体調不良のおかげで、戦士の訓練時間が明らかに目減りしたオーグの酒量が少し増えてしまったのを、申し訳なく思うティグだった。


 それから更にひと月過ぎた頃、ティグが体調を崩す事が無くなった。

「半信半疑じゃったんじゃがのぉ」

 それがボルドの正直な感想であった。

 日々の体調不良は、口で言う程に楽なものではない。ろくな固形物は口にできず、少しの事で息切れと嘔吐や下痢が引き起こされ、下していない時は便秘といった感じである。確実に気力が削がれ続ける中で、それでもティグは特訓を断行した。

 その間、ティグには両親の不安が痛いほどによく分かったが、心中でそれに謝りながらも決して表に出す事はなく、ひたすら己が信念を曲げなかった。

 その岩をも通さんばかりの執念は、見事にこの世界の常識を突き貫いたのだ。

 ティグはボルドの前で、干し肉を噛みちぎり、いくらか咀嚼し、飲み下す。

 今、ティグの内臓には殆ど魔力が満ちていない。にも関わらず、ティグは顔色ひとつ変えずに、拳大ほどあった干し肉を嚥下して見せたのだ。

 ひと月前は肉どころか、パンのひと欠片でも吐き気を催していたティグである。最早、疑いようもない成果が、ボルドの目の前に顕示されていた。

「あー、わたしも食べる!」

 眼前で起こった事の意味が分からないクリスは、まだ残っていた干し肉をひったくってその口に運んだ。

「ボルドさんのおかげで、ここまで来れました。ありがとうございます!」

「それだけでそこまで出来るもんはおりゃせんよ。

 いや、お前さん以外にそんな事出来るもんが他におるんじゃろうかのぉ」

 実際、ティグと共に訓練の真似事をしていたクリスが、未だに魔力の存在を認識するにも至っていない所をみれば、そんな言葉も出てくるだろう。

「それじゃあ、次の段階に行こうと思います」

「うむ、やってみい」

 ティグは床に座り、両手を上に向けて開いた。全身の魔力を左右に分けて偏らせ、両手から炎を発生させた。二つの事象を同時に発生させるのは、習熟した魔法使いなら大抵が使いこなせる技術だが、魔力の消費が激しいため実用性には欠ける。だが、今はそこが都合よかった。

 あっという間に身体中の魔力が消費されてゆき、2分と持たずに炎が消える。

 魔力切れだった。身を硬直させ、突っ伏すように上半身を伏せたティグに、クリスが駆け寄った。

「ティグ、ティグ!大丈夫!?」

「だい、じょうぶだよ、クリス」

 全身は脱力して思うように動かせず、思考も鈍い。だが、以前のような目眩や、息苦しさ、体内を締め上げられるような感覚もない。心臓が規則正しく血を巡らせる鼓動を感じる。

 いつでもティグの異常に対応できるよう身構えていたボルドが、ティグの顔を覗き込んで来た。ティグは頬を引き攣らせながらも、小さな笑顔を向ける。

 ボルドがティグをクリスごとまとめて抱き上げた。

「大したもんじゃ、本当に魔力切れを克服しおったのぉ!」

 その成果を我が事のように喜ぶボルドと、それにつられて訳も分からずはしゃぐクリスに囲まれて、ティグは喜びの中に一抹の寂しさを見出していた。

 理屈ではとっくに答えが出ていた事であり、それを十分に理解もしていた。

 自分はあの刀工とは別の者なのだという実感が、ティグの感じた寂しさの正体だった。

 最後の刀を打ち上げた時の、あの充足感、あの感動は、もう二度と手に入らないのだろう。唯一人刀と向かい合って、その間には何者の存在も許さなかった、あの刀工だけの喜悦。

 構わない。あの喜びはあの刀工だけのものでいい。

 ティグはその為に生きている訳ではない。その先を得たからこそ、ここに居るのだ。

 道のりは遠く果てしない。だが、その道を行くのはティグ一人ではなかった。

 オーグとエリシアがいた。ボルドとクリスがいた。きっとこの先には、まだ見ぬ誰かがいるのだろう。

 自分と求める物の間にある、無数の存在。それらを繋ぐものこそが、ティガウルド・ホグタスクの生きる道なのだろう。

「でも、まだまだです、まだ先が、まだまだ先があります」

「おお、おお、そうじゃろうとも、ぜひともこの爺に見せてくれ」

「はい!」

「あ~わたしも~!」

「もちろんだよ、いっしょに行こう」

「うん!」



 ………………



「よーし、久々の訓練だ!張り切っていくぞ!」

「はい、父さん!」

「……今のはちょっと危なかった……ティグ、なんか強くなったか?」

「母さんが、お酒飲み過ぎで、だらしなくなったって言ってました」

「そうか……気を付けよう」



 ………………



「あら、出来てるじゃない!これで後は土の魔法だけね」

「土の魔法は難しいです……」

「だいじょうぶ、ティグならできるわ、ほら手を貸してみなさい」

「……はい!」



 ………………



「ティグおそーい、早く早く!」

「クリス、まって……息が……」

「魔力無しじゃと全然もたんのぉ、まあ歳相応といえばそうなんじゃがの」

「……いい、訓練に、な、なります!」

「うむ、その意気じゃて、ほっほっほ」

「ティグ~早く~こっちだよ~」



 ………………



 …………



 ……



 光陰を惜しむ間もなく、予定の半年が間近に迫っていた。

 ティグの秘密特訓は徹底しており、オーグとの訓練中でも身体に回る魔力を制限して、肉体の鍛錬に当てていた。しかし、オーグの目にはそれが伸び悩みだと映っていた。

 エリシアとの魔法の授業では着々と成果が上がっており、基礎固めは完了し、そろそろ応用に移ろうかといった段階まで歩を進めているのだ。

 自分の見通しが甘かったのだろうか、それとも自分の教え方が悪いのだろうか、ふとボルドにそんな事を漏らしたのがきっかけで、その思いがティグに伝わった。

 そんなことはない、ティグはそう声を大にして伝えたかったが、文句のつけようのない成果が上がるまでは、秘密特訓の事は両親に話さないと決めていた。

 それでも、オーグがそこまで思いつめているならば、仕方がない。オーグの特訓は、確かに実を結んでいるのだと、はっきり見せつける必要がある。

 未だにティグは、鍛えてきた身体に万全の魔力を漲らせて扱ったことはなかった。たとえ一分一秒でも、先のための鍛錬に当てたいと考えていたからだ。

 だが、理由があれば、ためらうこともない。今出せる全力で、オーグの苦悩を打ち払って見せる、それこそがティグのなすべき事だった。


「父さん、一本おねがいします!」

 いつになく気合の入ったティグの表情に、オーグが何かを感じたのは確かだった。しかし、それがなんなのかオーグ自身、判然としてはいなかった。

「ああ、わかった」

 いつも通りの返事で構えをとる。

 この頃のティグは、実戦を意識してショートソードの他に、腰に木製の短剣を二本備えていた。距離をとっての投擲は、実戦でも十分に効果を上げられる力を備えていた。

 やや距離をとって父子は対峙した。ティグが一足で打ち込むにはやや遠い間合い。この距離で正面から短剣を投げても、牽制にはなるだろうが、十分な効果は見込めない。

 その間合いから、ティグが半歩退いた。オーグが短剣の投擲を警戒して、半身の姿勢を取る。標的になる身体の面積を減らして圧力をかけたのだ。

 ティグはそこを狙っていた。半身に対して打ち込むことは、側面からの打ち込みに近い状況だ。そして、今日のティグはいつもとは一味違う。満身の力を込めて大地を蹴る。普段のティグの動きを想定していたオーグは、完全に虚をつかれた。

 普段のティグの踏み込みならば、向き直って正面から対応できる距離だが、この日の踏み込みは、オーグの予想を大きく上回る速度だった。

 対応が遅れる。速さが上乗せされた打ち込みは、常よりも重く手に響いた。それでも、子供の体格である、それで持っていかれるほどオーグは甘くない。

 だが、ティグもそれで終わる訳ではなかった。速度を緩めないまま、常にオーグの背面方向へ身体を運び、決して正面からは相対しない。

 オーグの構える盾は死角となり、ティグはそこへと潜り込み続ける。その位置はオーグの剣が届かない場所でもある。

 さらに、この日のティグは速いだけではなかった。日頃ならこれだけ動けば息が上がって運動量が落ちる所なのだが、今日は一向にその気配がない。

 オーグに焦りが出た。ティグが常に盾の向こう側にいるならば、打ち払って体勢を整える。正面から向かい合えば遅れは取らない。

 それは日頃からオーグがティグに教えていた事でもあった。体力勝負なら、ティグに勝ち目はない。それをティグも承知していた。

 盾が大きく振るわれる、が、手応えがない。

 ティグはそのタイミングに合わせて、身体を引いていたのだ。

 想定外ではあるが距離が離れたなら立て直せる、そう考えたオーグの足元に、木製の短剣が飛んできていた。避けなければそれで一本だっただろう。

 体勢を崩しながらも、足を避け、その場に短剣が突き立った。正確な投擲だ。

 ティグはその隙を逃さず、もう一本の短剣をオーグに向けていた。

 牽制だとは分かっていても、打ち払わなければ身体に当たる。

 盾に打ち払われた短剣は遠くに弾かれたが、オーグは無防備な身体をティグに晒すことになった。

 次の踏み込みに、間に合うか。そう考えたオーグを、3本目の剣が襲った。予想よりも遥かに早い攻撃は、投げ付けられたショートソードだった。

 どうしようもないオーグは、膝をつき体勢を大きく崩す事でなんとかその一撃を避けた。

 だが、まだ終わっていない。ティグの手元には武器がないのだ。そう思ってティグの姿を探すが、その身体は既にオーグの背面に達していた。

 ティグはショートソードを投げつけた後、魔力を足元に集中させていた。普段より速い動きが、一瞬ではあるが更に加速される。

 それは、大きく崩れたオーグの視界から逃れられるだけの速さだった。

 オーグの背後へと向かう途中で、地面に突き立った短剣を引き抜く。

 背後を取ったティグの短剣が、オーグの首元に突きつけられていた。

 微かな沈黙を、オーグが破る。

「は、ははは、あはははは!ティグ、すごいな!一本だ!俺から一本とったんだ!」

 誤魔化しや虚勢ではない、素直な驚きと喜びがオーグの言葉から溢れていた。いつかそうなるとは思っていたが、こんなに早くとは、思いもしなかった。伸び悩みなんて気のせいだったのだ、ティグの力は遥かに飛躍していたのだ。

「父さん、ごめんなさい」

「何を謝る、誇れ、胸を張れ!」

「いいえ、僕は、どうしても父さんから一本取りたくて、速く動けるのを隠してました。

 それに、ボルド爺からも裏技を教えて貰ってました」

「ああ、そうか、そうだったのか、それに、裏技?」

「はい、魔力を偏らせて、速く動くんです」

「……そんな事までか、まったくあの爺様は、おかげで負けちまったじゃないか!」

 嬉しそうに、唯々嬉しそうにオーグはティグを抱きしめる。

「父さん、あの……」

「何を気にしてるんだ、勝つ為に策を練るのは常套の手段だ。

 勝気は何も悪いことじゃない、普段から言ってるだろ、単純な体力勝負はダメだって。

 ティグはそれを見事にやってのけたんだ、何一つ恥じる所はない!」

「……はい!」

「だけど、次からはこうはいかんぞ」

「また、次の策を練ってみせます!」

「おう、それでいい!」

 次からはこちらの訓練も一段階上げる必要がある、オーグも策を練るのだ。実戦形式ならばまだまだ負けない、負けてはいられない。

 そう思いながらオーグは、心が晴れるのを感じていた。

 大丈夫だ、もう心配はない。

 予定通りにこの町を立つ、その決意がオーグの心に、今、固まったのだった。


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