第11話 - 残すもの -
魔力切れによって死にかけた翌日、ティグはベッドの上にいた。一晩寝れば大丈夫だろう、その程度に考えていた自分の認識が如何に甘かったかを知った。
エリシアがボルドの忠告に従って作ってくれた流動食も、朝の内は二口三口しか喉を通らなかった。
体調が悪かったおかげで、助けられた事もある。火遊びについてのお説教が、強く嗜めるといった程度で済ませられた事だ。事実を知ればそんな物では済むはずもない話なので、ボルドの心遣いに感謝しながら、殊勝な態度で説教を受けた。
食事は時間をかけて何回かに分ける形で食べる事になった。エリシアの判断だった。彼女はたどたどしく抜かりなくティグの看病を行った。隊商を離れる前に受けた集中特訓の成果だろう。ここまで早く実践するとは思っていなかっただろうけれど。
昼時に近づいた頃、部屋にボルドとクリスティナが訪ねてきた。クリスティナはまっ先に駆け寄ってきて、大丈夫かと心配そうに尋ねる。ティグが平気だよと答えると本当?と言って額に手を乗せてきた。それが、少女の具合が悪い者に対する作法らしかった。その形式の是非はともかく、嫌な気分ではなかった。
「お見舞いに来てくれたのね、ありがとう。よかったわね、ティグ」
二人の幼子を見て頬を緩ませるエリシア。その言葉をきいたクリスティナがティグを見直し、そわそわし、少しの間口を開いたり閉じたりしてから、意を決したように言った。
「クリス!私の事、クリスって呼んで、ティグ!」
なんともあけすけで不器用な友誼の申し入れである。率直に向けられた好意は、なんとも好ましいものだった。
「うん、わかった。ありがとう、クリス」
幼い友情の成立に立ち会った者達は、当人達も含めて皆が同じ感情を抱いていた。
その後、エリシアがティグ食事を食べさせているのを見て、クリスがその役を担当したいと申し出、見事了承を得た。
その了承をしたエリシアだったが、何か言いたげな視線をクリスに向ける。それは心配というより、ちょっとした不満を匂わせるものだった。
もっともそれは、クリスがティグの口に食事を運ぶ姿の前に、あっさり立ち消えてしまう程度のものだった。
「ティグを取られちゃったわ」
「申し訳ないねぇ、大事なご子息を」
「いえいえ、どうせ普段から俺たちで取り合いしてるんだから慣れっこですよ。
強力な第3極が現れた所で変わりません」
子供達から少し離れた所で、二人を見ていたオーグとボルドにエリシアが合流する。
若い二人は置いておいて、大人には大人の話があった。
「昨日はお世話になりました、改めて礼を言います」
やや形式ばった言葉ではあったが、オーグの本心である。どれだけ礼を言っても言い足りない。
対するボルグは鷹揚に応じる事で、やんわりとそれ以上の謝意を押し止めた。当然の事をしたまで、と言った所だ。
その話題はそこまでと言うように、それはそうと、とボルドが切り出した。
「昨日ちらりと拝見したんじゃが、あの歳で魔法を扱うとは驚きましたのぉ」
「ええ、はい、自慢の息子です」
言われ慣れた言葉とは言え、誇らしい事に変わる所はない。オーグが胸を張って答えると、エリシアが補足して続けた。
「でも、あんな才能があるなんて、最近まで知らなかったんです。
おかげで、随分とこの先の予定が変わってしまったんですよ」
オーグはどきりとしてエリシアを見た。話し合った上での合意だったとは言え、自分の望みを強く押し出してしまったという自覚はあった。
そのせいでエリシアに負担をかけたし、これからもそれを強いる事になるだろう。そんな負い目を感じずにはいられなかったのだ。
だがエリシアは、屈託顔を見せるでもなく楽しそうに笑っていた。
「ほほう、どんな予定か聞いてもよろしいかの?」
ボルドにそう聞かれて、別に隠すような事もないと思いオーグが答える。
まずはしばらく、半年ほどは、この町に滞在してティグの訓練をする。時間を置けば置くほどティグは成長するし、それに準じて力も伸びるだろう。時間をかけられるならもっと訓練期間を取りたい所だが、手持ちの資金を考えれば半年が妥当だろう。
話の途中で、ティグの剣才に話題が及ぶと、再びボルドが驚きを見せる。
「魔法だけではなく剣まで扱えるのか、いちいち常識はずれの子じゃのぉ」
「出来すぎとは思いますが、おかげで俺は翼を得た思いです」
「そうかそうか、そりゃ孝行な息子さんじゃ」
そう笑ったボルドに心から同意して、オーグは話を続ける。
それからは辺境へ向かい、冒険者としての仕事をして糧を得る。親子3人でこなせる仕事もあるだろうし、ティグの力が順調に伸びれば、どこかのパーティに参加して大きな仕事も出来るだろう。そしてそれは、そんな遠い日の話ではないとオーグは考えていた。
オーグの一先ずの展望はそんな所だった。それ以降は仕事の報酬次第でどう事を運ぶかが決まってくるだろうが、悲観はしていなかった。
年老いた魔法使いボルド・チェルグは、今年で五歳になる孫娘クリスティナ・ヴィノワズを連れて旅をしている。
姓の違いは孫に死んだ父親の姓を名乗らせているからだ。
二人で旅を始めたのが3年前、中央大陸からこの北部大陸へと渡ってきた。
世界には4つの大陸がある。陸続きの3大陸、北部大陸、中央大陸、南方大陸、そして大海の果てに浮かぶ外大陸だ。
冒険者が活躍の場を求めるのは、主に北部と南方の2大陸である。
理由はそこが辺境だからだ。
開発が進み発展した中央大陸では、物価が高く分業化が進んでおり、何でも屋といった体の冒険者がそれだけで食べていくのは難しい。魔獣の被害や盗賊団の掃討は国の正規の軍隊が受け持つし、鉱山の探索や開発は、権力者や許可を得た大商人が行う。荷物の輸送や行商人の護衛なども専門の業者が幅を利かせている。
辺境で名を上げ資産を貯めて、中央大陸で生活の基盤を持つというのは、冒険者として一つの到達点であり、解りやすい成功の形なのだ。
ボルドはそう言った成功者の一人であった。いくつもの冒険を越え、十分な資産を持って、妻と共に中央大陸へ渡り、手に職を持ち、娘が産まれた。
やがて妻が亡くなり、娘が嫁いでからは隠居暮らしと言った感じで、細々とした生活を送っていた。今更野心もなく、娘夫婦に産まれた孫の顔を見るのが、数少ない楽しみだった。
孫が二歳を迎える頃、娘夫婦が強盗に殺された。
自分が傍にいればそんな事はさせなかった、と言っても詮無き話だった。
ボルドは孫を引き取った。遠くの施設になら預ける事も出来たが、そうなればもう何度も会う事は出来なくなるだろうから。
冒険者上がりのボルドは、仲間のいない、近しい者がいないという状況に、幼い孫を置くことは出来なかったのだ。
かと言って、引き取ったはいいが、今から孫を一人前にまで育てるのは、ボルドのささやかな財産では難しい。
だが、老いたとは言えボルドは冒険者だった。一念発起、孫を連れて辺境へと向かう事を決めたのだ。
財産を処分して路銀に当てる。あてはあった、辺境で暮らす古い仲間を訪ねるのだ。
そこで孫を預け、自分は冒険者として糧を得て、孫を一人前になるまで養う。
ゆっくり死を待つだけの生き方に、まさか転機が訪れるとは思っていなかった。しかし、戸惑いはしない。その生き方には信念に違うものなど一つもなかったのだから。
幼い子供を連れての旅は、どうしても足が遅くなる。単身なら1年の道程も、2年過ぎ、3年過ぎ、孫は5歳になっていた。
そして、旅の途中に立ち寄った町でティグ達と出会った。
最初はその才能に目を奪われたが、今はさほど気にしていない。
それよりも、彼らが拒まないのなら、孫娘が偶然結んだこの縁を、繋げていきたいとボルドは思っていた。
自身の生がいつまで続くか保証はない。ならば、何か孫に残せるものを、残せるならば自分がなにより必要としたものを。
この日は子供は子供同士、大人は大人同士で親交を深める事になった。
ティグとしては、大人達の会話に出てくる、向こうの大陸だの昔の冒険だのの話にも興味があったのだが、起き上がっていく訳にもいかず、結局この日一日クリスに世話されながら、彼女の話を聞いて終わった。
クリスの話は必ずしも分かりやすいものではなかったが、祖父の事が大好きであるという心情はよく伝わってきた。
日が傾く頃になると、ボルドは夕食の誘いを断って宿に帰ると言った。クリスはまだ話し足りないとごねていたが、大人達が去り際に話をしていると、その内に待ち疲れて眠ってしまった。
そんなクリスを抱えて、ボルドは宿を後にした。
ティグは断続的に少量の食事を取っていた事もあり、夕食も大した量を食べられなかった。しかし、朝に比べて体調が良くなっている事は実感できた。
「ティグ、お前はあの二人をどう思った?」
夕食の後でオーグがそんな事を聞いてきたので、即答した。
「好きです、昨日も今日もお世話になりました」
他に答えようもなかった。オーグはそうか、と呟いたあとティグに就寝を促した。
翌日、目を覚ましたティグは身体の復調を実感した。
「なおった」
ティグがそう言ってはしゃぐと、エリシアにもう少し大人しくしているよう嗜められる。
またオーグも、大事をとって今日も訓練は様子見だと言った。
「それじゃあ、クリス達に会いに行ってもいいですか?」
両親の心配をよそに、ティグはどうにかしてベッドに縛り付けられるのを回避しようと必死なのである。ボルド達ではなくクリス達と言ったのも、その方が通りやすいだろうという心算があっての選択だった。
ティグの狙い通り、なのかは分からないが、エリシアが送り迎えをし、そしてボルドが滞在を了承したならばという条件で、外出することを許可された。
朝食はまた流動食だったが、今朝はしっかり食べることができた。完調であると主張するため、多めに要求しようかとも思ったが、墓穴を掘っても面白くないので控えておいた。
ボルド達の部屋に到着すると、クリスが全力の笑顔と大きな声で歓迎してくれた。
早速手を引っ張られて連れて行かれそうになるが、なんとか猶予をもらう。
エリシアが昼までティグを見てもらっても良いかと話しだした所に、ティグがすかさず夕方まで!と主張する。慌てて訂正しようとしたエリシアに、ボルドは快く夕方まで面倒を見る旨を伝えてくれた。
恐縮して礼を言うエリシアに、ボルドが年寄りの道楽だから気にするなと答える。その後は当たり障りのない会話が交わされ、最後にエリシアがもう一度礼をいってからその場を後にした。
小さい二人は既に部屋の中で話を始めている。といっても、相変わらずクリスが語り手役の大半を担っていたのだが。
「クリスや、ちょいとティグを貸してくれんかのぅ」
「え~ちょっとだけだよ!」
エリシアが帰ってから、ボルドが本題を切り出すためにクリスにそう求めると、クリスはしぶしぶながらティグの相手役を譲る。
クリスに笑顔で礼を言ってから、ボルドは表情を改めた。
「さて、ティグよ」
「はい」
「先日のお前さんの特訓の話じゃがの、わしもあれから考えたんじゃ」
「はい」
「でな、ありゃだめじゃの。危なすぎる」
「えっ……」
予想外だった。両親に事実を伝えず、今日も快く迎えてくれたボルドの口から、そんな言葉が出るとは思っていなかったのだ。
危ないのは当然理解していたが、それでもボルドは協力してくれるものだと考えていたのだ。
沈黙が続く中、どうにか説得しようとティグが口を開く。
「あの、でも……」
「そこで、わしに代案がある」
自分の言葉に被せられた声に虚を突かれたティグは唖然とする。その様を見てボルドがおかしそうに笑った。その反応を狙っていたのだ。してやられたと思い、顔が紅潮するのを感じた。
「意地悪しないで下さい」
「なに、年寄りの道楽じゃよ」
とても楽しそうなボルドと、実に不満気なティグである。冗談は置いておいて、と改めてボルドが言う。
「代案があるのは本当じゃ、お前さんが一流の冒険者たらんとするならば、
知っておくべき技術であるし、やり方次第ではお前さんの目的にも適うはずじゃ。
まあ本来、そんな使い方するもんではないんじゃがのぉ」
「教えてください!」
目の色が変わるとはこの事だろうか、そう思わせるような勢いでティグが身を乗り出した。ボルドが嘘や方便を使っているとは思わなかった。
「威勢がいいのぅ、そんながっつかんでも教えるからの、落ち着きなさい」
「はい!」
抑えきれないといった様子のティグを、なんとかなだめてボルドが説明をはじめる。
「まずの、お前さんのやり方で身体が鍛えられる、その前提で考えたんじゃ。
しかしじゃ、それで身体が鍛えられるにしても、あれじゃあまりに危険すぎる。
そこで何が危険かを突き詰めれば、恐らく腸に影響がでるのが大きいんじゃの。
飯もまともに食えんかったじゃろう?」
確かに、二日たってみて他の部分はほぼ完調なのだが、固形物を食べるのには今でもやや抵抗を感じている。
「そこでまず、その一番弱い部分を強化する。
それで成果が出れば、今度は他の部位でも安心して特訓に励む事ができる訳じゃ」
「……でも、そんな都合よく部分的に鍛えるなんて、出来るんですか」
「出来る、というか、さっきも言ったが、本来はそんな使い方する奴はおらんのじゃがな」
そう言ってボルドはティグの右腕を軽く掴んだ。そのまま少しすると、掴まれた場所から先がカタカタと震えだしたのだ。
「わかるかのぉ?」
「はい、右手の魔力が無くなって行ってる」
「うむ、やはり感覚が鋭いようじゃの」
「なになに、私にもやって!」
クリスが暇を持て余して割り込んできた。ボルドはやれやれといった感じで、彼女の腕にも同じ事をやってみせた。
「わー、あはは、右手が変だー」
楽しかったらしい。
「これはの、魔力の操作じゃ」
「魔力って魔法のもと?魔法の練習なの?」
「うむ、まあそれに通じる所も、まあ、あるのぅ」
「私もやるー!」
「ク、クリス、とりあえず話を聞こう、ね」
「え~、うん、わかった!」
そう言ってクリスはちょこんとティグの隣に腰を下ろした。生徒が増えたがボルドは気にしない、というより嬉しそうだ。
「今のはわしが干渉して魔力を偏らせたがの、本来これは戦士が使う裏技みたいなもんなんじゃ。
局所に魔力を集中させて溢れさせる事で、爆発的な力や速さを生み出す技術じゃの」
「そうか、これができれば……」
「魔法がつかえるの?」
「クリスは魔力の流れを感じるところからじゃのぅ」
「は~い」
「これができれば、一部分だけを魔力切れに近い状態にする事ができる!」
「そうじゃの、それでまずは腸を鍛える。
それが終われば、恐らく魔力切れが即座に生命に関わる事態は無くなるじゃろう」
「やります!やってみせます!」
「わたしも~!」
「ほっほっほ、元気じゃのぉいい事じゃて」
こうしてティグは、魔力の扱いを学ぶ場を得た。そして、それを学ぶには、経験の塊とも言えるボルドこそが最適な人物であっただろう。
ボルドは思う、例えティグの理論が的外れな物であっても、この技術はこの子を助けるだろうと。自分が重ねた経験など、死ねば霧消してしまうものなのだ。それなら、この若く有望な幼子にありったけを注いでやれば良い。
あるいは、自分亡き後にこの子が孫のかけがえの無い者になるやもしれない。そうなれば、なにも思い残す事もなくなる。
まだ当分死ぬつもりはないが、考えるのは自由であろう。




