第10話 - 縁 -
ティグは見覚えの無い部屋で目を覚ました。しかし、はじめはそんな事気にならなかった、というより、気にできなかった。
全身を包む激しい倦怠感が、正常な思考を妨げていた。
心当たりはあった。閃きと渇望に突き動かされて決行した特訓法。その結果がこの体調不良なのだろう。ただそれだけの事を考えるのにも、随分と時間が必要だった。
それからどれだけか時間がたった。窓から差していた西日が無くなり、部屋に明かりが灯される位の時間が。
部屋に誰かがいる。この時になってようやく、自分が見知らぬベッドで寝ている事に気がついた。
日が落ちていた。早く帰らないと、両親が心配するだろう。そう思い立って身じろぎしたが、それだけで眩暈がした。
「なんじゃ、やっと起きたのか」
ティグの動きに気づいた何者かが、ゆるりと近づいて顔を覗き込んでくる。
「身体はどうかね、目は見えるかい?口はきけるかい?」
「……はい」
「耳も大丈夫みたいじゃのぅ」
にこりと微笑む皺だらけの老人に、ティグは親しみを覚えるが、この時のそれは、弱気が招いただけの感情だったかも知れない。
「あなたは、だれですか」
「わしか、わしはボルドといっての、見ての通りの、爺じゃ。
で、そういうお前さんはだれだい?」
「ぼくは、ティガウルド・ホグタスクです。父さんと母さんは、いますか?」
「ご両親はおるようじゃの、てっきり火の精霊の使いかなにかかと思ったがのぅ」
困った顔で言葉を探すティグを見て、楽しそうに笑うボルド。
「おじいちゃん、ティガウルドが困ってるよ」
「おう、お前も目が覚めたか」
ティグの頭越しに交わされた会話で、背中側にももう一人いることに気づかされ、声のしたほうに目を向けた。黄色い瞳と視線が交わる。見覚えがあった。
「きみは……」
「クリスティナ!」
問いかけを遮るような勢いと声量で、少女が名前を教えてくれた。表情が硬い。
「自己紹介がすんだ所で、ティガウルド、お前さんの両親じゃがのぅ。
ここにはおらん、というか、どこにおるのかこっちが聞きたいんじゃがのぉ。
お前さんこの町の子かい?」
ボルドの問いかけに、そちらを向いてティグは首を振る。
「それじゃあ、宿の名前はわかるかの?」
再び首を振るティグ、そういえば覚えていなかった。宿の看板を身振りと口で説明しようと試みたが、ボルドが困った顔をしただけで徒労に終わった。
そんな事をしている間に、クリスティナが椅子を持って回りこんできて、ボルドの隣に座った。ずっと背を向けられいるのが嫌だったらしい。
「まあ自警団の屯所にもここの場所は伝えておいたから、そのうち駆けつけてくるじゃろう」
「そうなんですか……よかった」
「それよりティガウルド、あなた魔法つかったよね!」
「え……あ、うん」
突然のクリスティナの問いかけに驚き、思いをめぐらせる。隊商を離れてから魔法を使ったのは、あの空き地でだけだった。人気の無い場所を探したのだが、見られていたらしい。
「すごい!私よりちっちゃいのに!」
「そうじゃのぅ、あれにはわしも驚いたが、それにしてもティガウルドや」
「はい?」
「何を思って、あんなになるまで魔法をつかったんじゃね」
「あんなに、って……どんなにですか?」
きょとんとした様子でティグが答えると、ボルドは難しそうな顔をする。
「お前さんな、死にかけとったんじゃよ。
クリスが気づいてわしを呼ばなかったら、そのまま死んでおったよ。
普通よっぽどの事が無い限り、ああはならん」
それを聞いてようやく、ティグは自分がえらい事をしたのだと気づかされた。
「あの、父さんと、母さんには……言わないで……」
「言うにきまっとるじゃろうが」
当然の話だった。
「おねがいします、言うと、二人とも、悲しむと思うから……次は、気を付けますから」
ボルドは、変な顔になった。それを指してクリスティナが笑っている。
「お前さんなんかずれとりゃせんか?
そこは、両親に怒られるから、もうしません、と言うところじゃぞ?
まあ、悲しむのはその通りじゃろうけど」
少し間を置いてから、ティグは言い直した。
「怒られるから言わないでください、もうしません」
「いや、言い直してもだめじゃろ」
「お願いします、僕はやらなきゃだめなんです!
父さん達が知ったら、たぶんできなくなっちゃうんです」
ティグの身を案じて強硬に阻止するであろう両親を振り切ってまで、自分が特訓を敢行できるとは思えなかった。
「もうやらせん為に言うんじゃがのぉ。
大体な、無茶して魔力切れなんぞ起こしても、魔法の練習にはならんぞ?
大ベテランのわしが言うんじゃ、間違いない」
「魔法の練習じゃないです、身体を鍛えてたんです」
ボルドは、いまいち話についていけないクリスティナと同じように、首をかしげた。
「ティガウルドや、お前さん、頭は大丈夫かの?」
「頭いたいの?」
クリスティナがティグの額にぴとりと触る。自分が熱を出したとき、祖父にされた事を真似ただけだったので、深い意味は無かったが、その手の感触は心地よいものだった。
そのおかげか、ティグは少し落ち着いてから、しっかりと説明を試みる。
「僕は戦士になるんです、すごく強い戦士に。だから、やらなきゃだめなんです」
「戦士って、魔法使いじゃないのかの?」
「戦士です、けど魔法も使えると嬉しいです」
「両方か……危ないから止めといた方がいいぞ?」
「知ってます、母さんが危ないって言ってたから、だから鍛えるんです。
魔力が無くなっても平気になるように」
「魔力切れを繰り返せば平気になるなんて、そんな話は……」
そこでボルドは言葉を切った。ややあってから改めてティグに問いかける。
「ティガウルド、その話、わしに聞かせてもらってもいいかの?」
「……話したら、黙っててくれますか」
ティグの切り返しに、ボルドはにやりと笑った。
「内容しだいじゃのぅ、お前さんの思い込みというだけなら、止めさせなきゃならんしなぁ。
なにぶん、お前さんのやっとることは危なすぎるでの」
光明が見えた、ティグはそう判断した。このまま手をこまねいていれば手詰まりになるのは避けられない。ここが分水嶺、ボルドを納得させられれば、先が見えるのだ。
「まだ頭がはっきりしなくて、話をまとめるんで、少し待ってほしいです」
ティグのその言葉は嘘ではなかったが、別の腹積もりがあるのも事実だった。ボルドがそれに気づいたかは分からないが、特にとがめられるでも無く了承してくれた。
そんなやり取りの傍らで、クリスティナはティグの額に当てた手を上下させ、ぺちぺちと叩いている。退屈そうだったが、構ってはいられない。
ティグは考える、自分が転生したという話を最初からすれば良いだろうか。否、それでは駄目だ。
例えば、過去の世界で刀工が、危険な事をして死にかけた子供を保護し、なぜそんな事をしたのかと問う。子供がこう答える、自分は魔法がある世界で生きてきた、その世界では大丈夫だったから、また同じ事をする、止めないで欲しい。
その子供が必死で真摯に訴えれば……無理だろう。ティグの特異性を前面に押し出して伝えれば、成功する可能性もあるかもしれないが、一回勝負のこの場で試すには確実性に欠ける。代案が出なければそうするしかないけれど、できれば選びたくない方法だ。
だからと言って、適当な方便が簡単に用意できるという訳でもない。
しかし、この特訓は既にティグの目的の為に、どうしても必要な道筋に組み込まれている。刀を求める為に必要な力、その礎としてこれに代わる方法があるとは思えなかった。
そこでふと引っかかる。そう、刀だ。ティグの求める遥かな理想。未だその姿すら望洋として掴めない最高の刀。
それで思い浮かんだものに、やや辟易とするが、一つの光明ではあるかもしれない。
「ボルドさん、聞きたい事があるんです」
「ん、なんじゃね」
「神様、ってご存知ですか」
ふむ、と声を漏らしてボルド顎に手をやる。
「そりゃあ知っとるが、それが聞きたかったのかの?」
「いえ、そうじゃなくて、会った事とかはないですか?」
使えるようなら、あれを出しにしよう、ティグはそう決定した。
「ほっほう、そう来たか」
そう言ったボルドは、ティグの目にはどこか楽しげに映っていた。
確かにボルドは楽しんでいた。この幼く珍妙な客人を相手に。
まず自分の孫よりもさらに幼い子供が、自分より深い理解を伴って魔法を使ったという衝撃的な事実。
それでも初めは当然の如く両親に事実を伝え、同時に今後は魔法の使用を厳重に管理するよう言い含めようと考えていた。
自分が死にかけていたと、気づいていなかった所を見て、今後は反省して自制もするだろうなどと考えていると、その口から思いがけない言葉が出てきた。
両親には言わないで、などとは、まあ、子供によくある心情だろう。悪い事をしてそれが両親に知れれば怒られるであろう、そんな当たり前の予想。
だが、ティガウルドの口から出たのは、両親の心情を慮った言葉と、その心情を察した上で、なおも同じ事を繰り返すつもりであるという言葉だった。
そして、その後に続いて語られる強い意志表示は、見た目の年齢とはかけ離れたものに見えた。
この歳であれだけの魔法を扱うのだから、なにもかも常識外れなのかもしれない、そういう事にしてなんとか納得しようとしているのに、ティガウルドはどこまでもボルドの予想を裏切ってくる。
今度は強い戦士になる為にやっていた、などと言い出したのだ。正直これには頭の調子を疑った。
しかし、どうやら本気であり、正気らしかった。
確かに、両道を行く猛者がいる事は知っている。
その危険性を示唆してみせると、知っていたといい、魔力切れの対策だとまで言い出した。
そんな話は聞いた事がなかった。そう、そんな事を試したという話さえ聞いた事がなかったのだ。
魔力が無ければ人は生きていけない、大人なら誰でもが知る事実。この北部大陸ではどうか分からないが、教育機関の発達している中央大陸ならば、子供でも知っているくらいの常識だ。
それを真っ向から否定するような言葉を、何か確信があるとでも言うように語るのである。
子供には常識が通じない、そんな経験は何度もしていたが、今度の話はそんな類のものではない。
その真意を訊ねてみると、返ってきたのは両親への報告を差し止めようとする強かな言葉である。
もう笑うしかなかった、その答え次第では初志を曲げてもいいかとさえ考え始めていた。
そこに出てきた、考えを纏める時間がいると言うティガウルドの言葉は、とてもではないが言葉通りのものとは受け取れない。
単純に事実を言うつもりはないが、その上で何とかしてボルドを納得させようと言うのだろう。嘘をついてでも自分の目的を達成しようという、確固たる意思がその言葉の裏に見て取れると言う訳だ。
面白い、その言葉がボルドを納得させるものなら、この桁外れに珍妙な客人の求めに応じてやろう。
次に示された一手は、神を問い、神との邂逅の有無を問う物だった。
知ってはいるが会った事はない、そうとだけ伝えると、ティガウルドは困ったような顔をする。会ったことが無いと説明に困ると言いたげな反応だった。
これが演技というなら、どこからがそうなのか解らなくなる、そう思わざるを得ない反応だ。
「お前さんは、会った事でもあるのかね」
「ある、と言ったら信じてもらえますか?」
「そんな話も聞いた事はあるが、どれも眉唾物でのぅ」
「でも、信じてもらえないと、どうしようもありません」
その存在を前提として、話がしたいらしい。まあ、ここまで来たのだ付き合おう。
「まあ、よかろうさ。信じよう、お前さんの話を」
よかった、というティガウルドの言葉には、安心の他に悪巧みが成功した子供の表情が見え隠れする。
その程度の感情を隠す事ができないならば、やはり、先ほどの神に関する問答での反応は、心からのものだったという事になる。
それはつまり、ティガウルドは神の存在を確信している、という結論になるだろう。
信じ難いが、信じる他ない、そんな心境のボルドである。
故に、語られた理由を一笑に付す事が出来なかった。
神様に会い、魔力の扱い方と火の知識を得て、同時に身体を鍛える方法も知った。
取ってつけたような理由の割に、どこか真実を匂わせるから難しい。
そして、同時に理解しやすいのだ。あれ程の魔法を使える理由も、突飛すぎる特訓の理由も。
「その方法が危ない事は教えて貰えなかったのかのう」
そうつついてみると、あたふたした後で、思い出したように言う。
「そういえば、あの神様は頼りない感じでした、間抜けなんでしょう」
そんな内容なのに、それは思いつきで取り繕ったようには聞こえなかった。
「……困ったのう」
ボルドから本音が漏れる。
「だめ、ですか」
常識で言うなら駄目に決まっている。実際に死にかけた特訓を再び行わせるなど。だが同時に、見てみたくもなっていた、決意と確信の先にあるものが何なのか。
「もう一つ聞こうかの。なんでそれほど、強くなりたいのか」
ボルドはティガウルドの目を見て問う。何を思い、なんと答えるか。
「……僕には、どうしても欲しいものがあるんです。
その為には、巨人や魔神や龍を倒さないといけない。
だから力がいるんです、普通じゃない力が、届かないなんて嫌だから」
そこに迷いはなく、嘘もない。ただ揺るがぬ意志だけがそこにあった。
今や挑むような視線がボルドに向けられている。
そこでボルドは気付かされた。自分の行動が、場合によってはティガウルドの大きな障害になる事に。それはこの子の未来にどれだけの影響を与えるのだろうか。
大きな息を吐いて負けを認めたのは、ボルドの方だった。
老いた自分の常識で縛ってよいものではない、ボルドはそう思う事にした。
「一日休んだら、同じ事をする前に、またここに来なさい。
そうすれば、わしに手伝える事もあるじゃろう」
少しの間、その未来に関わりを持とうと、そう思った。
その晩遅く、ボルドの泊まっている部屋に、若い夫婦が訪ねてきた。
あちこち探し回ったあとで、ようやく屯所にたどり着いたのだろう。二人とも随分疲れた顔をしていた。
ベッドで寝ている我が子を見て、駆け寄ってしがみつく様に抱きしめる母親を見てから、父親が礼を言ってくる。
ボルドは両親に用意しておいた言葉を伝える。
「体調を崩して倒れていたところを、孫娘が見つけてのぉ。見た所、内臓が弱っているようじゃから、明日は休ませてしばらくは消化のいいものでも食べさせればよかろうよ」
その忠告は、自身の経験からくる物だった。魔力切れで死にかけた後、まともな食事が出来なかった覚えがある。
「いろいろお世話になりまして、ありがとうございます。そんな弱っていたなんて気がつきもしませんでした、お恥ずかしい」
そりゃそうじゃろうさっき突然死にかけたんじゃから、と思うが口には出さない。
「そうそう、この歳で火の魔法を使えるのは大したものじゃが。危ないから悪戯せんように言わんといかんぞ?」
ボルドがごく控えめに忠告すると、何かを察したように両親が驚いて恐縮する。
「よく言って聞かせます!」
まあ、少し位は怒られたほうが良い。
目を覚ましていたティガウルドが、非難するような視線を向けていた。
「あの、お見舞いに行ってもいいですか!」
突然のクリスティナの申し出は、驚きと歓迎で応えられた。
思えばこの孫娘が、奇妙な縁を結んでくれたのかと、ボルドはその頭に手を乗せる。
滞在中の良い慰みが出来たと喜びながら、かるくその紅い髪をかき混ぜるのだった。