第8話 - 臨死の秘密特訓 -
そう、確かに違和感はあった。オーグにしても、他の隊商護衛の面々にしてもだ。
彼らは皆、体の線が細かった。過去の、あの世界の一般男性というなら分かる。あの世界ならば平均以上の筋量と言えただろうし、ぜい肉が見られない分逞しくは見える。
しかし、この世界で日夜肉体を駆使して、野盗や獣と闘う事が前提である男達の体格と考えると、あまりにも筋量が足りなかったのだ。
つい先日までは、そんな物なのだろうと無視できていた問題だった。実際、彼らは見た目以上の、見事な実戦をやってのけていたのだから。自身でも実感している魔力の存在が、それを成さしめているのだろうと納得していた。
だが、その恒常的な魔力による肉体操作の補助が、人の肉体が本来持っている筈の基礎能力を、引き下げているのではないだろうか。
ティグがそんな考えに至ったのは、魔力切れという過去に例の無い体験を経たからであった。魔力が身体の動きを補助しているのは、知識としても体感としても理解している。だが、それにしても、その補助が無くなった時に、あれ程の負担が身体にかかるなどとは、思いもしなかったのだ。
頭は重く、身体は引き攣って動かず、思考は鈍く、視野は霞み、音は遠い。さらに肉体の外部のみならず、鼓動は弱まり、内臓は悲鳴を上げ、呼吸すらも困難なのだ。
魔力が無ければ、人は生きていけない。それを実感できる体験だった。普通はそこで完全に納得出来ただろう。それが事実であると。
だが、ティグは考える。ほかならぬティグだからこそ。この世界の人の肉体は、本当にそこまで脆弱なのだろうか、と。
幽かだが覚えている、赤子の頃の記憶。身体こそ思うように動かなかったが、苦しかった訳ではないし、死に瀕していた訳でもない。それこそが証左ではなかったのか。
ティグは知っていた、魔力の存在しない世界を。そこでも人は飛び跳ね、走り回っていたではないか。あの刀工は、縦横に刀を振るっていたではないか。
ティグに接した人々は口々に言った、ティグならば、と。その言葉は、単なる称賛ではなかった。人々が寄せる大器への期待だったはずだ。
このまま生きていったとしても、人々の寄せる期待に適う結果は残せるかもしれない。それだけの実感も、確かにある。
誰もが賞賛する手練の父が見出した戦士の天分。魔法の理に通ずる母が、自らを上回ると認める魔法の才。弱冠三歳にしてそれ程の物を持つティグである。なにか不足があるだろうか。
いいや、足りない。確かに、足りない。この世界はあまりに未知数だ。人を襲う魔獣の群れが、徒党を組んだ野盗の集団が、ここにはいた。
当たり前のように人々の口の端に上る、巨人や魔神や龍の存在があった。
ただ生きるなら不足はない。十分過ぎる程のものを持ち合わせている。
だが、ティグは、ティグにはあるのだ、人一人の人生の、全てを賭けさせた程の渇望が。
求める物は、果てしない。ならば、それを得る為に何が必要か。決まっている、求める物にふさわしい力だ。
力が欲しければ、地道な積み重ねこそが本道だろう。オーグの様な剣を探すのもいいだろう。だがそれは尋常の手段だった。
そして、ティグが求める物は、おそらく尋常ではない物なのだ。ならば、ティグに必要な力もまた常道の上になく、それを得る方法も同じだろう。
普通ならそんな方法が転がっている訳はない。それを探すだけでもどれほどの時間が必要か分からない。
だが、ティグの脳裏に浮かぶこれは、なんだ。求めるものではないのだろうか。
この世界の肉体を、あの世界の肉体に近づけるという、普通では有り得ない方法。
ティグは試さずにはいられなかった、闇夜の羽虫が燃え上がる松明に誘われるように。
その方法は正に、その身を燃やす炎であるとも知らずに。
オーグとの訓練を終えて、魔工の情報を集めてくると街へと向かったティグだが、言葉とは裏腹に人気の無い場所を探して、入り組んだ路地に入り込んだ。
その方法を試してもいいか、エリシアに伺いを立てる事はしなかった。同じ年頃の子供がそうであるように、心のどこかでそれがやってはいけない事だと分かっていたから。許可が下りるどころか、逆に厳重に禁止されるかもしれないと分かっていたから。
だからティグは、嘘をついてこんな場所に来た。こんな事をしたのは、ここ数日で立て続けに耳にした、この世界にある様々な可能性の話があったからかもしれない。
如何に大人に匹敵する技と知識を有していても、その心と身体はまだ三歳の少年、ティガウルド・ホグタスクなのだ。
周りに炎が燃え移っては大変だ。人に見られて大事になると、今後に差し障るかもしれない。そんな事を考えて見つけたのが、路地裏の空き地だった。
立ち眩みで倒れたりして頭をぶつけても面白くない、そう考えて地面に腰を下ろす。
準備は整った、ティグは呼吸を整える。
エリシアから魔法の理を学んだ今だからよくわかる、漫然と行なわれていた魔力の流れが。
手のひらで炎が発生するからといって、魔力が行儀よく腕を伝って流れる訳ではない。身体中の魔力が指向性を持って、手のひらへ向かって行っているのだ。
さながら火床に空気を送り込むがごとく。熱を伴った現象が生じる。触れれば爆ぜる、荒れ狂うような力を秘めた、静かな炎がそこにあった。
魔力は手のひらへ向かい続けている、全身からまんべんなく流れている。だが、それだけではなかった。身体の中で魔力が出ていって密度が薄くなった場所に、周辺から少しずつ魔力が流れ込んでいるのだ。その様は、高きから低きへ流れる水のように、エリシアの言葉、呼吸をするよりも自然に。
だが、当然魔力は減っていく。消費する方がはるかに多いのだ。
漠然とした予感があった、もう、足りないか。そう感じたのと、目眩が来たのはどちらが早かっただろうか。
炎が消えて、ティグの上半身が、ゆらりとひと揺れしたあと、突っ伏すように地面に倒れ込んだ。
そのまま少し息を整え、ゆっくりと上半身を起こす。まだ頭がはっきりとしない。
やはり強烈な体験だ。今の年齢では負担が大き過ぎはしないか不安になった。もう少し身体が成長してからでも、そう考えてから思い直す。
歳を経てからなら、いつでも試すことはできるが、この歳で試すことが出来るのは今しかないのだ。
さらに言うなら、今の遅れは生まれてから3年分、歳を経れば遅れは積み重なる。3年の遅れでもこれ程なのだ、それ以上になればそれこそ命に関わるかもしれない。
立ち止まってはいられなかった。とりあえず今日は、どれだけやれるかやってみよう。
今度は突っ伏さないように、尻と足裏を地面につけ、立てた膝に上半身を預ける。
再び息を整え、手のひらに炎を形作る。魔力が空になる感覚を経て、炎が消え、脱力。
頭が両膝の間に落ちるが、上半身が膝に支えられて地面には届かない。
良い体勢だ、身体を起こすひと手間がいらない。
少し休めば魔力が貯まった。まだまだいける。限界はまだ先だ。
炎を生み、それが消え、脱力する。
何かに似ている、そうだ、一心に鉄を叩いている時だ。
何も考えず、ひたすらに。
魔力が貯まると、炎を。消えれば、少し待って、また炎を。
続けるのだ、限界まで。
まだ、大丈夫。
からだは重いが、おわりじゃない。
炎はそこにある、またきえた。
できる、まだできる。
繰り返し、くり返し。
だいじょうぶ、みみだってきこえてる。
ほら、だれかの声だ。
くり返し、くりかえす。
おわらない。
つぎのほのおを。
また、ほのおを。
まだ、また。
つぎを。
刀、を……。