変態的厠内戦争録
実家の便所に籠りながらこう考えた。待てど暮らせど出てこない。籠れば籠るほど臭くなる。臭くなれば妹が文句を言う。とかくに便所はロクでもない。
気づけば便座に一度も座ることなく一ヶ月が経過していた。これはさすがにマズイ、と私は決意し、決戦の日を決め、着々と準備を進めた。戦時中において戦況をより快適に、もとい有利に進めるためである。そのためにさして広くもない便所にさまざまな物資を運び込んだ。大量の小説、漫画、携帯電話、ゲーム機、各種ゲームと充電器。抜かりはない。自らの整えた戦場に私はうむと頷き、妹に気づかれる前に大将座に就いた。唯一の私の失敗と言えば、戦場を実家に選んでしまった点である。折悪く、ちょうど帰省したタイミングであったのだ。しかし戦場に入ってしまえばこっちのものである。
そうして開戦を宣言してから、早くも四時間が経過した。戦況は未だ膠着状態。しかし私はまだまだ余裕をもって臨んでいた。焦れば敵の思うつぼだと私は何十冊目かの漫画を読みながら頷いた。
そして六時間が経過した頃、とうとう敵が動き始めた。私は忍耐において敵に優ったのだ。私は大戦の我が勝利を確信し、ほくそ笑みつつ身に心に力を込めた。
ところが、ここで大いなる問題が生じた。私が最も恐れていた敵、妹が来襲したのである。
さて、ここで心を落ち着かせるために一つどうでもいい話をしよう。近世生まれの我が実家は、もちろん便所は洋式である。家族のうちで唯一トイレでなく便所と呼ぶ私であったが、やはり便所は洋式でなければならん。なぜならば、忌まわしき便秘症の私は便所に入る際はほとんどが長期戦である。つまり長時間、今回のように数時間は臨戦体勢を維持せねばならん。これが和式の場合、しゃがまねばならん。しゃがみ続けねばならん。普通に考えて、そんなことは無理である。だから私は是が非でも洋式である。
さて、自分で振っておいてなんだがこんなことはどうでもいい。当面の問題は私の籠る便所の戸の前に立っているであろう妹である。自由奔放を養育方針とする両親のおかげでしっかり豪快に育ち言葉よりも拳で語るほうが得意な妹であるが、ずいぶんとご立腹のようだ。
「おい兄」
「何だ妹」
「何だじゃない。一体何時間籠ってる」
「ふむ。ざっと六時間くらいだな」
「くらいだなじゃない。さっさと出てこい」
「何だ。何か用か」
「あんたに用はない。トイレに用がある」
「ふむ。しばし待て。今いいところなのだ」
「ゲームがか?」
失敬な。
「便所に入ってすることといえば何かね?」
「排泄」
「いけないね、年頃の女子がそのような破廉恥な言葉を口にしては」
「お前が言わせたんだろうが!」
ドゴッと戸を蹴っとばした。照れ隠しかね。ふむ、ないな。
「こらやめないか。戸に罪はない」
「なら罪深いあんたが出て来い折檻してやる」
「生憎と、今の私は非常に忙しい」
「ゲームでか?」
「繰り返す気はない。つまるところ今はそれどころではないのだ」
「さっさと終わるのか?」
「そうだな。三十分くらいでどうだろう」
「長過ぎる。ふざけてんのか」
また戸を蹴っとばす。本当にやめたまえよ、戸が壊れてしまうだろう。
「ふざけてるわけがなかろう。だが仕方ないな。蹴られて哀れな戸に免じて、十五分だ。これで手打ちだろう」
「仕方ない。だがそれ以上長引いたらお前の社会的生命を抹殺してやる」
「ほう。具体的にどうするのかね」
「お前の過去の恥という恥の全てを衆目に面白おかしく最悪の形で晒してやる」
「ふむ。私は大いに構わんよ。周知でない恥など私には一つとして存在しない。何より私が恥ずかしい人間だという事実が既に周知の事実だ」
「生物的に誅殺されろこの生き恥晒し」
「褒め言葉と受け取っておこう」
しかし、このくらいにしておかないと妹がキレて戸を蹴破りかねないので、私はいよいよ戦線に集中することにした。
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端的に言おう。
「長い戦いだった……!」
「一人で盛り上がってないでさっさと出て来い」
爆発寸前の妹に、まあ待ちたまえと余裕を見せつけ、戦後処理をしようとして、私は今世紀最大の失態に気づいた。
「おい妹」
「何だ兄」
聞いてくれ。
「――紙がない」
妹の脚により便所の戸が破壊された。