[3]
このまま弘を追い返すかどうするか。迷っているうちに、バイクから届け物だと思われるものを脇を抱え、弘が戻ってきた。
弘の歩幅に合わせて揺れる毛並みはふわふわと柔らかそうで。その毛色は、金というには少しくすんでいて、アッシュブロンドといったほうが近そうだ。
いやー、なかなか見事なトラ猫だな。
あ、でも胴体は白いのか。変わっているな。
———…なんて、思わず現実逃避に走った護に、弘はそのトラ猫を差し出す。
「はい、捨て人間でしたー!!」
アッシュブロンドの毛並みは、髪の毛で。白い胴体は上等な白い着物。どうやら意識がないようで、頭を垂らし顔こそ見えないが、その華奢な体格からいって女だろう。しかも袖口から伸びた手の小ささや肌の張りからいって、女というよりはまだ娘といえる年齢ではなかろうか。
近所で倒れてるの拾ってさー、と笑う弘の声はもう聞こえていない。この男の非常識さなどとうに知っていたことだ。愛想笑いすら返す気も起きない。
「じゃ、元あった場所に戻しとけよー」
こういうときは聞かなかったことに限る。そう判断した護は迷うことなく家に入り、玄関を閉めた。もちろんしっかり施錠。次の瞬間には弘の「え———ッ!!」なんて声も聞こえてきたが、それこそ聞こえなかったふりをする。
さて、惰眠を貪りますか。
けれどそれを止めるかのように、またしてもインターホンがけたたましく鳴り響く。弘の声も聞こえてくる。無視を決め込んでいたが、あまりの五月蝿さにもう一度顔を出しかなかった。
あのまま外で騒がれても迷惑だと判断すれば、渋々弘を家に招き入れる。もちろんその届け物だという娘も一緒なところを見てはげんなりするしかない。
「……つーか、連れて行く場所が違うだろ。警察いけ、警察!!」
「え〜…?」
「『え〜』じゃねえよ、この誘拐犯。なんならお前を警察に突き出してもいいんだぞ?」
玄関先にどっかり腰を下ろし、護は娘を抱えたままの弘を睨み上げる。
「うわー怖い怖い。ま、別に警察に行ってもいいんだけどさー」
「じゃあそうしろよ、いますぐ警察行け!」
「彼女が持ってたメモ書きがさー」
「メモ?」
「うん。この子を見っけた時に握ってたんだ」
弘はおもむろにポケットを漁り、二つに折られた紙を取り出す。相変わらず胡散臭そうにこちらを見る護に、その紙を差し出した。
「これだよ」
護は折られた紙を受け取り、開く。そして書かれている言葉を目で追った。
『桜ヶ丘3-2-6 杜沢総司』
それはよくよく知った住所と名前。
「……これ、うちの住所じゃねえか」
「でしょ? それにその名前、護の親父さんの名前じゃーん」
「……まあ、そうだけど」
「———というわけで」
弘が脇の娘を抱え直すと、玄関先に座ったままの護に彼女を突き出す。と、そのまま手を離すものだから、娘は護のひざの上に落下した。
「あとよろしく!」
「ちょっ……、はあ!?」
「いや俺、このあと野暮用がー」
「野暮用!?」
「9時から隣町と草野球の試合があってさー。俺、唯一のピッチャーなのよ。だから、ごめんねー」
「ごめんじゃねえし!! この現状から草野球とかありえねえし!!」
いい加減過ぎるのが常の弘にしたって、いくらなんでもこれはない。
「お前が責任とれよ、拾ってきたんだから!」
「責任もなにも孕ま——…」
「死ね」
この期に及んでまだくだらんことを抜かすかと、いっそ殺意すら生まれてくる。
今この場で半殺しにしてやろうか。父親の影響で小学生の頃から空手を続けて来たことを、まさかこんなことで感謝するとは思わなかった。
「ま、冗談はさておきー」
いい加減向けられた殺気を感じ取ったのか。けれど相変わらず飄々とした態度はそのままに、弘は護のひざに項垂れるように座っている娘を指差した。
「まずは寝かせてやってよ〜。その子道端で拾ったんだけどさ、かーなりあっつかったし」
「はあ?」
「だから熱いんだって。熱でもあるんじゃないのー?」
「え…?」
己のひざに乗った娘に、護は改めて視線を向ける。右目から下半分がガーゼと包帯で隠れて見えないものの、確かに左頬はすっかり火照っているようで、やたらと赤みを帯びている。その呼吸も不規則で浅い。そっと額に手を当てれば、やはり正常とはいえないほどの熱さを感じた。
「うわっ…すげえ熱じゃねえか!!」
「でしょー、じゃああと頑張ってー」
「『頑張って』ってお前…」
「俺、そろそろ時間だしー」
「逃げんな! ふざけんな!」
「まーまーまーまー、冷静に」
「なれるわけねえだろ!!」
どれだけ護が叫ぼうと、弘は他人事のように「落ち着いて、落ち着いて」と笑っている。
いつもこんな調子だから、護に怒鳴られるなど弘にとっては茶飯事なのだ。実際護が怒ろうが、それをあとからどうにかできるほど付き合いが長いわけで。
「それじゃお大事に」
あっさり護に面倒を押し付けた弘は、早々に護の家を出る。背中に護の罵声が投げ付けられるが、そこは聞こえないふり。
乗り付けてあったバイクを跨ぎ、今日は勝てるかな〜なんて期待で胸を膨らませてつつ、ギアを入れ走り出した。