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夕陽と観覧車

作者: 紗々

 廣瀬は、高校の部活の後輩だ。部活と言っても、部室でひたすらグダグダするだけの、帰らない帰宅部のようなものだった。

 高校2年の春、それまで男ばかりだったその部活に、部長の幼なじみだという、1学年下の女子が入部してきた。その女子に連れられてきたのが廣瀬だった。当時の俺はまだ、かわいい後輩が、それも女の子が入部してくれた、という程度にしか思っていなかった。


                  ◆ ◆  ◆


 そんな彼女と、数年後に合コンで鉢合わせるなんて、誰が予測できたろう。

「お久しぶりですねえ、先パイ」

 トイレを出ると、廣瀬が立っていた。腕を組んで壁に寄り掛かり、ニヒルな笑みを浮かべている。

「お、おおう」

 俺はぎょっとして、後ろに飛びすさった。なにぶん、彼女は背が高い。俺と同じくらいの高さから、黒目がちの瞳が貫くような視線を向けてくる。

 数年振りに会う廣瀬は、高校生の頃よりいっそう、大人びて見えた。ショートカットの茶髪が小顔を引き立て、七分袖のシフォンブラウスとショートパンツの先から、長い手足が伸びている。

 しかし笑顔が怖い。笑っているというより、口の端を歪めている、といった方がしっくりとする。昔の経験から察するに、これは何か言われるぞ、と身構えていたら、案の定冷やかな口調で言ってきた。

「聞き及ぶところに寄ると、女の子を取っ替え引っ替えするのに余念がなくて、最近は部活の飲み会にもさっぱり来ないとか」

「…あー…」

 …返す言葉もございません。

「いつもこうやって女の子を調達してたんですね。今回も新しい彼女探しですか?汚らわしい」

「いや、その…」

 俺が目を泳がせて返答に窮していると、廣瀬はこれみよがしに溜息をついた。

「まったく。そんな子に育てた覚えはありませんよ」

「そ、育てられた覚えもありませんが」

 かろうじてそう言うと、彼女はほほう、と目を細めた。

「御自身の技量だけで女の子を口説き落とせるようになったとでも?初デートでモヤモヤしていた先パイが、誰の助けも借りずに?」

「いや…その、スミマセン」

「ま、私にはどうでも良いですけど」

 廣瀬は先を綺麗に整えた人差し指を、びっと突き付けて言った。

「いいですか。今日の私達はあくまで他人です。こんなロクデナシと知り合いだなんて、知られたくないんで。ボロ出したら末代まで祟りますから」

「いや、そこまで言わんでも」

「くれぐれも、お忘れなきよう」

 一方的に言うと、彼女はさっさと席に戻って行った。俺はと言えば、久々に彼女の毒舌に充てられて、どっと疲れていた。深く溜息をつき、壁に寄り掛かる。どうやら、今回の合コンでの収穫は諦めた方が良さそうだ。

 しかし、と俺は思った。廣瀬があの日のことを話題にしたのは初めてだ。


                  ◆ ◆  ◆


 卒業を一ヶ月後に控えたある日。俺は、西日の射す放課後の部室で、某有名テーマパークのペアチケットを前に、途方に暮れていた。

「先パイ?何してるんです」

 声をかけられて振り向くと、部室の戸口に、夕日を背負った廣瀬が立っていた。俺はびくりとして、口の中でモゴモゴと返事をする。

 当時の俺にとって、彼女は苦手ではなかった。年下ということもあるが、サバサバとしていて何を言っても動じない強さがあったからだ。ただ、それは同時に彼女に対する俺の態度を萎縮させた。何せ、少し言い返そうものなら、毒に変換して倍になって返してくるものだから、彼女と付き合うには相応の覚悟と体力が必要とされる。

 俺が縮こまっているのも意に介さず、廣瀬はずかずかと部室に踏み入り、俺の隣に立って机の上を見た。

「どうしたんです?このチケット」

「…誘われた。女の子に」

 俺はしどろもどろになって答える。ふうん、と彼女は言った。

「良かったじゃないですか」

「…うん、まあ」

「嬉しくないんですか?」

「そりゃあ、嬉しいけど」

 少し考えてから、俺は言った。

「…自慢じゃないが人生で初デートなんだ」

「ほほう」

「なんというか、こう…上手くできる自信がない」

「何をです」

「だから、いろいろと」

 ふうん、と廣瀬は言った。

 部室に沈黙が降りる。その沈黙が妙に俺の不安を掻き立てた。俺はなんで、コイツにこんな話をしてるんだ。この沈黙はなんだ。情けないとかチキン野郎とか俺を叩きのめす馬詈雑言を考案中なのじゃないか――

「じゃあ、予行練習しましょう。私と」

「え」

 思いも寄らない言葉に、俺は廣瀬を見た。腰を屈め、顔を傾けた彼女の、短い髪の間から覗く瞳と目が合う。その瞳を細め、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「先パイがきちんと女の子をエスコートできるかどうか、見極めてあげます。明日の午後は空いてますか」

「え、まあ…」

「じゃあ12時半にそこの遊園地で」

 一方的にそう言うと、廣瀬は踵を返して去って行った。俺はぽかんとその後ろ姿を見送ることしかできなかった。


                  ◆ ◆  ◆


 案の定、合コンは惨憺たる有様だった。いつもなら笑いをとろうと目まぐるしく回転する脳も、沈黙を許さない舌も、廣瀬の前だというだけで、すっかりその機能を停止していた。普段の合コンでの俺を知っている仲間も、相手の女の子達も、しどろもどろになる俺を怪訝そうに見る。

 ただ一人、廣瀬だけが、不敵な笑みを浮かべて静観している。彼女は、あの時と同じ目をしていた。


                  ◆ ◆  ◆


「減点3」

 待ち合わせ場所に着くなり、廣瀬は指を3本突き付けて言った。

「…は?」

「10分も遅刻するとは何事ですか」

 彼女の指定した遊園地は、学校から徒歩で15分程に位置する、ごく小規模な遊園地だった。まともに満喫できるのは、せいぜい小学校低学年くらいまで、という地味さだ。

 その日は期末試験最終日。テスト期間の変則的な時間割に則れば、12時テスト終了、10分にはホームルームを終えて下校できる。確かに、何もなければ12時半には遊園地に着くはずだ。

 実際、何もなかった。ただ、直前まで行こうか行くまいか逡巡していたら、この通り。

 …とは言えないので、曖昧に笑ってごまかした。廣瀬はジトリと俺を睨む。うむ、あまり効果はないようだ。

「罰として、お昼は先パイの奢りです」

「なんですと」

「口答えした。減点2」

「さっきから何なんだ、その、減点ってのは」

「見極めると言ったでしょう。先パイがデートに相応しくない行動・言動をとる度に減点します」

 ニヤリ、と笑みを浮かべる。これは、アレだな、思う存分いじめてやる、という顔だ。

 俺は溜息をついた。

「点数がプラスになる可能性は?」

「現時点では皆無です」

「そこまで言わんでも」


 結論として言えば、その日の俺の得点は、総合計マイナス82点だった。飲み物を買って来るのが遅くて減点5、お化け屋敷で頼りにならなくて減点10、待ち時間の会話がつまらなくて減点25、などなど。

「…ちょいと厳しすぎやしませんか」

 抗議してみたが、廣瀬は聞こえないふりで、外の景色を眺めていた。俺はその日、何度目になるかわからない溜息をつく。

 外はすっかり日が暮れ、もともと疎らだった人がいなくなった園内は、一層閑散としていた。敷地内を染める夕日のオレンジ色が、淋しさを助長する。どこか遠くで、寂れた音楽がこだましている。

 俺と廣瀬は、観覧車に乗っていた。他のゴンドラに、客の姿は見当たらない。

「人生って、たくさんの観覧車に乗ることだと思うんです」

 窓枠に頬杖をつき、外を眺めた姿勢のまま、不意に廣瀬がぽつりと言った。

「止まってるように見えるのに、ゆっくり進んでる。ぼんやり座ってるだけなのに、一周終わると、降ろされちゃう」

 何と言って良いかわからず、俺は曖昧に相槌を打つ。彼女は気にしていないらしく、話を続けた。

「何もしないでいても、いつかは終わってしまう、学校生活みたいに。そうして誰もが、次の観覧車を、自分の生きる場所を、自分の足で探しに行くんです」

 窓の外には、夕日に赤く染まる、俺達の暮らす街が見えた。小高い山の稜線が、金色に縁取られている。

「…このまま、ずっと同じ観覧車に乗っていられたらいいのに」

 俺は廣瀬を見た。眩しそうに目を細め、彼女は外の景色を見ていた。頬の産毛が、夕日に照らされてキラキラと光っている。

 俺は何も言えず、その横顔に見入っていた。


 それから卒業までの一ヶ月、廣瀬との関係は、それまでと全く変わらなかった。彼女は相変わらずの毒舌で、周囲を脅かし、俺は少しだけ、女の子の扱いが上手くなった。


                  ◆ ◆  ◆


 合コンの数日後、廣瀬と街でばったり出くわした。俺達は喫茶店で軽くお茶を飲むことにした。

 先日の合コンについてあれこれ言い、廣瀬がいつものように俺に散々ダメ出ししている途中で、注文した飲み物が届く。おかげで話が中途半端に終わり、一瞬、奇妙な沈黙が流れた。

 そういえば、と唐突に廣瀬が言った。

「私、今度結婚するんです」

「え」

 俺は間抜けな声をあげた。「だって、合コン」

「あれは、数合わせで行ったんです。彼も了承済みです」

 廣瀬は、運ばれてきたコーヒーを口にする。苦い香りが、ふわりと漂った。

「来月、式を挙げます。一応、教えておこうと思って」

 そうか、と俺は言った。「おめでとう」

「ありがとうございます」彼女は柔らかく微笑んだ。

 それは、俺が見慣れた、悪戯っぽいニヒルな笑みとは違っていて、俺は一瞬、心臓が喉元まで跳ね上がるのを感じた。こんな表情もできるのか。

 その時になって、ようやく俺は気がついた。あの日、あの時の観覧車に、自分だけが取り残されてしまっていることに。何もできないまま、今もただ、廻り続けていることに。

 けれど、もう遅い。

 彼女は観覧車を降りてしまったのだ。


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