私を『殺して』くれてありがとう
侯爵令嬢のグレイシーが第二王子のエリックと出会ったのは3歳の頃だった。
「つみきが崩れて泣いちゃったエリックをグレイシーがよしよししてあげててね。あの頃からグレイシーは優しいお姉ちゃんだったわ」
今は亡き母はその時のことを度々思い出しては嬉しそうに語ったものだ。
グレイシーはもはやその記憶はないが、母からその話を聞くたびに私とエリックらしいと胸が温かかった。
二人を将来結婚させようと話がまとまるのも自然な流れだった。
10歳で二人は婚約者になった。
幼いグレイシーには婚約の意味がわからなかった。
ただ、「いつかエリックのお嫁さんになってずっと一緒にいるんだよ」と言われて悪い気はしなかった。
グレイシーはエリックが大好きだった。
婚約の意味を理解する年齢になってからも、高等学院に入って少し距離ができてからも。
婚約者である以前に、お互いがお互いの一番の理解者で、エリックのことなら何でもわかっていると自負していた。
18歳の夏。
それが単なる自惚れだと思い知らされるまでは。
◆◆◆
「グレイシー。君との婚約を破棄させてもらう!」
高等学院の1学期の学期納めの夜会にて。
壇上のエリックから叩きつけられたその言葉に耳を疑った。
エリックの隣では去年転入してきたばかりのイザベラがニヤニヤと勝ち誇ったような笑みを浮かべながらエリックにしなだれかかっている。
「どういう…ことなの?」
喉の奥からどうにか絞り出した声はひどく震えていた。
「言葉の通りだよ。君との婚約は辞めにして、イザベラを婚約者にしたいんだ」
「どうしてなの、エリック?私たち、ずっと仲良くやってきたじゃない!私のことが嫌いになったの?」
「君のことは好きだよ、グレイシー。でも…」
エリックは悪びれもせずに言った。
「君のおせっかいは鬱陶しい。イザベラにもおためごかしてみんなの前で恥をかかせまくっているそうじゃないか」
喉の奥が張り付いてグレイシーは反論できない。
むしろ転入したてのイザベラがこれ以上恥をかかないようにと、高等学院での謎ルールを共有してあげただけなのに。
それを肯定ととらえたのか、エリックの弁は止まらない。
「君ってばいつもそうだ。いつも余計な一言が多い。婚約者というかもはやお姉ちゃんみたいなんだよね。一緒にいてドキドキしたことなんて一度もない。女としてみられないっていうかーー」
「君と夫婦になるなんて心底ゾッとするよ」
心臓が冷える。
エリックの声が遠ざかる。
グレイシーの脳裏にエリックとの15年が走馬灯のように巡る。
「新婚旅行は隣国のビーチがいいな。友達がすごい綺麗な場所だって言ってたから一度行ってみたいの」
お茶会でグレイシーが未来の話をしたとき、エリックは微笑んでいた。
でも、相槌を打つだけで、自分がどうしたいかみたいな話はなかった。
最後に2人きりで会ったのはいつだったっけ。
イザベラとばかり仲良くしないで欲しいと伝えた時、彼はなんて言ったんだっけ。
ぐにゃりと視界が歪んだ。
あ、まずい。
自覚する前に体から力が抜けて、立っていられなくなった。
「グレイシー!」
異変に気付いたのはグレイシーの真横にいたセシリアだった。
よろめいたグレイシーの肩を抱き、そのまま一緒に床に座り込む。
「しっかりして!」
グレイシーは白目をむいて卒倒していた。
これには壇上のエリックも驚いてその長広舌を止めた。
「大丈夫か、グレイシー!?」
エリックをセシリアがきつい視線で止める。
「グレイシーに近寄るな!この浮気者!」
エリックの歩みが止まった。
その一瞬で、ゾロゾロとグレイシーの友人たちが彼女の周囲を囲んだ。
「ダメだ、気を失っている」
「ゆっくり寝かせられる場所まで運ぼう」
「空いてる部屋があるから案内するね」
セシリアの采配でグレイシーの華奢な体は大柄な男子学生の腕に抱きあげられ、あっという間にパーティー会場から連れ出された。
エリックはその光景を見守るしかなかった。
「殿下?」
イザベラに脇をつつかれてハッとする。
エリックは想定外の展開に気が気じゃないが、感じのいい笑顔で内心の動揺を取り繕う。
「諸君、見苦しい所を見せたね。それでは気を取り直して乾杯しよう」
乾杯の音頭を取り、パーティーは再開した。
◆◆◆
パーティーはつつがなく続いた。
音楽隊の演奏が始まり、ホール内で各々ペアを組んでのワルツが始まる。
エリックもイザベラと踊った。
イザベラは美しく着飾っていた。エリックがプレゼントした髪飾りがターンする度にその髪の上で光る。
しかし、エリックの脳を占めていたのはグレイシーのことだった。
グレイシーが卒倒?野犬を箒でぶっ叩いて追い払うような剛毅な女だぞ?か弱い令嬢みたいに気を失う所なんて15年で初めて見た。
数曲踊ったところでイザベラを側近のマティアスに預けてエリックはホールを後にした。
そろそろグレイシーも意識を取り戻す頃だろう。
ちょっと様子を見に行こう。
グレイシーが気絶して中断した話の続きをしないといけない。
エリックはグレイシーが憎いわけではない。
物心ついてからずっと一緒にいたのだ。
イザベラとグレイシーが同時に溺れていたらグレイシーを助ける。
そう思うくらいには、15年という歳月は重い。
だからこそ、グレイシーを今更女として見られないというのが偽らざるエリックの本音だ。
しっかり者のグレイシーは何かとエリックに世話を焼いてくれる。さながら姉のように。
姉となんて結婚できない。いくら血がつながってなくても。
そういうことだ。
自分とグレイシーの関係には、恋愛だの性愛だのを持ち込まない方が上手くいく。だって今までもそうだったんだから。
今晩の茶番はその意思表示だった。
パーティーの数か月前。
「そういうわけで、俺はグレイシーと婚約破棄するから、お前がグレイシーの新しい婚約者になってほしいんだ」
この件をマティアスに打診したら、ひどく驚かれた。
「えっ、俺ですか?グレイシー嬢とはあんま喋ったことないんですけど…」
「お前なら身分も釣り合っているし、何より性格がいい。安心してグレイシーを託せるのはお前しかいない。グレイシーもお前のこと好青年だって褒めていたし、どうだろう?」
「そんなもん社交辞令ですよ。それに、俺より適任な奴はいます。ほら、グレイシー嬢にやたら懐いている隣国からの留学生!」
エリックは顔をしかめた。
「隣国にいかせるなんてありえない。グレイシーだって結婚するなら自国のエリートの方がいいに決まってる。お前もグレイシーのことは嫌いじゃないだろ?」
「殿下がそれでよいのであれば…」
良いも悪いも。それが一番丸い落としどころだ。
グレイシーはきっと最後には承諾してくれるだろう。
気絶したから返事を聞くことは叶わなかったが。
◆◆◆
『休憩室』と貼り紙のされた扉をエリックがノックする。
「グレイシー、入るぞ」
室内にグレイシーの姿はなく、空のベッドをセシリアが整えていた。
「グレイシーは?」
セシリアがエリックに向ける視線に憎悪が混じる。
「帰りました」
「えっ?1人で?」
「一体誰のせいで1人で帰らなくちゃいけないんでしょうね!」
セシリアが立ち上がってエリックの前に仁王立ちする。その剣幕にエリックはたじろいだ。
「みんなの前でグレイシーを愚弄するような真似をして、どういうつもりなの!?」
「いや、俺にも考えが…」
「グレイシーの気持ちを考えた上でこれなら、あんたはとんだ人でなしだ!」
セシリアはエリックにわざとぶつかるように休憩室を出て行った。
イザベラが迎えに来たのでエリックはホールに戻った。
今夜はグレイシーにも気持ちを整理してもらって、明日改めて今後の話をすればいい。
ホールに続く廊下を歩きながら、エリックはまだ呑気に構えていた。
◇◆◆◆◇
翌朝、グレイシーの家へ向かったエリックを待っていたのは一発の拳だった。
驚く間もなく胸倉を掴まれて揺さぶられる。
鬼の形相でエリックに詰め寄るのは、グレイシーの兄。
「貴様、妹をどこにやった!昨晩の夜会から帰ってきていないぞ!」
まさに青天の霹靂。
「そんなはずは…」
エリックはセシリアの家に向かった。
きっと『帰った』と嘘をついて家に匿っているんだろう。
「えっ!?グレイシーが帰ってない??」
セシリアの青ざめた顔を見てその楽観はすぐに消えた。
「心当たりを探してみる…」
「ああ、頼む」
エリックとセシリアは手分けしてグレイシーの友人たちを訪ねて回った。
夏季休暇中というタイミングのため、都の別邸から実家の領地に戻る学生も多く、捜査は難航した。
誰もグレイシーの行方を知らなかった。
あの夜会から3日経っても、グレイシーは行方不明のままだった。
エリックも、本当はわかっていた。
グレイシーが自分に向ける視線の温度を。その意味を。
自分にとってグレイシーは姉のような存在でも、グレイシーにとって自分は弟じゃなかった。
わかっているに決まっている。グレイシーのことならなんでも。
傷つけないように穏便になんてグレイシーに通用しないことも。
やるからには徹底的に微塵の希望も持たせず、周囲を巻き込んで突き放すしかなかった。それがあの茶番の真意だった。
グレイシーを派手に失恋させて、エリックを嫌いになって、後腐れなくマティアスに行ってもらえるように。
エリックの意を汲んで大人しくグレイシーが身を引いてくれることを期待していた時点で、まだエリックはグレイシーに甘えていたのだろう。
なのに、まさか失踪するだなんて。
思ってもいなかったのだ。
◆◆◆
アレから3日。
エリックは夜通しのグレイシーの捜索から、一度仮眠を取るために帰宅した。
「エリック…!」
応接間にいたイザベラが駆け寄ってくる。
「あれ、なんでいるの?」
「お会いする約束をしていたでしょう?」
「そうだっけ」
そうだったのかもしれない。
だとしても、エリックは徹夜で捜索隊に加わったのだ。
楽しくお茶会をする元気なんてない。
でも、イザベラをないがしろにすると後がめんどくさいこともわかっていた。
仕方なく応接間に座ってイザベラの話相手になる。
「それでね。みんなやり方が良くなかったって言ってくるんです」
「ああ、そう…」
グレイシーの捜索に騎士団まで投入した。
3日も貴族の令嬢が消息不明だなんて、本来ありえないことなのだ。
ゆえにエリックも嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
「ねぇ、聞いてるの?」
イザベラの声にハッとする。
「あっ。ごめん。なんだっけ…」
「…っ!もうっ、いいです!」
イザベラは茶器をテーブルに叩きつけて帰っていった。
追いかけるべきなのだろう。
しかし、エリックは椅子から動けなかった。
妖艶で美しいイザベラ。彼女と一緒にいるとドキドキして楽しい。積極的なところも好きだ。それは間違いない。
なのにほんの少しだけ、イザベラを疎ましく思った。
空気を読んで放っておいてくれよ、って。
ノックの音がする。
イザベラと入れ替わるようにマティアスが応接間に入ってきた。
「報告です、殿下」
「見つかったのか?」
跳ね起きたエリックは再び椅子に沈みこむことになった。
マティアスが手に持っている物を見て。
金のヒールの赤い靴。
見覚えがあった。
グレイシーの誕生日に贈ったモノだ。
ひりついた喉から言葉をひねり出す。
「それをどこで?」
「海辺の崖です」
マティアスの返答は簡潔だった。
簡潔にグレイシーの生存は絶望的だと伝えていた。
「準備が整い次第、海中を捜索する手筈です」
「……ああ。俺も行く…」
マティアスはわずかに眉を上げたが何も言わなかった。
ここでじっとしていても、エリックが現場に来ても、どうせ事態は変わらない。
主君にそんな冷たい正論をぶつけることはできなかった。
海を浚って出てきたのは、夜会当日にグレイシーが身に着けていたアクセサリーだけだった。
ついぞ遺体は見つからなかった。
せめて遺体だけでもというエリックの願いも空しく、3日で捜査は打ち切りになった。
そして公的にグレイシーは死亡扱いとなった。
◆◆◆◇◆◆◆
グレイシーの葬式は本人不在で行われた。
「どのツラ下げて来た!この人殺し!!」
「いけません、侯爵!」
「放せ!こいつのせいでグレイシーは…!」
儀礼用のサーベルを抜こうとするグレイシーの兄。
必死の形相で彼を取り押さえる使用人たち。
白百合だけが詰まった空の棺。
すべてに現実味がなかった。
この件でエリックは父王からこっぴどくお叱りを受けた。
だが、それだけだった。
「処罰はないのですか?」
「お前にとって、グレイシー嬢の命と釣り合う処罰とは何だ?死罪か?」
エリックは答えられなかった。
その後、空になったエリックの婚約者の座にはイザベラが収まった。
しかし、高等学院を卒業するまでの数か月間、未来の王族だというのにイザベラは肩身の狭い思いをした。
「あなたからも何とか言ってください!」
イザベラはエリックを頼ったが、一体彼に何ができただろう?
庇い立てするには二人はあまりに加害者だった。
イザベラも馬鹿じゃない。
エリックが『グレイシー殺し』の汚名を甘んじて受けるつもりである以上、この件で彼はイザベラを守ってくれない。
学院を卒業してからも、宮廷に入ってからも。
一生、イザベラも共犯者として後ろ指さされる。
それが怖かったのだろう。
婚礼の準備期間中に彼女は逃亡を図った。
しかし、一国の王子が二度も婚約者を変えることなんて許されないと、即座に連れ戻された。
高等学院を卒業したらすぐに婚礼の儀を執り行う予定だった。それは婚約者がグレイシーの頃から決まっていたことだった。
エリックはせめてグレイシーの一周忌が終わるまでは彼女の喪に服したいと、婚礼の儀の延期を父王に打診した。
「婚約破棄をした時点でお前とグレイシー嬢は他人だろう。他人のために妻になる女性を待たせるつもりか?」
父王の言葉は厳しかった。
正しかった。
グレイシーは姉みたいな存在だったが、姉ではなかった。
彼女の家族になることを拒んだのはエリック自身なのだから。
エリックは抗えなかった。
「こんなはずじゃなかった…」
婚礼の儀でイザベラがぽつりと呟いた。
エリックも同じ気持ちだった。
イザベラの花嫁姿は美しいとは言えなかった。
人生の晴れ舞台にそぐわない暗い表情。
ストレスによる過食で肥えた体。
不幸せな花嫁を前にして、エリックも同じ気持ちだった。
こんなはずじゃなかった。この人を選んだのは間違いだった。
婚礼の時点で破綻していた二人の結婚生活がうまくいくはずもなかった。
イザベラは子供が生まれたらすぐに病を理由に離宮に引きこもり、以降は一切の公務を拒否した。表舞台に立つどころか、育児までも放棄した。
エリックは子供の教育のために王宮に住み、別居になってからの数年、一度も妻の姿を見ていない。
一人の女性を犠牲にしてまで得た恋の結末はこれほどお粗末なモノだった。
口さがない宮廷人はますますエリックの陰口をたたいた。
自分が『人殺し』であることは、エリックが一番わかっていた。
5年経っても10年経っても。
エリックの中にグレイシーは残り続けた。
取り返しのつかない罪として。
◆◆◆◇◆◆◆
あれから10年。
エリックは毎年グレイシーの命日に彼女の墓参りを欠かさなかった。
ただ、今年はどうしても行けない用事が出来てしまった。
隣国の王が早めに引退したことに伴って王太子の即位式の招待状が届き、その即位式に出席せよと父王に命じられたのだ。
聞けば、先方が来賓としてエリックを指名しているらしい。
そういった事情では断れなかった。
エリックは隣国に来るのは初めてだった。
『新婚旅行は隣国のビーチがいいな』
かつてグレイシーが行きたがっていた場所に寄る時間はあるだろうか。
そんなことを考えながらエリックは来賓席に座って式典の開始を待つ。
「あっ!殿下!そんなに走ってはいけませんよ!」
小さな子供が世話役の手を振り切って王族席に駆け込んだ。
なんとも元気なことだ。
「はーい、ごめんなさーい」
お利巧さんに椅子に座り直す子供の顔からエリックは目が離せなかった。
「…グレイシー?」
「可愛らしいですよね。王太子様のご息女様ですよ」
隣の席の来賓客がそっとエリックに耳打ちした。
なんで隣国の王族にちっちゃい頃のグレイシーに瓜二つな女の子がいるんだ?
エリックの疑問はまもなく氷解した。
盛大なファンファーレが鳴り響き、王太子と王太子妃が腕を組んで登場した。
わっと歓声が上がる。
深紅の絨毯を仲睦まじく歩く2人。
エリックは目を疑った。
美形の王太子の隣で輝くばかりの笑顔を浮かべているのは間違いない。
グレイシーだった。
エリックは食い入るように彼女だけを見つめた。
10年の歳月はグレイシーを、色気と気品を兼ね備えた大人の女性に変えていた。
グレイシーは美しかった。エリックの記憶の中の彼女よりも余程。
◆◆◆
思いがけない再会に、彼女の生存を喜ぶ気持ちと混乱と驚愕とでエリックの心は千々に乱れた。
なんとか彼女と話がしたかった。
その機会はすぐに訪れた。
その晩、即位を記念したパーティーが開かれた。
エリックは会場に到着して早々新しい王夫妻に挨拶に向かった。
「やー、久しぶり!」
王は気さくにエリックの肩を叩いた。
「10年ぶりか?高等学院の同期だったリベルトだ。覚えているか?」
「えっと…?」
「グレイシーのクラスにいた『隣国からの留学生』って言えば思い出せるか?」
エリックの反応に王は笑みを一段と濃くした。
「当時は身分を偽っていたからわからないのも無理はないか」
エリックはあいまいに笑ってこの話題をやり過ごした。
「この度は即位おめでとうございます、陛下…王妃殿下」
王妃と呼ぶと、グレイシーは王の隣で控えめに一礼した。
「グレイシー…だよな?」
「…久しぶりだね、エリック」
グレイシーは微笑んでいる。他人に向けるよそ行きの笑顔で。
その丁寧さにずきりとエリックの胸が痛む。
「君は…生きてたんだな」
フォーマルな場にそぐわない態度になりつつある自覚はあったが、エリックも止まれなかった。
「どうして…?」
エリックの問いにグレイシーは困ったように目を伏せる。
その肩に王のたくましい腕が回される。
「いい質問だな、エリック王子。俺が説明しよう」
「あなたに一体何の関係が…?」
「あの晩、グレイシーを攫ったのは俺だからさ」
「は?」
エリックの口からはさぞ間抜けな声が出ていたことだろう。
整った顔に得意げな笑みを浮かべ、王は語り始めた。
◆◆◆
「俺って実は三男坊なんだ。上の兄貴たちが婿入りだの駆け落ちだのでいなくなったから15の時に棚ぼたで王位継承権1位になっちゃったんだよね。
俺はテキトーな閑職についてゆるく生きるもんだと思っていたから、急に『お前が将来の国王だ』なんて言われて『はい、そうですか』とはならなかったわけ。思春期だったし。
せめて学生の内は好きに過ごさせてくれって親父に掛け合って、そっちの国の高等学院に身分を隠して留学したんだ。
俺のことを知る人間が誰もいない環境で親切にしてくれたのがグレイシーだった。
外国人の俺にはわからないだろうってスラングで馬鹿にしてきた同級生に、グレイシーが『恥を知りなさい』って一喝してくれてさ。
正直、親元を離れるのは初めてで先行きが不安だったから、すごく嬉しかった。
それからも何かと気にかけてくれて、彼女の世話焼きに何度助けられたことか。
グレイシーを好きになるのに時間はかからなかった。
というか、初めて会った日からもう惚れてたと思う。
ずっと片思いだったけどね。おかげさまで。
文化の違いってことにして露骨にずっとアプローチしてたんだけど、グレイシーと来たら二言目には『エリックがいるから』でシャットアウト。手を握ることさえ許してもらえなかった。
3年間、俺はグレイシーにとって友達の1人でしかなかった。あの夜までは。
あの晩、セシリアと一緒にグレイシーを別室に運んだのは俺だった」
王の瞳に一瞬激情の炎が閃く。
「許せなかった。
グレイシーを傷つけた君が憎かった。
彼女に愛されている幸運をゴミみたいに捨てて、変な女に入れ込んでさ。
俺なら一生グレイシーだけを愛するのに。なんで俺を選んでくれないんだ。
要らないって言うなら俺がグレイシーを大事にしたいって。
グレイシーの寝顔を見てたら、ふと魔が差したんだ」
「魔が差した…?」
王の口元に微笑が戻る。
「そうと決めてからは自分でもビックリするくらいの手際だったよ。
眠ったままのグレイシーを馬車に乗せるのも簡単だった。みんな気を遣って休憩室の方には来なかったから。
『グレイシーが起きた。もう帰るって』
『えっ、もう?』
心配して様子を見に来たセシリアに嘘をついたのは少しばかり心苦しかった。
『俺も止めたんだけど、一秒でもあいつのいる空間にいたくないからって出て行ったよ』
『そう…。じゃあ、私も帰ろうかな。今日はグレイシーの傍にいてあげたいし』
『…そっとしておいてあげたほうがいいんじゃないかな、今は。何を言われても婚約破棄された事実は覆らないし、婚約者と関係が良好な君が慰めたらもっと傷つけちゃうかもよ?』
『……そうだね』
一番の難所のセシリアを諦めさせたら、あとはあっという間だった。
俺は一晩中ドキドキしてたよ。
あのグレイシーが隣にいるんだもの。
グレイシーを乗せて俺は隣国に向かった。元々夏季休暇で一時帰国する予定はあったから、それを前倒しにしたわけだ。
『あれ…リベルト?何で…?私、さっきパーティーで…』
かわいそうに。目覚めたグレイシーはまだ君のことを考えて泣きそうになっていた。
抱きしめてやりたかった。
でも、グレイシーをこれ以上困らせたくなかったから、指一本触れられなかった。
『あれ以上あの場に居させたくなかったから連れ出しちゃった』
『そっか』
『ねえ。このまま傷心旅行にでも行かない?前にうちの国にすごい綺麗なビーチがあるって言ったでしょ?今がハイシーズンなんだ』
グレイシーは涙を拭って少しほほ笑んだ。
『ははは。あなたってホント…変な人』
『嫌だった?』
『ううん。ありがとう』
それで避暑地の別荘にグレイシーを連れて行ったのさ。まさか二つ返事でついて来てくれるとはね。もしかして、当時からもう俺のこと好きだったりした?」
「あの時はもう考えることに疲れて流されただけだって、何度も言ってるでしょ…」
「はいはい」
夫婦のいちゃつきをエリックは無遠慮に遮る。
「どうしてグレイシーが死んだことになったんです?陛下と隣国に行ったんですよね?」
「そう見えるように工作したからな、俺が」
「ハァ?」
エリックは口を押えた。
一国の王に対して失礼な返答だった。
だが、王は気にした様子もなく、先を続けた。
「ま、冷静に考えりゃ人一人消えてるんだから騒ぎにもなるよな。
思ったより大きい騒ぎになっている割に、誰も俺が連れ出したことに気づかないもんだからまた魔が差しちゃってさ。
俺の悪い癖なんだろうな。
グレイシーのことになると、ついやりすぎてしまう。
『このまま死んだことにしたら、グレイシーを返さなくて済むんじゃないか』って思ったらつい…ね」
「じゃあ赤い靴は…」
「俺が置かせた。
グレイシーには新しい夏物をプレゼントして、着てきた服を『処分』するって言って、工作に使わせてもらったよ。不法投棄は君の国でも犯罪ではないだろう?」
「ふざけてるのか…?その思い付きでどれだけ迷惑をかけたと思ってるんです?」
「やりすぎた自覚はあるんだって。あの頃は俺も若かった。ほら、これがその代償」
王は口に人差し指を突っ込んでグイっと引っ張った。綺麗な歯並びのうち、右側が何本か欠けている。
「お義兄さんに殴られた時に折れたんだ。あはは。グレイシーが落ち込んだままだったらそのまま殴り殺されていたかもね」
王は一切悪びれなかった。
エリックからすれば犯罪まがいどころか犯罪の告白でしかないのに。
むしろ武勇伝かのごとく楽しげに話を続ける。
グレイシーは夏の間、リベルトの別荘に滞在した。
ひと夏で心の距離を縮めたリベルトはグレイシーに交際を申し込み、グレイシーもそれを受け入れた。グレイシー兄もリベルトをもう一発殴ってから二人の交際を認めた。
「妹を泣かせたら拳じゃ済まない。いいな?」
その後のリベルトの行動は早かった。
リベルトの両親ーーつまりは当時の隣国国王夫妻はこの二人の交際に肯定的だった。
というのも、グレイシーを王妃として迎えることを認めるなら隣国に戻って王太子としての務めを果たすとリベルトが約束したからだ。
「うちの両親を紹介するよ」
そう言って突然王宮に連れていかれて王夫妻とお茶会をする羽目になったグレイシーは少々気の毒だったが、王夫妻もすぐにグレイシーを気に入った。
「うちのぼんくら息子をよろしくお願いします。貴女が王妃になるならうちの国も安泰だ」
こうして外堀もさっくりと埋められたグレイシーは、リベルトの婚約者に収まった。
夏の終わり、リベルトとグレイシーは隣国の高等学院に転入した。
グレイシー本人の希望もあり、グレイシーの自国での死亡扱いは訂正されることなく、隣国で用意された新しい戸籍で生きていくことに決まった。
この決定にはなんとエリックの父も一枚噛んでいたそうだ。
「国家元首の決定の重みを君に教えるためだって言ってたよ。軽々しい翻意で人が一人『死ぬ』ってことが、よくわかっただろう?
もっとも、俺もあんま偉そうなことは言えないけどね。
ずっと王太子としての責務から逃げてきたもんだから、立太子してからの俺ってダメダメでさ。それでもグレイシーを攫った責任があるから頑張れた。
まあ、誰かさんより有能で素敵な王子だって思ってほしいって下心の方が大きかったかな。
いやー、あの頃はお互い若かったね。あんなの王族じゃなきゃもみ消せないレベルのヤバいやらかしだったじゃん。
お陰でグレイシーと結婚できたから、俺としては結果オーライなんだけどさ」
◆◆◆
エリックは手のひらに痛みを感じた。
拳を強く握りすぎて爪が食い込んでいた。
エリックは礼儀正しい笑顔を崩さなかった。
「お二人が幸せなら……」
エリックの喉で言葉が凍りつく。それ以上は言えなかった。
どの面下げて『俺が捨てたから君らは幸せになれた』なんて言えるんだ?
『君らの幸せのせいで俺はずっと不幸だった』なんて被害者ぶれるんだ?
エリックはグレイシーを見た。
グレイシーはエリックを見ていなかった。
王妃になったグレイシーはリベルトの話の間中も、エリックには礼儀正しい笑顔を向けながら、リベルトには熱を孕んだ眼つきで相槌を打っていた。
その視線の温度は、かつてはエリックのモノだった。
エリックはようやくこの10年間の答えが見つかったと思った。
グレイシーの兄の言葉は正しかった。
エリックは一度本当にグレイシーを殺してしまったのだと思う。
家族のように大切な存在だと言いながら。
深く深くその心を傷つけて、エリックを愛していたグレイシーを。
その愛情ごと殺した。
結果的に、彼女は生きていたのだとしても、その事実は微塵もエリックの救いにはならない。
きっと、来年もエリックは自分のためにグレイシーの墓参りに行くことになるだろう。
エリックは一礼して下がった。
足早に会場から去るその背に王夫妻が談笑する声が聞こえた気がした。
振り返ることはできなかった。
◇◆◇
その晩。
「あー、疲れた疲れた」
リベルトは豪奢な寝台に腰掛けるグレイシーの膝にダイブした。
「大がかりな式典で君も疲れただろう?」
「あなたも遅くまでお疲れ様」
グレイシーは夫の金色の髪を指で梳く。
リベルトは気持ちよさそうに目をつむってされるがまま。
2人はしばらく即位式の感想を言い合った。
話題は自然とその後の夜会に移った。
「宿敵との再会はどうだった?」
グレイシーの指が一瞬止まる。
ずっと兄経由で彼の近況は把握していた。
エリックを見舞う不幸の話を聞く度に、自分が傍にいれば支えられるのにと彼を憐れむ気持ちと、自業自得だと蔑む気持ちの相反する二つの感情の間でグレイシーは揺れた。
「即位式、君の国からも来賓を呼ぶんだけどどうする?エリックを指名してやろうか?」
リベルトから冗談めかして尋ねられた時もそうだった。
会いたくなかった。会った時にリベルトを裏切る感情が再燃しない自信がなかった。
会いたかった。伝聞ではなく彼の不幸な現状をこの目で確かめたかった。
「じゃあ……お願いしようかな」
グレイシーは会うことを選んだ。
そして夜会でエリックを見たグレイシーはーー
『苦労しているんだな』と思った。
あの頃の面影もないほど人生に疲れ切った様子のエリックに、自分でも驚くほど他人事でいられた。
リベルトの話に表情を気の毒なほど動揺する彼を見ても、10年前のグレイシーはちっとも戻ってこなかった。
エリックがよそ行きの笑顔でどんな気持ちを隠そうとしていたのかも、もうわからない。昔はエリックのことならなんでもわかると思っていたのに。
「私を『殺して』くれてありがとう。新しい私のほうがよっぽど幸せだよ」
用意していたセリフも言わずじまいだった。
きっとそれでよかった。
◆◆◆
「今、何考えてるの?あいつのこと?」
リベルトが上目遣いにグレイシーを見上げる。
グレイシーはくすりと笑みをこぼした。
よっぽどリベルトの方がエリックの登場に感情を揺さぶられているじゃないか、と。
「まさか。あなたに攫われてよかったなって思ってるだけ」
「そっか、そっか」
リベルトが嬉しそうにグレイシーをベッドに抱き上げた。
かさついた指先がグレイシーのくるぶしに触れる。
「靴擦れしてるね。痛そうだ。新しい靴をあつらえようか。何色がいい?」
好きな性癖発表ドラゴン「普段は飄々と明るく振舞っているくせに、いざとなると犯罪も辞さない激重執着男」
好きな性癖発表ドラゴン「自分を囲っている権力者に甘えられまくってよしよししてあげるしっかり者の姉さん女房(精神的に姉さんってだけで実年齢は問わない)」
赤い靴のモチーフは童話じゃなくて横浜の方です。




