3-1-22 リアナの祈り
サーラが旅立った後、リアナは落ち着かない気持ちを抱えていた。妹がどんな危険に巻き込まれるか分からない以上、少しでも役立つ知識を得ておきたい──そう考えた彼女は、魔法研究所のエグバート先生を訪ねる。
竜の伝承。それは世界に古くから語り継がれる神秘であり、同時に、サーラが遭遇する可能性を否定できない存在でもあった。
研究室で向かい合うと、リアナは決意を込めた声で問いかける。
「先生、伝説の竜について詳しく教えてください」
エグバート先生は静かに頷き、柔らかな微笑を浮かべた。
「竜の話を聞きたいとは、君の妹もそう言っていたな」
そう言うと、彼は書棚から古びた巻物を取り出し、卓上に広げる。羊皮紙の匂いがほのかに漂う中、講義のように、しかしどこか物語を語るような口調で話し始めた。
「竜──それは単なる伝説ではない。自然そのものと同一視される存在であり、各竜は異なる力を司っている。火、水、風、土。四属性を極めた竜たちは、世界の均衡を守る者として神話に刻まれている。今日は、その中でも特に重要な四体を紹介しよう」
1. アルカンティス (Alcantis) ── 火竜
「まずはアルカンティス。炎と熱を司る火竜だ。その棲息地は『群青の海』と呼ばれる外洋にある。海底に眠る古代火山島の内部が巣だとされ、長い眠りに就くことも多い」
巻物の挿絵には、赤く裂けた海と、そこから立ち上る巨大な影が描かれている。
「普段は深海に潜むが、嵐の夜には時折、空と海を越えて姿を現すという。火と風を自在に操るその姿は、天と地の境界を踏み越える神にも等しい。彼を目撃できる者は少なく、見た者は生涯、その光景を忘れられぬとも言われている」
エグバート先生は穏やかな声で続けた。
「火竜の怒りは、海そのものを燃え上がらせる。しかし、もし力を借りられれば、どんな荒波さえも制するだろう」
2. ヴァルガレオン (Valgaleon) ── 水竜
「次は水竜、ヴァルガレオン。彼は『氷晶湖』という極寒の地に棲んでいる」
湖面は一年中氷に閉ざされ、その下では無数の水脈が静かに巡っているという。
「ヴァルガレオンはその水脈を通じ、自在に移動する。湖が地震や竜の動きによって割れるとき、巨大な頭部が一瞬だけ姿を現すと伝えられている。しかし次の瞬間には再び水中へと消え、残るのは静寂と砕けた氷片のみだ」
彼は、古い伝承にも触れた。
「ヴァルガレオンは世界の浄化を担う存在だという。汚れた水や腐敗した魔力を一瞬で清めるが、怒りに触れれば、氷と水であらゆるものを飲み込むだろう」
3. ゼフィルドラス (Zephildras) ― 天竜
「風を支配するのがゼフィルドラス。彼は『天頂の浮遊群峰』――雲海の上に浮かぶ岩山群に住む」
常に嵐と雷を伴って移動するため、その姿を目にする者は稀だ。
「嵐の中心で生まれたとされ、巣には絶えず風が渦巻く。天候が急変するとき、それは彼が飛び立った証だという伝説もある」
エグバート先生は少し遠い目をした。
「彼を味方につければ、風の流れを掌握するに等しい。順風も暴風も、その意志一つで変わる。しかし、捉えようとする者は皆、風にさらわれ、帰らぬ人となった」
4. テルミルス (Thermilus) ― 地竜
「最後は地竜テルミルス。『焦土の大渓谷』、地表近くにマグマが流れる裂け目を住処とする」
大地の裂け目が変わるたび、その姿もまた変わると伝えられている。
「彼の咆哮は大地を揺るがし、新たな地割れを生むという。もしその力を操れれば、山を動かし、大陸の形さえ変えられるだろう。だが、扱いを誤れば、自らの国土を崩壊させる」
「以上が四大竜の概要だ」
エグバート先生は巻物を静かに閉じ、指先でその縁をなぞってから、リアナへ視線を向けた。
「人の力で彼らを完全に制することはできない。だが、対話し、信頼を得られれば、戦局を左右するほどの助力となるだろう。
ただし、それは容易ではない。神話の英雄たちでさえ、多くの犠牲を払ったのだから」
言葉が落ちた瞬間、研究所の窓硝子がかすかに鳴った。風が建物の壁を撫でていく。
リアナは無意識にローブの裾を握りしめていた。
竜の名を知ったところで、妹を守れるわけではない。それでも、知らずにいるよりはましだと、自分に言い聞かせるように胸の奥で繰り返す。
わずかな沈黙ののち、エグバート先生は穏やかな声で続けた。
「だが、過剰に恐れることはない。
竜は理を持つ存在だ。もしサーラたちが出会うことがあれば──それは試練であると同時に、新たな物語の始まりにもなる」
それは絶望を遠ざけ、可能性を感じさせる言葉だった。
リアナは静かに耳を傾けていた。胸の奥の不安は消えない。それでも、その隣に、小さな灯のような信頼がともる。
「そうですね……サーラなら。
きっと、新しい出会いも力に変えてくれますよね」
祈りに近い声だった。
リアナは微笑み、礼を述べて部屋を後にする。
その背を見送りながら、エグバート先生は低く呟いた。
「竜は人を選ぶものだ。果たして彼女たちは選ばれるのか──それとも、竜の怒りに触れるのか」
研究室には、静かな余韻だけが残った。
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