3-1-20 エーテルサイン
サーラはアーゼラの論文に目を通しながら、ふと思い出したように別の話題を切り出した。
「そう言えば、ルルヴィナに行ったときのことなんですけど……あのとき、仲間たちと正負の魔力を応用して雷撃を起こしたことがあったんですけど」
エグバート先生は一瞬、意外そうに目を見開き、次の瞬間には堪えきれぬように笑い出した。
「ははっ、雷撃か。やっぱり君は面白いな。その発想はなかったよ」
「ええ。それを、うまく通信に使えないかなって思ったんです」
それを聞いて、彼の目はすっと細くなる。
思考が走り始めた合図だ。
「君は四大元素に含まれぬ雷という現象を、理論から組み上げたわけだ。そこまでは、まあ異端の才気で説明もつく」
机の上に広げられた術式を指でなぞる。
「だが、それを通信に転じようとするとはな」
椅子にもたれ、小さく息をつく。
「破壊の現象を“構造”として捉え直している。結果ではなく、仕組みを見る思考だ。研究者向きの発想だよ」
そして、ふっと口元が緩む。
「……やはり、よく似ている」
その言葉は、驚きよりも静かな確信を帯びていた。
「彼女もまた、術の結果より先に、構造を見ようとする人間だった」
研究室の空気が、わずかに和らぐ。
その言葉に、サーラは小さく息を整え、意を決したように続ける。
「正の魔力を『光』、負の魔力を『影』として扱えば、八つの対で一つのルーンを表せるはずなんです。光と影の並びを定めて順に連ねていけば、声や意味の揺らぎまで、かたちとして写し取れると思います」
エグバート先生は目を細め、興味深げに頷いた。
「ふむ……『光と影の符号』か。魔力の詩編を織るようなものだな。だが、それをどうやって遠方へ渡す?」
「先代女王が教えてくれました」
サーラは論文を指差して、柔らかく微笑む。
「まさか……エーテルか?」
エグバート先生の眉が、ゆっくりと上がる。
「はい。もしエーテルが常にこの世界を満たしているのなら、その揺らぎを波として整え、そこに光と影の符号を重ねれば、遠く離れた場所まで運べるはずです。
波を乱さずに保ち、規則的に送り出せれば、受け手の側で再び同じ並びを結び直せると思うんです」
エグバート先生は感嘆の息を漏らした。
「なるほど……それは単なる伝達ではないな。魔法による新たな通信機構だ。風に乗せるよりも、エーテルそのものを媒介にするなら、距離の制約は大きく緩むだろう」
エグバート先生はしばし沈思したのち、ゆるやかに微笑んだ。
「光と影の符号……そうだな、仮にそれを『エーテルサイン』とでも呼ぼうか。
エーテルを震わせて符号を送り、受け手がそれを読み解く。既存の魔法体系とは系譜を異にする、新しい術理の芽だ」
サーラは頷き、言葉を重ねる。
「ルーンを符号に割り当てて並べていけば、文章だけでなく、より複雑な概念や記録も送れると思います。
緊急時でも即座に連絡を取り合える手段があれば、どんな状況でも道は閉ざされません」
エグバート先生は腕を組み、低く唸った。
「だが……揺らぎを安定させ続けるには、かなりの魔力が必要になるぞ」
「……はい」
サーラは静かに頷く。
「小規模なら問題ありません。でも、広範囲に届けようとすればするほど、揺らぎは拡散しますね。波を維持するためには、中心に強力な発信源を置く必要があります」
先生の視線が鋭くなる。
「では、もし王都の民が一斉にそれを使えば、どうなる?」
一瞬、室内の空気が張りつめた。
すでに彼がその答えを持っていることは明らかだった。
「一定の強度を保とうとすれば、発信源にいる術者の魔力は際限なく吸い取られるはずです」
サーラは小さく息を吐いた。
「……やっぱり、ただの思いつきでは難しいですね。理屈は並べられても、実装となると壁ばかりです」
視線を落とし、それでも続ける。
「でも……もし実現できたなら。離れていても、みんなと繋がっていられる。どんな遠方にいても、ほとんど間を置かずに声を届けられるはずなんです」
指先が、論文に描かれた術式をなぞる。
「そんな仕組みがあれば、きっと──」
しばらく沈黙が落ちた。
やがて、エグバート先生が腕を解く。
「難しい?当たり前だ。簡単なら、とっくに誰かがやっている。
だがな、サーラ。難しいということは、“価値がある”ということでもある」
彼は指先で、机上に術式を書いた。
「魔力効率、減衰率、揺らぎの安定化……課題は山ほどある。だが理論としては破綻していない」
視線が、ゆっくりと彼女へ向く。
「そして何より──面白い」
その声には、研究者としての純粋な高揚が滲んでいた。
「魔法と波の融合か……確かに、時代を一歩進める可能性を秘めている。よし、一緒に形にしてみようじゃないか」
エグバート先生は穏やかに笑い、サーラの肩を軽く叩いた。サーラは嬉しそうに笑い、深く頭を下げる。
「ありがとうございます、先生。必ず、成功させます」
彼女の胸にあるのは、離れていても絶えぬ仲間との繋がりだった。その絆を失いたくないという一心から生まれた着想は、やがて魔法技術の新たな扉を押し開くことになるのかもしれない。
どれほど遠く隔てられても、心を結ぶ波を世界に放つために。
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