再砲
―2024年、10月7日。
それは、誰もが忘れてはいけない日である。
今から5年前にもなる少し昔の話。
たった一晩にして日本人の半分は消滅した話。
いつしか人は空を嫌うようになった。
あの日以来、またあの月が空を照らすのではないのかと怯える。
当時にあった地獄絵図が繰り返されないことを願って。
明日があることを願って。
紫色の不気味を振り撒く月が現れないように願って生きる。
広い空を見上げてそう思うのだ。
後にユカリヅキの名が付いた大災害は今も、その爪痕を残し続けている。
―2029年、10月7日。
今日もあの日はやってくる。
四季が巡り五回目のあの日だ。
しかし空は不気味でない。
しかし風は静かになびく。
時間が人々の頭の中からあの事件を振りほどいていくのだ。
今宵も、夜は何事もなく過ぎ去るものだと思い込むまでには。
それでも、京付永次はそんな過去を手探りで見つけようとしていた。
とあるマンションのベランダに身を晒し、風に吹かれて夜空を眺める。
「おにい、寒いから窓閉めて」
ふと永次の右耳へ透き通る少女の声が流れ込んできた。
その声の正体は妹のツキである。
黄昏る永次に冷たい視線が刺さって通りすぎた。
わかりやすく憤っているツキだが、これまで彼女が寒がる様子を見せたのは珍しい。
「はいはい」
そろそろ自分も飽きてきたところだったので、永次は快く答えて部屋に戻ることにした。
そこからすれ違いざまに壁にかけられている時計を見る。
時刻は午後6時半を回っていた。
「そろそろ飯にするか?」
小腹が空いてきたのを感じた永次は言った。
それに時差なく答えるツキ。
「当然」
では、メニューを考えなければ。
一応永次はツキに意見を求める。
「何か、食べたいものあるか?」
「…オムライス?」
今度は少し悩んだ答えが出てきた。
よりによって苦手な科目か…
両親が五年前の事件で失踪して以来、この若年齢家庭での料理当番は永次になったため、幾つかは体得できている。
しかしオムライスは相変わらずの出来で、日々の研究も虚しく結果を残してくれないのだ。
そんな重たい気分を抱えていると、その様子をみかねたツキからひとつの提案がだされた。
「外食はだめ?」
そうきたか。
大黒柱がいないこの家ではあまり金銭の浪費は避けたいのが本音だが…
「どうしても、オムライスか?」
「確定」
またも時差のない返答。
これは動きそうにない。
早々に諦めた永次はひとつ溜め息をはいた。
「あんまり高いのはダメだからな」
念を押して言いながら財布の中を確認する。
――残高4000円。
決して少なくはないのだが、この中に残り約20日分の食費が入っていると思えば別だ。
「俺はお冷やだけかな…」
「おにい、行くよ」
もたついていると、ツキから急ぎの言葉が送られてきた。
「わかったわかった、今行くって」
そのまま右ポケットに財布を押し込んで、永次とツキは家を後にした。
――夜、6時42分。
暗い夜道でも歩けるのは、空で照る月のおかげである。
街灯の少ない小道を進んで行く。
その先は行きつけのファミリーレストランだ。
今日みたいにツキが我儘を言ったときにお世話になっている。
と言っても誕生日感覚で、最後に行ったのも去年だったりする。
それぐらいツキが我儘を言うのは珍しいことでもある証明かもしれないが。
目的地につくまでの間、永次の頭の中ではどうやって安く済ませるかでいっぱいだったからか、そんなことには気付きもしていない様子だ。
その間、丸見えの心情でいる永次にはツキからの冷たい視線が送られていた。
――夜、6時51分現着。
夕食には丁度いい時間帯だというのに、そこはなかなかに空いていた。
店内に入ると数名の店員の挨拶が響くほどにはそれを感じる。
みたところ、席についているのは2組の家族連れとひとりの少女のみだ。
塾帰りだろうか、見覚えのある制服のままでミートスパゲッティをすすっている。
その姿からはどこか哀愁を感じた。
「いらっしゃいませ、席はご自由にどうぞ」
「ああはい、どうも…」
丁寧な店員の対応に比べて、永次の返しはややぎこちなく映る。
これは永次のもつ人見知りが発動しているせいだろう。
後からきた羞恥心に駆られ、永次はすぐ目の前にある席を選んで座った。
「ツ、ツキ…はやくこっち…」
必死に手招きをする姿が滑稽である。
ツキも呆れたように溜め息をはいて言った。
「はあ。これだからおにいは…」
「悪かったな、これで…」
永次は赤面したままツキを睨む。
それがさらに彼の尊厳を貶しているとは思いもしていないだろう。
「おにいは何食べるか決めた?」
永次の正面に座ったツキはふと訊いた。
「あの子が食べてるやつにしようかな…」
そういいながら、永次の目線は他のところを見ていた。
ツキも遅れて照準を合わせる。
見るとそこには先ほどの学生がいた。
相変わらずスパゲッティを食べている。
見るからにシンプルで、節約に良さそうな値段のものだ。
「ゲスい」
ごもっとも。
「でもな、節約しなきゃなのも事実なんだ」
「私は節約させないよ?」
「それはいいけど……ん?」
さらっと言われたが、妙に含みのある言いまわしだ。
まさか高いの注文するなどと言わないだろうか。
「節約させないって、どういうことだ?」
「そのままの意味」
「え、ちょっと待て。それ俺の財産破綻しないか?」
「働こ?」
「嘘だろ…」
顔色ひとつ変えずに言ってくるツキ。
どうやら永次は逃げられないようだ。
しばらくツキとの視線が一致する。
やがてその意志は永次の表情と同じように崩れて吐き出される。
「はあ…」
溜め息が込み上げてくるのは今日で二回目だ。
ツキがいつにも増して強情になっているのはどういうことだろう。
「俺、まだ十六だからバイトしかできないんだぞ?」
永次は現在十六歳。
これまでの生活ではあの大災害を生き残った親戚に助けられながらのものだった。
確かにこのまま彼らに頼るのも良いとは言えない。
「働くってのは後々考えるとしても、今日はミートスパゲッティを食べることにする」
きっぱりと言い切った。
一時は揺らいだ意志も、後のことを考えれば一歩も引けないのだ。
「それなら仕方ない。私はオムライスを食べるけど」
「そうしてくれ」
話は一旦落着へと向かったが、精神的にもいろいろと疲れてきた。
永次は早々に呼び鈴を鳴らして店員にオーダーを取らせる。
頼んだのは当然オムライスとミートスパゲッティだ。
注文に応じてくれたのが入り口で会った店員とは別のひとで助かった。
もしあの女性店員が来ようものなら、その気まずさで変な注文をしそうだったから。
その後、料理が来るまでの間はツキとの他愛のない会話をしていたのだが、ふと永次は何かの視線に気付く。
この違和感を一応ツキにも話してみた。
「なあ、何か俺たち見られてないか?」
そう言いながら目線だけを移動させる。
「主にはおにいが見られてる」
「俺…?」
ツキに言われ、一気に悪寒が背筋を走っていった。
あまり勘が鋭くない永次はどこから見られているのかわからない。
おそらくそれに気付いているであろう彼女に再び質問した。
「ツキ、どこかわかるか?」
「(うしろ)」
声はださずに、口がその動きをとり、ついでに瞳も語っている。
確かにツキはそう言っているようだった。
果たしてどちらの後ろなのだろうか。
しかしそれは目を見ればわかった。
顔は傾いていないが、彼女の目線は明らかに自身の左後ろを見ている。
永次はなにも言わずに、そこへと目を向けた。
「――!?」
意図せずして、永次の目は彼女と合う。
先程ミートスパゲッティを頬張っていた少女がこちらを一直線に捉えていた。
数瞬の間時が止まった様に固まっていた彼女だが、はっと気がついて危うく麺を喉に詰まらせそうになっている。
何度か咳き込んでから手元にある水を一気飲みしたと思えば、今度はいきなり立ち上がった。
「え……!?」
それには永次も同様を隠せないでいる。
「おにい?」
明らかに異常な反応を示している永次に、ツキも振り返った。
するとたちまちに驚いて、その身体がびくりと跳び跳ねる。
その後も警戒するように椅子にしがみつきながら彼女を観察しだした。
されどその目は何もなさず、立ち上がった彼女は残り少ないミートスパゲッティを抱えてこちらへ向かってくる。
しかも一歩一歩がなぜか強力だ。
「ちょ、ちょ…」
永次が守りの構えをとるが彼女との距離は離れず、やがてミートスパゲッティが二人の目の前にドスンと置かれた。
唖然とする永次とツキに、彼女はか細い声で言う。
「あのっ、先輩!」
先輩…?
事態を悪化させようと、耳馴染みのない台詞が永次を攻撃してきた。
しかし、事件はこれだけでは終わらない。
「その隣のひと、先輩の彼女さんですか?」
ツキも含め、全く意味がわからない状況。
何を言い出すかと思えば、修羅場を生み出すかのように破壊力のある言葉が現れた。
「待て待て。俺が先輩ってどういうことだ?それに――」
「私はおにいの妹」
永次が言い終わる前に、ツキが冷静に彼女の質問に答える。
そういうのを求めてる訳ではないのだが。
「いや、そうじゃなくて…先輩って?」
再度同じ質問をかけてみる。
「え、先輩は先輩じゃ…?」
質問の意味がわかってないのか、謎の返しで会話は終わってしまった。
「それがどういうことか聞きたいんだけど…」
「私の制服に見覚えは?ついでに顔も」
「んー……」
言われてよく見てみる。
確かに永次はこの制服を知っていた。
彼女が着ているのは、永次が最近見た学校の制服に指定されていたものだったからだ。
その名も櫛原高校。
丁度2日前ほどに、ツキから渡されたパンフレットがそれについてのものだったのを覚えている。
しかしそれで彼女が永次を先輩と呼ぶ理由がわかるわけではない。
そもそも永次は櫛原高校には通っていないのだから。
次に目はスライドするように彼女の顔へ向く。
やはりその顔にはあまり見覚えがない。
少し考えるようにして腕を組むが、永次の頭の中で考えがまとまる前に彼女は言い始めた。
「先輩、ずっと学校来なかったから…私…」
次の瞬間、永次は自然と言葉を発していた。
この言葉を言うことを避けていたが、勝手に言わされたようにスルッと抜け出すように口からでた。
「…君は、誰?」
「――!?」
口振り的に彼女は永次の知り合いだとわかっていた。
ツキも同じく勘づいていただろう。
彼女の今の反応も、その傷つきようから証明してくれている。
でも――
「俺には、五年前以前の記憶がない…」
「え……」
彼女はさらに動揺して息を詰まらせていた。
その様子を見て、永次も胸の苦しみを感じる。
「五年前の大災害―『ユカリヅキ』の日、俺は記憶を失ったんだ」
「そんな、でも…先輩がいなくなったのは二年前です…」
自信のなさそうな声で、しかしはっきりとそう言っていた。
「おかしい。おにいはここ五年間、ずっと家にいた…」
ツキが彼女の言葉を正面から否定する。
ツキの言う通り、この話はどこかおかしい。
矛盾点が交差して絡まっているのだから。
「いえ、でも間違いないです。先輩は――」
「と、取り敢えず座ったら?」
話が長くなるのを悟った永次は彼女を腰かけるよう促した。
「……失礼します」
彼女は素直に応じる。
永次の空けた隣へと腰をおろした彼女は、疲れたのか即座に溜め息をもらした。
「それで、君の名前は?」
「私は暁宮黒音です。名前も覚えないですか?」
「と言われてもな…」
「では、そちらの妹…?さんは」
「覚えてない」
「ですか…」
「一応、俺の名前は京付永次だ。で、こっちの妹が」
「ツキ。よろしく、クロネ」
「よろしくお願いします…」
若干警戒気味に挨拶を交わしたクロネ。
まだツキのことを怪しんでいるのだろう。
対するツキは、余裕と言うように無表情を貫いている。
この異質な空気感の中、永次も負けじと参戦していった。
「じゃあクロネ、君が言ってた先輩のことだけど…」
「………っ」
言いながらクロネの方を見る。
すると彼女の様子がおかしいことに気づいた。
クロネが悲しそうな顔をしている。
今にも泣きそうな。
「クロネ…?」
心配に思った永次がクロネを呼び戻した。
「あ、ごめんなさい」
クロネは溢れる寸前の涙を擦りながら言う。
次に永次が大丈夫かと訊こうとする前に、再び言葉を綴った。
「やっぱり、先輩なんだなと思って…」
「え?」
彼女は自分の言っていることがめちゃくちゃだとは気付かないのだろうか。
これでは二人からの評価は不審者止まりである。
「先輩は、私を名字では呼んでなかったんです」
「それ、常識じゃないのか?」
「違いますよ。普通は仲がよくないと言わないんです」
「だから常識なんだろう?」
頭上に疑問符を浮かべているクロネに向けて、自慢げに永次は続けた。
「記憶はないけど、俺たちは仲がよかったんだろ?」
すでに永次はこの状況を受け入れていたようだ。
突然現れた暁宮黒音という存在と、過去の自分を。
「矛盾点も多いけど…一応俺の後輩だしな」
あの大災害の影響もあるのだろう、永次の対応力は普通ではないのかもしれない。
平然と慣れていく。
しかし、今ここでは、その言葉はクロネに深く刺さった。
「う゛ぅっ…」
溜まっていた涙が溢れる。
それは流水のように。
声を出して泣いていた。
「お、おい大丈夫か!?」
「はい、すみません…でも私…泣かないようにって…」
彼女の涙は止まらない。
「わかった、わかったからまず落ち着け」
慌てつつも、永次は咄嗟にクロネの背中をさすった。
――6時58分
クロネが落ち着いて泣き止んだ後に運ばれてきたご飯は、オムライスもスパゲッティも冷えていた。
恐らく彼女が泣き止むのを待っていてくれたのだろう。
永次はこの店の優しさを感じた。
それから三人は一緒になって夕食を食べる。
しかしその間、会話は愚か。
目を合わせることさえ誰もしなかった。
自然と重くなった空気の中、いつもよりも早く食べ終わる夕食に永次はなんとも言えない気まずさを感じたのだ。
そんな時、はじめの沈黙を破ったのはクロネだった。
「先輩。先輩は、高校に行かないのですか?」
永次は少し考えてから答える。
「今のところはな…」
「櫛原高校は良いところですよ。先輩が選んだのも納得なんです」
「そうか…」
落ち着いた雰囲気のせいか、全く気まずさが晴れていない。
まだぎくしゃくしている二人を見ていて腹が立ったのだろうか、ツキがようやく口を開きだした。
「安心して、クロネ。おにいは明日から学校に行くことになってるから」
「え…?」
またも突然爆弾は飛んでくる。
「嘘つけ、そんなの聞いてないぞ」
「パンフレット見せた」
「あれはそういうことだったのか…」
永次はそう言いながら全身の筋肉を緩ませて脱力した。
「どういうことですか?」
まだ状況が理解できていないクロネに、永次は昨日の出来事を伝える。
「――そう言うことですか…」
納得したように頷いている。
「じゃあ先輩は明日から櫛原高に?」
「ツキの言ってることが本当ならな…」
「じゃあよかったです。私学校でも友達いなくてボッチだったので」
「さらっとそういうこと言うな」
「おにい、食べ終わった」
「お前は少し遠慮を覚えた方がいいな…」
そう言いながら永次は立ち上がった。
夕飯が残っていたのはツキだけだった為、会計を済ませなければならないのだ。
そこで気付く。
永次の隣に座っているのは、自分を慕ってくれる謎の後輩。
ここは奢るべきかと自問自答する。
否、出た解答はあくまで先輩としての尊厳獲得であった。
「クロネの分も会計しておくな」
できるだけノーダメージを装っていい放つ。
永次の脳内計算ではこうだった。
仮にいまここでクロネの一食分を会計したとて、ツキの640円の半分にしか満たない。
それと同じものを頼んだから、減るのは1280円になるのだ。
つまり残る所持金は2720円ということになる。
涙を流すことになるが、ギリギリ生きてはいける金額。
既に心に決め、レジに立つ店員を目指して歩き始めた。
「待ってください、それは悪いですよ!」
「大丈夫だ。再開の祝杯としようじゃないか」
永次はそうわざとらしく言う。
そのまま残り少ない残高からお札を二枚取り出してレジに置いた。
クロネが次の言葉を言おうにも、店員がする仕事の速さに防がれてしまう。
「あ…」
申し訳なさそうに声を出したクロネ。
もしかすると、彼女の方こそ奢るつもりだったのだろうか。
「ごめんな、俺も格好つけたくて…」
店を出た辺りでそんなことを考えた永次は言った。
「いえ、全然大丈夫ですよ」
クロネはそうやって謙虚な姿勢をとる。
「そう言ってくれるとありがたいけど」
「ありがたいだなんて、私が言われることはないですよ。先輩に助けられてたのは私の方ですから」
元気に言い直して、クロネは歩き出した。
その背中に向けて聞いてみる。
「具体的にはどんなこと?」
「初めて会った日、あの日は雨でした…」
何年も前の記憶を呼び戻すように、彼女は空を見上げた。
その目は、確かに遠くを見つめている。
「お恥ずかしいことに、その時の私は親と喧嘩してまして…泣きながら家を飛び出したんです。傘ももたずにただ走っていて転けたんです」
そこまで言ったクロネは永次の方へ向き直った。
「そこで先輩に初めて会いました」
「俺は、その時どうしたんだ?」
「先輩は、ただ傘をかけてくれて言ったんです。『君も辛い目にあったのか?』って」
「君も?」
「はい」
クロネの言った言葉の一部がやけに引っ掛かる。
一体永次はどんな辛いことを経験したのか覚えていない。
覚えていないのに、頭のどこかで残っているような感覚だった。
「俺がそう言ったんだよな…その後は何か言ってたか?」
「いえ何も…」
「おにいは覚えていない?」
「残念だがな」
「使えない。当事者の癖に記憶障害なんて…」
ツキがさも嫌味っぽく言う。
「お前俺に恨みでもあるのか…?」
「ない」
「デフォでこれかぁ…」
「いつものことだけど?」
そう言いながらツキは首を傾げる。
その様子を見て永次はますます溜め息をもらした。
「そう言えば…」
永次を見ながらクロネは言う。
「先輩って、妹いたんですね」
内容を聞くなりこれはまた絡まりそうなものだと頭を抱えた。
一応意味を探ろうと試みる。
「それ、どういう意味だ?」
「先輩の妹なんて聞いたこともないですし、家にも居なかったですよね」
「過去の俺はツキのことを隠していた…?」
「それは信じたくないですね。先輩、隠し事なんてしませんでしたから」
「じゃあ尚更おかしくないか?」
「そうですね…この話は忘れて下さい。私が悪かったです」
クロネはそう言っているが実際のところ気になるのも事実。
そのうち時間が経てば聞いてみるのも悪くないだろう。
――7時12分。
暫く歩いていたが、回りは既に暗闇になっている。
街を行く先に街灯が連なる夜道にはもう風すら吹いていなかった。
「少し寒くなってきたな」
永次はその両脇に並ぶクロネとツキにそう言う。
そうですねと静かに返すクロネも、両腕を抱えていた。
そんな中、突然ツキがこんなことを言い出す。
「ねえおにい、私がいなくなっても生きていける?」
「なんだよそれ、からかってるのか?」
「答えて」
「…そうだな」
はじめはいつもの悪口かと思った永次も、ツキの真面目な顔を見て真面目に考えだした。
「生きていけると、ハッキリ言えないのが悔しいところだな。それがどうかしたのか?」
一滴の冷や汗が永次の頬を伝った。
隣のクロネは違和感に気付いていないのか、きょとんとしてツキの質問の意図を考えている。
しかし永次にはわかっていた。
ツキの質問と同時に思い出したのだ。
「おにいよく聞いて」
今日が何月何日なのかを。
「五年前の私は気付かなかったけど…今はわかってる――」
前からこうだったのか、今そうなったのかはわからないが、明らかに周りの空気が変わっている。
気を抜けば嗚咽しそうになるほど気持ちの悪い感覚。
それは、二度とは感じたくないもので。
日本人の殆どにトラウマを植え付けたもので。
空を嫌う原因になった大災害であった。
「………!?」
「先輩、これ…」
永次はこれを恐怖する為の記憶がないはずだが、確かにこの瞬間は心の底から沸き上がる感情に整理がつけられなくなっている。
「おにい、忘れないで。私はここにいた――」
そう言って目を閉じるツキ。
その行為にどんな意味があるのかを考えるほど心の余裕がない永次だったが、次の瞬間にはツキの姿を捉えることができなくなっていた。
『…………』
彼女の身体が透き通るように消えた時、頬を滴る汗はすでに数えられなかった。
もうそこには何も残っていない。
「ツ…キ……?」
震える喉からこぼれ落ちる言葉。
横でクロネも身体を震わせている。
事件や事故。
災害なんてのは突然起こりうるものである。
永次も、そんなことはよく知っていた。
ましてや一度は経験したものが二度と起こらないなんて夢を語るほど、幼稚ではない。
しかし思う以上にそれは唐突過ぎた。
いつしか人は空を嫌うようになった。
あの日以来、またあの月が空を照らすのではないのかと怯える。
当時にあった地獄絵図が繰り返されないことを願って。
明日があることを願って。
紫色の不気味を振り撒く月が現れないように願って生きる。
広い空を見上げてそう思うのだ。
それでも空は微笑む。
それでも月は嘲笑う。
地を行く人間のことを哀れに思いながら、蝕んでいくのだ。
恐怖しながら出た声には、憎しみも混じっていたと思う。
怒りも混じっていたと思う。
空に浮かぶそれを睨みながら永次は言呼んだ。
「ユカリ…ヅキ…」
ーユカリヅキ 第一章ー
「再砲」




