婚約破棄された公爵令嬢はすべてを奪われた——はずだった。だが彼女は隣国の皇太子に溺愛されながら、裏切り者たちへ完璧な復讐を果たす
王城の大広間に、ざわめきが広がっていた。
その中心に立たされているのは、公爵令嬢エリシア・ヴァレンティア。
そして、その前に立つのは――婚約者である王太子レオン。
「エリシア・ヴァレンティア。貴様との婚約を、ここに破棄する」
その言葉は、あまりにも冷酷だった。
ざわめきが一層大きくなる。
だが、エリシアは微動だにしなかった。
「……理由を、お聞きしても?」
静かな声。
しかしその瞳は、凍てつくように冷たい。
レオンは不快そうに顔を歪める。
「とぼけるな。お前は長年にわたり、マリアを虐げてきた」
視線の先には、涙ぐむ一人の少女。
伯爵令嬢マリア・リーヴェル。
「わ、私は……そんなつもりでは……」
か細く震える声。
だがその仕草は、どこか芝居がかっていた。
エリシアはそれを見て、内心で冷笑する。
(やはり、ここまでやるのね)
すべては、仕組まれていた。
証拠も、証言も、全て。
エリシアを「悪役」に仕立て上げるために。
「さらにだ」
レオンが続ける。
「公爵家の名に泥を塗るその性根、王妃として相応しくない」
決定的な一言だった。
――王妃の座からの追放。
それはすなわち、すべてを失うということ。
その瞬間。
「異議はありません」
エリシアは、あっさりと言った。
「……なに?」
レオンが目を見開く。
会場もざわついた。
普通なら泣き崩れる場面。
しかしエリシアは、優雅に一礼した。
「その婚約、喜んでお返し致します」
静かで、美しい声だった。
だがその言葉には、確かな棘があった。
「ただし――」
エリシアはゆっくりと顔を上げる。
「後悔なさらぬよう」
その微笑みは、あまりにも意味深だった。
その日のうちに、エリシアは公爵家からも追放された。
「お前のせいで家名に傷がついた!」
父は怒鳴り、母は顔を背けた。
弟でさえも、冷たい視線を向ける。
誰一人、彼女の味方はいなかった。
(……想定通りね)
エリシアは、ただ静かに馬車へと乗り込む。
涙は、一滴も流さなかった。
なぜなら――
(もう、この国に未練はないもの)
すでに彼女は、すべてを見限っていた。
数日後。
エリシアは隣国へと足を踏み入れる。
そこは強国として知られる帝国。
そして――
「面白い女だな」
低く響く声。
振り返ると、そこにいたのは一人の男。
鋭い眼差し、圧倒的な存在感。
帝国皇太子、カイゼル・アルヴェルト。
「……無礼を承知で申し上げますが」
エリシアは一歩も引かずに言う。
「盗み聞きは趣味が悪いのでは?」
周囲が凍りついた。
だがカイゼルは――笑った。
「気に入った」
「……は?」
「俺の妃になれ」
あまりにも唐突な言葉。
しかしエリシアは、驚かなかった。
ただ、静かに問い返す。
「理由をお聞かせください」
「お前は使える」
それは、愛ではない。
打算。
だが――
(それでいい)
エリシアは微笑んだ。
「では条件を」
その瞬間、空気が変わる。
「私は飾りの妃にはなりません」
「当然だ」
「そして――」
彼女の瞳が鋭く光る。
「復讐を、許可していただきます」
カイゼルは一瞬、沈黙した。
そして――
「好きにしろ」
愉快そうに笑った。
「ただし」
彼は一歩近づく。
「俺を退屈させるな」
「ええ、保証いたします」
その瞬間。
エリシアの復讐劇が、静かに幕を開けた。
✲ ✲ ✲ ✲
帝国に嫁いでから、半年。
エリシアは瞬く間に、その地位を確立した。
「皇太子妃殿下のご采配は見事です」
「商談もすべて成功しております」
貴族たちは口々に称賛する。
その実力は本物だった。
一方で――
「……面白い」
カイゼルは玉座から彼女を見下ろす。
「お前、本当に女か?」
「失礼ですね」
エリシアは微笑む。
「必要なら、証明いたしましょうか?」
一瞬の沈黙。
そしてカイゼルは吹き出した。
「やめろ、今は仕事中だ」
そのやり取りは、周囲の者たちを凍りつかせたが――
同時に確信させた。
この二人は、誰にも止められないと。
そしてついに、その時が来る。
「旧王国との会談が決定しました」
かつてエリシアを追放した国。
その代表として来るのは――
王太子レオンと、マリア。
(来たわね)
エリシアの唇が、わずかに歪む。
会談当日。
「なっ……!」
レオンは言葉を失った。
玉座の隣に立つのは、かつての婚約者。
だが今は――
「帝国皇太子妃、エリシア・アルヴェルトでございます」
誰よりも高い場所に立つ存在。
その美しさも、威厳も、すべてが別人のようだった。
「ば、馬鹿な……」
マリアも青ざめる。
だがエリシアは、ただ微笑んだ。
「お久しぶりですね」
その一言だけで、二人は震え上がる。
会談は、完全な敗北だった。
エリシアの用意した資料、証拠、論理。
すべてが完璧だった。
「この条約を拒否するなら――」
彼女は淡々と言う。
「貴国は三ヶ月で破綻します」
沈黙。
誰も反論できなかった。
そして、最後の一撃。
「それと」
エリシアは軽く指を鳴らす。
すると兵士が一人の男を連れてくる。
「その者は、あなた方の不正の証人です」
「なっ!?」
それは、王国の重臣。
すべての陰謀の黒幕だった。
次々と暴かれる真実。
「マリア様は、その指示で動いておりました」
「違う!私は――!」
叫びは、誰にも届かない。
さらに。
「王太子殿下」
エリシアが静かに言う。
「あなたも共犯です」
証拠は揃っていた。
レオンは崩れ落ちる。
数日後。
王国では大粛清が行われた。
レオンは王位継承権を剥奪。
マリアは処刑。
すべてが終わった。
「満足か?」
カイゼルが問う。
エリシアはしばらく沈黙し――
「ええ」
静かに答えた。
「すべて、終わりました」
その横顔は、どこか寂しげだった。
だが次の瞬間。
「なら――」
カイゼルが彼女の手を取る。
「今度は俺の番だ」
「……何の話です?」
「お前を、俺のものにする」
その言葉に、エリシアは目を見開く。
「それは、もう……」
「違う」
カイゼルは首を振る。
「契約ではない」
そして、真っ直ぐに見つめる。
「愛している」
初めての、感情の言葉。
エリシアは――
一瞬、言葉を失った。
そして。
「……困りましたね」
小さく笑う。
「私、もう逃げられませんわ」
「逃がすつもりはない」
「でしょうね」
二人は見つめ合い――
静かに、微笑んだ。
こうして。
すべてを奪われたはずの一人のプリンセス……
すべてを取り戻し、それ以上を手に入れた。
そして何より――
彼女を裏切った者たちは。
誰一人として、幸福はなれなかった。




