部屋にて
不登校になった幼馴染の様子を見に来た少年は、少女の部屋へと迎えられた。そこは脱ぎ捨てられた服や、読み捨てた本が散乱する部屋だった。
「ほんと、うちの親ってノンデリ。相手が幼馴染とはいえ、普通女の子の部屋に勝手に男の子入れる?」
「それは、仕方ないんじゃないかな? だって、ボクは何度もこの部屋で遊んできたんだから……久しぶり、小陽」
椅子に座る小陽はベッドを人差し指で指し示し、睦美は示されるままにベッドに腰を下ろす。それが昔から変わらない、ふたりの位置だった。
「久しぶり……そうね、久しぶり睦美。男子三日会わざればなんて言うけれど、睦美は変わってないわね……。その片目隠した変な髪型も変わんないし、いまだにかなかなかなかな言ってるし……そろそろ自分の年齢を見つめ直したら? もう中学二年生なんでしょ?」
「えぇ……? それは酷いかなって……そもそも、小陽が好きなキャラクターの真似なのに。おままごとでいっつもやらされてたから、ボクはこうなっちゃったのかなって……」
「女の子に責任押し付けるなんて、男の子らしくないわよ」
「うぅ……優しいハル君が恋しいかな……」
睦美がハルの名前を呼んだ途端に、ふたりの間に静寂が流れた。その重い空気が、その沈痛な面持ちが、何も言わずとも考えていることを伝え合っていた。
「気になってたんだけど、いつから気付いてたの? あたしだってこと」
「あの合宿の最期の夜かな。合宿のことは憶えてないけど、あの時の小陽には違和感があって……見た目も、声も、喋り方もハル君だったけど……ボクを見る表情だけが、違ったから……多分、そうなのかなって……。ハル君は……もう居ないの?」
小陽に問う睦美の表情は縋るようだった。小陽の人格が表に出てきていることの意味を理解しつつも、その瞳はわずかな希望を捨てられていなかった。
小陽はただ淡々と、経緯すらも省いて、事実のみを告げた。
「居ないわ。ハルの人格は死んでしまったの」
「そっか……うん、わかった」
睦美は深く頷いてから、瞼を閉じて両手を合わせた。そして小陽に向かって祈り始めた。
「ハル君、今まで仲良くしてくれてありがとう……。小陽が突然居なくなっちゃった時も、ハル君が居てくれたからボクは寂しくなかったよ」
「は? 何それ、少しは寂しがりなさいよ」
「勝手に居なくなったクセに何言ってるのかな……? できれば、ハル君に直接お別れを言いたかったかな……今までお疲れさまでした、ゆっくり休んでね」
「何でもいいけど、人を墓石扱いしないでもらえる?」
「似たようなものかなって」
「生意気ね、睦美のクセに……ハルが甘やかしすぎたんじゃないの?」
「うぅ……ハル君、さっそくだけど戻ってきてほしいかな……」
小陽は睦美の左頬をつまむと、うにうにと引っ張った。上に下にと頬が伸び、睦美は目を潤ませながらもされるがままだった。
「……墓石扱いは気に食わないけど、睦美の言葉はちゃんとハルに届いてるわよ。あたしとハルは別の人格だけど、身体には脳も心も一つしか無いもの。死んだとは言ったけど、一つになったという方が近いのかもしれないわね。ハルの気持ちも、想いも、全部あたしが引き継いでるわよ――こちらこそありがとう、睦美。睦美が僕と仲良くしてくれて、笑いかけてくれて……本当に救われたし、嬉しかったよ。小陽のこと、どうかよろしくね」
「ハル君……あの、どうしてボクはつねられたままなのかな?」
「引き継いだだけで、あたしはあたしだもの。ハルの心は止めてあげてと泣き喚いてるけど、あたしの意思を妨げるにはちょっと薄弱に過ぎるわね。結局のところ死者は生者に敵わないのよ……虚しいわ」
アンニュイに溜め息を吐きながらも、小陽の指は睦美の頬を離しはしなかった。
「そう思うなら、少しはハル君の想いを汲んで欲しいかなって……」
「それより、睦美こそこんなダラダラと話してていいの? あたしの親から頼まれてるんでしょ、学校に行くよう説得してって」
「言われてるけど……どうせボクが言ったところで小陽は聞かないかなって」
「その通りね。学友も、教師も、皆もうハルとの関係を構築済みだから、あたしが入り込む隙間なんて無いもの。急に女の子が混じったって、お互い気まずいだけだわ」
「そうだろうね……でも、高校は行くんだよね? 小陽なら家でも勉強はするだろうし、特に心配はしてないかな」
「何それ? ちょっとは心配しなさいよ。ハルに対してはあんなに過保護だったクセに……あたしはか弱い女の子なのよ?」
小陽は睦美の頬を離すと、人差し指をピンと立てて睦美の鼻先に当てた。そして円を描くように滑らせたり、つついたりし始めた。睦美はくすぐったそうにしながらも、やはりされるがままだった。
「心配って、何を心配すればいいのかな……。小陽はボクが心配しなきゃいけないほどか弱くないかなって……」
「そんなの、人間関係に決まってるじゃない。今までにハルが築き上げた交遊は全部無に帰したの。あたしはこれから新しく関係を作っていかないといけないけど、性同一性障害の身では容易じゃないでしょう? それなのにこれから1年以上は不登校だなんて、普通心配するでしょう」
「えぇ……でも、それって小陽自身が決めたことだし……。それに、人間関係ならボクが居るかなって……」
「……」
睦美の鼻先を弄っていた小陽の指がぴたりと止まった。小陽は真意を探るように睦美の瞳を見据え、対する睦美は純粋な瞳で見つめ返していた。
「ハル君は確かに活発で、サッカー部関係の友達が多かったけど……でも、一番の友達はボクだったかな。ハル君が一番大切にしてくれていた関係が残ってるんだから、そんなに悲観することでもないかなって……そもそも、小陽が友達ができなくて悩んでる姿なんて想像できないし」
「睦美、あなた……あたしとハルのこと、好き?」
「うん、好きかな……ボクは朝比奈小陽のことを全部ひっくるめて大好きだよ」
睦美はあっけらかんと答えた。その短い言葉からでも、睦美なりの深い気持ちが感じ取れた。
『違うっ、違うのっ! ボクは、ハル君のことを好きになっちゃいけないのっ……! 絶対にそうはならないと思ってた……それなのに、女の子になったらっ……好きになっちゃったぁ……。どうしよぉっ……だめだったのにっ……それだけはダメだったのにっ……ボクは、ずっと、このままっ……この想いを、抱えていくなんて……。どうしよぉ、ハル君……そんなの無理だよぉ……嫌だよぉ……っ』
あの合宿所の大浴場で痛ましい告白をした睦美の面影は何処にも無い。今小陽の目の前に居るのは、幼い頃からの幼馴染である睦美に他ならなかった。
「そう……あたしとハルは、睦美を愛してるわ。こっちはふたり分だから、あなたの負けね」
「人の気持ちで勝ち負けを語ってる時点で、少なくとも勝ってはないって思うかな……」
小陽はいたずらっぽく笑い、それを受けた睦美も優しい笑みを浮かべた。
ふたりだけの空間に、ふたりだけの空気が流れる、そんなふたりだけの時間だった。
性別が変わっても、長い時間が経っても、変わらないものの存在を、ふたりは確かめるように睦み合っていた。




