君は男の子
「うん、間違い無いかな。昔の小陽は、身体は男の子だけど性別不合に悩む女の子だったよ」
それは、絶対に知られてはいけなかったこと。両親にだって、思い出して欲しくないこと。それは、小陽と睦美だけの秘密だったはずなのに。
イヨは堪えきれないという風に笑いを零していた。
「ふふ、ふっ、ふふ……失礼致しました。笑って良いことではありませんでしたね。コハルさんはとてもお悩みになったようですから……でも、それも今日でお終いです。ねえ、コハルさん……いいえ、コハルちゃんと呼んた方がよろしいでしょうか?」
小陽には何も言い返せなかった。真実であるが故に、何も反論ができなかった。何よりも睦美に裏切られてしまったという事実が、小陽から全てを奪ってしまった。
何も考えられない。何も感じられない。イヨの隣でただ呆然と立っている睦美を見つめていることしかできない。
(睦美……どうして……睦美、睦美……睦美……)
睦美は洗脳されているのだから仕方ない。小陽の対策が遅かったのだから仕方ない。
でも、仕方ないで納得できなかったから、小陽は今此処にいるのだ。やりきれない想いを堪えきれず、小陽は握り拳で強く机を叩いた。
「ふふ、貴女が素直にお認めになっていれば、この合宿もここまで長引くことは無かったでしょうに。ムツミさん、ナナオさん、ジジくん、トオリさん、ヤヨイさん、クノエさん……コハルちゃんの我儘の犠牲になった方々に、謝罪をなさった方がよろしいのではないですか?」
「でも……だって……僕は……僕は、男の子だから……」
それは、自分でもわかってしまう程に弱々しい声だった。こんな主張はイヨの言う通りただの我儘だ。根拠も無く、ただ認めたくないと駄々をこねているに過ぎない。
「やはり、多数決にしたのは正解だったようです。現実から目を逸らす意固地な方には、周囲から優しく教えて差し上げなければなりません。わたくしは、コハルさんに1票を投じます。ムツミさんはどう思いますか? 投票権はありませんが、是非とも幼馴染としてのご意見をお聞かせください。わたくしといっしょに、コハルちゃんにその性別を教えて差し上げましょう?」
イヨは徹底的に小陽を嬲るつもりらしい。睦まじく指を絡ませ、親密に寄り添い、睦美はもうイヨの物だと言わんばかりだった。
当の睦美にもイヨを拒絶する様子は無く、事も無げに淡々と告げた。
「ハル君は男の子だよ」
「え? ……あぁ、そうでした。ムツミさん、どうか素直になってお答えください? コハルさんの心の性別は女の子で間違いないですね?」
「それは違うよ、イヨちゃん。小さい頃からずっといっしょだった、幼馴染のボクが保証する……ハル君は男の子だよ」
睦美は小陽を庇っているわけじゃない。洗脳されている状態では、素直という言葉の前で嘘を吐いたり忖度することはできない。
でも、洗脳はその想いまで歪められるわけじゃない。睦美はただ素直に、その本心を語っているだけだった。
昔の小陽が性別不合に悩む女の子だったという事実を、睦美は知っている。その上で今の小陽を男の子なのだと、睦美は認めてくれている。そこには嘘偽りも、気遣いも思い遣りも存在しない。北条睦美にとっては、それが純然たる事実なのだ。
胸の内から湧き上がる温かい感情が溢れ出るように、自然と小陽の口からは感謝が漏れ出ていた。
「ムツミさん、その発言が矛盾を孕んでいることにはお気づきですか? ムツミさんはコハルさんの性別不合をお認めになっています。コハルさんの身体が男の子である以上、その心が女の子であることは自明の理です。幼馴染を思い遣るそのお心は尊いですが、真実を教えて差し上げるのも優しさではないでしょうか」
「イヨちゃんこそ、忘れてるんじゃないかな? 朝比奈小陽は二重人格……性別不合に悩んでいた小陽は、ハル君という男の子の人格を生みだした。人格が2つあるんだから、性別不合に悩んでいた小陽と、男の子であるハル君の両立は矛盾しないかなって」
「っ……しかし、コハルさんの生来の人格が女の子なのは間違いありません。いわば今の自身を男の子だと言い張るコハルさんは偽者です。わたくしたちの手で、本来の女の子であるコハルさんに身体を返して差し上げるべきではないでしょうか」
「偽者……? どうして、今のハル君が偽者扱いされないといけないのかな? ハル君は、小陽が男の子として在るように願った人格だよ……ハル君は身体を奪ったわけじゃなくて、小陽にそう望まれたの。確かに二重人格には主人格と副人格という分け方はあるけれど、それは真偽を区別するものじゃないかなって。小陽のことも、ハル君のことも何も知らないイヨちゃんに、偽者扱いして欲しくは無いかな……」
口調こそ穏やかではあったが、睦美の語気には明確に怒りが込められていた。イヨからのスキンシップを拒みこそしないものの、睦美のスタンスは明確に小陽側だった。
イヨもこれ以上睦美に語り掛けても逆効果だと察したらしく、えるへと視線を向けた。
「えるさんはどのようにお考えになりますか? 朝比奈小陽さんは元々は性別不合の女の子であり、その身体と心の乖離に耐えられず新しい人格を生みだしています。正に、えるさんの支援対象そのものかと……元々の女の子の人格が在りのまま、素直に女の子として生きられるように協力するべきだとわたくしは思います」
「もちろん、小陽くんが素直に生きられるように、えるはどんな支援でもしてあげるよ。でもね、今この場での議題は小陽くんの二重人格についてじゃないんだ。二重人格についてはえるも専門外だから、新しく教育してもらわないと何とも言えないの。睦美くんの小陽くんは男の子という主張も、伊予くんの小陽くんは女の子という主張も、えるには肯定できない……小陽くん自身が、自分を女の子だって言うなら話は別だけれどね」
えるの視線が小陽に向くと、つられるようにイヨの視線が向いて、続いてミコト、ジジ、菜々緒、弥生、久野絵、桃莉が小陽を見た。
最後に、睦美が小陽に向けて微笑んで…小陽は手の甲で涙を拭って、はっきりと口にした。
「当然だけど、僕は男の子だよ。僕は小陽からこの身体を任された、歴とした男の子だ」
すっかり笑みの消えたイヨを真っすぐに見つめ返しながら、小陽は堂々と答えた。幼い頃から長い時間を共にした睦美が認めてくれた以上、もう小陽自身に不安は微塵も無かった。
誰が何と言おうと、今の小陽は男の子なのだ。大事な小陽の身体に、洗脳なんてさせるわけにはいかない。
イヨは苦虫を噛み潰したように顔を歪ませていた。怒りと悔しさが入り混じった瞳で小陽を睨みつけて、悔し気に不満気に呻き、そして大きく息を吐くと、小陽へと頭を下げた。
「非礼をお詫び申し上げます、コハルさん。少々議論で熱くなり過ぎたようです……コハルさんに対する偽者という発言を謝罪させてください。睦美さんの言葉通り、人格に真偽はありません……未熟なわたくしの無知な失言だと思っていただければ幸いです」
それはイヨの纏う気品に相応しい、丁寧で誠意ある謝罪だった。イヨは心の底から小陽へと詫びている様子だった。




