緊急ミッション、久野絵を弁護せよ
時刻は23時。もうすぐ日付も変わるという時間に、生徒たちは教室に集められていた。生徒たちの服装は寝間着の体育着であり、久野絵だけが普段着のパーカーを着ている。いつもはスーツを着ている榎戸も今はジャージ姿であり、えるはナイトキャップまで装備したパジャマ姿でわざとらしく船まで漕いでいた。
夜の話し合いの時と同じように欠けた円の形に机を並べて、その中央には久野絵が座っている。その両手はお腹の前で縛られており、マスクも外されて口にはタオルを噛まされていた。
えるの指示によって、久野絵は犯罪者のような扱いを受けていた。実際に暴力未遂を起こしているから間違いでは無いのかもしれないが、その場合はイヨも縛られるべきである。
しかし、イヨは涼しい顔で自席に立っていた。
「まずは、わたくしから皆様に正式に謝罪をさせていただきます。このような夜分に時間をいただいてしまい大変申し訳ありません。しかし、新たに女の子が見つかった以上、皆様に共有するのが筋かと思いまして、えるさんにお願いして緊急で会議を開かせていただきました」
それは持って回った言い回しであったが、イヨの意図するところは誰の目にも明らかだった。久野絵は女の子だからヘルメットを被せてしまおう、イヨはそう言っているのだ。
このままイヨに主導権を握らせるわけにはいかないと、小陽は手を挙げて議論の場へと身を投じた。
「ちょっと待って、イヨくん。それって久野絵くんのことを言っているんだよね? でも、久野絵くんはあくまで暴力を振るおうとしただけだよ。しかも、それは僕を守る為の行動だったんだ。イヨくんの安全の為に拘束するのは百歩譲ってわかるけど、それは女の子の証明にはならないと思う」
小陽の反論は予期していたのだろう。イヨは小陽に視線を向けるとクスリと笑い、隣のミコトが大袈裟に驚いていた。
「えぇっ!? クノエ先輩がコハル先輩を守ったって……もしかしてコハル先輩、誰かに襲われたんですか!?」
「う、うん……その……イヨくんに……」
「ええぇぇっ!? イヨくん!? 何やってるの!!??」
夜間であるにも関わらず大きな声と反応を返すミコト。声こそ挙げていなかったが、睦美も明らかに動揺した顔を見せていた。
しかし当人であるイヨには少しも動じた様子は無く、普段通り穏やかに話し始めた。
「それはコハルさんの誤解です。わたくしは眠っている間にクノエさんに襲われるのが怖くて、コハルさんに同衾をお願いいたしました。そして、コハルさんはそれを受け入れてくださったのです。コハルさん、ここまでは合っていますか?」
「う、うん……いっしょに寝るのを了承したのは間違い無いよ」
視界の隅に映る睦美が何やら剣呑な雰囲気を醸し出している気がしたが、小陽はひとまず無視した。
「同じ布団で夜を過ごすことに同意をいただき、コハルさんはわたくしを布団に招き入れてくださりました。しかしわたくしは少々神経質になっておりまして、コハルさんの些細な身じろぎについ過敏に反応してしまったのです。コハルさんに襲われると勘違いしてしまい、正当防衛のつもりでコハルさんを襲ってしまいました……大変申し訳ありませんでした」
「それは……嘘だよね。あの時のイヨくんは決して勘違いなんてしていなかった。久野絵くんに怯えていたのも嘘で、最初から僕を襲うつもりで部屋に来たんじゃないの?」
「そう思われてしまうのも無理はありません……。しかし、わたくしとしてはそんなつもりじゃ無かったと弁明することしかできず……本当にごめんなさい……」
しゅんと項垂れて見せるイヨ。当事者である小陽からすればイヨの嘘は明らかだったが、第三者の目線ではそうではない。話を聞いていた生徒たちはどちらを信じるか判断に迷っている様子だった……睦美だけは小陽を睨みつけていた。
「それなら、久野絵くんにも話を訊こう。久野絵くんはあの場に居たんだから、3人の発言を合わせれば何が正しいのかはっきりするよ」
「しかし、わたくしとクノエさんはあまり仲がよろしくありませんでした。わたくしを陥れるために、クノエさんがコハルさんの勘違いを利用する可能性も……いえ、臆病だったわたくしに非があるのは間違いありません。わたくしに止める権利などありませんでした……どうぞ、コハルさんのお好きなようにされてください」
イヨは徹底して己を弱者として見せていた。ここまで被害者振られては、久野絵の発言も十全には受け入れられないだろう。
「……えるはどう? えるはカメラとかで個室での出来事を把握してないの?」
「結論から言うと、えるには小陽くんと伊予くんのどちらの言い分も肯定できないよ。プライバシーを考えて皆の個室にはカメラもマイクも設置していないから、えるはスマホからしか周囲の情報を取得できないんだ。えるがわかるのは、小陽くんの部屋に伊予くんらしき人物が入ってきたこと。小陽くんと伊予くんらしき人物がひそひそ声で話していたこと。そして、久野絵くんがふたりの間に割り込んだこと。えるから証言できるのはこれだけなんだ、ごめんね」
えるに監視されている気分が嫌で、スマホをベッドから離していたのが裏目に出た結果だった。
この場で小陽とイヨのどちらが正しいかを結論付けることはできない。それでも、小陽にはやらなければならないことがあった。
「それなら、僕が襲われたという話は置いておこう。この際、僕の勘違いでもいい……でも、久野絵くんへの疑いだけは晴らしておきたいんだ。久野絵くんは勘違いしている僕を守る為にイヨくんを襲おうとしたんだ。悪いのは僕であって、久野絵くんの性別とは何も関係無い話だよ」
「いいえ、コハルさん。そこではありません……クノエさんは女の子だとわたくしが確信したのは、そこでは無いのです」
イヨは唇の前に人差し指を立てて小陽を黙らせると、えるへと話しかけた。
「ところで、えるさんに一つお聞きしたいことがあるのですが……先ほどの説明にて、小陽さんの部屋に入ってきたのはわたくしらしき人物だと仰っていましたが、断定はできないのですか?」
「うん、スマホから取得した情報だけでは、えるが断言できる基準には達していないよ。足音も微かだし、話し声も小さかったから」
「しかし、その後の説明ではえるさんは確かに断言をしておりました。わたくしとコハルさんの間に割り込んだのは、クノエさんであると……つまり、えるさんはクノエさんだと断定できるだけの情報を取得できていた……クノエさんの発言が正確に聞こえていたのではありませんか?」
「その通りだよ。久野絵くんは普通に話していたから、スマホでもちゃんと音声が拾えていたんだ。記録も残ってるから、皆が確認したければ聞かせてあげることもできるよ?」
にやりと、イヨの顔が歪んだ。イヨは被害者の面を放り投げて、勝ちを確信した上品な笑みを浮かべていた。
「是非ともお聞かせいただきましょう。皆様にも実際に聞いていただくのが早いでしょうから……クノエさんの、自身を女の子だと認める自白にも等しき発言を」
その発言には小陽も心当たりがあった。その時は気にしている余裕が無かったが、確かに久野絵の発言には違和感があった。
えるは一瞬で久野絵の服装に早着替えすると、過去の発言記録を再生し始めた。
『だから男ってのは嫌いなんだ』
『え――ひっ!?』
『こんな奴と同じ性別ってだけでも反吐が出る……ああ、そうだ。今更の挨拶だが、邪魔してるぞ朝比奈』
『その声……久野絵くん……?』
再生された音声は音質が悪く、決してクリアでは無かった。しかしノイズ程度では誤魔化せない程に、その言葉の意味するところは明瞭だった。
気持ちよさそうに深く息を吐いた後、イヨは顔だけは悲しそうにしながら語り始めた。
「お聞きの通りです。クノエさんは男性を嫌っており、その嫌悪対象には自分自身も含まれております。男の子である自分が嫌いという発言……小陽さんはどう思われますか? わたくしには、女の子になりたいと言っているように聞こえたのですが」
「っ……どうって……言われても……」
小陽には何も言えなかった。久野絵を追い詰めるような発言はしたくなく、庇うとしてもあからさまでは意味が無い。
あの状況で冷静に久野絵を追い詰める算段を整えていたイヨの方が、小陽よりもずっと上手だった。小陽が敗北を受け入れようとする中、意外な場所からイヨへの反論が飛んできたのだった。
「それは少し違うよ、伊予くん。人の自認する性別は男性と女性だけじゃなくて、無性というのもあるんだ。久野絵くんの性自認が男性では無いという発言だけで、女の子だって決めつけちゃダメなんだよ?」
それは思ってもみなかった異議だった。LGBTQに特化したAIであるえるは、至極真っ当な正論でイヨの主張を退けた。良い意味でも悪い意味でも、AIであるえるは公平だった。
さすがのイヨもえるからの反論は想定外だったらしく、唇を結んで黙りこくってしまった。ここを勝機と見た小陽はすかさず追い打ちをかけた。
「イヨくんの主張はそれでお終い? だったら、この話し合いはここでお開きだよ。もう時間も遅いし、いつまでも久野絵くんを縛ってるのも可哀想だから。今すぐに、結論を出して欲しい」
イヨの自信ありげな笑みから、二の矢があるとは思えなかった。だからこそ、急かせば時間切れに出来ると小陽は考えた。
イヨは諦めたように肩を落とすと、切なげに微笑んだ。
「仕方ありませんね……本当は明日まで温存しておきたかったのですが、それは難しいようです」
それは負けを認めた笑みではなく、切り札の温存を諦めた笑みだった。




