男の子同士だから、何も問題ありません
「っ……おっ、おやすみ、イヨくん」
「はい……おやすみなさい、コハルさん」
小陽は慌ててイヨとは反対の方向を向いて、逃げるように横になった。
ただいっしょのベッドで眠るだけ。小陽はそう考えていたが、実際に寝てみると心臓が煩い程に動揺してしまっていた。イヨの中性的な顔立ちと雰囲気なせいか、イケナイことをしているかのような気分だった。
小陽の身体は逃げるようにイヨから離れていき、気付けばベッドの端まで辿り着いていた。
「あの、コハルさん? そんなに端まで行かれては落ちてしまいます。どうかもっとこちらへ、わたくしの方へ身体をお寄せになってください」
「いっ、いやっ、僕は大丈夫だから! イヨくんは気にしないで!?」
上ずった声に、回らない呂律。小陽の声は自分でもわかる程に大丈夫では無かった。
「しかし、それでコハルさんが落ちてしまったら、わたくしの寝覚めが良くありません。気を遣ってくださるその優しさは嬉しく思いますが、どうかご自愛ください」
イヨを気遣う気持ちもあるが、小陽がベッドの端へ逃げている理由はそれだけではない。このままではおかしくなってしまいそうな、自分でも理解できない不安から逃げているのだ。
イヨの息遣いが聴こえるだけで、身じろぎの衣擦れが聴こえるだけで、背中越しに気配を感じるだけで、身体が勝手に反応してしまう。これ以上近づかれたら自分が自分で無くなってしまいそうで、小陽はうわ言のように大丈夫と口にしていた。
「コハルさん……ではせめて、こうさせてくださいね?」
「ひゃわぁっ!?」
横向きに寝ている小陽の腰に、冷たいものが触れた。イヨの右手が小陽の腰とベッドの間に滑り込んできたのだ。
イヨは抱き込むように小陽の腰に両腕を回していた。
「すみません、驚かせてしまいましたか? でも、こうすればコハルさんが落ちないように支えられますので。わたくしも普段は抱き枕を使用していて、この方が家に近くて落ち着くので……あっ、申し訳ありません。コハルさんを抱き枕扱いなんて、酷いですよね……でも、コハルさんさえ良ければこうさせていただきたくて……ダメでしょうか?」
「っ……だ、大丈夫だよ」
本音とは裏腹に、小陽はイヨの懇願を許容してしまっていた。腰に回された腕から伝わる微かな震えが、イヨの小さな背中を小陽に思い起こさせていた。
年上として、不安に怯える年下を励ましたい。そんな分不相応な虚勢によって、小陽は自ら逃げ道を閉ざしてしまった。
「ありがとうございます、コハルさん。そのお優しい心をわたくしなんかに分けてくださることが、とても嬉しいです」
イヨは腕を更に深く回して、胸を背中にピッタリと密着させた。薄い体育着越しに伝わる体温と心音が共鳴して、もはや自分の鼓動すら小陽にはわからなくなっていた。
「コハルさんの体、温かいですね……はぁ……まるでおこたで温もっているかのような心地です。でも、心臓の音が凄くて……どくん、どくん、どっくんって……ごめんなさい、きっとわたくしの音も煩いですよね。でも、どうしてもドキドキしてしまって……こんな風に誰かと眠るのは初めてなものですから……」
「し、仕方ないよ、僕も初めてだし。こんな状況じゃないと、こんなふうに誰かと寝たりしないだろうし……」
「……ムツミさんといっしょに寝たことは無いのですか?」
「小さい頃は同じ布団で寝たこともあるけど……さすがにこんなにくっついてはいなかったよ」
「ふふ、それでは……わたくしがコハルさんの初めての添い寝をいただいてしまいましたね?」
意味ありげに楽し気なイヨ。一方の小陽は首筋に当たるイヨの吐息が気になってそれどころではなかった。少しも膨らんではいないはずなのに、イヨの胸に柔らかさすら感じているような気さえした。
一番仲の良い睦美とだってこんなに接近したことはない。この先小陽に恋人ができたってこんなに密着するかはわからない。出会ってから三日しか経っていないイヨとの親密過ぎる距離は、小陽の背徳感をこれでもかと刺激していた。
「い、イヨくんは気にならない? 男の子同士でこうやってくっつくのって……それとも男の子同士だから気にならないのかな……?」
「っ……もっ、申し訳ありません。やはり、コハルさんもクノエさんと同じで……わたくしを気持ち悪いと思っていますか?」
「えっ!? ど、どうして急にそうなるの?」
「いえ……昔からこうなのです、わたくしは……。男の子相手だと、どうも距離感を間違えてしまうようで……わたくしのことが嫌でしたら、どうかはっきりと嫌だと口に出してはいただけないでしょうか?」
「そっ、そんなこと無いよ……い、嫌じゃないよ……」
イヨが本当に欲しがっている言葉を察しつつも、小陽に嘘は言えなかった。嫌では無いのは本当だが、くっつかれることを好ましいとも思っていない。それはイヨにも伝わってしまっていた。
「……ごめんなさい、やはり気を遣わせてしまっていますね、わたくしは。本当に、ごめんなさい……」
イヨは腕を引っ込めると、寝返りを打って小陽から離れた。そして小さく、控えめに、必死に隠すように嗚咽を漏らし始めた。
小陽はイヨのトラウマに触れてしまったのだろう。集められた生徒たち全員が抱えているであろう、自身の中の性にまつわる秘密。誰にも触れられたくないイヨの闇を、小陽は意図せずに傷つけてしまった。
(何やってるんだろう、僕……怯えてる年下の後輩が頼ってくれてるのに……)
落ち着いているせいで大人びて見えるが、イヨはまだ中学一年生であり、小学生とほとんど変わらない。背丈は小陽と大きくは変わらないが、その心はもっとずっと子供なのだ。
小陽はイヨの縮こまって震える姿を背中越しに見て、覚悟を決めてイヨの方へと寝返りを打った。
「ごめんね、イヨくん。僕、嘘は吐きたくなくて……でもだからこそ、イヨくんを嫌だと思っていないのは本当なんだ。イヨくんが怖いと思っているなら、イヨくんの為に何かしてあげたい……ただ、あんまりくっつくのは慣れてなくて。イヨくんが安心して眠れるように、僕にできることはある?」
「……その御心を向けていただけただけでも、わたくしの身には余る程の幸福です」
イヨがくるりと振り返って、ふたりは正面から向かい合った。暗闇の中、わずかに窓から差し込む光がイヨの表情を浮かび上がらせている。
長いまつ毛を重ね合わせて、浸るように目を瞑っているイヨ。やがて瞼を開くと、その瞳に少しだけ緊張した面持ちの小陽を映した。
「コハルさんは何もしていただかなくても大丈夫です。ただ、傍に近寄ることをお許しいただければ……よろしいですか?」
「う、うん……いいよ――っ?」
先ほど同じように背中にくっつくものだと思っていた小陽は、イヨの動きに虚をつかれてしまった。小陽が寝返りを打つよりも前に、イヨが懐へと潜り込んできたのだ。
「いっ、イヨくん……?」
「ああ、やはり……こちらの方が安心致します……小陽さんの匂いが感じられて……」
小陽の胸に額を擦りつけ、鼻先を埋めるイヨ。イヨは足まで絡ませんとばかりに小陽に接近しており、腰まで密着してしまいそうな近さだった。
「申し訳ありません……でも、もう少しだけこうさせてください……。もしかしたら、明日はわたくしの番なのではないかと思うと、不安でっ……」
「イヨくん……」
それは小陽にとっては否応なく共感できてしまう恐怖だった。男の子である小陽が女の子になるなんてことは、許されないしあってはならない。責任と使命感が大きい程に、不安という影もまた大きくなっていく。
気づけば小陽は目の前のイヨの頭を撫でていた。まるで自分自身の心を慰撫するかのように、大丈夫と囁いていた。
「コハルさん……っ、このようなお願い、してはいけないとわかっているのですっ。それでも、どうしても怖くて……もしもっ、もしも明日……わたくしがまたクノエさんから狙われて、そして負けてしまいそうになったら……わたくしを、庇ってはいただけないでしょうか?」
声の震えようがイヨの必死さを物語っていた。震える身体から懸命さが感じ取れた。
それでも、小陽は男の子だった。
「ごめんね、それだけはできない。僕は男の子だから、誰かの代わりに女の子にはなってあげられないんだ」
小陽は絶対に男の子でなければならない。その強い意志と決意を声に込めて、精一杯の優しさをイヨを撫でる手に乗せて、小陽は宣言した。
イヨは頭を撫でる小陽の手を取ると、顔を上げた……月明りに照らされたその顔は、笑っていた。まるで、泣きそうになるほどの不安なんて嘘だったかのように、イヨは嬉しそうに小陽に笑いかけていた。




