夜の個室に、ふたりだけ
個室のベッドの上で眠れぬ夜を過ごしていた桃莉は、扉が開く音が聴こえると瞬時に跳ね起きた。
「誰だっ!」
「あ、起きてた……驚かせちゃった?」
「その声、ジジか? ……俺に何の用だ?」
「トオリが落ち込んでるみたいだから、元気付けてあげてって言われたの。トオリ、元気無いの?」
「……誰が言ったのかは知らんが、余計な気遣いだ。少なくとも、ジジが気にすることじゃない」
「そう? んー……それじゃあ、お邪魔しました」
暗闇の中でもわかるくらいに深々とお辞儀をしてから退室するジジを、桃莉は引き留めた。引き留めずにはいられなかった。
「待て、ジジ……お前、俺を恨んでないのか?」
「……? トオリ、ジジに何かしたっけ?」
「何かって……お前を女の子にしただろう」
「うん、ジジは女の子……それが? ジジが女の子なことと、トオリは何か関係があるの?」
「お前……そうか。いや、何でもない……引き留めて悪かったな」
ジジから目を背けて布団を被る桃莉。しかしいつまで経っても退室の音が聴こえてこないどころか、ベッドへと近づいてくる足音が聴こえてきた。
「ジジ……? まだ何か用が――うぉっ?」
桃莉の眠るベッドの前までやってきたジジはそのまま歩みを止めず、ベッドに上がり込むと桃莉の上に跨った。
「トオリ、やっぱり元気無いね? ジジが元気付けてあげる」
「どけ、ジジ。俺はそんなこと望んでない」
無理矢理にでも押し退けようとした桃莉だったが、ジジは桃莉の腕をかいくぐってぺたんと上体を倒してしまった。寝間着の薄い体育着越しに、互いの心臓の音を交信させる体勢のまま、ジジは桃莉の耳元に口を寄せた。
「しーっ……夜だから、静かにしないとだよトオリ。ジジも、静かに歌うから……~♪」
ジジは歌い出した。静かに、必要最小限の空気だけを震わせて、桃莉だけが聴こえるように。
それは神様に捧げる讃美歌ではなく、信徒と共に祈る聖歌でもなく……ただ一人、桃莉だけに向けた愛の唄だった。
「……~♪ ……~♪」
その歌声は、ジジの未来を犠牲にしたものであって――
知らぬならまだしも、知ってしまったら賞賛などできるはずもない――それなのに――
――どうしようもない程に、ジジの歌声は桃莉の心に響いてしまっていた。
「……~♪ ……~♪」
心の底に溜まった重い泥が攪拌されて、洗い流されたように。桃莉の瞳からはぽろぽろと涙が流れ、枕が濡れる程に心は軽くなっていく。
個室が再び静寂に包まれるまで、ふたりは身体を重ねたままだった。
「……~♪♪ ……ごめんね、ジジの身体のせいで気を遣わせちゃって。でも、本当にジジは平気だから、トオリも気にしないでいいよ。こうやってトオリに歌ってあげられることが、ジジは何よりも嬉しいから」
にへへ、と照れた笑い声を零すジジ。そんなジジに対し、桃莉は否定を返した。
「違う……違うんだ、ジジ……俺は、お前に気を遣ってたんじゃない……俺はお前を気の毒になんて感じてない。ただ……ただ、俺は……お前が羨ましかったんだ」
それは、ずっと心の奥底に隠していた秘密……誰にも話すつもりも無かった心の闇を、桃莉は幼い天使様に告白した。




