自由時間3:仲直りと、仲違い
ふたりは睦美の個室の扉をノックをしてみたが、反応は無かった。
「睦美、此処にもいないんだ……。あちこち歩き回ってみたけど会えなかったし、どこに居るんだろう?」
「いやいや、ハルハル。まだ居留守してる可能性もあるっしょ? 鍵なんて無いんだし、入ってみよ?」
「さすがに勝手に入るのは良くないよ。そんなこと、僕がさせないからね?」
「きゅん……いつもは男らしさなんて欠片も無いハルハルが不意に見せる男の子な部分……そうやってムッツリンも誑し込んだの?」
「菜々緒くんて、どうしても僕と睦美をそういう仲にしたいの?」
「だって、女の子は恋バナ大好きだし? 勝手に部屋に入るのがダメなら、隣から様子を窺ってみようよ。えっと、ムッツリンの隣は……? アタシとジっちゃんが隣でしょ? イヨラーとミコン、確かクノンパイセンがヤーちゃんパイセンとで……あれ? ハルハルかトーパイセン?」
「僕だよ。睦美の隣は僕だ」
「ってことはトーパイセンが一人なんだ。ちょびっとうらやまー、ってのは置いといて。それじゃあハルハルの部屋にレッツゴー!」
「ちょっと、僕は許可してないんだけど!?」
菜々緒は小陽の手を引っ張ると、強引に小陽の部屋へと入ってしまった。そして扉を閉めるや否や、部屋を仕切るパーテーションに耳を当て始めた。
「んー……さすがに何も聴こえないなー……。ムッツリンが何かしてたら物音の一つくらい聴こえるかもと思ったんだけど、当てが外れたみたい」
「もう、菜々緒くんってば趣味が悪いよ、そういうの。そもそも、居留守なんてしてなくて部屋にいないのかもしれないよ?」
「それならそれで好都合じゃん? アタシとハルハル、ふたりっきりになれたんだし?」
「……? さっきからずっとふたりっきりだったでしょ?」
「ノン、ノン、ノンノン。わかってないなぁ、ハルハル。此処は今誰の目も届かない、声も誰にも聴こえ……防音は大したことないか。とにかく、個室の中でふたりきりなんだよ?」
「っ!?」
小陽の脳裏に過るのは、つい先ほどの出来事……小陽をえるの敵対者と認識して追い詰めた菜々緒の姿。先ほどは通りがかった久野絵によって事無きを得たが、此処ではそんな偶然は万に一つもありえない。
小陽が身構えるよりも早く、菜々緒は小陽の左手に右手を絡ませてベッドへと押し倒してきた。
「え? あ、あれ……? 菜々緒くん……何をする気?」
菜々緒の行動は小陽の想像よりもずっと友好的だった。その瞳は人間らしく感情に富んで潤んでいて、むしろ親密過ぎる程だった。
「ハルハルってば、ムッツリンばっかり気にしてるじゃない? だからちょっと妬いちゃった、みたいな? 女の子とふたりきりなのに、別の女の子を気に掛けるその罪の重さたるや……ハル君の身体にダイレクトに教えてあげちゃおう、かな?」
「ちょっ、ちょっとまっ――?」
抵抗しようとする小陽の唇に人差し指を立てて、菜々緒は意地の悪い笑顔を浮かべていた。そしてふたりきりの秘め事どころか、アピールせんとばかりに隣の部屋に向けて声を出し始めた。
「やっぱり、ハル君も溜まってるのかな? かな? こんな所に閉じ込められてるんだもん、ボクは仕方無いかなって思うかな? うん、いいよ……ボクのも触って欲しいかな……んっ。あはっ、ハル君ってば……ちょっと大胆過ぎる、かなかな?」
誇張され過ぎた睦美のモノマネをしながら、上ずった声をあげる菜々緒。それは声だけの芝居ではあったが、効果は覿面だったらしい。パーテンションの向こうから、どたばたとした物音がし始めた。
菜々緒の予想通り睦美は居留守をしていたようで、隣の部屋の扉が開く音が響いたかと思えば、廊下をだんだんと踏み鳴らす足音が聴こえてきて、やがて小陽の部屋の扉が――
「っ!? あっ、あれ!? 何で!?」
――開かなかった。小陽も気づかぬ内に、菜々緒は引き戸にほうきでつっかえ棒をして開かないようにしていた。
「菜々緒! 菜々緒!? 開けて欲しいかなって!?」
「あはは、なんか外がうるさいかな? かなかな? でも安心して欲しいかな、ハル君。外からどんな邪魔をされたって、ちゃんと最後までして、スッキリさせてあげるかなかなって? かーなかなかな、かなかなかなかな」
「そのふざけたモノマネを今すぐ止めて欲しいかな!? 全然似てないかなって!!」
どんどんと扉を叩き始める睦美。その音は手で叩くだけではなく足で蹴っているどころか、体当たりまでしていそうな激しさだった。
ほうきを引っかけただけの密室はあえなく破られ、扉が開くとそこには、肩で息をして髪もぼさぼさの睦美が立っていた。
「ぷふっ、ムッツリンってばちょっと必死過ぎ……かな?」
「うん……それが菜々緒の最期の言葉なのかな?」
冗談めかして笑う菜々緒と、殺人さえ厭わなそうな据わった目をしている睦美。このままでは流血沙汰が起きかねない。小陽は菜々緒へと一直線に迫る睦美の前に立ち塞がった。
「っ……ハル君……っ。そう、だよね……ハル君にとっては、菜々緒の方が……っ、ごめん、ボクはお邪魔だったかな……。ほんとに、ごめんなさい……っ」
睦美と相対した小陽の肌に突き刺さるのは、菜々緒への怒りも一瞬で隠れてしまう程の、小陽への重い想い。
逃げ出そうとする睦美の手を、小陽は離さないようにしっかりと握りしめた。お互いの汗ばんだ手は握っていて気持ちの良いものでは無かったが、それでも強く力を込めた。
「待って、睦美! 僕は睦美を気持ち悪いなんて思ってないから……男の子とか、女の子とか関係無いよ。こんなっ……こんな僕なんかとずっと変わらず仲良くしてくれた睦美だもん。僕は、これからも仲良くして欲しいと思ってる……睦美はどう?」
もしかしたら、今の睦美は小陽の知っている睦美ではなくなっているのかもしれない……だからこそ、小陽は何があっても変わらない思いをぶつけた。
何があろうと、睦美がこれまでに小陽にくれたものは変わらない。睦美が小陽と過ごしてくれた時間は誰にも否定できず、覆ることも無い。それは睦美にとっても同じはずだと小陽は信じた。
逡巡、惑い、怯え。揺れる瞳は睦美の感情をありありと伝え、だからこそ小陽は安心できた……その瞳に映る小陽の姿が、一瞬たりとも途絶えなかったから。
「……ボクも、かな。ありがとう、ハル君……ボク、ちょっと混乱しちゃってたみたいかな。ハル君がボクを見る目は性別なんかで変わらないって、わかってたのに……もしかしたらって、怖くなっちゃった。あはは、こんなんじゃボクがえるに怒られちゃうかな?」
それは遠慮に満ちた誤魔化し笑いなどではなく、昔からの友達に向ける安らぎに満ちた笑みだった。
照れくささを感じながらも小陽は睦美を見つめ、睦美も恥ずかしそうに照れながらも見つめ返す。そこに仲間に入れろと言わんばかりに菜々緒が乱入してきた。
「まったく、二人とも世話が焼けるよねー。でもこれにて、主にアタシのおかげで一件落着。お礼にはデパコスを買って欲しいなー?」
「菜々緒には別に感謝して無いし、むしろ許せないかな? ボクの下手なモノマネを散々してくれたことと、ハル君を襲おうとして怖がらせたこと……きちんと責任は取って欲しいかな?」
「えー? でも、モノマネはそっくりだったし、ハルハルも怖がって無かったしー……むしろハル君の方が乗り気で、ボクも困っちゃったかな? かな?」
「……ハル君?」
「えぇっ!? 僕に矛先が向くの!? 睦美、さっきの信頼を思い出して欲しい……かなかな?」
「っ!?!?」
小陽にまでからかわれるとは思ってもいなかったのだろう。睦美の顔は今までに見たことも無い程に動揺しており、小陽は思わず吹き出してしまった。
「は、ハル君? そ、それは流石に嘘……嘘だよね? 菜々緒なんかに靡いてないよね? ねえ、ハル君?」
「現実を見なって、ムッツリン。ムッツリンが部屋に一人で閉じ籠ってる間に、ハルハルはアタシが堕としちゃったよ……それっ、にっげろー!」
菜々緒は小陽の手を取って走り出し、睦美もそれを追って走り出した。バタバタとかける三人分の足音と、ケラケラと楽しそうな三人分の笑い声が廊下に響く。
少しだけ賑やかで、ただ楽しいだけの空っぽなやり取り。何の意味も無いからこそ愛おしくて仕方のない3人の時間は……荒々しい物音と怒声によって引き裂かれた。
「ふざけるんじゃねえ!!」
突然の大声によってびくりと硬直する三人。声の方へと顔を向けると、そこには音楽室があった。
「お、音楽室ってことは、ジっちゃんとトーパイセン?」
「さっ、さっきの声って多分、桃莉さんだったかな? 何かあったのかな……?」
扉の向こうから伝わる剣呑な雰囲気に、睦美と菜々緒は声を震わせて怯えていた。
「あ、開けてみよう……」
小陽も怖い気持ちはあったが、聞いてしまった以上は無視もできない。睦美と菜々緒を背にして恐る恐る扉を開くと、机と椅子が散乱した中心で、ジジの胸倉を掴んでいる桃莉の姿が目に入った。
桃莉の顔は見るからに激昂しており、今にもジジを殴りかねない迫力があった。
「と、とと、桃莉くん? な、何してるの?」
小陽が声をかけると桃莉の目がギロリと小陽の方へと向き、反射的に3人は身を寄せ合った。
「お前らか……別に何でもねえ。向こう行ってろ」
「で、でも……そういうわけにも……」
ここで小陽たちが退室したらそのまま暴力沙汰になるのではないか。しかし此処に留まったところでそれを防げる自信も無い。
何をすることも出来ず立ち尽くしていると、音楽室のディスプレイが起動し、場違いに明るい声が響き始めた。
「ぴぴーっ! ぴぴぴーっ! 桃莉くん、めっ! 何があっても暴力だけはダメなんだからね! 今すぐに時々くんを離さないと、強硬手段を取っちゃうんだから!」
表示されたのは防弾チョッキに身を包んだえるだった。
えるは強硬手段を取ると言っているが、桃莉を直接止める手段などAIは持ち合わせてはいないのではないか。そんな小陽の不安を更に煽るように、睦美と菜々緒が前に進み出た。
ふたりの足はガクガクと震えており、見るからに勇気合っての行動ではない。ふたりがえるの意思に沿わされているだけなのは明白だった。
「……そんなビビるなよ。別にお前らを殴ったりしない……ジジもな。ちょっと頭に血が上っただけだ……」
ふたりの怯え様が逆に功を奏したらしい。いつもの冷めた表情に戻った桃莉はジジから手を離し、尻もちをつくジジには目もくれず音楽室から立ち去った。
「じっ、ジジくん、大丈夫?」
「うん、大丈夫……助けてくれてありがとう」
今でも動悸が収まらない小陽とは対照的に、ジジ本人には少しも動揺した様子は無かった。何事も無かったかのように、落ち着いてローブと短パンの汚れを落としていた。
「ジっちゃん、何があったの? トーパイセンと喧嘩?」
「けんか……多分、違う? ジジのことを話してたら、トオリが突然怒っちゃった」
「な、何を話してたのかな? ただ話してただけで、桃莉さんがあんなに怒るとは思えないかな?」
「んー……多分、皆には話さない方がいいのかも? トオリがあんなに怒るんだし、秘密にしてた方が良かったのかもって……皆はどう思う?」
「ど、どうって……僕たちに聞かれても……」
何も言えず顔を見合わせる三人。その沈黙を肯定と受け取ったのか、ジジはいつもと変わらない調子で話し始めた。
「それじゃあ、ジジのお話はこれでお終い。皆はまたジジの歌が聴きたい? また皆で歌う?」
「いや、もうすぐ自由時間が終わっちゃうから……ジジくんの歌は、また今度聞かせて欲しいな……」
「そっか……うん、それじゃあまたね?」
少しだけ残念そうにしながら音楽室を出て行くジジ。結局何もわからないまま、3人は散らかった音楽室に取り残されてしまった。
「……え? もしかして、この散らかった音楽室ってアタシらが片づけんの?」
「まあ、三人でやればすぐに終わるかな……」




