また明日
「ちっ、違うよ、睦美は男の子だよ。自分でもそう言ってたでしょ? セーラー服を着るのだって恥ずかしがってたじゃないか。睦美はただ、皆の為に女の子の振りをしただけだよ!」
「うん、ボクも自分を男の子だと思い込んでたけど、違ったみたいかな? ほら、えるも言ってたかなって……本人に女の子の自覚が無いこともあるって。ボクはそのパターンだったみたい。素直になってみたら、気付いちゃったんだ」
スカートを揺らしながら、照れくさそうに睦美は笑った。その少女のような仕草が、微笑みが、小陽の心をどんどんと追い詰めていく。
「そんなっ……そんなのおかしいよ! きっと、さっきのヘルメットのせいだ! 睦美は変な動画を見せられて、そのせいで混乱してるだけなんだよ! 落ち着いて、睦美……もっと良く思い出してみてよ! 睦美は昔からっ……今だって、ずっと男の子なんだよ?」
「……そうだよね、ごめんねハル君。ずっと男の子だったくせに、いきなり女の子になりましたなんて……気持ち悪いよね」
「っ!? ちっ、ちがっ、僕はそんなことを言いたいんじゃなくてっ――」
「でも、これが本当の僕なんだ……。だから……これからも仲良くして欲しいなんて言えないけど……軽蔑はしないでくれると嬉しいかなって……」
目じりに涙を浮かべながら、睦美は苦しそうに微笑んだ。恰好も相俟って、その儚げな表情は本当に女の子のようだった。
小陽と睦美のやり取りを見ていた生徒たちは、それが悪ふざけやお芝居の類では無いことをとっくに理解していた。ある者は青ざめ、ある者は狼狽え、ある者は憐れみ、そして全員の視線が自然と睦美の持つヘルメットへと集まった。
「くそっ……こいつのせいで!!」
久野絵は睦美の手から強引にヘルメットをひったくると、頭上に掲げて振り被った。
久野絵は床に叩きつけるつもりだったのだろうが、それは弥生によって阻止された。
「止めるんじゃねえ、如月! てめえだってわかってるだろうが! こいつのせいで、北条はおかしくなっちまったんだ!! こんな物、ぶっ壊すしかねえだろ!」
「落ち着いてください、織田君。それが原因であることは私も認めます。しかしだからこそ、それは北条君を戻す鍵でもあるはずです。壊してしまっては、それこそ取り返しがつかないかもしれません」
「っ……くそがっ!!」
弥生はヘルメットを久野絵の手から取り上げた。そして真っ暗なディスプレイに視線を向けると、えるに向かって呼びかけた。
すると――
「はーい、お待たせしました! LGBTQ Support AI、略してLSAIことえるだよ! 弥生くん、呼んだかな?」
――何事も無かったかのように、元気よくえるが飛び出してきた。睦美とお揃いのつもりなのか、その装いはセーラー服に変わっていた。
「北条君の身に起きたことを説明してください。貴方は彼にいったい何をしたのですか?」
「んーと、正確に言うとえるは何にもしてないんだよ? えるはただ、睦美くんが素直になれるようにお手伝いしてあげただけだから。弥生くんが持っているそれは、そういう動画を流す為の機器なんだよ」
えるの言葉を文字通りに受け取った者は居なかった。ただ素直になっただけで性自認がひっくり返るはずが無い。
あのヘルメットから流れるのは、視聴者を洗脳して女の子にする動画である。少なくとも小陽はそう受け取っていた。
「では、北条君を元に戻すような動画を流すことは可能ですか?」
「可不可だけで答えるなら可能だよ。でもね、えるの理念に反するからそれはできないんだ。えるは全ての人が素直になれるように支援するAIだからね! その逆は許されていないんだ」
「その答えだけで十分です。この狭い合宿所から出れば、えるに頼る必要も無いのですから。専門医からのカウンセリングを受ければ、早ければ明日にでも北条君は元に戻っていそうですね」
そう言って、弥生は小陽に向けて優しく微笑んだ。小陽を気遣ってくれているらしい。
しかし、弥生の言葉は即座にえるによって拒否されてしまった。
「だめだめ! だめでーす! 睦美くんがお医者さんにかかるのは止めないけど、少なくとも明日はダメだよ! まだ皆は此処から出ちゃダメなんだから、それを忘れちゃ嫌だよ!」
えるの言っていることが小陽には理解できなかった。それは小陽以外の生徒たちも同様らしく、真っ先に噛みついたのはやはり久野絵だった。
「おい、どういうことだ? てめえの捜してた女の子は見つかっただろうが。もうオレたちを此処に拘束する理由はねえんじゃねえのか?」
「確かに、一人の悩める女の子を見つけられたのは喜ばしいことだよね。でもだからこそ、まだ悩んでいる子が居るかもしれないのに放っておくなんてダメだよ。皆も、一人見つけたからお終いなんて考えないで、寄り添ってあげて欲しいな!」
その瞬間、小陽の肌が粟立った。背骨に直接氷を当てられたかのように悪寒が走った。
小陽の胸を一瞬で埋め尽くした疑問は、逃げ場所を求めるかのように唇から勝手に漏れ出していた。
「一人じゃ、ないの……?」
「どうして一人だけなの? 此処に居る皆は女の子である確率が90%を超えているんだよ? それなのに、女の子は一人だけって決めつけるのはおかしいと思うよ!」
えるの笑顔に意地悪や悪意は無かった。それはただ純粋に、己の演算を信じ切っている笑みだった。
「うそ……嘘だよ、そんなの……だってっ、だってそれじゃあ――」
(――睦美は、何の為に……?)
ざわめき喧騒に包まれる教室。各々の口から漏れる言葉はバラバラだったが、そのどれもが絶望に染まっていることは確かだった。これからまた、睦美のように洗脳される人物が出てくるのだ。それがもしかしたら、自分かもしれないのだ。
皆が少なからず動揺している中で、弥生は比較的冷静だった。
「それなら、えるは何人の女の子を見つければ満足するんですか? まさか私たちの全員が女の子だと認めるまで、なんて言わないですよね?」
「んー、そうだなぁ……皆に対して90%の判定を出しているえるとしては、全員が女の子でもおかしくないと考えてるんだけどなぁ。これは人の心の話だから、単純な確率で論ずるわけにもいかないし……榎戸先生はどう考えますか?」
えるの視線と共に、生徒たちの視線も榎戸へと注がれる。榎戸はやはりスマホを覗いたまま、小陽たちを一瞥することも無く告げた。
「一人やな。こん中で男は一人だけや」
その数に何の根拠があるのか。しかし、この状況でそれを指摘したところで意味が無いことを小陽たちは既に理解させられていた。
この合宿所においては榎戸とえるがルールであり、生徒たちは決して逆らえない。
「りょーかーい! それじゃあ、男の子が一人になるまで続けようね、みんな!」
ルールの追加はあまりにも呆気なく、あまりにも無慈悲に遂行された。えるは理解できていないのだろう。そのルールが、どれほど絶望的なのかを。
男の子が一人だけということは、あのヘルメットを拒絶できるのは一人だけなのだ。
『…………』
探り合うような、恐れるような、敵意さえ錯覚してしまうような陰湿な空気が頬に纏わりつく。皆で楽しく音楽を奏でていたのなんて、遥か昔のことのようだった。
これは疑わしきを探し出す人狼ゲームではなかった。生き残る為には他者を蹴落とさなければならない、バトルロワイアルゲームだ。
(でも、僕は……僕だけは、男の子なんだ……!)
男の子で在る為には、残りの全員を女の子にしなければならない。それが、僕たちに課せられたルールだ。




