ホルモンバランスを整える
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「ということで、会社の上司と遊びに行くことになってしまって」
週末、家に遊びに来てくれた千尋に亘理さんのことを話した。
なかばごり押しで遊びに行くことが決定し、わたしは頭を悩ませている。
「いいじゃん! 年下イケメン上司の何が不安なの?」
イケメンだとは言っていないけど、千尋の頭の中では仕事のできる年下イケメン上司という妄想が広がっているらしい。まぁ、イケメンかイケメンでないかといえば……イケメンかな。亘理さんの、「スポーツやってましたので爽やかです!」という主張強めの顔を思い浮かべる。
「亘理さんに、余生を謳歌していることは言ってないの。そうなると、ちょっと話がかみ合わないことがあって」
「あー、まぁね。でも、言わない方がいいよ。病気でもなんでもないのに何言ってんのって思われるし」
「だよね。あとは、会社の人にあんまり心を開きたくないんだ。せっかく正社員としていい会社に入ったのにムダに気まずくなりたくないし。うわべだけの付き合いで、波風立てずに仕事したい」
「それはわかる。聞いている限り、かなり良い会社っぽいし。というか、おもしろい人多すぎ」
「社長と亘理さん以外は、いたって普通の人だから……」
千尋は、今日も麦茶を飲んでいた。
妊娠結婚移住を発表してから、千尋からの連絡の頻度が増えた。あいかわらず仕事は続けているみたいだから、ヒマではなさそうだけど。
「けど、社長さんの言う通り、やっぱ普通に生きてると飽きるから。変化があるのはいいことだとは思うよ」
「千尋も、人生に飽きてきたから結婚することにしたの?」
まぁねぇ、と照れくさそうに千尋は笑う。
「自由気ままな人生をあと何十年もやるかと思ったら、無理かなって。平均寿命まで生きるとしたら、あと50年もあるし」
それを聞くと、わたしも怖くなる。残り12年のつもりで生きたらいいのか、50年のつもりで生きたらいいのか。お金のことも家族のことも友だちのことも、ぜんぜん違う人生設計になる。
「人生って先が見えなさ過ぎて怖い」
50年も生きるとなると、古いこの家はもたないのでは……。さらなるリフォームが必要になるかもしれないから、お金がもっと必要になる。いや、一人で生活できるほど元気な気がしない。てことは老人ホーム的なところに入るべきか……。
何にせよ、お金! お金が大事!
「だからこそ、おもしろいんじゃない? わかりきってたら飽きるよ」
基本、千尋はポジティブなんだよね。一方のわたしはネガティブ。2人の似ている部分は、やりたいことのためなら頑張れるところかな。
「で、で? 年下イケメン上司とどこ行くの?」
「うーん、決めてない。『女性ひとりでは行きにくいけど行ってみたいところ、ないすか? お供します! 車も出します!』って言ってくれてるけど、特に思い浮かばないし」
「キャンプとか? 女性ひとりだと危ないし、車の免許がないと行きにくいし」
「なるほど……」
アウトドアの趣味がないから、発想すらなかった。だれかと話すことで、アイデアって沸いてくるもんなんだな。人間が1人で生きるには限界がある……ってことか。
「えーなんかさ、その亘理さんて人、夏芽のこと好きなんじゃないのー?」
「そんなわけ。わたしみたいなのがタイプな人なんてこの世にいないよ」
わたしの自虐に、千尋が眉をひそめる。
「そういうこと言わない」
千尋はいつだって、正しくてまっすぐだ。その正しくまっすぐなところが好きだったけど、今は素直に受け取りにくい気分。
うつむいて、麦茶を口に運んだ。コーヒー、飲みたいな。
わたしの好みではないにしろ、亘理さんは良い大学を出ているし、給料もそれなりにあるし、なにより見た目は結構良い方だし。
だからこそ、わたしを選ぶランクの人には思えない。
短い時間ではあるけれど、婚活をした上での経験でそう思う。婚活中にわたしを好いてくれた人は、年上なのにわたしより収入が少ない・見た目がよくない・親の介護要員として迎えたいとはっきり言う・50代なのに30代女性はおばさんだと言うような人ばかりだった。
あの婚活を経験して、わたしは自分の価値が思ったより低いことを確認してしまった。婚活さえしなければ気が付かなかったのに。
だから、同性の友だち候補である大坪さんにも、積極的に声をかけられない。劣等感が、わたしの行く先を阻む。
子どもの頃は、こんなんじゃなかった。親に可愛い可愛いって育てられて、すくすくと成長したはずなのに。
いつからこんな風にこじらせてしまったんだろう?
就活でいい企業に入れずブラック企業に入ってしまったこと?
その会社をやめて派遣社員で食いつないだこと?
婚活?
……思っていた人生と違う、わたしのレベルは思うより低いって突きつけられ続けたこれらの出来事。少しずつ、自信は削られていった。
「夏芽さ、婚活してたときのことを思い出しているのかもしれないけど」
千尋の声で我に返る。
「……バレてた」
それだけじゃないけど。千尋みたいに、大学を出ていい企業に入って今も高給取りの人には、想像も及ばない悩み
なのだろうと思うと、口にする気力もわかなかった。
「婚活で1、2回あった人からの評価なんて気にしない方がいいよ。夏芽の良さは私がよく知っているから、そんな風に思わないで」
まっすぐな千尋の言葉にたじろぐ。高校時代の千尋の瑞々しい気持ちを感じた。
さっきまで、素直に受け取りにくいなんて言っていたけれど、ダイレクトに染みわたる誉め言葉に思わず顔が赤くなる。
「あ、ありがとう……」
「恋愛かどうかはさておき、年下イケメン上司さんとほどほどに仲良くなるくらいいいじゃない。それ以上パーソナルな部分を開示するかは、またそのときに考えれば」
千尋の言う通りだ。そんな先のことなんて考えても仕方ないし、友だちになったからといって自分の心をすべてあけすけにしなくてもいいなんて、考えなくてもわかること。
ついつい何事も大げさに捉えてしまうのはわたしの悪い癖かもしれない。自虐じゃなくて自省しよう。
「わたしの話はいいとして、千尋はどうやって彼氏と出会ったの?」
報告を受けたときは、ショックすぎて詳細を聞けなかった。少し落ち着いた今なら、聞ける気がする。わたしの話を終わらせるためにも、強引に話の主役を千尋にしてしまおう。
「結婚相談所だよ」
なんのことはないという表情で言った。
「おお……そうなんだ」
会社の上司とかかな、って思っていたからびっくりした。千尋みたいな美人で高収入の女性も結婚相談所を利用するというのに、わたしがマッチングアプリをちょっとやって諦めてしまったことがちょっと情けない。
千尋はちょっと恥ずかしそうにほほ笑む。千尋も、こんな風に柔らかく笑うんだ。
「性格が合って収入が良い人なら誰でもいいと思って、何人かお見合いした中に彼がいて。エリートだけど若い時から国内外の転勤があって、相手がなかなか見つからなかったみたい。でも、私には好都合で。いいチャンスかなって」
それで、今の仕事を辞めてまでだいぶ年上の人と……。見た目はイケオジなのかな。下世話な話だけど、気になる。
「話は合うの?」
千尋はうんとうなずいた。
「基本穏やかで、自分の話はしないのがいい。夏芽も経験したと思うけど、婚活で出会う人って自分の話ばっかりしたりデリカシーないイジりしたりする人多いじゃない? そういうのがない」
「あーーーーそういう人しか会わなかったなぁ……」
会って早々「こういう仕事してて~こういうイヤな同僚がいて~趣味はコレで~」とまくしたてて話す人は確かにいた。自己開示したい欲求に引いた思い出がある。
「恋人みたいな関係ではなく、とにかく家族としてチームになれる人って感じかな」
「そっか」
現実を見ているんだ、千尋は。
それに比べて、わたしは夢ばかり見ている気がする。
「あ、また比べて落ち込んでる?」
千尋が、からかうような顔つきでわたしを見つめる。笑ってはいるけど、ちょっとイラっともしているような表情。
「いやいやいや、比べてない! わたしにはわたしの城があるからね!」
千尋は、よろしいと言わんばかりに笑顔になる。
「そういうこと。お互いなにを重要視しているかが違うだけ。だってさ、夏芽は結婚相談所に100万払うよりも家の購入資金に充てたいでしょ?」
「ひゃくまん!?」
思ってもない金額に、声が裏返る。
結婚相談所ってそんなにするの……?
「ハイスペと出会えるのがウリのところなの。えーと、入会金、月会費、お見合い費、成婚退会費、プロフィール作成に写真撮影、洋服の購入費でだいたい100万円弱使ったよ。安い結婚相談所ならトータル50万もあれば余裕じゃないかな。それより安いところだとマッチングアプリと大して変わらないとも聞くから、何とも言えないけど」
いくら相手がハイスペであっても、結婚相手探しに50万円や100万円を払う気は、わたしにはない。つまり、そこまでして結婚相手が欲しくないんだなってあらためて実感した。
家の購入とリフォーム代はもっと高額だったけど、迷わず住宅ローンを組んだ。やっぱりわたしは自分の家を買う、という夢を選ぶべくして選んだんだなとホッとする。
「他所は他所、ウチはウチ!」と口癖のように言っていたお母さんを思い出す。ほんとそれ。千尋に対しての嫉妬がやわらいでいく。聞いてみて良かった。
「だからさ、夏芽から年下イケメン上司の話を聞いてときめいて、ホルモンバランス整えようかと思って。もう私は、純粋に誰かに恋することはなさそうだし」
ホルモンバランスが整うか医学的は話はさておき……純粋な恋をせず結婚。それが、38歳という年齢の人間に残された結婚へのルートにおける最終停車駅な気がした。でも、わたしにできる気がしない。
言いたいことをぐっと我慢し、わたしは調子のよい言葉で千尋にツッコミを入れる。
「ホルモンバランスって」
わたしたちは、昔のようにくすくす笑う。
やっぱり、千尋と一緒に余生を謳歌したかった。こんなにいい人、きっと現れない。




