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絶望したので、38歳で余生を謳歌することにします。   作者: 武田花梨
第六章 絶望から希望へ……

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あと12年じゃ死ねない

 女性の絶叫で目が覚めた。何事かと身体を起こそうとするものの、真っ暗で何も見えないし、頭もほわほわする。


「酔わせて家に連れ込んで襲うなんて最低じゃない!」


 まだ、女性の大きな声。あ、千尋の声か。また怒ってる。


「違います! 酔いつぶれた夏芽さんを自宅にお送りしただけで……」


 慌てふためく亘理さんの声。わたしの手には、家のカギが握られていた。自分で開けたらしい。


「言い訳するな!」


 違う、違うの千尋。この人は本当に違うの。

 アルコールに漬かった身体を起こし、手探りで照明のリモコンを手に取ってスイッチを押す。

 ぱっと明るくなったわたしの家のリビング。ソファの上で、ちゃんと服を着ているわたし。もちろん亘理さんも。リュックすら降ろしていないし、手にわたしのバッグを持ったままの状態だ。

 そして、リビングの入り口には千尋がいた。怒りに顔が震えている。


「夏芽! 無事!?」


「落ち着いて千尋、違うの」


「けがはない? ひどいことされてない?」


 全然、聞いてくれない。ひどいパニック状態だ。


「聞いて千尋。わたしが酔いつぶれて、同僚の亘理さんに送ってもらっただけ……ですよね?」


 亘理さんが、必死に頷く。

 定食屋で飲み潰れるという、なかなかない光景がよみがえる。

 ……よくない飲み方をしてしまった。


「え……ほんとに? 遠くから、夏芽が引きずられるように家に連れ込まれているのが見えて……」


「夏芽さん、5杯もハイボール飲んじゃって」


「5杯!? たいして飲めないのになにしてんの夏芽!」


「いやぁ、かたじけない」


 武士みたいな言葉遣いになってしまった。

 それにしても喉が渇く。わたしはのろのろとソファから立ち上がろうとすると、亘理さんと千尋に静止される。


「お水が欲しいなら私がもってくる」


 千尋がコップに水を注いで戻ってきた。ごくごくと飲み干して、ようやく人心地が着いた。


「えっと……亘理さん、でしたっけ。私の勘違い、ってことでしょうか」


 立ったまま、千尋はバツが悪そうに言う。


「めちゃくちゃ勘違いです」


 亘理さんが言うと、千尋は一度天をあおいでから「申し訳ございません」と頭を下げた。


「いえいえ……」


 亘理さんは、わたしに向かってニッと笑いかける。「仲直りのチャンスですよ」と言っているのかもしれない。


「じゃ、俺はここで」


「ありがとうございました。ご迷惑をおかけしてすみません。おごるって言ったのに……」


「お金、ちゃんと夏芽さんが出してくださったんで問題なしです。ごちそうさまでした!」


 いつものように明るい様子のまま、亘理さんは帰っていった。

 わたしが払ったって、さすがにウソだろうと財布を見てみると……ちゃんとお札は減っていたしレシートも入っていた。我ながら真面目過ぎる。

 リビングに、わたしと千尋が残された。


「えっと、千尋も座ったら……」


 ソファの隣をぽんぽんと叩くと、千尋はうんと頷いて席に着いた。


「うわ、酒くさ」


「ごめん」


 無言の時間が続く。

 そういえば、千尋は何しにウチに来たんだろう。なんにせよ、勘違いでもわたしの危機を救おうとしてくれた姿を思い出す。あんな必死の形相の千尋は見たことがない。鬼のような顔をしてわたしの心配をしてくれた。

 わたしをのこと、大切だと思ってくれているってことだよね。


「えっと……千尋は元気?」


「うん、変わりなく」


「よかった」


 お互い顔を合わせないまま、ぽつぽつと話す。


「あのね。さっきの人が、千尋が言うところのイケメン年下上司の亘理さん」


「そうだったんだ……気まずくなったらごめん」


「たぶん、大丈夫だと思う。それと、椎葉さんとは友だちになって、大坪さんにはマルチ商法に誘われた」


「は? マルチ?」


 ソファに座り、ことのあらましを話す。だんだんと酔いも冷め、頭はすっきりしていった。

 状況を聞いた千尋は、ふぅん、とため息のような相槌を打って頷いた。


「なんか……夏芽らしいっていうかなんというか」


 苦々しい顔をして、千尋が呟く。


「それとね、亘理さんにも謝った。愚かな人間で申し訳ないって」


「いや、言い方」


 ふふっと千尋が笑う。それだけで安心した。


「夏芽も、いろいろ大変だったね」


 あきれたような笑い顔を見せてくれた。いつもの千尋の笑顔。いつもと変わらないシャンプーの匂い。


「あのね千尋。わたし、千尋を怒らせてしまったことを謝りたくて。でもなんであそこまで千尋が怒ったかわからなくて、謝れないでいたの」


「その件で、私も謝りたくて」


 千尋はバッグから、何冊か本を取り出した。


『認知症の親との付き合い方』

『年を取った親の取扱説明書』

『高齢者施設の選び方』


 かわいらしいイラストの表紙だけど、タイトルが衝撃的だった。


「これって……」


「お母さん、ちょっと前から物忘れがあったんだけど、ここ数ヶ月せん妄が始まってね。『どこも悪くない』って言って病院にも行ってくれないし」


「せんもう……?」


「妄想で、お金とか大事なものを盗まれたって言うの。犯人は私だったり、お父さんだったり、知らない人だったりいろいろだけど。もちろん誰も盗んでない」


 それは……結構、ヘビーな話だ。


「お父さんはすっごく元気だけど、銀行の通帳がどこにあるかも知らないような仕事人間だったしあんまり頼りにならなくて。今は私がサポートできるけど、カナダへの移住はどうしたものかと」


 そんな状況なのに、わたしは「両親を捨てるの?」と言ってしまったのか。

 言葉のないわたしに、千尋は膿を出すかのように語り続ける。


「私だって捨てたくない。でも、私にも私の人生がある。子どもを産みたい、カナダで生活したい。でも今の状態でカナダに行ったらどうなる? それって本当に求めていた幸せ? でも、日本で子どもを育てながら親の世話をしていたら、あとで後悔しない? 介護って何年やればいいの? 10年経っても両親はまだ80歳だよ? それからカナダに行って仕事ができる? 私はアラフィフになるよ? ……ずっと、見つからない答えを探して疲れちゃった」


「千尋……」


「それで、夏芽の家で羽を伸ばすようになって。そのくせ、夏芽にも突っかかったり急にキレたりして。子どもだよね。もうすぐ40なのに、ずっと高校生のままでメンタルが止まっている気がする」


「わかるよ。わたしもそう」


 千尋が、わたしに向き直る。


「ごめんね、夏芽」


「こちらこそ、ひどいこと言ってごめんなさい」


 わたしたちは、いつものように顔を見合わせて、ふふっと笑った。

 昔はもっと、大きな声で笑っていた気がする。でも、今のわたしたちにはこのボリュームがちょうどいい。

 そうだ。千尋と暮らせるような家を買った件について、言うべきか。重いから言うのはやめようか、と思ったけど……。今の千尋には、言った方がいい気がした。亘理さんのアドバイスに従うことにした。


「あのね千尋。実は、この家はわたしと千尋のふたりでいつか暮らせたらって思って買ったんだ」


「えぇっ」


 心底驚いたように、千尋は目を丸くする。


「重いよね、ごめん。ずっと、お互い独身だと思ったしさ。でも今は、千尋の人生を応援するから忘れて。それで……もし、人生が辛くて大変だと思ったときは、ここを避難所にしてくれていいから。ここは、千尋のための家でもあるってことで」


 恥ずかしくて、わたしは千尋の顔を見ずに言いたいことを言った。

 しばらくの沈黙。やば、滑った? と不安になっていたら、ふわりとシャンプーの匂いが顔の前にやってきた。


「ありがとう、夏芽」


 くぐもった声が、わたしの胸元から聞こえてくる。


「頑張って残りのローン払うから。なんなら、12年後に死んだとしたら相続で千尋にあげる」


「マジか」


 お姉ちゃんやお父さんが生きていたら、千尋への相続は相当ややこしいことになるけど、そういう面倒なことは考えない。今のわたしの気持ちだけが大切。

 ようやく千尋と顔をあわせる。40歳目前となると、キラキラの楽しい人生だけじゃ語れなくなってきた。なにをしていても、老いた親、子ども、自分の老後が重くのしかかる。

 でも、あと12年じゃ死ねない、死にたくない気がしてきた。千尋を守りたいから。


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