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絶望したので、38歳で余生を謳歌することにします。   作者: 武田花梨
第五章 絶望は続く

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クーリング・オフで過去を清算できたらいいのにね

 ぽつぽつと、大坪さんのことを話す。美顔器を売られた、というところで亘理さんはまた「えー!」と大きな声をあげた。


「まさか、お金を払ってないですよね?」


「……ローンを組む契約をしてしまいました」


「ちょっとぉー!」


 亘理さんは大げさにソファにもたれる。


「どうして……」


「断ったら、もうお友だちでいられないので」


 わたしの言葉に、亘理さんはあからさまにあきれた顔をした。


「どちらにせよ、お友だちではないですよ。それに、夏芽さんは誰かに美顔器を売りつけるつもりですか?」


「売りつけるつもりはないです。売りつける相手もいないですし……」


 バツが悪い思いでコーヒーに逃げる。幸か不幸か、マルチ商法をする相手がいない。


「クーリング・オフしましょう!」


 訪問販売や電話勧誘によって商品やサービスを購入したり契約してしまっても、7日間以内(マルチ商法であれば20日以内)であれば、契約解除ができるという法律がある。その仕組みがあるのはもちろん知っているし、やり方も知っているけれど……。


「大坪さんは悪くないです。わたしが、ほしいと思って購入しただけで。詐欺師扱いしたくありません」


「夏芽さん!」


 大きな声を出されてびっくりしてしまう。


「な、なんですか」


「大坪さんが悪いかどうかじゃないです。本当に、美顔器がほしいですか?」


 まっすぐな亘理さんの声に、わたしは思わず本音をするりとこぼす。


「……いらない、です」


 20万円の美顔器なんていらない。ただでさえお金がないのに、効果があるかわからない美顔器なんて使ってられない。使うとしても、ちゃんとしたメーカーが販売している、もっと手ごろな値段のものがほしい。


「わたしは美顔器が欲しいわけでもお金が欲しいわけでもなくて、大坪さんと仲良くしたかっただけ」


 気の合う、同世代の女性がほしかっただけ。それなのに、手に入ったのは20万円と引き換えの美顔器だけ。


「すぐクーリング・オフしましょう。間違って購入した品物を返品する権利はあります」


 亘理さんは、テキパキと準備を始める。まずはパソコンを使い、契約解除の書類を作成した。クーリング・オフをするためには、この書類を内容証明郵便か書留郵便で送らなくてはならない。

 弱っている心身には響く作業。客観的に自分の愚かさを確認する作業。亘理さんが強引に進めてくれなかったら、きっとやらない。

 プリントアウトした書類を、亘理さんがチェックしながら言う。


「明日のお昼休みに、郵便局行きましょう。俺もついて行きます」


「ありがとうございます。心強いです」


 明日になったら「やっぱり送らないでおこう」と思いかねない。亘理さんが発送するまで見届けてくれるのは安心だ。

 これで、大坪さんとは縁が切れてしまう。この期に及んで、縁が切れてしまうと残念がっている自分があまりにかわいそう。

 湘南のパンケーキも、北海道の景色も、悩み相談を受けてくれたのも、全部美顔器のためだった。


 ああ、終わっちゃった。


 わたしは、ソファに座り込んでため息をついた。疲れた。

 もう、わたしはひとりぼっちだ。これから友だちを作ろうとしても、またこうして騙されてしまうのかもしれない。なんて悲しい余生だ。

 泣いてしまいたい。泣いたらスッキリするかもしれない。でも、亘理さんの前では泣きたくなかった。泣いてしまったら、明日からどう職場で顔を合わせていいかわからなくなる。


「そういえば……カナダに行くお友だち、まだ日本にいるんですか?」


 ラグの上であぐらをかく亘理さんが、思い出したように言った。


「もうしばらくは、日本にいるみたいです」


「その人がいれば安心ですね!」


 よかった、と亘理さんは笑顔で頷いた。


「よくは、ないかな……」


「なんで?」


 言っていいものか……と、考えるのも疲れた。この際、洗いざらい亘理さんに聞いてもらおう。もう知らない。

 わたしは、千尋とケンカしたあの日のことを亘理さんに伝えた。その流れで、この家を買った経緯、つまり余生が12年だと想定して生きていることについても。

 亘理さんは、思ったよりも動じなかった。茶化すこともしなかった。ただ、わたしの話に耳を傾けてくれた。


「俺、夏芽さんのその考え、わりと理解できます」


「本当ですか?」


 太陽みたいな明るい亘理さんが、こんなネガティブ寄りの考えをするのかな。


「うち、両親とももう亡くなってて。父親は俺が10代のころ、母親は俺が26歳だった10年前に。ふたりとも病気でした」


「そうだったんですね……」


「一人っ子で結婚もしてなくて。あまり親戚付き合いもないし、こう見えてロンリーなんすよ!」


 がはは、と明るく笑う。


「だから、夏芽さんが今を楽しむためにいろいろ行動しているのはめちゃわかります」


 亘理さんは、幸せな中で何も悩みがなく生きているのだと思っていた。でも、そんなわけないよね。36歳なんだからいろいろあるだろう。それでも、毎日明るく過ごしているってすごい。


「どうして、いつも明るくいられるんですか?」


 言葉にして、ハッと口を押える。なんという失礼な質問。こんなことを言うから嫌われちゃうんだ。慌てて発言の撤回をしようとしたものの、亘理さんは、気を悪くした様子はなくにこっと笑った。


「明るいほうが、楽しいじゃないすか。それが、俺なりの余生の過ごし方ってことです」


 いいこと言った、と言わんばかりに得意げに笑う。


 『夏芽はいっつも、自分だけが不幸みたいな顔して! 人のことなんだと思ってるの!』


 千尋の声が、頭の中をめぐる。

 楽しそうな人でも何かを抱えていたり悩んでいたりするのに、わたしだけが不幸な気がしていた。千尋に言われたときは腹が立ったけど、亘理さんの話を聞いて腑に落ちた。

 みんな、それぞれの痛みを抱えながら、平然と生きている。

 わかっているようで、わかっていなかった。

 自分は特別、自分だけが苦労しているという顔をしていたんだ。


「俺のことはいいとして……お友だちの千尋さん、なんでそんなに怒ったんでしょうね」


「言ってはいけないことを言ったんだろうけど、それがなにかわからない以上、連絡するのが怖いんです」


 また怒らせたら……と思うとぞっとする。


「でも、このままじゃ良くないすよね。仲直り、したいですよね」


「したいです」


 そうだなぁ、と亘理さんが首をかしげながら天井を見る。


「あ、天井は古めかしいままんすね!」


 天井はシミだらけであまりきれいなものではないのが、バレた。


「……予算がなくて。余計なお世話ですよ」


 恨めしく言うと、亘理さんはへへっと笑った。今は、このガサツさが心地よい。


「縁側のほう、行ってみてもいいですか?」


「どうぞ」


 夜になってだいぶ冷えてきた。わたしは上着を羽織って縁側に案内する。庭に面した縁側のガラス窓は閉められていた。開けっ放しだと寒いし、虫も飛んでくるし、汚れるから。


「へー、縁側って常に外にあるわけじゃないんすね」


「普段は廊下として使って、天気の良い日だけ窓を開けるって感じです」


 体重のある亘理さんが歩くと、縁側がギュコギュコと甲高い音を立てる。

 窓の外では丸い月が煌々と輝いて、縁側を照らしていた。


「正直に、全部ぶちまけちゃえばいいじゃないすか?」


「全部……?」


 月明りに照らされた亘理さんがにこっと笑ってわたしを振り返る。


「将来一緒に暮らしたかったことです。カナダに行ってしまうのは寂しいってことも言いましょう。そして、あなたを怒らせたことは申し訳ないと思うけど、何がいけなかったかわからないから教えてほしいと。夏芽さんの中にあるもの全部言いましょう」


 わたしは言葉につまる。


「……言えないです。だって、めちゃくちゃ重くないですか? 恋人じゃなくて、20年来の友人というだけなのに」


「重いですね!」


 きっぱりはっきり言われる。やっぱり、重いんだ……。


「けど、重いのを隠しているから話がややこしくなるんだと思います」


「そうですね……」


 言ったとて、良い方に変わる気がしない。却って千尋を怒らせる可能性のほうが高い。

 正直、言いたくない。でも、言うことで千尋の怒りは救われるのだろうか。だったら言ってもいいかもしれない。

 頭の中で考えが右に左に揺れ動く。どちらが正しいのか、わたしにはわからない。


「千尋さんがカナダに移住して5年、10年たてば、もしかしたらふわっと仲良しに戻れるかもしれません。でも、夏芽さんはそんな悠長なことは言ってられない。早く決着をつけたいですよね?」


 余命試算12年をいじられている。


「まあ、それもそうですね……考えてみます」


 高校生の頃のように、すべてをさらけ出して話してみるのも悪くないかもしれない。そんなことができるのは、この世に千尋しかいないのだから。

 千尋のお腹の赤ちゃんに負担がかからないようにしなくては、などと考えていると、亘理さんがすねたような口調でわたしに言った。


「俺にも謝ってほしいすね。椎葉さんや大坪さんに夢中になって、俺との約束は二の次になっていたわけですから」


 千尋から『ひどいよね、都合のいい時は誘いを受けて、他の人にちやほやされたら捨てるなんて』と言ったことも話してしまった。


「すみません……。わたし、非常に浮かれておりました」


 今、こうしてピンチの時に手を差し伸べてくれる人なのに。


「ま、モテモテになっていつもそばにいる人をないがしろにするというのは古来からよく見聞きすることですからねー。人間のサガってやつは恐ろしいことです」


 ふふん、とわかったような顔で腕を組みうなずく。どうやら許してくれた模様。


「本当に、わたしは愚かな人間です」


 婚活に失敗して、勝手に余生を決め、転職して、家を買って、友だちを失い、同僚を無下にして……ひとり空回りしすぎていて、我ながら酷い話。

 振り返ると、自分の人生が滑稽すぎる。真剣に生きただけなのに、なんとも間抜けなことばかり。


「人間はみんな、愚かですよ。俺も」


「千尋も、そうなのかな」


「みんな、それぞれちょっとずつ愚かで賢くて可愛い生き物なんすよ」


 亘理さんは、また月を見上げて言った。亘理さんの中には、まだまだ愚かな部分が隠されているのかもしれないと思った。でも、他人にすべてを見せたりしない。それが大人ってものなんだろう。


「千尋に、連絡してみる」


「それがいいです。どうせケンカ別れするなら、徹底的にやりあった方がすっきりします」


 なんてね、と亘理さんは冗談めかして言う。


「ありがとうございます。亘理さんが来てくれてよかったです」


「俺は夏芽さんの大人になってからの友達第一号なので!」


 なんとも心強い笑顔に、わたしは励まされた。


「日光、行きましょうね! 山に登れば難しいことはぜーんぶ忘れられますから!」


「山登りってそんな効果があるんですか?」


「あります! 無心になれます!」


 なるほど。なんでわざわざ辛い思いをして山に登るのかわからなかったけど、無心になれるのなら行ってみたくなってきた。


「山登り、楽しみにしていますね」


 なんだかすっきりした頭で、わたしはそう答えた。


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